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今親との関係に悩む人たちに希望を与えてくれる物語【評者:瀧井朝世】

 歌人、作家として活躍する加藤千恵の最新小説『今日もスープを用意して』は、一人の女性の成長物語だ。短歌や短篇で刹那的な瞬間の機微を掬い取ることを得意とする著者が本作はその手腕を発揮しつつ、著作のなかでいちばん長い小説作品を書き上げた。
 物語は主人公の本条望ほんじようのぞみが六歳の頃から始まる。両親が離婚し、母親の芙美子ふみこと二人暮らしの彼女。美しく奔放な芙美子は望が幼い頃は夜職に就き、その後は恋人を次々変えては相手の家に居候し、引っ越しを繰り返してきた。子供の食事にも無頓着な芙美子だが、唯一こだわり続けてきたのは毎食必ずスープを食べること。いつしかそれは望自身の習慣となっていく。
 望の成長が、六歳、十歳、十三歳、十九歳……と、数年おきに、彼女の視点で語られていく。保育園の年長になってからは、朝起きて母親がいなくても彼女は自分で朝食を用意し、出掛ける準備をしてきた。一人で保育園に行き先生に「お母さんは?」と訊かれても彼女は「ぐあいわるくて、ねてるの」と噓をつく。年少の頃に朝母親がいなくて泣いていた時、電話で事情を知った園長先生が警察官を連れてきて母親ともめたことがあった。その時の芙美子が娘に対してかけた言葉は、「ママがいなくても、のぞみがほいくえんにちゃんといってくれればよかったのに」。だから年長になった今、自分がしっかりしなくてはと思っているのだ。
 その後も芙美子はつねに自己中心的だが、望を英会話教室に通わせるような一面もあり、毒親と断定できるか微妙なところだ。望も母が憎いわけではない。十歳の頃、望の家庭環境を心配する担任教師が「先生は本条の味方だから」と言うと、彼女は「お母さんは、敵なんですか?」と聞き返す。これには読者もはっとさせられる。もちろん親子は本来、敵同士ではない。だから厄介ともいえる。敵と認定できるほど虐待する親ならば第三者も介入しやすいだろうが、芙美子と望は違う。望は芙美子の身勝手さや娘に対する無神経さを理解しながら、派手な反発はせず、心に壁を作り、一緒に生きている。各年代ごとのエピソードはさほど長くはないが、悲嘆にくれることも自己憐憫に感情を乱すこともなく(そういうシーンが描かれていないだけかもしれないが)、たんたんと状況を受け入れていく姿が印象的である。
 本作の特徴は、随所に望と関わる第三者の視点が挟まれていくこと。保育園時代の担任の先生、小学生時代の同級生の母親、大学生時代の同級生……。望のことを気にかける存在もいれば、彼女を見下す存在もいることが分かる。面白いのは、友人となった存在は別として、基本的に彼らの思いは望に届いていないところだ。望は周囲の思いにさほど左右されることなく、迷いながらも自らの意思で一歩ずつ歩みを進めていく。
 やがて大人になって実家を出た後も、母娘のいびつな関係は続く。それについて助言してくる相手に、望はこう言い返す。
「わたしは母親から脱出できてない部分があるのかもしれない。でも、それも含めて、わたしの選択だし、人生なの」「あきらめてるんじゃなくて、引き受けてるの」「ずっと考えてた。母親の存在って呪いなんだな、って。でも、その呪いも、わたしの人生なんだよ。切り離すことなんてできない」。
 他人が「親子の縁を切ったほうがいい」と言うのは簡単だ。だが、子供が納得しないまま縁を切っても、後悔と罪悪感を残すだけだろう。親とどう対峙していくかは本人の納得が肝要なのだ。望は数々の心の痛みを含め、この人生を選んだ(もちろん、彼女のようにすべての人が自分の家庭環境を受け入れるべきとは思わない)。 
 終盤には、なぜ芙美子がスープにこだわったか、その思いも明かされる。だからといって彼女を母親として肯定する気にはなれないが、それでも、この母娘には彼女たちなりの、他人が口を挟むことのできない、繫がりがあったと思わされる。そんな最後の章では、芙美子との関係が対等になったようにうかがえ、望は自身のいう「呪い」から脱出したように見える。彼女はゆっくりと時間をかけて、「芙美子の娘」という立場から抜け出したのだ。それは新しい人生の始まりである。
 人はいつかは「誰かの子供」から卒業できる。今親との関係に悩む人たちに、そんな希望を与えてくれる物語である。

■ 書籍情報
今日もスープを用意して』
奔放な母と自由になれない娘――親子関係に悩むすべての人に贈る、やさしいエールに満ちた「希望」の物語。

■ 評者プロフィール
瀧井朝世(たきい・あさよ)
1970年生まれ。WEB本の雑誌「作家の読書道」、『WEB別冊文藝春秋』『WEBきらら』『週刊新潮』『anan』『クロワッサン』『小説幻冬』『紙魚の手帖』などで作家インタビュー、書評を担当。TBS系「王様のブランチ」ブックコーナーのブレーンを務める。著書に『偏愛読書トライアングル』『あの人とあの本の話』、編著に『ほんのよもやま話 作家対談集』、監修に「恋の絵本」「キミの知らない 恋の物語」の各シリーズがある。

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