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大雑把かつあやふやな怪盗の予告状①

『大浜富士太殿

貴殿の所有するブルーサファイアを頂きに参上する

           怪盗 石川五右衛門之助

尚、期日は次のうちいずれかとする

7月14(水)15:00~20:00

7月21(水)15:00~20:00

7月28(水)15:00~20:00』

                                      

「これが怪盗からの予告状です」

 と、警部補は云った。

 手渡されたそれをまじまじと読み下すと、

「何とも締まらない感じですね、日時がぼんやりしていて」

 と、探偵が云った。

                   *

 てっきり忘れ去られていたのかと思っていた。

 三ヶ月間、出動がなかったのだ。

 あの密室殺人事件からずっと、霞ヶ関の合同庁舎第2号館、警察庁刑事局の資料室の整頓と清掃を命じられた。未整理の書類の束や何が挟んであるのか不詳のファイルや異様に厚みのある大判の封筒や反故にしか見えない書きつけの山などと格闘を続けた。陽当たりの悪いじめじめと蒸し暑い部屋は、埃まみれである。ここの空気を呼吸し続けていたら全身に埃が回って、体表がふわふわになってしまうのではないかと木島壮介は本気で心配した。

 警察庁に入庁し、特殊例外事案専従捜査課なる胡散くさい部署に配属されて三ヶ月。書類整頓という名の島流しみたいな状況に追いやられているうちに、季節は梅雨時になってしまった。資料室の不快指数も鰻上りだ。

 そんな時に突然の出動指令が出た。

 あ、存在そのものを忘れ去られていたわけじゃなかったんだ、と木島は逆にびっくりしたほどだ。たまにはちゃんと出動がある。まあ“名探偵”の出馬が必要な事態がそう頻繁にあるわけでもなかろうから、三ヶ月に一度くらいで普通なのかもしれない。いや、こんな仕事が他にもあるとは思えないので、普通の基準が判らないけれど。

 そういうわけで梅雨空の下、車での移動となった。

 暗い雲がどんよりと垂れ込め太陽はまったく見えないけれど、じめついた資料室に閉じ籠もりっきりだった目には曇天すら眩しく感じられる。やれやれ久しぶりの娑婆だぜ、と荒んだ気分になってくる。

 運転手は無口な中年男性だった。今日はパトカーではなく、ごく普通のセダンだ。どういう基準で使い分けているのか、木島には判断できない。

 ドライブ中、木島はずっと流れ去る街並みを眺めていた。平日昼間の外界の風景は久しぶりだ。それにしても長いドライブである。東京都を東に進み、隅田川を越えてなおも走り続ける。一体どこまで連れて行かれるのだろうと不安になっているうちに、房総半島の外房側にまで突き当たってしまった。そこで車から降ろされた。じめっとして蒸し暑い。それでもあの埃だらけの資料室よりマシか、と木島はネクタイを締め直した。

「木島随伴官、こちらが今日の現場です」

 無口な運転手はにこりともせずぶっきらぼうに、それだけ伝えてきた。そして車は走り去ってしまう。木島は、一人ぽつりと取り残される。

 田舎のまっすぐな舗装道路。周囲に目立つものは何もない。片方は石造りの塀が続いている。

 木島はスマートフォンを取り出し、位置情報を確認した。ここは新浜市というらしい。聞いたことのない町だった。

 道路を挟んだ石の塀の反対側には、木々があるだけ。人の手が入っていないらしく、林は荒れ放題に荒れている。道を見渡しても人間の姿は見当たらなかった。

 石造りの塀が少し先で途切れ、そこに門柱が立っている。これも石でできた立派なものだ。木島はそこまで歩いて行き“大浜”と表札が嵌め込まれているのを見た。鉄の棒を柵のように組み合わせた門扉の向こうには、大きな屋敷が建っている。敷地が広いようで、石の塀はどこまでも続いていた。

 どうやらここが事件現場らしい。また凄惨な他殺死体とご対面というわけである。春の、頭部を撃ち抜かれた死者を思い出し、木島は陰鬱な気分になってくる。考えるだけで怖気がつく。やはりこの仕事に向いているとは思えない。

 しかし、殺人事件が勃発したにしては周囲がやけに静かだった。木島は少々、不審に思う。死体がこの屋敷で発見されたのなら、今頃この道は警察関係車輌でごった返しているはずだ。だのに妙にのどかである。梅雨時の湿り気の多い空気は張りつめることもなく、森閑としている。気の早いセミが一匹、遠くでかすかに鳴き声を響かせているだけだった。

 訝しく思っていると、

「木島随伴官ですね」

 と、後ろから声をかけられた。あまりにも唐突だったので、仰天して飛び上がってしまった。木島が慌てて振り返ると、男が一人立っている。いつの間に近づいて来たのか、気配をまったく感じなかった。物凄く動揺した。心臓の激しい鼓動が治まらない。

 その男は四十代半ばくらいの年格好だろうか、地味な印象の人物だった。くすんだ色のスーツとネクタイ。これといって特徴のない顔立ちに、人に不快感を与えない無難な髪型。ああ、役所の窓口によくいるタイプだな、と木島は感じた。没個性で物静か、平凡で無機質。全都道府県の役場からランダムに四十代の男性職員を千人抽出して、その平均像を一人に集約させると多分こんな感じになるだろう。そう思わせる男だった。

「失礼、聞こえませんでしたか。木島随伴官ですね」

 声質も無個性で、人間味に欠ける調子で男は質問を繰り返した。

「あ、すみません、そうです、木島です」

 動転から立ち直るのに時間がかかっていた木島が、あたふたと答えて、

「とすると、あなたは」

「はい、探偵です。作馬といいます、作るに動物の馬で作馬。よろしくお願いします」

「こちらこそ、お願いします」

 と、木島は挨拶を返し、

「よく判りましたね、僕が木島だと」

「写真がありましたので」

 作馬と名乗った男は、スマホの画面をこちらにちらりと向けて答えた。覗き込むと、そこには木島自身の顔がアップで写っていた。斜め横からの構図で、視線はカメラを見ていない。明後日のほうを見て、ぼけらっと弛緩した表情をしている。こんな写真は撮られた覚えがない。しかしよく見れば、背景に見覚えがある。これは四月の事件の時の書斎の壁だ。どうやら盗み撮りされていたらしい。とすると撮影者は一人しか考えられない。木島は思わず眉をひそめて、

「あの、それを撮ったのは勒恩寺さんじゃありませんか」

「はい、勒恩寺さんにデータをもらいました」

 案の定、作馬はそう答えた。やっぱりそうだ。あの傍若無人で得手勝手な探偵ならば、盗み撮りなど朝飯前だろう。それにしても、肖像権とかプライバシーといった概念は持ち合わせないのだろうか、あの自由気ままな探偵は。

「そういえば、今日の探偵が作馬さんということは、勒恩寺さんは来ないんですか」

 ふと気になって、木島は尋ねてみた。てっきりまたあの変人と一緒なのかと思っていた。

「勒恩寺さんならば今日は裁判だと聞いています」

 作馬が淡々とした口調で云った。木島は面喰らって、

「えっ、何かやらかしたんですか、あの人」

「そうではありません、証人として出廷しているだけです」

「証人?」

「刑事事件は最終的に犯人が逮捕されて法で裁かれます。それは探偵が事件を解決したからです。探偵はそうした公判に出廷を求められるケースが多々あります。検察側からの要請で、犯人逮捕に至った状況を説明する必要があるからです。それも探偵の仕事のうちです」

 作馬は、感情の起伏がまったく感じられない平板な調子で云う。愛想笑いひとつも浮かべない極めて事務的な喋り方で、本当に役場の窓口の人の話を聞いているみたいに感じてくる。そんな作馬の解説に木島は感想を述べて、

「嫌がりそうですね、勒恩寺さんは、そういうの」

「なぜでしょう。嬉々として証人台に立っていますよ、彼は」

「それは意外です」

 木島は少し驚く。思っていたイメージと違っていたからだった。あの自由闊達な探偵は、そういった杓子定規な場は面倒くさがりそうだ。その疑問に、作馬は答えてくれて、

「日当が出ますからね。勒恩寺氏は専業の探偵です。特専課の中でも唯一、探偵一本を本業でやっている人です。事件のない日でも給金が一日分支給されるのですから、これは喜んで出廷するでしょう」

「へえ、日当目当てですか」

 そういえば、案外ちゃっかりしている一面もあったっけ、あの自称名探偵は、と思い出しながら木島は、

「では作馬さんは兼業探偵なんですね」

「ええ」

「本業はお休みですか」

 今日は水曜日で、思いっきり平日である。

「公休を取れることになっています。裁判員制度と同じ扱いですね。警察庁からの要請で探偵の仕事がある日は、本業は有休になります」

「本業は何ですか」

「それは個人情報に属する事柄なのでコメントは差し控えさせていただきます」

 と、作馬は事務的な口調で云う。何か彼の中で、話していいこととダメなことの厳格な線引きがあるらしい。やっぱり役場の人みたいだと、木島は思った。

 と、そんな木島達のほうへ自動車がやって来る。それも、何台も。片方が林で覆われた田舎の直線道路を、列を作って車が走って来るのが見えた。

 何事かと思って見ている木島の鼻先で、先頭の一台が停まった。後続の車も次々と停車する。普通乗用車が三台。後ろにワゴン車が二台。ドアを開けて、男達が一斉に飛び出してきた。警察だ、と一目で判る。ワゴン車から続々と降りてくるのが制服の警官隊だったからだ。前の三台から降り立った男達は私服刑事だろう。

 彼らは並んで“大浜”の表札の門に近づく。先頭は、仏像のようにおっとりした顔の男だった。年は作馬探偵と同じくらいだろうか。その作馬探偵が木島の背後から囁きかけてくる。

「ちょうどいいですね、木島くん、彼らと合流しましょう」

 え、僕が行くの? と、木島は驚いた。こういう場合、探偵が先導するものだと思っていた。木島の立場はただの随伴官に過ぎない。探偵のおまけみたいなものなのだ。まあ、厚かましくしゃしゃり出て“名探偵”と肩書きがついた名刺を配り回るよりはマシか。そう思い木島は、進み出て、

「あの、失礼、警察の皆さんですよね」

 先頭の、どこか仏像じみてのどかな顔つきの刑事に声をかけた。おっとりとした顔の刑事は足を止め、首を傾げてこちらを向いた。その後ろに立った眉の濃い鋭い目をした男が一歩前に出て、立ち塞がるように、

「申し訳ありませんが公務ですので、一般のかたはご遠慮願えますか」

 有無を云わせぬ厳しい口調で云ってきた。木島はついへどもどしながらも、

「いえ、それが、実はこちらも公務でして、すみません」

 と、スーツの内ポケットから身分証を引っぱり出して見せた。警部補という身の丈に合わないこと甚だしい階級と、木島の顔写真が表示された身分証である。新卒三ヶ月の若僧にはまったく似合っていないことは、骨の髄まで自覚している。据わりの悪いことこの上ない。恥ずかしいからあまり見せたくはないのだけれど、こうしないと話が通じそうもないから致し方ない。

「特殊例外事案専従捜査課の者です。警察庁から来ました」

 仏像みたいな刑事と眉の太い刑事は、揃って目を丸くした。

「あの噂の特専課、ですか」

 と、仏像めいた刑事は口をあんぐりと開けて云った。他の刑事達もざわめき始める。

「特専課ってあれか」

「警察庁の」

「実在するんだな」

「初めて見たぞ」

 口々に驚きを表明している。春の事件の時のように邪険に扱われないのはありがたいが、そんな珍獣を見る目で眺めないでほしい。

 仏像のような刑事は感心したように、

「では、あなたが探偵さんですか、お若いのに」

「あ、いえ、僕は随伴官でして、警察庁の職員なだけです。探偵はこちらの作馬さんで」

 紹介すると、役場の事務員みたいな探偵はうっそりと頭を下げる。どうにも影が薄い印象が拭えない。目立ちたがりでエキセントリックな勒恩寺探偵とは正反対だ。

 作馬は頭を下げたきり何も云わない。刑事に聞くべきことは山ほどあるはずなのに、じっと佇むだけである。騒々しいのも面倒だけれど、こうもおとなしいとこれもこれでやりにくい。仕方なく、木島が質問役を買って出て、

「事件はこの家ですね」

 と“大浜”の表札が出ている門柱を示して聞いた。

「そうです。特専課さんはまだ何も聞いていませんか」

 と、眉の太い刑事が云った。ありがたいことに、先ほどの威圧的な態度ではなくなっていた。

「すみません、出動命令があって来ただけでして、殺人事件ですか」

 恐縮しながら尋ねる木島に、仏像のように柔和な表情をした刑事は、

「いやいや、そんな物騒なヤマではありません。この辺は都会とは違いますからな、そうそう大きな事件は起きやしませんよ」

 確かに刑事達にも警官隊にも、殺気立った気配はない。これから殺人事件の捜査に挑むというピリピリした空気感は伝わってこない。だったら惨殺死体とご対面、という場面はなさそうだな。そう思って、ちょっとほっとしながら木島は、

「皆さんは県警のかたですか」

 と、聞いてみた。先ほどのスマホの位置情報によると、現在地は房総半島の東端。とっくに東京警視庁の管轄外だ。

「滅相もありません、私どもは新浜署の者です。しがない所轄の田舎警察でしてな」

 仏像じみた刑事はのほほんとした調子で謙遜した。

「管轄区域はこの新浜市と周辺の三つの町と村だけ。狭い地域をひっそりと守る地方警察ですよ。ああ、申し遅れました。私は井賀。井賀警部補。こちらが三戸部巡査部長、私の片腕です」

 そう云って井賀警部補は、おっとりと一礼した。紹介された逞しい眉の三戸部刑事が折り目正しく敬礼する。年齢は三十代半ばだろうか。精悍な顔立ちは頼りになりそうだ。

「事件に関しては追い追い。立ち話も何ですから入れてもらいましょうか、ここは蒸していけません」

 と、片手で襟元を扇ぎながら井賀警部補は門柱に近づいた。インターホンのボタンを押して、

「新浜署の者です」

 のんびりした口調で云った。インターホンから「はい、お待ちしていました」と男の声が応え、鉄の棒の門扉がゆっくりと開いていく。電動で遠隔操作できる仕組みらしい。

 鉄の棒を編み合わせた門扉が開ききると、井賀警部補は仏像じみた物静かな面差しで振り返り、

「では、参りましょうか。いやあ、特専課さんにお力添えいただけるとは、実に心強いですな。頼りにしておりますよ」

 そう云って歩きだす。それに歩調を合わせて付き従う三戸部刑事。その後ろを八人ほどの私服刑事が追従した。さらに十五人くらいの制服警官隊もぞろぞろと続く。ちょっとした大名行列だ。遅れないように、木島は慌てて先頭の井賀警部補を追いかけた。作馬は後ろから無言でついてくる。

 井賀警部補とその一行は家の玄関へと向かっていた。庭が広いので、門から家まで少し距離がある。正面に立つ家は立派な洋館だ。家というより邸宅、いや、むしろ館と呼んだほうがいいのかもしれない。

「随分大きなお宅ですね」

 思わず感心して、言葉が木島の口をつく。井賀警部補はおっとりと、

「そうでしょう。大浜家といったら新浜でも一番の分限者ぶげんしゃですからな。今のご主人が一代で財を成した、謂わば立志伝中の人物です。やり手の経営者でしてね。誰もが羨む町の名士で、あちこちに顔も利く。いや、あやかりたいものですな」

 ぞろぞろと玄関に到着した。荘厳と表現していいほどの派手派手しい玄関だった。大きな木の扉が開き、中から一人の男が顔を出した。三十前くらいの年回りだろうか、整った顔立ちだがどことなく締まりのない感じで、軽薄な薄笑いを唇に乗せている。

「どうもどうも、井賀さん、お久しぶりで。三戸部さんもどうも、あの一件以来ですね。お待ちしていましたよ、まあ入ってください」

 男はへらへらと笑いながら云う。これが分限者のやり手社長なのか、そんなイメージはないな、と思った木島の顔色を読んだのか、井賀警部補が、

「こちらは大浜社長のご子息で鷹志さんです」

「どうもどうも、若い刑事さんは新顔ですね、大浜鷹志です。鳥の鷹に志すと書いて鷹志。大仰な名前でしょう。名乗る時ちょっと恥ずかしい。でも親父がどうしてもってんでそう名付けられた。一富士二鷹で縁起がいいだろうって。ちなみに親父の名前は富士太ね。そんな語呂合わせみたいなノリで仰々しい名前をつけられたこっちの身にもなってほしいものですよ」

 大浜鷹志はへらへらと、軽薄に長々と喋った。なるほど、その語呂合わせならば、もし彼に弟がいたのなら茄子太とか茄子雄になるわけか、などと木島がどうでもいいことを考えているうちに、三戸部刑事がてきぱきと部下に指示を出していた。

「刑事課組は各自自前のスリッパに履き替えて、制服組は庭に展開。不審物などないか、打ち合わせ通りに庭の捜索を開始。投光器の搬入も急げ。その後は別命あるまで待機」

 玄関先で刑事達がわたわたと靴を脱ぎ、木島と作馬もその混乱に巻き込まれた。自分のスリッパなど用意していなかった木島達は大浜邸のものを貸してもらう。中は空調が効いていて涼しい。混雑の最中でも、木島はほっとひと息つくことができた。

 ただし、仕事も忘れてはいない。家に上がる時、胸ポケットに忍ばせたボイスレコーダーのスイッチをそっと入れる。家電量販店の店員さんも激賞の、二十四時間連続録音が可能な優れ物だ。前回の事件で報告書を書くのに難渋した。慣れない現場で、細かいことを後から思い出そうとしても難しかったのだ。今回はだから、すべてを録音しておくつもりである。こうすれば報告書の作成も楽になる。

                  *

 通されたのはこれまた金のかかった応接間だった。

 毛足の長いカーペットにふかふかのソファセット。アンティークらしいサイドボードには高級そうな洋酒の壜が並び、壁際では背の高い木製の箱に組み込まれた時計が時を刻んでいる。壁に掛かっているのは西アジア製と覚しき手織りの壁飾りで、その繊細な文様は目を見張るほど美しい。お定まりの鹿の首の剥製も、壁から突き出している。

 私服刑事の一団は屋敷の廊下で待機。井賀警部補と三戸部刑事、そして木島と作馬探偵だけが入室を許された。四人は腰が沈んで後方にひっくり返りそうなソファに座った。座り心地が上等すぎて、かえって落ち着かない。尻をもぞもぞさせる木島に対して、大浜鷹志は慣れた様子で向かいのソファに腰を下ろしながら、

「新顔の刑事さん達はごてごてした部屋で驚いているでしょう。親父の趣味でしてね。田舎の成金はこれだから困るんです。値の張る物を並べ立てればいいと思っている。センスが洗練されていない」

 新顔というのは恐らく木島達のことだ。しかし作馬は黙ったまま返事をしない。ひっそりと座って、じっと足元を見つめて無表情である。お役所の役人にありがちな堅苦しさで、雑談に興じるのは職掌外と考えているのかもしれない。仕方なく、木島が鷹志の相手をする。

「いえいえ、豪華な応接室で凄いと思います。大したものですね。お父上はさぞかし辣腕な経営者でいらっしゃるんでしょう」

「まあ身内の俺が云うのも変だけど、金儲けの才だけはあるみたいだね。中身はただの俗っぽいおっさんだけど。あ、その親父は今来ますんでちょっと待ってください。親父は偉ぶりたくて、人を待たせるのが平気なタチでして、すみませんね」

「いえ、構いません。ちなみに、会社というのはどういった職種で?」

「水産業です。会社の名前も大浜水産。これも古くさいネーミングですね、親父のセンスが垢抜けなくて。業務内容は魚介類の加工と販売。何にもない田舎町ですけど、漁港だけは小さいながらありましてね、外洋からホキ、スケトウダラ、メルルーサなんかを仕入れまして、ほら、魚のバーガーや幕の内弁当なんかの魚フライ、あんなのを作るんですよ。某全国チェーンのハンバーガー屋では、ほとんどうちのフライを使っていますね。あとは切り身やサクを仲卸に卸したり、ソテーやバター焼きに味噌煮なんかの加工食品、練り物とかね、そんなのをパックにして全国ルートで流通させたり」

 鷹志の言葉を井賀警部補が補って、

「いや、実際大したものですよ。この新浜がこんな田舎の隅っこにあるのに過疎化しないのは、大浜水産さんの雇用力のお陰ですからな。土地だけは余っている田舎の市の、面積の十分の一が大浜水産さんの工場の敷地なんですから、凄いものでしょう。これだけのお屋敷を建てられるのも納得です」

「では、鷹志さんはその大会社の後継者になるんですね」

 木島が割と本気で羨ましく思って云うと、

「いやあ、確かに俺も親父の会社で働いていますけど、まだ下っ端ですよ。毎日毎日雑用ばっかりで。親父が素直に継がせてくれるのか、怪しいものです。どのみち、まだ先の話だね。親父はまだまだ元気だから。あと三十年か四十年は、社長の椅子を手放しそうもありませんね。俺のほうが先に老いぼれそうだよ」

 と、鷹志はへらへらと笑って云った。

 そこへ噂の主が登場した。

 乱暴にドアを開けて入ってきたのは五十過ぎの男である。ずんぐりむっくりの体型で、顔面では鼻が大きく胡座あぐらをかいている。押し出しの強い恰幅のいい人物で、紹介されなくても一目で判る。この家の主人、大浜富士太氏だろう。

 応接室に足を踏み入れた大浜氏は、井賀警部補の顔を見るなりしかめっ面になった。

「またあんたか。他にもっと人材はおらんのか」

 大浜社長はダミ声で不満そうに云う。第一声がこれとは、いささか失礼なのではないかと木島は感じた。しかし、社長がどっかりと座るのを待って、三戸部刑事が律儀に説明を始める。

「我が新浜署の刑事課には班がふたつしかありません。現場責任者として捜査の指揮を執れる警部補が二人しかいないからです。井賀警部補の私どもの班と、もう一班がいるのみです。ですから事件があれば、二分の一の確率で担当が回ってくることになります。別の一班は現在、市内繁華街で起きたコンビニの窃盗未遂事件の捜査に当たっております。従って井賀班がこちらの担当になるのは仕方のないことかと」

「判った判った、もういい」

 と、大浜社長は三戸部刑事の話をうるさそうに手を振って遮ると、しかめっ面のまま、

「しかし、この前と同じ轍を踏むのはご免だぞ。今回は大丈夫なんだろうな」

 不機嫌な様子で云う。それに対して井賀警部補は仏像のごとくおっとりした顔つきで、

「いや、これは手厳しい。もちろん今回は万全の態勢で挑みます。ご心配なきように」

「本当か。あんたの云うことは当てにならん」

 と、仏頂面の大浜社長に追随するように大浜鷹志も横から、

「いつまで経ってもあの事件は解決してくれないしねえ」

 三戸部刑事は、折り目正しく背筋を伸ばした姿勢で、

「その件に関しては警部補をあまり責めないでいただけませんか。署長にもこの三ヶ月、連日連夜急かされて警部補はその心労ですっかりやつれてしまいました」

 仏像のごとく福々しい井賀警部補はそれほどやつれているようにも見えないけれど、三戸部刑事の目にはそう映ってはいないようだった。

「ですから今回はひとまず、先日の件は置いておいていただきたいのです」

 そう懇願する三戸部刑事に、鷹志が皮肉っぽく、

「でも、この前も、必ず解決するって大見得切っていましたよ」

「それは時間をかけさせてほしいと何度も。身代金の紙幣は新券で、番号もすべて控えてあります。犯人が辛抱しきれなくなって金を使い出せば、そこから必ず足がつく。その時は絶対に追いつめて見せます。持ち慣れない大金を手にした犯人は、そう長い期間我慢できるはずがないのです。ですからきっと近々金を使います。なので解決は時間の問題なのです」

 三戸部刑事は太い眉で真剣な表情になって云い募る。

 何があったのだろう、と木島は内心で首を傾げた。身代金だの犯人だのと剣呑な単語が聞こえてきた。気にはなったけれど、しかし割って入れる雰囲気ではない。

 大浜社長がそんな話の流れを無視して、

「茶は出んぞ。女房がいないからな。まあ、あんたらは客でもないから茶の心配など要らんだろうが」

 井賀警部補はおっとりと、

「奥様はどちらに」

「実家に避難させた。賊が侵入して荒っぽいことになったら大変だ。昨日から大宮の実家に行かせている。娘も一緒だ。娘は怪盗が出たら是非見てみたいなどと浮かれたことを云ってゴネておったが、女房が無理に首根っこ掴んで連れて行った」

「妹のやつ、もう高校生のくせして子供っぽさが抜けなくて困りますよ」

 と、鷹志が云い、

「余計な茶々を入れんでいい」

 大浜社長に一喝される。

「お前も警察に協力して、少しは犯行阻止のための工夫をしろ」

「へいへい」

 鷹志はへらへらと、肩をすくめる。

 井賀警部補がゆったりとした口調で、

「そのために今回は強力な助っ人もいらしてくれました。こちらのお二人です」

 と、木島と作馬探偵を掌で示す。

「ほう」

 と、大浜社長は初めてこちらに視線を向けると、

「何者だ?」

「東京の警察庁から本件のためにわざわざ駆けつけてくれたこうした奇抜な事件の専門家です。きっと力になっていただけるでしょう」

「ほほう」

 大浜社長は少し興味をそそられたようで、

「東京の警視庁の人か。片方は随分お若いように見えるが、腕は確かなんだろうな。うむ、頼みましたぞ」

「はあ、どうも」

 何と答えたものか判らないので、木島は曖昧に頭を下げる。作馬はこんな時も影が薄く、黙ったままだ。探偵なのに、どうにも頼りない。

 どうでもいいことかもしれないけれど、大浜社長は警察庁と警視庁の区別がついていないようだった。全然別の組織なのに。もっとも民間人にとっては、どっちがどっちでもあまり関係がないのだろうが。

 一方、井賀警部補がやけに特専課を持ち上げてくれるのは、警察機構の内側にいる立場だからに違いない。何せ警察庁は、警視庁どころか全国の都道府県警を統括する上位機関だからだ。井賀警部補らが属する所轄署の上にある県警の、さらに上位の組織だから、必要以上におだてて下にも置かぬ扱いをしてくれるのだろう。前回の警視庁の刑事達と態度が大きく違っているのは、末端の地方警察の素朴さ故か。ただ、まだ何ひとつ実績のない新米の木島には、無闇に奉られる資格があるとは思えない。恥ずかしいからあまり持ち上げないでほしい。そう切に願う木島だった。

 三戸部刑事がそこで思い出したように、

「そうだ、特専課のお二人は何の事件かまだご存じではなかったようでした。社長、少しお時間をいただいてもよろしいですか。専門家のお二人に説明を」

「ああ、構わんよ。まだ時間はあるからな」

 大浜社長は壁際に立つグランドファーザークロックに目をやって答えた。釣られて木島も時計を確認する。午後一時四十分だった。

「警部補、例のアレを持っていますか」

 と、三戸部刑事に促され、井賀警部補はスーツの内ポケットから四つ折りの紙を取り出して、 

「ご覧いただけますかな。怪盗を名乗る不審な人物から手紙が届いたのです。こちらの大浜社長宛に」

 と、紙を渡してくる。

「これが怪盗からの予告状です。コピーで申し訳ないのですが。実物は県警の鑑識で保管してもらっておりますので」

 作馬が手にした紙を、木島も横から覗き込んだ。プリンターか何かで印刷した文字が紙面に並んでいる。その文字列は、紛れもなく怪盗からの予告状だった。

「なんとも締まらない感じですね、日時がぼんやりしていて」

 と、作馬が事務的な口調で云った。この部屋に入ってから初めての発言だった。

 寡黙な探偵と、木島も同じ感想を抱いた。

 そう、何だかとても大雑把である。

 指定日が予備を含めて三日もあったり時間もあやふやなので、やけに呑気な印象だ。どうにもやる気が伝わってこない。

 作馬が手渡してきた予告状を、木島は受け取ってしげしげと観察する。

 そういえば今日は七月十四日。予告の指定日の一日目である。なるほど、怪盗からの予告を受けて井賀警部補達所轄の警察が動き、木島にも出動指令が出たわけか。

 それはともかく、見れば見るほど緩い予告状だった。普通こういうのは、何月何日の何時ジャストに盗み出す、と予告してくるものではないだろうか。いや、普通の怪盗がどういうものかは知らないけれど。そもそも怪盗というのが今時どうかと思うし、名前もふざけすぎだ。何だよ五右衛門之助って。

 予告状を矯めつ眇めつしながら、木島はそんなことを考えていた。

 隣に座る作馬は、第一声を発したきり何も云わない。色々と質問するべきことがあるだろうに、口を閉ざしたままである。何なんだ、この人は。探偵としてやる気はあるのか。

 じれったくなって、木島は咳払いなどしてみる。それでも作馬は、うっそりと無表情に座って、何の反応もない。

 仕方なく木島が大浜社長に尋ねる。

「このブルーサファイアというのは、もちろん宝石のことですね」

「うむ、わしの宝だ。お若い刑事さんにも後で見せてやろう。きっと目を剥くぞ、あまりの見事さに」

 木島を警視庁の刑事と勘違いしたままの大浜社長は、自慢げに答える。

 木島は質問の相手を井賀警部補に変えて、

「この怪盗石川五右衛門之助というのは何者でしょうか」

「さてねえ、何者でしょうなあ」

 井賀警部補はおっとりと答える。隣の三戸部刑事が太い眉を上げ、

「バカげた名前でしょう。今のところは正体不明です。県警のデータベースでも照会してもらったのですが、他の事件でこの呼称が使われた前歴は発見できませんでした。まあ、こんなふざけた名前を名乗る者がそうそういるとも思えませんが」

「こういうふうに盗難の予告を前もってするという前例は多いんでしょうか。フィクションの世界ではよく見ますけど」

 木島の問いかけに、三戸部刑事は折り目正しく、

「そういうデータはありません。個人的にも寡聞にして存じません」

 大浜社長もむっつりした顔で、

「怪盗だの予告状だの、そういうのは映画の中だけのものだろう、後は小説か。本物など聞いたこともないぞ」

 ごもっとも、確かに木島も聞いたことがない。

「しかし、なぜこう三日に亘って予告をしてきたんでしょうか、雨天順延じゃあるまいし。しかも時間も長い。三時から八時までの五時間って、これは間延びしすぎでしょう」

 木島が感想を述べると、井賀警部補は仏像のように穏やかな顔でおっとりと、

「特専課さんのほうでは何かデータがありませんかな。怪盗に対応するノウハウなどが」

 年嵩でベテランに見える作馬に向かって質問する。しかし当の作馬探偵は、やはり黙ったきりだった。自ら存在感を消しているかのように、まるでここにいないかのごとく振る舞っている。話しかけられたら返事くらいしてほしい。影が薄いにもほどがある。

 木島がそんな不満の目で見ても、作馬は動じる様子がない。仕方なく木島は問いに答えて、

「こちらにも何もないと思います。前例がないでしょうし」

 もしあったら、さすがに作馬も云っているだろう。

 大浜社長は憤懣やるかたない様子で、

「わしをおちょくっておるんだ。アホみたいな名前といい、間延びした時間といい、バカにしているとしか思えんじゃないか」

「もしかしたら、この前の誘拐犯がまた親父をターゲットにしてるのかもしれないね」

 鷹志が薄笑いで云うと、大浜社長はさらにむっとした顔で、

「だとしたらますますバカにしておる。くみしやすしと侮っていやがるんだ、ふざけおって」

 誘拐って何の話だ、またおかしなワードが出てきたぞ、と木島は引っかかったが、口を挟む間もなく、鷹志が、

「バカにしているかどうかはともかく、意図が不明なのは気持ちが悪いね。時間が間延びしているのは、俺達の緊張感を持続させない作戦かもしれないけど。きっちりと時間を指定していないと警備するほうもだれてくるかもしれないからさ、その油断した瞬間を狙っているとか」

「この予備日があるのもそれが理由か? 一日目、二日目と何もなく、油断した三日目を狙っておるのか」

 大浜社長が云うと、三戸部刑事が几帳面に否定して、

「いえ、我々は油断などいたしません。何時間でも緊張感を持って警備に当たることができます。犯人の狙いがそれならば、見通しが甘いという他はないでしょう」

「うーん、見通しが甘いだけでこんな変な予告になるものかなあ」

 と、鷹志が首を捻っている。

 確かに、この曖昧さはどこか牧歌的で呑気な感じがする。狡猾に何かを狙っているふうには見えない。それこそ緊張感に欠けるというか、気が抜けているというか、シャープさが全然伝わってこない。本気ならばもっとびしっと、何日何時と一点集中で予告しそうなものなのだが、どうしてこんな大雑把なのか、その辺が不明だ。予備日が毎週水曜日だけなのも、何だかゴミ収集日を指定しているみたいで間が抜けて見える。

 木島は影の薄い探偵に、この予告状をどう思うか尋ねてみた。しかし返ってきた返事は、

「今のところ特に云えることはないですね」

 と、木で鼻を括ったみたいな言葉だけだった。頼りないったらありゃしない。

 仕方ないので木島は、井賀警部補に質問して、

「この予告状の現物を分析した結果はどうでしたか。何か出ましたか」

「いやあ、何も出ませんでしたなあ」

 と、警部補はのどかな調子で、

「不審な指紋はもちろん無し。紙もどこででも入手可能な市販の物でした。印刷に使ったプリンターは、国内シェア最大手の文具機器メーカーのもの。巨大総合商社から個人経営の事務所まで、何百万台と普及している製品ですからな、そこからの追跡は不可能でしょうねえ。送ってきた封筒も同様です。宛名も印字ですので筆跡の鑑定も不能。一週間前にこの大浜社長のご自宅に届きました。ただ、消印が大手町でして」

「大手町というと、東京の?」

「そうです、ところがこいつが手掛かりになるかどうか。何せここみたいな田舎と違って、多くの人が行き交う大都会ですからな。何者がポストに投函したのか、さすがに調べようがありません」

 そう云って井賀警部補は、ゆっくりと首を横に振った。

 なるほど、予告状から犯人を辿るのは難しそうである。

 うーん、この間の抜けた内容からして、これはただのイタズラなんじゃないか。木島はそう感じ始めていた。どうもあまり本気に見えないし、こうして刑事達や警官隊が出張っても大山鳴動して鼠の一匹すら現れないという、そんなオチなのではないだろうか。

 木島がそう主張してみると、大浜社長は苦々しげに、

「県警の連中にもそう云われた。つまらんイタズラではないかと」

「あ、そうなんですか」

「うむ、先週、これが届いてな。大切なお宝が狙われているとなったら黙っておれん。泡を食って百十番した。県警の刑事どもがすっ飛んで来たが、イタズラではないかと云いだしおった」

 確かに、この緊張感の抜けた文面では、イタズラだと判断されるのもやむを得ないようにも思う。怪盗石川五右衛門之助という名前がまた、イタズラ感に拍車をかけている。

「まったくあの刑事どもめが、腑抜けた面で、こりゃイタズラか嫌がらせじゃないんでしょうかねえ、と抜かしおった。差出人の名前からして冗談にしか見えないでしょう、だと。わしらの税金で喰っているくせをしおって、サボることしか考えておらんのがけしからん」

 大浜社長が憤然と云うと、隣に座った鷹志も、

「県警の人達は、所轄署に通達してパトロールを強化するよう云っておきますよ、なんて適当に誤魔化してさっさと帰ってしまいましたよ、いい加減なことに」

 へらへらと、いい加減に笑いながら云う。三戸部刑事が太い眉をしかめて、

「その通達に我が署の署長が過剰に反応したのです。予告状を受け取ったのが大浜社長だと知ると、目の色を変えました」

 井賀警部補も仏像じみた顔でおっとりと、

「何しろ大浜社長は地元の名士ですからなあ。うちの署長も世話になっているようでしてね。色々と恩義もあるみたいで」

「うむ、署長はわしがかわいがってやっておる。他にも市長や消防署長や市議会議長とも懇意にしておってな。特に新浜署の奴はわしの力で署長の椅子に座らせてやったようなものだからな、わしには頭が上がらんわい」

 がっはっはっと笑って大浜社長は云った。それを仏の微笑みで見ながら井賀警部補が、

「大恩ある大浜社長の一大事ということで、署長直々に我々に出動命令が下ったと、まあそういうわけでして。特専課さんにお声がかかったのも、うちの署長が気を回したんでしょうなあ。専門家の目が入れば警備もより万全になりますから」

「おお、専門家ならば頼りになりそうだな。頼みましたぞ」

 大浜社長の激励にも、作馬探偵はうっそりとうなずくだけだった。実に頼りない。

 三戸部刑事が太い眉をきりりと上げて、

「では、そろそろ警備の準備に入りましょうか」

 と、勢いよく立ち上がった。時刻は二時五分前。怪盗の予告時間まであと一時間とちょっとである。

                   *

 奥の部屋へと全員で移動した。

 屋敷は広大で、廊下を曲がるたびに木島は方向感覚が怪しくなってしまう。一人にされたら迷子になりそうである。

 そうやって連れて行かれたのはだだっ広い洋室だった。驚いたことに部屋の中はがらんとしており、調度品がほぼ何も見当たらない。空き部屋のように見える。ここもエアコンが効いていて、外の蒸し暑さとは無縁だった。

 一行はぞろぞろと、その空っぽの部屋に入っていく。先頭は大浜社長と、それに付き従う大浜鷹志。警備の陣頭指揮を執る井賀警部補に、その片腕の三戸部刑事。その後を私服刑事が八人ほど整然と続く。そしておまけみたいに探偵の作馬と、さらにそのついでの木島が最後尾を務める。ベテラン揃いらしい刑事達の中で、一人だけ若い木島はみそっかすのようだ、と自覚していた。物凄く場違いな気がして肩身が狭い。作馬はベテラン勢の中でも遜色ない年齢だが、どうしたわけだか部屋の隅っこに、こそこそと身を潜めるように進んでいった。自己主張がないのにもほどがある。やっぱりどうにも頼りなく感じる。大丈夫なのだろうか、この探偵は。

 広い洋間の中央に立った大浜社長は、大きなダミ声で、

「見てくれ、ここは普段はわしの仕事部屋として使っておる。しかし今日のために社員達に命じて家具も何もかもすべて搬出させた。余計な物がないほうが警備もやりやすかろうと思ってな。どうだ、何にもないだろう。窓にもほれ、鉄格子を嵌め込ませた。これも社員にやらせた。業者を頼むと金がかかるからな。その点、社員はいくら使ってもタダ。中には大工仕事が得意な者もおって便利だ。いや、社員はいくらタダで使っても磨り減ったりせんからな。使えるものは徹底的に使うのがわしのやり方だ。どうだ、器用なものだろう。鉄格子がちゃんと窓に嵌まっておる。これで庭からの侵入者は完全に防げるだろう」

 鼻の穴を広げて、自慢げに云う。

 確かに、社長の主張通り隠れる場所がないのは警備の目も行き届くだろう。何もない板張りの床は広々として、ダンスの練習場のようだった。

 それはそうと、家具の類がひとつもないからこそ目を引く物がある。ドアから見て左手の壁際だ。そこにどでんと鎮座しているのは、この部屋の中で唯一の人工物だった。

 大型の金庫である。

 黒光りした堂々たる金庫が、壁に背をつけて置いてあった。高さは一メートル半ほど。横幅はそれより少し狭い。一般家庭にあるにしては大きすぎる、無骨な代物だった。さすがは町一番の金持ちだと感じさせる、重厚な金庫だった。

 井賀警部補は、仏像めいた顔で周囲をゆっくりと見渡して、

「早速ですが、部屋を検めさせていただきます。よろしいですな」

「ああ、思う存分やってくれ」

 大浜社長の許可が出たところで、三戸部刑事が太い眉をきりっと上げて、

「よし、手筈通りに調べてくれ、どんな隙間も見逃すな。始めっ」

 号令ひと声、八人の刑事は瞬時に行動を開始した。半分はドアから廊下へと飛び出して行く。それぞれに分担が決められているのだろう、残った半分は部屋に残り、あちこちの壁を叩いたり床を押したりしている。出て行った組は外側から、この部屋を検分しているに違いない。

 それを尻目に大浜社長は、

「では、わしらは金庫を見てみよう」

 それで社長と鷹志、井賀警部補と三戸部刑事、そして作馬と木島。この六人が奥の金庫に近づいた。近くで見るとより威圧感がある。黒々とした金属の塊は、ふんぞり返って偉そうな大浜社長の分身のように見える。前面の左側に、銀色のL字型をしたレバー。大きな鍵穴がひとつ。そして円盤型の古風なデザインの、ダイヤル式の錠がついている。

「立派なものですなあ」

 井賀警部補が感心したように云うと、大浜社長は胸を張って、

「そうだろう。型は少し古いが頑丈さは折り紙付きだ。耐火耐荷重耐震構造で完全防水。メーカーの営業マンの触れ込みでは核爆弾が直撃で炸裂しても、この金庫だけは歪みもせずに残るということだ」

 と、満足そうに云った。鷹志もへらへらと軽薄な口調で、

「さすがに生意気な怪盗だってこれには手が出ないでしょう。何しろどんなドリルでも外壁に傷ひとつつけられないそうですから」

「例のお宝はこの中に?」

 警部補の質問に、鷹志が「そうです」とうなずく。実直な三戸部刑事は真剣な面持ちで、

「大変結構です。これならば申し分ありません。では、中身の確認をよろしいですか」

「うむ」

 と、応じて大浜社長が金庫の前にしゃがみ込んだ。そしてダイヤル錠に手をかけると、左手で手元を隠しながら、

「あまりじろじろ見んでくれ。番号が命だ」

 木島を始めとした五人は、そう云われててんでに目を逸らした。ダイヤルは凝視しないものの、社長の行動だけは視界の隅に入れておくという微妙な逸らし具合をキープする。

 ダイヤルを回転させる音がする。キチキチキチと、金属の擦れる音だ。右にいくつ、左にいくつ、と回しているのだろう。木島は何となく、ちょっとどきどきした。秘密を身近に覗き見るみたいな高揚感だ。

「よし、もう構わんぞ」

 大浜社長が云い、五人は視線を戻した。ダイヤルの入力が終わったらしい。社長はさらにポケットからキーを取り出した。大型のディンプルキーだ。銀色に光っている。

「後はこれだ」

 そう云って大浜社長は、キーを金庫の鍵穴に入れ、回した。キーを抜き取った大浜社長は、

「これで開く。鷹志、開けろ」

「へいへい」

 命じられた鷹志は調子よく返事をして、L字型のレバーに手をかけた。力を込めて大きなレバーを下に四十五度、回転させる。そのままレバーを引くと、ゴトンと重々しい音と共に金庫の前面が開き始めた。木島は思わず手に汗を握っていた。見れば、扉自体も驚くほど分厚い。

 鷹志は金庫の扉を開ききると、横にどいた。それで金庫の内部が丸見えになった。

 つい、目を見張ってしまう。

 視界に飛び込んできたのは、おびただしい札束の山だった。

 金庫の中は上段、中段、下段と横に仕切られている。中でも中段が、最も広くスペースが取られている。そこにぎっしりと、札束が詰まっていた。

 意表を突かれて、木島は思わず息を呑んだ。

 これだけの現金の山など見たことがない。白い帯封も目に鮮やかな、手の切れそうなピン札の束である。新しい紙幣に特有の、インクの匂いまで漂ってきそうだ。それがぎゅうぎゅうに詰まっている。一体いくらくらいあるのだろうか。二億? 三億? 恐らく大浜社長の箪笥預金だ。やっぱり庶民とはスケールが違う。こうして目の当たりにすると、本物のお金持ちだと実感させられる。行儀が悪いと判っていても、木島は目が離せなくなってしまった。

 しかし井賀警部補は札束の山にもまったく動じる様子もなく、仏像のごとき無心な微笑で、

「では、問題のブルーサファイアを拝ませていただきましょうか」

「うむ」

 と、応じる大浜社長。金庫の上段に手を差し入れ、取り出したのは黒い小箱だ。文庫本よりひと回り大きいくらいの、ツヤ消しの黒で塗られた小さな箱である。見た目だと木製に見える。

「よく見てくれ、これがわしの宝物だ」

 大浜社長は、オルゴールの蓋のように箱の上面を開けた。黒いビロードの布が現れる。大浜社長が慎重な手つきでその布をめくる。そこに出現した碧い輝き。

 さしもの井賀警部補も「ほう」とため息をついた。最後方にいた作馬も、一歩前へ出てくる。

 ブルーサファイア。

 それは、この世の物とは思えないほどの煌びやかな光を湛えていた。

 深海の光を凝縮したような、紺碧の空を神の手で掬い取ってきたような、世界中の湖の静けさを圧縮したような、それは完璧な碧だった。

 涙滴型にカットされてはいるけれど、金属の台座などは付属していない。裸のままの宝石だが、それで充分だった。余計な装飾などは不必要。碧色の涙滴型で完結している。どこまでも深く、魂が吸い取られそうな、純粋に澄み切った碧色の、その奇跡的な美しさ。

 眩いばかりの美の結晶が、黒いビロードに載っているのを木島は見た。

 これがブルーサファイア。

 思わず知らず、木島は息をついていた。なるほど、これは怪盗石川五右衛門之助でなくても手に入れたくなる。

 三戸部刑事が折り目正しく、

「これは、実に見事なものですね」

 率直な感想を述べた。大浜社長は鼻を蠢かせて、

「そうだろうそうだろう、カシミール産の加熱処理をしておらん30カラットの上物だ。インクルージョン無しのクラリティSクラス、カラーもSクラス。この世にふたつとないお宝だ。大したものだろう。諸君も目の保養によく見ておくといい。こんな機会は二度とないだろうからな」

 いつの間にか、部屋の壁や床を叩いていた刑事達も集まってきていた。三戸部刑事の後ろから、首を伸ばして宝石を眺めている。皆一様に目を丸くして、その凄みさえ感じさせる美しさに魅入られているようだった。

「ほらほら、みんな、宝石鑑賞会はほどほどにして、仕事にもどってください」

 井賀警部補の声に、全員はっとしたみたいに現実に立ち返り、その場から散って行った。

 大浜社長はそんな刑事達の様子に気をよくしたようで、

「もういいかね、たっぷり見たかな。惜しいだろうがしまうぞ」

 勿体をつけながら、ブルーサファイアをビロードの布でくるみ直す。木島は、部屋の灯りが急に消えたみたいな錯覚に陥った。夢から覚めたような感覚だった。

 大浜社長が黒い小箱の蓋を閉めていると、井賀警部補はのんびりとした口調で、

「社長、それはしばらく手に持っていていただけますかな」

 と、金庫に向き直った。詰まった現金を気にしたふうでもなく、井賀警部補は、

「内部構造を調べさせてもらいたいのです。中をいじっても構いませんかな。ああ、あと撮影も。何も問題ないことを後で確認できるように、内部を撮らせていただきたい」

「ああ、構わんよ」

 許可を得た井賀警部補は白い手袋を両手に嵌め、スマートフォンを三戸部刑事に手渡す。

「動画で」

「了解です」

 三戸部刑事はスマホを掲げて、金庫前にしゃがみ込んだ警部補の肩越しに金庫の中にカメラを向けた。井賀警部補は無造作に札束を手に取ると、

「カード状の薄い発煙装置などが仕掛けられていたら堪りませんからな、一応検めさせていただきますよ」

 ひと束ずつ無造作に手に取り、床に移動させていく。札束の間に何か不審物がないか調べているらしい。ひと束掴んで床に並べていくという手順を繰り返しながら、井賀警部補は、

「問題は金庫の奥の壁、そして床に接した部分です。奥に大穴が開いていて、隣の部屋から手が突っ込める仕掛けにでもなっていたら目も当てられない。そんなことをされたら我々は大間抜けになってしまいますからな。金庫の奥と底も、隅々まで確認させていただきますよ」

 そのためには現金の束は邪魔である。床に移動させているのは場所塞ぎになっている札束を取り除く意味もあるようだった。何とも贅沢な邪魔物ではあるが。

 やがて、すべての現金が床に積まれた。警部補の興味はあくまでも金庫にあるらしく、札束には目もくれず、上半身ごと奥に突っ込んで手を伸ばしている。

「ふむふむ、中も随分頑丈なようですなあ。これなら大丈夫でしょうね」

 頭を金庫に押し込んで、慎重に確認作業を続ける井賀警部補に、大浜社長は腕組みして、

「問題はないはずだ。金庫の奥の壁も表と同じ材質だから、めったなことでは傷すらつけられんよ。下に穴などもない。金庫の自重で床が抜ける心配があるからな、この家を建てる時に、ここの床下はコンクリートをみっしり詰めてもらったんだ。地面にトンネルを掘って賊が金庫に近づこうとしても、床下はすべてコンクリートの塊だ。どう足掻いても手出しはできんだろう」

「それは結構」

 と、井賀警部補は金庫から頭を出し、今度は下段の棚に手を伸ばす。とたんに大浜社長が焦った様子になり、

「ちょっ、ちょっと待て待て、待ってくれ」

 撮影する三戸部刑事の前に立ち塞がって、カメラの視界を妨害した。

「そこは待ってくれ、わしが自分で調べる。怪しい物がないことが判ればいいんだろう」

 慌てた態度の大浜社長とは対照的に、井賀警部補は仏像じみた顔でおっとりと、

「それはそうですけれど、何か見られて困る物でも?」

「ああ、困る。あ、いやいや、別に困りゃせんが、いや、何でもない。ただ、他人に触られたくないだけだ。それだけだから気にせんでくれ」

 弁解する大浜社長の目が泳いでいる。ブルーサファイアの入った小箱を金庫の上に置くと、大浜社長は井賀警部補を押しのけるようにして場所を入れ替わり、

「ほら、これだけだ。これしか入っていない」

 金庫の下段から引っぱり出したのは、大判の茶封筒がみっつほどと、ファイルが二冊。

 大浜社長は赤い表紙のファイルを逆さにして振り、茶封筒も外から何度も叩いて、

「ほら、書類しか入っておらん。何もない。大丈夫だ、怪盗の仕掛けなどどこにもない。うむ、問題ない」

 あわあわと早口で捲し立てる。その様子で木島はピンときた。どうやらファイルは帳簿の類で、茶封筒の中身は書類らしい。それも、国税局にでも見られたら物凄く困ったことになるような種類の。

 井賀警部補も事態を呑み込んだようで、

「封筒もファイルも結構です。私が関心があるのはこちらだけですから」

 と、再び金庫の前にしゃがみ込む。そして下段に手を差し入れて、金庫の底部を調べ始めた。

 お金持ちには税務署に見られたくない書類のひとつやふたつ、あるものなのだろう。しかしそんなものは今回の予告状事件と関係があるはずもない。井賀警部補がそうであるように、木島も茶封筒の中身などにはまったく興味がない。放っておいてやろう。

 井賀警部補は下段を確認し終えて、

「問題はないようですね」

 と、上体を起こす。大浜社長はほっとしたようで、

「では、これはしまっておいていいな」

 と、茶封筒とファイルを下段に戻した。そしてブルーサファイアの小箱を手に取って、大切そうに抱える。その間に井賀警部補は金庫の上段を調べ始めていた。そこに保管してあったのは、通帳が十数冊と印鑑ケースがみっつ。これらには気も留めずに井賀警部補は、現金の束の上に無造作に移した。あくまでも目標は金庫そのものらしい。

 井賀警部補は上段にも手を突っ込んで、丁寧に調査を続ける。

「中をよく撮ってくれよ、隠し扉などはないだろうね」

 命じられて三戸部刑事は、スマホのカメラで舐めるように金庫内部を撮影していた。

 やがて、井賀警部補は満足したようで、

「結構、金庫には何の仕掛けもありませんでした」

 仏像めいた顔を綻ばせて云った。そして、床に積んだ現金の束を手早く戻す。撮影を終えた三戸部刑事もそれを手伝った。三戸部刑事は慎重な手つきで、札束を金庫の中段にきっちりと積み直している。几帳面な性格が垣間見えた。

 最後に大浜社長が、ブルーサファイアの小箱を金庫の上段に納めた。黒い小箱は無事に、安全なところに収納された。

 鷹志が金庫の扉を閉じる。ゴトンと、重々しい音が響く。

「ダイヤルのナンバーはここにしかない」

 と、大浜社長は、自分の顳顬こめかみを指で軽く叩き、

「そして鍵もこの一本だけだ」

 ポケットから取り出したキーを、皆に披露するみたいに顔の前で振る。

「ダイヤルを合わせてこの鍵で解錠せん限り、金庫は絶対に開かない仕組みだ」

 大浜社長の宣言を聞いて、井賀警部補はおっとりと、

「それならば安心でしょうなあ、金庫ごと盗まれでもしない限り」

「動きゃしないさ。床下をコンクリートで補強せんと床が抜けるほどの重さだぞ」

 社長の言葉を試すべく、念のため刑事達が、三人がかりで金庫を横から押してみる。もちろんびくともしない。三戸部刑事はそれを確認すると、

「よし、では警備態勢に入ります」

 刑事達による室内の検分は終わったらしい。

 その間、作馬探偵は何をしていたかというと、実は何もしていない。部屋の隅にぼうっと突っ立って、刑事達の動きを眺めているだけだった。いるのかいないのか判らないくらい存在感が薄い。そして今のところ存在意義も薄い。木島はだんだん、この探偵が自分の目にだけ見えている精霊か何かではないかと疑う気分になってきた。まあ、こんなおっさんの姿の精霊は嫌だが。

「社長、邸内の見取り図、ファックスしていただきありがとうございました。お陰であらかじめ警備態勢を整えられました。署長も大変感謝しておりました」

 井賀警部補が如才なく云う。

「中と外を同時に監視します」

 と、三戸部刑事も報告口調で、

「屋内の要所要所に刑事を立たせます。これは刑事課井賀班の私服刑事が担当します。そして今回は、署長の計らいで地域課の制服組も十五人、加勢に来てくれています」

 地域課というのは普段は交番や派出所に詰めていて、たまに自転車で周辺をパトロールしたりする部署のはずだ。

「制服組は敷地内を屋外で警戒してもらいます。半数を塀の内側あちこちに配置し、もう半数は巡回して警備に当たります。これで外部から塀を乗り越えて侵入を試みる賊がいないか、絶えず見張ることができます。陽が落ちて暗くなったら、投光器で庭じゅうを照らします。夜陰やいんに紛れて忍び込むことも不可能になります。警部補の立案した警備計画は以上です」

 三戸部刑事がきっちりした調子で云うと、大浜社長は何度もうなずいて、

「うむうむ、いいだろう。しかしそれで人手は足りるか? 何ならうちの社員で腕っ節のある連中を二、三十人集めるぞ。毎日トロ箱の荷揚げで鍛えている腕力自慢がごろごろおるからな」

「いえいえ、お気遣いには及びません。民間人が警備に入っても指揮系統が混乱するだけですので。ここは我々プロにお任せください」

「そうか、社員はタダで使い放題だから、使わんのももったいないと思ったんだがな」

「いえ、お気持ちだけで」

 提案をやんわりと断った井賀警部補の隣で、三戸部刑事が生真面目な顔つきのまま、

「この部屋の前にも常時見張りを一人立てます。床にも壁にも異常は見当たりませんでした。これで何者も侵入することはできないでしょう。よし、全員、打ち合わせ通りに配置につけ、外の制服組にも監視を始めるよう伝令を頼む」

 言葉の後半を部下への命令にして、それを聞いた刑事達は、機敏な動きで部屋から出て行く。木島はその間、一応窓を調べてみた。新しい鉄格子が嵌まっている。素人工事と聞いたけれど、どうしてきれいに仕上げてある。格子の隙間は拳ひとつ入るか入らないかという狭さで、これならば仔猫くらいしか通ることはできなそうだ。

 大浜社長は刑事達が出て行くのを見送って、

「では我々はこの部屋に詰めて金庫を見張るとしようか。立ちっぱなしというわけにもいかんな、おい、鷹志、椅子を持ってこい。それからあいつを呼べ」

「へいへい」

 軽い足取りと態度で、鷹志はドアに向かった。

「しかし、外の警官は大丈夫なのか。制服を着れば誰でも警官に変装できるぞ。もし怪盗五右衛門之助とやらが制服を着て紛れ込んでいたらどうする」

 大浜社長の不安を、井賀警部補は柔らかく受け止めて、

「ご心配なく。我が新浜署は事務方も含めて八十人の小所帯ですからな。小規模警察署なので全員が顔見知りなのですわ。お互いの家族構成なども把握し合っているほど、普段から親密な付き合いをしております。見知らぬ顔が紛れ込もうとしても、すぐに正体がバレます」

「うむ、そうか。それなら結構。田舎警察もそういう点では便利だな」

「いかがでしょうか、専門家の見地からご覧になって、この警備態勢でいけるとお思いですか」

 三戸部刑事が堅苦しい口調で、木島と作馬探偵のほうを向いて尋ねてきた。

 いや、僕に聞かれても困るよ、と木島は視線だけで作馬にお伺いを立てる。当の作馬は至って事務的に、

「問題点は見当たりません」

 短いコメントを発するだけだった。本当に存在感の薄い探偵である。

 そこへドアが開き、鷹志が椅子を次々と運び込んできた。一人掛けのソファが二つ、ダイニング用らしい木の椅子が四つ。普段力仕事とは無縁らしく、ひいひい云いながら運んでいる。木島は慌てて手伝いに駆けつけた。

 椅子を運びながらも木島は、鷹志の後から部屋に入ってきた物体にぎょっとした。

 一瞬、業務用キャビネットがスーツを着て歩いているのかと思った。もちろんそれは単なる気のせいで、スーツを着ているから人間に決まっている。ただ、規格外だった。人間離れした巨体の持ち主、それがスーツを着た業務用キャビネットの正体だった。がっしりした体格の、容貌魁偉な大男である。雲衝くようなとはこのことだ。坊主頭でぎょろりとした目玉。肩の筋肉で服がはち切れそうだ。

 大浜社長が、だぶついた腹を揺すって愉快そうに笑い、

「紹介しよう、うちの社員だ。一人くらいは警備の手伝いがいてもいいだろう。頭の回転は鈍いが忠誠心だけは強い。わしの命令ならば何でも聞く。おい、樫元」

 と、大男に呼びかけると、相手はぎょろりとした目をこちらに向けてくる。

「はい、社長」

 答えた巨体の男は、見た目通りの低くて野太い声をしている。

「ここにいる者の顔を覚えろ、警察の人達だ。新浜署の二人、それから警視庁のお二人。今後、わしら以外の者は誰一人としてこの部屋に入れるな。入って来ようとしたら即刻取り押さえろ、いいな」

「はい、社長」

「よし、判ったらそっちに立って待機」

 犬に命令するみたいな口調で大浜社長は云う。樫元と呼ばれた大男は顔色ひとつ変えずに、

「はい、社長」

 のっそりと金庫の置いてある壁とは反対側の壁際まで歩いて行き、そこで直立不動になった。腕を後ろに組み、部屋を睥睨している。物凄く威圧感がある。

 大浜社長は満足そうにうなずいて、

「さて、わしらもブルーサファイアを見張るとしようか」

 鷹志に指示を出して椅子を並べさせる。

 金庫を中心に、半円を描くように六つの椅子が並んだ。喩えるならば、金庫のソロリサイタルを聴く客席みたいに見える並び方だ。金庫の正面に一人掛けのソファ。そこに大浜社長が座った。その左隣に、もうひとつのソファ。この席は鷹志が占める。そのさらに左手にダイニングの木製の椅子がふたつ。井賀警部補と三戸部刑事がそこに並んで腰かけた。そして社長の右側にもダイニングの椅子がふたつ並び、そこに木島と作馬探偵が座る。影の薄い作馬探偵は一番隅の、壁に近い席である。

 これで監視態勢が整った。

 午後二時五十五分。

 怪盗の予告時間まであとわずかだ。

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