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大雑把かつあやふやな怪盗の予告状③

       *

「ところで、もう六時半を回ったね。親父、腹は減らないかい」

 鷹志がそう云い、大浜社長もうなずき、

「うむ、そう云われれば時分時じぶんどきだな」

 三戸部刑事がそれを聞き咎めて、

「社長、飲食物はどうかと思います。曲者が一服盛る可能性があります」

「その心配は要らんよ。おい、鷹志、あれを持ってこい」

 大浜社長の云いつけに、鷹志は、

「へいへい」

 と、軽薄に立ち上がって部屋を出て行く。

 それを見送った大浜社長は、

「そこの演説をぶったあんたは探偵とか云ったな、あんたも警視庁か」

 質問されて勒恩寺は、

「正確には警察庁ですね、そこの嘱託で」

「庁の職員ではないのか」

「当たり前でしょう。ご覧の通り、市井の民間人ですよ。警察に属している人間が名探偵だなんて、面白くも何ともないじゃないですか。意外性がなくて」

 勒恩寺は椅子にふんぞり返って、よく判らないことを自信満々に云う。その返答には大浜社長も、明らかに困惑している。変人とまともな世間話ができると思わないでくださいよ、と木島は社長に向かって念を送った。

 そこへ鷹志が戻って来た。小さなテーブルを、両手で捧げるように持っている。

「お待たせしました」

 と、おどけた調子で云って鷹志は、テーブルを父親の前に置いた。

「そうそう、これこれ。わしも会社で残業の時はもっぱらこれだ」

 大浜社長は満足そうに云った。テーブルの上に載っているのは箱入りのカロリーブロック食品だった。そして個別パックのゼリー飲料。それらが山積みになっている。

「皆も遠慮なくやってくれたまえ」

 そう云って大浜社長は、早速カロリーブロックの箱に手を伸ばした。そういえば木島も、長いドライブの末にここに連れて来られて、昼食を食いはぐれている。空腹だ。立って行って、ひとつもらった。カロリーブロックは個包装だ。これならば薬品などを混入される恐れはない。ゼリー飲料もビニールパックで、これも注射針などを用いないと異物の混入は不可能だろう。よく観察すれば、そんな痕跡などないことが判る。

 さすがに警察の二人は手を出さなかった。公務中だからか。勒恩寺も関心がないようだった。まあ、今さっき来たばかりでおやつにありつくのは、いくら何でも厚かましさも度が過ぎているから、そのほうがいいと思う。

 しばしの間、大浜親子と木島が、ぼりぼりちゅうちゅうと栄養を摂取する音だけが部屋に響いた。

 何となく、間の抜けた時間だった。

 味気ない食事だったけれど、腹もある程度膨れた。後は待つだけだ。

 金庫の上の安っぽいアナログ時計が時を刻む。

 窓の外が暗くなり始めていた。

 外の警官隊の、何事か合図を交わす声が聞こえる。

 静かな時間が流れた。

 勒恩寺は大きなことは起きないかもしれないと予言した。作馬探偵もそう云っていた。確かにこのままならば、何も起きそうにない。庭は警官隊が巡回しているし、屋敷の中も刑事達が見張っている。ブルーサファイアは金庫の中だ。金庫を開けられるのは、宝石の持ち主の大浜社長のみ。この警備態勢で何か起きるとも思えない。どうやら大丈夫そうだ。

 木島は少し安心してきた。

 そうこうするうちに七時になった。

 大浜社長が立ち上がって、

「一時間経ったな」

 恒例となった確認の時間である。

 いつものように手元を隠しながらダイヤルを回し、ポケットから鍵を取り出す大浜社長。解錠すると、ゴトンと重々しい音がして金庫の扉が開いた。社長は金庫に手を入れ、黒い小箱を取り出した。片手で蓋を開き、ビロードの布をめくる。そこには碧く光り輝くブルーサファイアが、

「ないっ」

 大浜社長が叫んだ。

 他の五人が一斉に立ち上がる。

 全員が大慌てで社長の許に集まった。その手の中の小箱を見る。

 確かに、無い。

 大浜社長がビロードの布を引き出して、ぱたぱたと振る。もちろん何も落ちてはこない。小箱の中は空っぽだった。

 咄嗟に木島は、小箱のすり替えを疑った。黒い小箱は二つあり、ブルーサファイアの入ったほうはまだ金庫の中にある。大浜社長が取り出したのは、もうひとつの空っぽのほうではないか。そう考え、大急ぎで金庫の中を覗き込む。しかしそこには、替え玉の小箱などもちろんなかった。中段にぎっしりと詰まった現金。そして上段には通帳の束と印鑑が置いてあるだけである。

 木島が顔を上げると、大浜社長が青ざめた顔で、

「何だこれは、どうしてなくなっているんだ。わしのブルーサファイアは一体どこへいったんだ」

 さしもの鷹志も真剣な顔つきになって、

「その辺に落ちてないよね」

 床に這いつくばって、きょろきょろと周囲を見渡す。

 三戸部刑事がドアまで走って行き、そこを開けた。

「おい、誰か出入りしたか」

 三戸部刑事は張り番の刑事に聞いている。

「いいえ、誰も」

 と、廊下に立つ刑事の、のどかな返事が聞こえる。

「金庫の中はどうです、中に落ちてはいませんか」

 井賀警部補が云い、大浜社長は金庫に上体を突っ込むようにしてわたわたと暴れる。しかし、すぐに諦めたような表情の顔を出し、

「いや、ない。どこにもない」

 鷹志が焦った様子で、

「ないはずがないじゃないか。さっき見た時はあったんだから」

「しかし、ないものはないんだ。どこにも見当たらん」

 大浜社長が答え、親子二人で金庫の横を覗いたり床をさすったりとおたおたしている。

 井賀警部補は小型の無線機を取り出すと、

「非常警戒。侵入者よりも逃走者に注意せよ。敷地から逃げ出す者がいるかもしれん。絶対に見逃すな。逃走者は捕らえろ」

 外の警官隊に指示を出したらしい。

 ドアの前から戻ってきた三戸部刑事が、太い眉を吊り上げて、

「まさか、消えてしまったんですか、ブルーサファイアが」

 と、緊迫した顔で金庫の下を覗き込む。しかし金庫は床にべったり据え付けられているから、元々何かが入り込む隙間などない。

 鷹志はわたわたと、

「怪盗だ、怪盗五右衛門之助が現れたんだ。いつの間にかブルーサファイアを盗んでいったんだ」

 大浜社長が怒ったような顔で、

「バカなことを云うんじゃない。わしらが見張っておったんだぞ。どうやって盗むというんだ」

「だって、親父、現にこうしてなくなってるじゃないか。盗まれたんだよ」

「そんなはずがあるものか。とにかく探せ、賊なぞこの部屋には出入りしておらんのだ。どこかにあるはずだ」

 親子でわあわあ云うのを聞きながら、木島は茫然とするしかなかった。あまりの驚きに、立ち尽くしたまま動くことができないでいる。

 消えた。ブルーサファイアがなくなった。

 怪盗石川五右衛門之助が本当に出現したのか。

 いや、大浜社長の云うように金庫はずっと見張っていた。六人の人間の監視下にあったのだ。そこからどうやって盗み出すというのか。

 怪盗石川五右衛門之助は透明人間だとでもいうのか。

 訳が判らない。

 どうなっているのか。

 ようやくショックから少しだけ抜け出すと、木島は隣に立つ勒恩寺に縋り付いた。

「勒恩寺さん、これ、どうなってるんですか」

 すると勒恩寺は、余裕たっぷりに微笑んだ顔を向けてきた。

「どうなっているか、気になるのかい」

「そりゃ気になりますよ。というか、そんなに悠長に構えている場合ですか。ブルーサファイアが盗まれたんですよ。探偵の面目丸潰れじゃないですか」

 木島が訴えても、勒恩寺は慌てもせずに、

「木島くん、そう焦ることはないさ、大丈夫、宝石はすぐに出てくる」

「どうしてそう云えるんですか」

「どうしてかって? 決まってるじゃないか、俺の論理がそう告げている」

 そう云って、にんまりと笑った。そして、上機嫌そうに両掌を擦り合わせながら勒恩寺は、

「今からそれを証明してみせるよ」

 と、一歩前に踏み出した。

 やにわに勒恩寺は声を張り上げ、

「そこまでだ、怪盗石川五右衛門之助。お前の企みはすべて見破ったぞ。ブルーサファイアはお前が隠し持っているんだろう。この名探偵勒恩寺公親の目は欺くことなど不可能だ。おとなしく観念したまえ、怪盗石川五右衛門之助」

 いきなりの大音声に、大浜社長を始め皆がきょとんとする。変人の毒気に当てられたように、その場がしんと静まり返った。

 勒恩寺は、そんな微妙な空気をものともせず、

「怪盗石川五右衛門之助、お前の正体はもう割れている。名乗り出ないのならこの名探偵勒恩寺公親がその正体を暴いてやるぞ、怪盗石川五右衛門之助」

 間の抜けた名前を連呼しても、名乗り出る者など一人としていなかった。勒恩寺は楽しそうに、

「よし、どうしてもその仮面を引っ剥がしてほしいんだな。それならば望み通りにしてやろう。怪盗石川五右衛門之助、その正体。それは、お前だっ」

 右手を伸ばし、一人の人物を指さした。皆が釣られて、その指の先に視線を動かす。

 全員から注目されて、びっくりしているのは井賀警部補だった。警部補は目をぱちくりさせて、

「私が、ですか?」

 不可解そうに云う。心底意外そうな態度だった。対して、勒恩寺だけはテンション高く、

「そう、お前が怪盗石川五右衛門之助だ。さっさと正体を現したまえ。もうヘタな芝居は無用だぞ。この勒恩寺公親が追いつめたのだ。諦めて素顔を晒すがいい」

 と、ここで勒恩寺はいきなりトーンダウンして、困ったように、

「あの、警部補殿、ここは少し乗っていただけませんか。そんな素でびっくりされたらこっちの立場がない。例えば、台詞はこうです。『よくぞ見破ったな名探偵勒恩寺公親。貴様だけは危険だと思っていたが、やはり私の正体を見抜いたか。しかしもう遅い。ブルーサファイアは間違いなくこの手に頂戴したぞ。今回は私の勝ちだな、名探偵勒恩寺公親、はははははは、また会おう、さらばだ』とか何とか云って、煙玉を床に投げつけるんです。煙が広がったところで、それに紛れて消えてしまうとか、そういうのがあるでしょう」

 ボヤくみたいな調子で云う勒恩寺に、井賀警部補は仏像めいたゆったりとした微笑で、

「いやあ、勘弁してください。田舎警察の刑事にそんな芝居っ気を求められても困ります。私はアドリブでそういう器用なことができるタチではありませんので」

「そうですか、つまらないですね。せっかく盛り上がると思ったのに。何だか俺一人が乗り乗りで、バカみたいじゃないですか」

 不満げな勒恩寺に、警部補は頭を掻いて、

「いや、申し訳ない。見た通りの無粋な堅物でしてな。探偵さんのような遊び心とはとんと無縁で」

「仕方ないですね。それじゃ宝石だけでも出していただけますか」

「はいはい、判りました」

 と、井賀警部補は、ごく自然にポケットに手を突っ込み、何かを掴み出した。包んであるハンカチを警部補が開くと、そこに現れたのは紛れもなくブルーサファイア!

 大浜社長が目を見開き、

「あった」

 鷹志も愕然としたように、

「どうして井賀さんが」

 三戸部刑事も口をあんぐりさせている。

 勒恩寺は、また一歩進み出ると、

「なに、簡単なことです。ブルーサファイアを保管している金庫はこの上なく頑丈です。もし、中の宝石を持ち出すとしたら、それは扉が開いている時しか考えられない。直近に扉が開いたのは六時の定時確認の時です。ブルーサファイアを取り出すなら、その時だと考える他はないのです。ちょうど折良く、俺が樫元さんに取り押さえられる騒動があって、皆の注意が一瞬逸れた。扉を閉めるフリで、その直前にブルーサファイアを取り出せたのは、その時に確認役を務めた井賀警部補しかいない。小箱の蓋は片手で開けられる簡単な仕様です。金庫に小箱を納める時に、中身だけを片手で抜き出すのはたやすいことだったでしょう。どうです、単純ですね。冷静に考えればそうとしか思えないでしょう」

 木島はちょっと呆れながら、

「じゃ、怪盗石川五右衛門之助の正体がどうこうというのは」

「もちろん冗談だよ、少しばかり悪乗りしただけだ。ちょっと考えれば、最後にブルーサファイアの近くにいたのが警部補殿だということは、誰にだって判ることだろう。犯人がバレバレのそんな状況で盗みを働く者などいるはずもない。それもすぐに想像がつくね。警備の責任者が宝石を隠したんだ。これはもう、警部補殿がブルーサファイアを保護しただけなのだろう、と簡単に予測がつく。お宝は金庫に保管されていると誰もが知っている。その裏をかいて自分のポケットに移したわけだ。警備責任者が肌身離さず保護している。考えてみればこれ以上安全な保管場所はないでしょう。予告時間まであと二時間。金庫にあると見せかけて自分が隠し持っていれば賊の目を欺ける。警部補殿はそう判断したんでしょうね。俺が樫元さんに取り押さえられるアクシデントがあったから、これ幸いと咄嗟に中身だけを抜いたというわけです」

 勒恩寺の解説に、大浜社長は安堵とも怒りともつかぬ複雑な顔になり、

「冗談じゃない。そういうスタンドプレイはやめてくれ、井賀警部補。 心臓に悪い。 本当に盗まれたかと思ったぞ」

「申し訳ありません、敵を欺くにはまず味方からと申します。騙すような形になってしまい、すみませんでした。これはお返ししますね」

 井賀警部補は、仏像じみた穏やかな表情で云った。ブルーサファイアは警部補から大浜社長の手に戻った。大浜社長はそれをすぐにビロードの布にくるみ、小箱に収納すると再び金庫にしまった。

 一同は、ほっと安心して息をついた。

 鷹志がことさら大げさに、

「いやあ、びっくりした。てっきり本当に、犯人が井賀さんに化けているのかと思った。警視庁の人の演技が堂に入っていたから」

「名探偵は時として名優である必要もあります」

 と、勒恩寺は澄ましている。大浜社長も苦笑いで、

「しかし本気で驚いたぞ。金庫の中から蒸発したとしか思えんかったわい」

「自分もです。一瞬、我が目を疑いました。煙のごとくというのはああいうのを云うのですね」

 三戸部刑事が云うと、鷹志が感心したように、

「井賀さんの手際がよっぽどよかったんですね。いくら俺達の注意が逸れていたといっても、抜き出すのが手早くなくちゃ誰かが気づいていたよ。手品師みたいだ」

「いやあ、咄嗟のことで、自分でも無意識に手が動いていたのです。賊の目を眩ますには自分が持っているのが一番だと思って」

「だが、わしらの目も眩まされたぞ」

「いや、その点は幾重にも謝罪します、申し訳ない」

 井賀警部補が大浜社長に何度も頭を下げて、和やかなムードが流れた。

 時刻は七時過ぎ。もう一時間もない。

 どうやら今日はこれで終わりそうだ。予告状の指定日は三日あるが、一日目は何とか乗り切れそうである。

 木島はそう思って安堵した。よかったよかった。

 そこへ勒恩寺が声をかけてきて、

「木島くん、帰りの車を呼んでおいてくれたまえ」

「あ、そうですね、八時までもう少しですものね」

「いや、そうじゃない。これから解決編が始まるんだ。名探偵が事件を解決してすぐに帰る。そのために車が必要なんだよ」

 と、勒恩寺は、やけにきりっとした顔つきで云った。

                  *

「皆さん、聞いてください。少し長くなるかもしれないので、おかけいただいたほうがいいでしょう」

 と、勒恩寺は云った。一同は呑み込めない顔を見合わせ、不得要領ふとくようりょうのまま定位置に座った。金庫を正面に見る位置に大浜社長。その左隣には大浜鷹志。さらに左に井賀警部補と三戸部刑事 が並ぶ。そして大浜社長の右側が木島の席である。

 勒恩寺だけは立っていて、金庫を背にしてこちらを向いた。木島達は勒恩寺を中心に半円形を描き、取り囲む形になる。まるで勒恩寺の独唱会みたいだ。いや、実際に今から探偵による独演会が始まるのである。

 勒恩寺は朗々とした声で語り始める。

「ところで、これから私はこの事件を解決しようと思います。どのみち午後八時までは金庫を見張るのですから、私の話で時間潰しをするのも一興でしょう。そうするうちに事件も解決するという、一石二鳥を狙っていきたいと思います」

 その言葉に、皆は互いに怪訝そうな顔を見合わせあう。探偵の独演会には慣れていないのだろう。

 勒恩寺は聴衆の反応にお構いなしに、

「さて、皆さん。今回の事件は怪盗からの予告状で幕を開けました。フィクションの世界ではよくありますね。小説や映画に登場する怪盗は犯行予告状を送ってきます。そして当日、フィクションの怪盗はお宝を狙って来ます。賊はどんな行動を取るでしょうか。警備が固められる中、怪盗は作戦を開始する。どんな作戦でしょう? 見張りの人に睡眠薬などを飲ませて、意識を失ったところで登場する。エアコンや換気口から催眠ガスを流し込む。屋敷の反対側で小火を出し、人々の注意を逸らす。煙玉や発煙筒などで混乱を演出する。邸外の壁際で交通事故などを起こし、野次馬が集まった騒ぎに乗じて潜入する。見張りの一人に変装して紛れ込む。と、フィクションの世界では多くのバリエーションが登場します。しかし、どの手口も現実に実行しようと思えば無理筋なのはお判りになりますね。現実世界の見張り役は、飲食物には注意を払います。実際、皆さんもそうされていましたね。そして敷地内を警官隊が固めていたら、ガスや小火といった方法も使えない。建物に近づくのは不可能だし、催眠ガスの詰まったボンベを運び込むのも無理があります。見張っている人に犯人が成りすますのも、もっと難しい。身元の不確かな者が邸内に入るのを警察は許可しないでしょうし、ゴムのマスクで別人に成りすます映画では定番の手法も現実にやれるはずもない。そう考えると、やはりフィクションの怪盗が予告状を送るのは、物語を盛り上げるためでしかないことが判ります。現実世界で予告通りにお宝を盗むのは、大いに困難なことでしょう」

 そこで、鷹志が口を挟んで、

「でも、さっき井賀さんはブルーサファイアを隠して見せましたよ」

「あれはたまたまです」

 と、勒恩寺はあっさりと、

「金庫を閉じるタイミングと樫元氏が暴れるタイミングが、偶然ぴったり合ったからこそ皆さんの気が逸れたのです。狙ってできることではありません。怪盗がそこまで計算ずくで行動できるはずがないでしょう。金庫を開けて中を確認するタイミングで必ず隙が生じると、前もって予測するのは誰にもできないからです」

 勒恩寺は、もさもさの頭髪を手で掻き上げながら、鷹志の意見を退けて、

「そう考えれば、予告状の意義そのものが問われる、と私は思うのです。そもそも予告状など送って犯人にどんなメリットがあるのでしょうか。予告状を出したばっかりに、こうして警備は固められています。外には制服警官の一団、屋敷の要所要所には刑事さん達の張り番、そして金庫の前はこうして皆さんが目を光らせている。盗み出すのはほぼ不可能な状態になってしまっています。さっき挙げたフィクションに登場する怪盗のようなファンタジックな手法は、現実に応用するには無理があるという他はないでしょう。ブルーサファイアを盗みたいのなら予告などせずに、こっそり盗んだほうが上策です。警官隊の警備がない時に忍び込んだほうが、よっぽど確実に金庫に近づけますからね。金庫を開く自信がないのならば、大浜氏に銃を突きつけるなりして、騒ぎにならないよう開けさせればいいだけです。予告状を出すことによって、盗み出す難易度が桁違いに上がっているのは明らかでしょう。どう考えても犯人側にはメリットがないのです。だったらなぜ予告状など送ってきたのか、そこが問題になります」

「自己顕示欲、ということでしょうか。犯人には目立ちたいという願望がある、とか」

 そう木島が意見を述べると、勒恩寺は余裕のある微笑で、

「劇場型犯罪といいたいのかな。あらかじめ予告しておいて、警備が厳重になっている中で盗み出して見せる。確かにそうすれば顕示欲は満たせるね。しかしそれなら、どうしてもっと派手に予告しないんだ? 予告状を県警本部にも送りつけ、マスコミにもリークしてネットでも喧伝する。そうすれば警備にももっと大人数が駆り出されて大事になるだろうし、マスコミのカメラとレポーターがこの屋敷を十重二十重に取り囲むだろうね。さらにネットで情報を得た野次馬や、犯行時の動画を撮ろうとする配信者達が蝟集いしゅうして、この周辺は上を下への大騒ぎになることだろう。もしそんな中で盗みに成功したら、さぞかし自己顕示欲は満たされるだろうね。どうせ予告するならそこまですればいい。どっちみち警官隊や刑事達が見張っているのは同じだ。自信があるのならば、もっと規模を大きくしたほうが派手になるはずだ。しかし、今回の犯人はそうはしなかった。大浜氏に一通の予告状を送りつけて、それでおしまい。外部へのアピールをまったくしていないんだよ」

「そのせいもあって、県警もただのイタズラだと判断したんでしたね」

 木島が思い出して云うと、勒恩寺はうなずき、

「そう考えてみると、これは劇場型犯罪ではないと判るだろう。せっかく大舞台を整えられる環境なのに、犯人はそうはしなかった。このことから今回の犯人は愉快犯ではないと判断できる」

 と、勒恩寺は、一同の顔を見渡して、

「もう一度問います。犯人は何のために予告状を出したのか? 自ら盗みの難易度を上げて何をしたかったのか。何のメリットがあるのか。そこを突き詰めて考えると、メリットなど何もないことが判ると思います。メリットどころか犯人にとっては不利になるばかりです。警備が厳重になり、お宝に手を出すことなどできそうにない。良いことなどひとつもないのです。ですから、犯人には予告状でブルーサファイアを狙うと公言する必要がまったくない、と云えるのです。そう考えれば、予告状はフェイクと判断せざるを得ません。つまり嘘、です。犯人はブルーサファイアを狙ってなどいなかったのです」

 勒恩寺が断言すると、大浜社長が不思議そうに、

「それじゃ、やはりただのイタズラだと云うのかね」

「そう考えるのもありかもしれません。ただ、犯人はわざわざ予告状を印刷して、指紋もつけないような注意を払っています。そして東京の大手町にまで出向いて投函もしている。割と手間はかけているのですね。もし雑誌で大浜氏が宝石を自慢しているのが気に障った偏屈な人物の嫌がらせなら、そこまで手間をかけるでしょうか。この個人情報保護に敏感になっている昨今に、偏屈者はどうやってここの住所を調べたのか、という問題も出てきてしまうのです。地元の人なら住所くらい知っているでしょう。何しろこれだけのお屋敷です。宛名を調べるのは難しいことではない。ただし、そうなると地元の人が、わざわざ大手町まで出かけて行くという手間をかけたことになる。ただのイタズラにしては回りくどすぎますね。嫌がらせの予告状をこの屋敷の郵便受けにでも直接放り込むほうが、よっぽど手っ取り早い。そう考えていくと犯人の狙いが、予告状で大浜家がおたおたする様を想像して楽しむ、というイタズラとも思えなくなってきます。しかしさっきも云ったように、本気だったのならば、ブルーサファイアを狙うと公言する必要もありません。となると、犯人の狙いがブルーサファイア以外にあったと、そう判断するのが妥当ではないでしょうか。そこでひとつ質問です」

 と、勒恩寺は大浜社長に向き直って、

「予告状を受け取る側の心理としてはいかがでしょうか。怪盗を自称する正体不明の人物から盗みの予告状を受け取ったら、人はどうするでしょうね」

「無論、警察に届けるな」

 大浜社長は、ごく当たり前だという顔で答える。勒恩寺もうなずいて、

「そう、当然そうします。ただ今回は、ブルーサファイアを狙うと一点だけを指定してきました。お宝の持ち主は、予告状を見た次の瞬間、どんな行動を取るでしょうか」

「うむ、そうだな、不安になって、ブルーサファイアを確認せずにはおれんだろうな」

「そのためにはどうします?」

「もちろん自分の目で確かめる」

「どうやって?」

「金庫を開けて確認する」

 大浜社長の言葉に、勒恩寺は両掌をぽんと叩き合わせて、

「そう、それです」

 と、声のトーンを一段上げて云った。

「それこそが犯人の狙いだったのではないかと、私は思うんですよ。ブルーサファイアを盗むと予告されたら、持ち主は何はともあれ、宝石の無事を確かめずにはいられないでしょう。そのためには収蔵している場所を開く必要があります。今回の場合は、この金庫ですね」

 勒恩寺は、自分の背後の堅牢な黒い金属の塊を示して云う。

「犯人の狙いはそこにあったのです。金庫を開けさせる、、、、、、、、。それがわざわざ予告状を出した理由なのではないか。私はそう推定しました。普段は堅固に閉じている金庫は、予告状を出すことで必ず開かれる。それを犯人は狙ったのではないか。そう考えるのが最もしっくりくると思うのです」

 断定口調の勒恩寺に、三戸部刑事がおずおずと、

「しかし、それは何のためでしょうか。金庫を開けさせて何がしたいのか、自分にはさっぱり判りません」

「そう、次のステップでは当然、その疑問が出てきます。犯人は金庫を開けさせて何をしようとしたのか。どうだい、木島くん、何か思いつくかな」

 突然、勒恩寺に指名されて、木島は戸惑いながらも、

「ええと、そうですね、やはり何かを盗み出そうと狙うんじゃないでしょうか。ブルーサファイアが標的ではない、と勒恩寺さんはおっしゃいましたよね。となると、金庫の中にある別の何か」

 答えながら、あの大量の札束が頭に浮かんでいた。二億あるのか三億あるのか、とにかく現金の山だ。あれなら誰だって欲しい。

「うむ、盗みか。いや、それはどうだろうね」

 と、勒恩寺は木島の回答にちょっと首を傾げて、

「さっきから云っているように、ブルーサファイアを盗み出すのは極めて困難になっている。警備が固められているからね。金庫に保管されている別の物にもそれと同じことが云える。こうして何人もの目が注視している中、何かを金庫から盗み出すのは不可能といっていいだろう。木島くんは札束でも連想したのかな。しかしそれを盗むのは無理だ。ブルーサファイアを盗むのが難しいのと同様、札束も持ち出すことはできそうにない。むしろ体積が大きい分、難易度はさらに上乗せされるだろうね」

 単純な考えを云い当てられて、木島はちょっと恥ずかしくなり下を向いた。それに構わず、勒恩寺は続ける。

「だとすると、犯人の狙いは形のあるもの、物質ではないのではないか、そう判断できるのです。そう、形のない何か。犯人の標的はそれだった。私はそう考えます」

 鷹志が、その言葉に不思議そうな表情になって、

「形がないって、空気みたいなものですか」

 勒恩寺は、にんまりと答えて、

「うん、面白いですね。犯人は金庫の中の空気を入れ換えたかった。この梅雨時の蒸し蒸しした空気を。というのはなかなかユニークな発想です。冗談としては上出来でしょう。いや、あながち冗談でもないかもしれませんね。要は空気のように目に見えないもの。物体ではないもの。犯人が狙っていたのはそれでしょう。形のある物体を盗み出すのが不可能なのだから、形のないものを盗もうとした。そう考えるのは当然の帰結です」

 形のないものって何だ? まるで禅問答である。木島は思わず首を捻ってしまう。形のないものを盗むことなど可能なのだろうか。

 こちらの顔色を読んだらしく、勒恩寺は、

「判らないかい、木島くん、金庫にしまってある大切なものだよ。普段は人の目に触れないものだ。そして物質ではないもの。ここまで云えば答えは簡単だろう。そんなものはひとつしかない。それは情報だ、、、、、、

 引き締まった顔つきで勒恩寺は云った。

「金庫に厳重に保管されていて具体的な体積を持たないものといったら、それしか考えられないでしょう。犯人は金庫の中身を見たかった、、、、、、、、、、、。そのためにブルーサファイアの盗難予告をデッチ上げてみせたのですよ」

 情報。そう云われてピンときた。金庫の下段にしまってあった物だ。書類が入っていると覚しい茶封筒。そして赤い表紙のファイル。あれこそ情報の集積だ。大浜社長が大っぴらにしたがらなかったあれ。犯人はあれを見たかったのか。

 木島がそう主張しても、勒恩寺は大真面目に首を横に振り、

「それは違うと思う。封筒もファィルも、中を開けなければ情報は見られない。持ち主が拒否したら誰にも見る機会はないだろう。金庫を開くのはあくまでも、ブルーサファイア盗難防止という建前のためだ。書類の茶封筒を覗く口実をつけるのは難しい。現にそうだっただろう。大浜氏はファイルや茶封筒の中身を開示することを拒否した。どんないけない書類なのかは知らないし興味もないけれど、とにかく持ち主が拒んだらそれは見られない。そんな書類が犯人の狙いだったとは思えないだろう」

「書類じゃなかったら、どんな情報があるっていうんですか」

 つい不満を露わにしてしまい、木島は尋ねる。他の情報など、まったく思いつかない。勒恩寺はもさもさの癖っ毛を、ざっと指で掻き上げて、

「あったじゃないか、木島くん、思い出せ、重要な情報が」

「そんなこと云われても」

 思いつかないのだから仕方がない。封筒やファイルの他に金庫の中にあったのは、札束と通帳と印鑑。そのくらいである。通帳にも当然、情報が記載されているけれど、これも封筒と同じ理屈で、持ち主の大浜社長が開示を拒否したら誰にも中身を見ることはできない。印鑑だって同じだ。他にはもう、何もない。どこに情報があるというんだ? まさか金庫の内側の壁に何か文字が刻まれているとか? いや、それこそ小説や映画の世界の話だ。そんなところに隠し文字を書く人がいるとも思えない。

 木島の思考が行き詰まる。すると勒恩寺は急に、語るテンポを少し速めて、

「ああ、そういえば話は飛びますが、三月ほど前に絵画誘拐事件があったそうですね。あの事件には、ここにいる人の多くが関わっていたようでした。そして、あの一件の際、飛び切り不自然な行動を取っていた人物が一人いますね。聞いた時、強烈な違和感がありましたよ。皆さん、思い出せませんか」

 本当に随分話が飛ぶんだな、とちょっと驚く間があった後で、さあ、何だっけ、と一同は顔を見合わせる。飛び切り不自然な行動? はて、それは何だろう。木島も思い当たる節がなかった。

 勒恩寺は、そんな聴衆に向けて、指を一本立てて振って見せ、

「ほら、あったでしょう。どうして思い出せないんですか。誘拐事件の冒頭の部分です。大浜氏はリシャールの絵を、銀座の画廊から車で持って帰ろうとした。そして三人組の強盗にまんまと絵を強奪されてしまった。三対一では抵抗もできないと。そう、ここです。どう考えても不自然でしょう。なぜ大浜氏は一人だったのですか。身代金に二千万円払う価値のある絵画を運搬していたのですよ。そんな時、一緒に行動するのに打って付けの人物がいるでしょう」

 あっ、と大浜社長を除いた全員が、一斉に振り返る。金庫と反対側の壁の前で、仁王立ちになっている大男。樫元だ。社長の命令ならば何でも聞く屈強な男。忠誠心の強い、腕力も人一倍の人物。

「私も探偵という職業柄、多少は腕に覚えがあるつもりなのですがね、その私ですら瞬時に投げ飛ばす膂力りょりょくと格闘技術の持ち主。ボディガードにはぴったりでしょう。大浜氏はどうしてあの日、彼を連れていなかったんでしょうね。彼が一緒だったら、きっと三人組の強盗など蹴散らしてしまったはずなのに」

「い、いや、あの日は、樫元はたまたま別に自分の用事があって、その、あれだ」

 しどろもどろになって、大浜社長は言い訳を途中で諦めてしまう。不自然なことを自ら露呈したのと同じだった。

「社員はタダで使っても磨り減らない、というのがあなたの信条でしたね、大浜さん。そんなあなたが樫元氏の私用に気を遣ったと云って、私が納得するとお思いですか。たとえそうでも、他の強そうな社員を二、三人見繕うこともできたはずです。今回の警備にも、力自慢の社員を動員しようかと提案したくらいですからね。ボディガードならばいくらでも用意できたはず。何なら、樫元氏の用事がない別の日にしてもよかったわけでしょう。絶対にその日に絵を持ち帰らないといけない理由などないはずですから。貸した画廊側に、運搬の義務を押しつけることもできたでしょうしね。どうしても一人で運ばないといけない必然性など、どこにもないのです。やはり、どう見ても不自然な行動ですね」

 勒恩寺の追及に、大浜社長はもう弁明する気もないらしく、むっつりと不機嫌そうに腕を組み、黙ってしまった。

「言い訳はもうおしまいですか。やはり私の違和感は正しかったようですね」

 と、勒恩寺はにんまりと笑って、

「大浜氏の行動はとても不自然でした。では、なぜそんな不自然な行動を取ったのか。答えは簡単です。強盗に遭って高価な絵を強奪された、というストーリーを成立させる必要があったからに違いありません。ボディカードをつけていたら、そのストーリーが成り立たないし、誰か証人がいれば三人組の強盗という嘘がバレてしまう。だからどうしても、一人で運んだと主張するしかなかったわけでしょう。もうお判りですね。私のような勘ぐり癖のある者の目から見なくても、大浜氏の企ては明らかです。そう、強盗は狂言だったのですよ」

「狂言?」

 と、三戸部刑事が驚きの声を上げる。

「そう、狂言強盗。偽物の誘拐事件です。どうです、大浜さん、白状してしまいませんか、あの事件がデッチ上げだったことを」

 そう詰め寄られても、大浜社長はやはり無言だった。抗弁も反論もせず、むっつりと腕組みしたままである。そんな父親の姿を横目で見ながら、鷹志が、

「いや、でも、そんなことをして親父にどんな得があるっていうんだ?」

「あるでしょう、得が。保険金ですよ」

 と、勒恩寺は、さも当然といった口調で、

「盗難保険が適用されて、奪われた身代金は保険会社から補填されたそうですね。身代金は誘拐犯に奪われたフリをして、丸々手元に残る。そこに保険金がさらに上乗せされる。ほら、保険金の分は丸儲けですよ」

 愉快そうにそう云って、勒恩寺は両掌を擦り合わせながら、

「つまり、あの誘拐は保険金詐取のためにデッチ上げられた、偽物の事件だったのです。それだから当初、大浜氏は警察の介入を渋った。しかし鷹志さんの強い口添えがあって連絡せざるを得なくなり、大浜氏と昵懇の新浜署の署長さんも気を回して、捜査員を投入してしまった。予定より大事になってしまいましたが、そこはやり手の経営者と評されるほど度胸の据わった大浜氏です。最初の計画通り、携帯電話で操られるフリであちこち回った。尾行の捜査陣を振り回した挙げ句、まんまと海に出て一人になることに成功したわけです。身代金の二千万円は、最終到達地点のマリーナのご自身のクルーザーかロッカーにでも隠したんですか。とにかく、そんなふうに狂言誘拐事件を仕立てて、大浜氏は保険金を騙し取ったわけです」

 大浜社長はやはり無言で、不機嫌そうな顔つきで金庫のほうを睨んでいる。その肩が少し震えていた。探偵の告発にぐうの音も出ない、といった様子だった。勒恩寺は人の悪そうな微笑で、そちらをちらりと見やって、

「まあ、今はそんな無関係のちっぽけな犯罪のことは置いておきましょう。後で警察が何とでもしてくれるでしょう」

 と、井賀警部補に目配せを送る。そして、もさもさの頭髪をざっと掻き上げて勒恩寺は、

「さて、話を戻します。どこまで話しましたっけ、そうそう、犯人は金庫の中の情報を見たかった、という件でしたね。そのためにブルーサファイアの盗難予告状という餌を撒いた。そこに今、絵画誘拐は狂言だったという、新たな条件が加わりました。となると、もうお判りでしょう。犯人の欲した情報とは何か」

 勒恩寺は自明のことのように云う。しかし木島は、まだ先が読めないでいた。半円形に勒恩寺を取り囲んだ面々も、一様に首を傾げている。誰も話の筋を呑み込めていないらしい。それに構わず、勒恩寺は続ける。

「大浜氏は身代金を奪われたと被害者を演じました。しかしそれはまっ赤な嘘で、実は身代金は奪取されていないことが判明しました。では身代金の現金二千万円はどこにいったのでしょう。当然、大浜氏の手元に残っています。これをどうするか。銀行に預けようにも、出所がどこか疑われるから預金することはできません。かといって大金なので、ヘタなところに保管するわけにもいかない。銀行の貸金庫などは出し入れが煩雑でしょうし、手近な会社の金庫では秘書や社員などがうっかり見てしまう恐れがある。やはり一番安心できるのは自宅の金庫、ここしかありません」

 と、後ろを向き、黒い金庫の外側を軽く叩いて勒恩寺は、

「ほとぼりが冷めるまでこの金庫に、現金二千万円の札束をしまっておく。これがベストの選択でしょう。自宅の金庫ならば自分以外は開けることはなく、誰にも見られる危険はありません」

 鷹志は、何だ親父めそんなことをしていたのか、というふうに呆れたような目で、隣の大浜社長を見つめた。

「犯人も恐らく、同じ結論に達したのでしょう。私の思考過程と同様の道筋を辿って、この金庫に目をつけたのだと思われます。しかし先ほども云ったように、金庫は大浜氏以外には開けられない。そこで一計を案じた。それがブルーサファイアの盗難予告です。先ほどの話にも出ましたね、予告を受け取った人は、安全を確認するために、とりあえず保管場所を開くと。ブルーサファイアを盗むと予告すれば、金庫は必ず開き、中の現金も人目に晒される。そして情報も盗み見ることができるわけです。もうお判りでしょう。犯人が狙った金庫の中の情報とは何か」

 と、勒恩寺は一同を見渡して、

「ブルーサファイア本体に何かの情報が刻まれているとも思えない。茶封筒やファイルの中の書類は、大浜氏の目を掠めて読むのは難しい。通帳の内容も同様です。となると、残りはひとつしかありませんね。この金庫の中にある物といえば、あとは現金だけです。現金に記してある情報といえば、これもひとつしか考えられない。そう、紙幣ナン、、、、バー、、。それ以外にはあり得ないのですよ」

 と、そこで少し間を取って、勒恩寺は静かに云う、

「犯人はブルーサファイア盗難予告にかこつけて金庫の中の札束の番号を見たかった、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、。これが今回の事件のすべてです。そんなわけで、警部補殿」

 と、勒恩寺は井賀警部補のほうを向く。

「動画でしっかりと撮りましたね。何か不審物があるかもしれないと理由を作って、札束をひとつずつ手に取り、スマホのカメラに写るようにした。その現場は私の随伴官がしっかり目撃していますよ。札束はすべて新札だから、一番上の番号さえ撮れれば、中の百万円分は番号が判ります。それを撮ったでしょう、警部補殿。我々特専課を快く迎えてくれたのも、この動画を撮った時の証人を増やしておこうという算段だったのではありませんか。証人が増えれば証拠に客観性が出て、信憑性も高まりますからね。そういう狙いがあったのでしょう。どうですか」

 勒恩寺は一歩、井賀警部補に詰め寄る。相手は仏像のように穏やかな微笑で、おっとりとした表情のまま何も答えなかった。

「ところで、身代金として奪われた現金の紙幣ナンバーはすべて控えてある、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、そうですね、今後犯人を追跡するために。その二千万の二十束のうち、ひとつでも金庫の中の札束の番号と一致すれば、大浜氏の狂言誘拐と保険金詐取は立証できます。それが狙いだったのですね、警部補殿」

 再度の呼びかけにも井賀警部補は口を開かない。無言でおっとりと微笑んでいるだけだった。隣の三戸部刑事が驚いた表情で、警部補の顔を見ている。上司の計略を知らなかったのだろう。

「警部補殿は、大浜氏に恩義がある署長さんから、絵画誘拐事件がいつになっても解決しないことで、連日やいのやいのと小言を食らっていたそうですね。しかし、もちろん解決などできるはずもない。被害者の証言がことごとくデタラメで、強盗犯も嘘で塗り固めた架空の存在にすぎないのですから。こんな事件、私にだって解決できそうもありません」

 勒恩寺はそう云うと、ちょっと肩をすくめて、

「警部補殿も捜査を進めるうちに、狂言の可能性に気づいたのではないですか。とはいえ、証拠がありません。確信はあっても、署長さんを納得させるだけの物的証拠はひとつもなく、狂言の立証は難しい。文句なしの証拠といえば、奪われた身代金でしょう。これが大浜氏の手元から発見されれば、狂言の物証になる。ただし、まごまごしていたら番号を控えてある現金はマネーロンダリングされて、裏社会の闇の中へ消えてしまう恐れがある。急がなくてはならない。署長からのプレッシャーも厳しく、そのせいで部下に体調を気遣われるほどに追いつめられていた。そこで多少強引でも、禁断の手法を取るしかなかった。それがブルーサファイア盗難予告状です。あなたが出しましたね、警部補殿」

 と、井賀警部補を真正面から見すえて、勒恩寺は云う。

「怪盗石川五右衛門之助などというおちゃらけた名前をつけたのは、恐らく県警にイタズラだと一蹴させるためでしょう。予告状があまりに真に迫りすぎても県警が出動してきて、警備の主導権をあちらに取られてしまいますからね。そうなったら所轄署の刑事課は、庭の巡回くらいしかさせてもらえなくなる恐れがある。県警を排除して自分達が警備のイニシアティブを握るために、あんなふざけた名前にしたのでしょう」

 じっと井賀警部補を見つめたまま、勒恩寺は続ける。

「そしてあなたはまんまと札束の撮影に成功した。後は署に帰って照会するだけ。それで大浜氏の狂言を立証して、口うるさい署長を黙らせることができる。偽の誘拐で刑事課を振り回してくれた大浜氏に、お灸を据えることもできます。保険金詐取は刑事罰の対象ですからね、さぞかしキツいお灸になることでしょう」

 と、そこで勒恩寺は、木島のほうに向き直ると、

「どうだい、木島くん、ちょっと面白いだろう。警備が始まった時には、犯人はとっくに目的を達成していたわけだ。これはそういう、いささか変則的な構造を持った事件だったのだよ。我々はてっきり、金庫の中を調べたのは来たるべきブルーサファイア盗難に備えるためと信じ込んでいた。ところが実際は、金庫の中を撮影した時点で、犯人のやるべきことはもう終わっていたんだ。準備段階で既に終わってしまった事件。これは逆説的でなかなか珍しいだろう」

「そこで終わってしまったからこそ、ブルーサファイアの盗難も起きないと読めたんですか」

 木島が半ば茫然としながら云うと、勒恩寺はにやりと笑って、

「そう、多分その予定だったのだろうね。ただし、たまたま絶妙なタイミングで隙ができたから、ブルーサファイアをひょいっと隠して、犯人の標的はあくまでもブルーサファイアであると強調しておく、という余興もあったけれど。当初の計画では結局何も起きずに、やれやれやっぱりイタズラだったのか草臥くたびれ儲けだったな、で終わるつもりだったのだろう」

 なるほど、作馬探偵も勒恩寺もそれを見越して、多分大したことは起きない、と予測したわけか。と、ようやく腑に落ちた。

 大浜社長が、憤懣やるかたないといった風情で、

「何をやっとるんだ、井賀警部補、予告状をわしに送りつけてくるなんて、ひどいことをしおって、あんまりじゃないか」

 すると、鷹志が呆れたように、

「いやいや、親父が人のことをとやかく云えないだろう。保険金詐取なんて、そんなの俺も聞いてないぞ。思いっきり犯罪じゃないか」

 大浜社長は息子の言い分に、ぐぬうと云ったきり黙ってしまう。

 勒恩寺は、そんな雑音には構いもせずに、

「さて、警部補殿、あなたの計画では、大浜氏の狂言誘拐の物証は、ブルーサファイア警護中にたまたま発覚する形にするつもりだったのでしょう。これならば証拠の入手経路に問題はありません。違法性もないし、堂々と裁判所に提出することもできます。しかし今は、少々微妙な情勢になってしまいましたね。紙幣ナンバーを入手するために捜査責任者当人が犯罪予告状を送ったとなると、証拠の入手方法が適法とはいえなくなってしまう。犯行予告は脅迫罪に相当します。法を犯した上で入手した証拠は違法捜査と認定されて、裁判では認められない可能性が高い。この点は私も、申し訳なく思っています。私が事件のすべてを解明するという余計なことをしたばかりに、警部補殿の違法捜査も明るみに出てしまいました。警部補殿は脅迫罪で、それ相応の罰を受けることになるでしょう。処分がどの程度かは判りませんが、ヘタをしたら懲戒免職にまで追い込まれるかもしれない。そんなことになったら私としても大いに心苦しい。警部補殿の動機には共感できる点もありますので。ただ、そこに謎があればそれを解決せずにはいられないのが探偵の本能でして、どうしても真実を暴かねば収まらない。それが探偵の性分なのです。申し訳ありませんが探偵とはそういう生き物ですので、そう諦めてご容赦ください」

 真剣な口調で、勒恩寺は云う。木島はその後ろ姿に向かって、

「予告状を出したのが井賀警部補だというのは判りました。でも、あの予告状の緩い感じは何だったんですか。日程が三日もあったり、指定時間が何時ジャストでなくてだらだらと長かったり」

 その疑問に、勒恩寺は振り向いて答え、

「あれは差出人が警部補殿だと判れば意味も汲み取れるだろう。警察の警備責任者という立場の人が書いた予告状だ。そう考えれば自ずと意図が解けてくる。日程が三日あったのは、新浜署の刑事課が二班体制だからだろう。今回の計画は、警部補殿自身がブルーサファイア盗難予告事件の担当になって、自ら陣頭指揮を執らなくては成立しない。予告した日に、もし他の事件が起きてそっちへ回されたら、こっちの現場はもう一班の別班が担当になったことだろう。それでは目的を達せない。だから予備日が必要と判断したのだろうね。もし一日目と二日目に別のもう一班のほうが担当していたら、当然何も起こるはずがない。そうしたら三日目に、誘拐事件の挽回をしたいから自分に担当を代わってくれ、とでも申し出て動画撮影に臨むことができる、という計画だったんだろう」

 と、勒恩寺は木島に解説してくれる。さらに、

「時間が緩くだらだらと取ってあったのは、何時ジャストと限定してしまうと、そこに新浜署の全勢力が投入されることになってしまうからじゃないかな。ただでさえ人数が少ない小規模署なのに、勢力の全力投入をしてしまうと、交番や駐在所が無人になることもあるだろう。町のパトロールも疎かになる。新浜署に奉職する警部補殿としては、町の警備が手薄になるのは避けたかったのではないだろうか。警察官にとっては町の治安が第一だからね。指定日が水曜限定だったのも、土曜日曜は町に人出が増えて交番やパトロール業務がせわしなくなるのを知っているからだろう。週のまん中ならば、地域課の制服警官達のローテーションにあまり影響を与えないからだ。五時間と、犯行指定時間をぼやかして余裕を作っておけば、制服組をバラけて交代制にできる。地域課の通常業務に支障が出ないための気遣いだったわけだ」

 ああ、そういえば、警官隊が第二班に交代するとか刑事が報告に来ていたっけ。と木島はようやく思い出した。報告に来た刑事は業務用キャビネット氏に圧し潰されていたけれど。警官が全員一斉投入されたら交番の業務が疎かになる。それを危惧しての緩い予告時間だったのか、とやっと理解できた。

「現場指揮官も色々と気を回す必要がある。組織の一員であることは大変なんだよ」

 フリーの探偵でそんなしがらみとは無縁のくせに、勒恩寺は訳知り顔で偉そうに云う。そして、勒恩寺は一同に向き直って、

「というわけで、これにて事件は終了です。謎はすべて解き明かされ、探偵の出番も終わりました。皆様、ご静聴、感謝いたします」

 ミュージカルのカーテンコールみたいに、大げさに一礼した。そして勒恩寺は、

「さあ、木島くん、帰ろうか。もう俺達にできることはない」

 すたすたと歩いて行く。

 え、本当にいいの? 後始末は要らないのか。と、木島は戸惑った。部屋の中は物凄く気まずいムードになっているけれど、これは放っておいていいのか。困惑したものの、勒恩寺がとっととドアを出ようとしているから仕方がない。木島は慌ててその後を追う。

 ちらりと振り返れば、大浜社長はむっつりと腕組みをしてソファに深々と座っている。鷹志はその隣で、不機嫌そうな父親を呆れたような顔で見ている。井賀警部補はゆったりと腰かけている。犯行を暴かれても、その仏像みたいな穏やかな顔には曇りはなかった。結局最後まで、予告状を出したことは一言も認めないままだったが、その態度に疚しさは一切感じられなかった。三戸部刑事は、そんな上司を不安そうに見守っている。太く逞しい眉も、困ったような形で沈んだ表情を作っている。

 木島は、そんな本日の関係者の皆さんにぺこりと一礼して、部屋を出た。

                  *

 勒恩寺の背中を追いかけ、玄関から外へ出る。

 七月のむしっとした夜気が、体にまとわりついてくる。警官隊があちこちで投光器に灯りを入れていて、それが眩しい。

 庭を歩きながら、木島は勒恩寺の長身を見上げて、

「あの人達はどうするんでしょうか、これから」

「さあね、すべてを公表するのか、それとも大浜氏と警部補殿が大人の取り引きで、お互いの犯罪をなかったものとして有耶無耶にしてしまうのか。俺はどっちでもいいけどね」

 と、関心などないようで、勒恩寺は投げやりに答えた。

「そんな、無責任な」

「どこが無責任なものか。謎はきっちり解いたぞ。探偵としての仕事は終わっている。後の処理なぞ知ったことではない」

 日当目当てで裁判には嬉々として出廷するくせに、そんなことはおくびにも出さず、勒恩寺は云う。

「そんなことより、怪盗からの予告状と聞いてわくわくして来たんだぞ。なのにこの体たらくだ。つまらんよ、木島くん。本物の怪盗にお目にかかりたかったのに。それも凄腕の」

「そんなのが本当に実在したら、世間の迷惑になりますよ」

「なあに、俺が捕まえてやるさ、この名探偵がね。強力なライバルがいれば、探偵も輝きを増すことができる。怪盗の大胆不敵な犯罪を華麗に捌いてみせれば、名探偵の名もさらに上がることだろう。何より楽しそうじゃないか。怪盗と名探偵との息詰まる頭脳戦。木島くんも見てみたいだろう。今回は残念だったが、いつかはそんな怪盗と邂逅したいものだ。ああ、腕が鳴るね。怪盗を相手に思う存分に力を振るいたいな。名探偵としてそれほどやり甲斐のある仕事もないだろう。ああ、巡り逢いたい。どこかにいないだろうか、犯行予告を送ってくる本物の怪盗が」

 夜の曇り空を見上げて、勒恩寺は夢見るように云う。

 やっぱり変な人だ、と木島はつくづく思うのだった。

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