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『ものがたり洋菓子店 月と私 ふたつの奇跡』発売記念SS「お姉ちゃんのスキャンダル」

 最近むぎは、姉の糖花とうかについてご近所さんやパートさんたちから声をかけられることが多い。
「お姉さん、本当に綺麗になったわねぇ。まるで文芸映画に出てくる女優さんみたい」
「お姉さんの作るお菓子もとっても美味しくて、うちは家族全員お姉さんのお菓子の大ファンよ」
 そんな嬉しい言葉や、
「店員の執事さん、いえ、ストーリーテラーさんだったわね。その語部かたりべさんも素敵で、わたしと娘たちは語部さん推しなの。声が麗しすぎて、うっとりしてしまうわ」
 そんな熱のこもった言葉に、麦の口もとも自然とゆるむ。
「ところで、お姉さんと語部さんはおつきあいされているの? とってもお似合いだけど、いずれご結婚なさるのかしら?」
 興味津々なこの質問には、なんと答えたらよいのか毎回困っている。
「えーと、そういうことは……今のところないと思います」
 なにしろカタリベさん本人が、お姉ちゃんに告白されたら情け容赦なく振らせていただきますって宣言しているくらいだから。
 なぜそんなややこしい宣言を、洋菓子店『月と私』の有能すぎるストーリーテラーがすることになったのかを説明するのは、これまた厄介で――というよりカタリベさんもお姉ちゃんも面倒くさすぎだよっ! と、両方の気持ちを知っている麦は頭を痛めているのだった。
「あら、そうなの? おつきあいされてないの? まだ? でも、おうちのベランダでお姉さんと語部さん、仲良さそうにお話しされているわよね?」
 まったくその通りで。
 洋菓子店の二階と三階が自宅で、三階の姉の部屋のベランダの向かい側にお隣のマンションの窓がある。語部はそこに住んでいて、二人は仕事を終えたあとの夜や休日に、ベランダと窓で無防備な私服姿でひそひそ語りあっている。
 そんな姿が、マンションの住人やお店のパートさんたちのみならず、ご近所さんたちにも目撃されている。

 三田村みたむらさんとこの綺麗なお姉さん、美声イケボの店員さんとイイ雰囲気で話してたよ。

 ここの美人シェフが、ストーリーテラーのカッコいい人と、ほのぼの見つめあってたんだけど。

 わたしも見ました〜! シェフと語部さん、完全に二人の世界でした!

 住宅街で人通りは少ないとはいえ、ドラマに出てくるような美男美女が淡い月の光に照らされたベランダと窓辺で話していたら、やはり目立つし気になる。
 糖花の声は細く小さく、語部も店にいるときより抑えめのおだやかな口調で話しているので、二人の会話が地上まで聞こえてくることはないだろうけれど……糖花の恥じらいを含んだ幸せそうな表情や、語部の優しげな眼差しや、二人の唇に浮かぶ満ち足りた微笑ほほえみは、言葉が聞こえないぶん想像をかきたてるに違いない。

 それに、あたしの部屋からは聞こえてるし……。

 ひそひそ、こそこそ、くすくすと睦言をささやくような声で、いつまでもお菓子の話をしている。
 明日はケースにどんな“本日の月”を並べましょう、農園から届くフルーツでどんなお菓子を作りましょう、味は甘く? それとも酸っぱく? 食感はしっとり優しく? ほろほろとはかなく? カリカリと楽しく? 

 二人の姿は見えず、ただ幸せそうな甘い声だけが夜のやわらかなやみに溶けてゆく……。それはそれで想像がふくらんで、麦の胸も甘いものでいっぱいになって――。

 あたたかな月が照らす二人きりのベランダと窓辺で、いつかお姉ちゃんが作る糖蜜がたっぷりのクイニーアマンや、ほろほろ崩れる蜂蜜のファッジよりももっと甘くて優しい会話が交わされるようになるのかな……、そしたらあたしはイヤホンで音楽でも聴かなきゃだな……なんて思っていたのだ。

 ところが!

「お菓子屋さんの美人シェフが、芸能人みたいな金髪のイケメンと手繫てつなぎデートしてた!」

 栗のお菓子がケースに並ぶ秋のこの日、そんな情報が店の外からも中からも続々ともたらされ、麦を激しく混乱させた。
 あの内気なお姉ちゃんが、金髪の派手な男の人と手繫ぎデート!?
 ありえない!
 けれど、みんな口をそろえて、あれは糖花さんに間違いない、あんな美人が渋谷でも六本木でもない普通の住宅街にそうそういるはずがないと言う。
 姉は昨晩からなにやら悩んでいる様子で――もちろんそんな姉を語部が放っておくはずはなく、ずっと姉と話したそうにしていたが、姉はかなり不自然に語部を避けていて、閉店時間が来るなり後片付けもそこそこに、三階の自分の部屋へ行ってしまった。
 語部はおそろしく不満そうで、麦は「あたしからお姉ちゃんにいてみるから」と、なだめなければならなかった。

 一体、内気な姉になにが起こったのか?
 あんなに眉根を寄せてため息をついて、なにを悩んでいるのか?
 ……お姉ちゃんは一人で抱え込んじゃう性格だからなぁ。 
 麦も二階のリビングへ戻り、キッチンで大根やキャベツや人参や蓮根をざくざく切ってお味噌と豆乳のスープを作りはじめた。
 夕飯はいらないと言っていたけれど、これなら食べてくれるだろう。
 作り置きの鶏肉団子も入れて、甘い湯気がほんわり立ち上がり、いい感じにスープが完成する。
 さて、お姉ちゃんを呼びに行こう。
 三階の部屋へ続く階段をのぼりはじめたところで、麦は鼻をひくつかせた。 

 え? 焦げくさい?

 コンロの火を消し忘れた?
 いや、においは下からではなく上からただよってくる。階段をのぼりきるとますます焦げくさくなり、不安に胸がざわめいた。
 向かって右の麦の部屋と左の姉の部屋。
 臭いは姉の部屋からする!
 麦はドアを開け、叫んだ。
「お姉ちゃん焦げくさい!」

 このときドアの向こうで、なにが進行していたのか。
 そして麦はなにを見たのか。
 色々思うことはあるが、うっすらと感じたのは、姉の魅力と才能を引き出した有能すぎるストーリーテラーは案外ポンコツなのではという疑惑なのだった。
 そしてその疑惑が、冬になりクリスマスがやってくるころには確信に変わることを麦はまだ知らない。


  *

本編は4月5日ごろ発売の『ものがたり洋菓子店 月と私 ふたつの奇跡』で、ぜひお楽しみください!

■著者プロフィール
野村美月(のむら・みづき)
福島県出身。『赤城山卓球場に歌声は響く』で、第3回えんため大賞小説部門最優秀賞を受賞。著書に、「“文学少女”」「ヒカルが地球にいたころ……」「むすぶと本。」「世々と海くんの図書館デート」「三途の川のおらんだ書房」の各シリーズのほか、『記憶書店うたかた堂の淡々』など多数。子供のころからスイーツが大好きで、Instagram(ID:harunoasitaha)で情報発信している。

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