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古い価値観と新しい価値観のはざま、これまでの人生とこれからの人生のはざまで、もがきながら【書評:瀧井朝世】

 舞台はどこかの地方の持山(もちやま)市。そこには芥子(けし)()(あん)という家族葬専門葬儀社がある。古民家をリノベーションした斎場で、故人とのお別れの最後の時間を温かな空間で、静かに過ごしてもらうというコンセプトだ。この芥子実庵になんらかの形で関わる人々が一章ごとに登場するのが『夜明けのはざま』である。

 第一章の主人公、佐久間真奈はここで葬祭ディレクターとして働いて九年目の三十一歳。「死」が苦手だという社長の芥川のことを同僚とともにサポートしつつ、ようやく一人前になれたところである。しかし恋人の純也(すみなり)は彼女の仕事に否定的だ。女性が働くことに反対しているわけではなく、葬儀社の仕事が気に入らず、結婚する前に転職してほしいと言う。母親に相談しても「そう言われても仕方ない」「女は、伴侶になる男性の言うことに従っておけば間違いないの」と返されるだけ。そのことに悩む彼女にショッキングな依頼が舞い込む。親友のなつめが自ら死を選び、遺言に真奈の手で簡素な式をお願いしたいとあったというのだ。動揺する彼女に同僚たちは「他の人と代われ」と言うが、真奈は自分で葬儀を取り仕切ることを決意する。

 第二章は花店で花祭壇を担当する五十代の牟田千和子が主人公だ。はやくに離婚し一人で育ててきた娘、天音は現在大学生。だが天音は、東京に出て仕事で心身共に疲弊している恋人を支えるため退学して上京すると言い出す。そのことで娘と衝突中に舞い込んだ仕事の喪主は、十八年前に別れた元夫だ。故人は彼の恋人だというが……。第三章の主人公は芥子実庵の新入社員、須田。中学時代に自分をいじめた伊藤の父親の葬儀に関わり、動揺しつつも無事に通夜を終えたところ、伊藤が須田に話しかけてくる。ここからの彼らの会話がなかなか残酷で苦しくなるが、意外な方向に視点を向けさせる展開が待っている。第四章の主人公は、中学時代から親しい男女五人グループの一人が亡くなったとの知らせを受けた主婦の良子。芥子実庵での通夜葬儀に出席しようとするが、夫は家のことを放り出して他の男もいる斎場に泊まるのかと言って許さない。それでも弟の協力を得て芥子実庵へ向かうが、実はこの弟というのが意外な人物である。そして第五章は、再び真奈の視点に戻る。二~四章の視点人物は必ずなんらかの形で真奈と関わり、彼女の悩みを耳にすることとなる。各章一人一人の個人的エピソードも濃密に語られるなか、全体を通しては真奈の人生の決断の物語となっているわけである。

 とにかく、ひとつひとつのエピソードの濃さ、えぐさといったらこの上ない。たとえば真奈の親友、なつめは、実は心中したのである。大学時代に作家として華々しくデビューしたが二作目以降が(ふる)わず、現在の彼女は秘密裡に風俗店で働いており、店の客と死んだのだ。作家として知名度があったがためにネット上ではスキャンダラスに騒がれる。また、真奈となつめの共通の親友、楓子は夫に葬儀に出席することを止められるが、その夫の言い分は、自分たちの結婚式に作家として招待したのに風俗嬢だったなんて騙された、というものだ。さらにはなつめの過酷な少女時代も明かされ、もうページをめくりながら、ずっとボディブローをくらい続けている気分になる。でもだからこそ、親友の死と葬儀に真摯に向き合う真奈の姿に心打たれるのだが。

 少しずつ見えてくるのは「女は男の言うことに従うべき」「男は家庭を守るべき」といった風潮が根強い社会でもがく男女、あるいはそうした価値観を内面化している自分に気づく/まったく気づかないままの男女の姿だ。自分が旧来の価値観にとらわれていたと気づいた楓子が、「(母親世代に対して)悪しき風習は私たちで止めるからお前は先を行け! くらいのことをすべきじゃないの!?」「あたしは『先を行け』って言える女になる」と真奈に語る場面が印象に残る。古い価値観と新しい価値観のはざま、これまでの人生とこれからの人生のはざまでもがく真奈や楓子は、やがて自分の意志で人生の決断を下す。タイトルからも、彼女たちの人生が「夜明け」に向かっていることを読者は感じ取るはずだ。そして、そうした女性たち一人一人の選びとった生き方が、次の誰かに作用して世の中も「夜明け」に向かっていくといい――そんな祈りを感じずにはいられない。

 葬儀社が舞台なだけに、もちろん死も大きなテーマである。さまざまな死が描かれていくなかで、死の平等性にも触れられる。成功しようが失敗しようが、間違おうが挫けようが、死には優劣はない。そのことに気づいた作中人物同様、こちらもすっと心が軽くなる気がした。だったら、自分の好きなように生きようではないか、と。

 ところで作中、「隣の()野崎(のさき)市」という表現が出てきてはっとした。樋野崎市といえば、『宙ごはん』の舞台となった架空の地方都市である。刊行当時、著者は「またこの街を書きたい」と言っていた。おそらくこの先も、樋野崎市やその周辺が作品に登場するのではないだろうか。憶えておきたい。




瀧井朝世(たきい・あさよ)
1970年生まれ。WEB本の雑誌「作家の読書道」、『別冊文藝春秋』『WEBきらら』『週刊新潮』『anan』『クロワッサン』『小説宝石』『小説幻冬』『紙魚の手帖』などで作家インタビュー、書評を担当。TBS系「王様のブランチ」ブックコーナーのブレーンを務める。著書に『偏愛読書トライアングル』、『あの人とあの本の話』、『ほんのよもやま話 作家対談集』、監修に「恋の絵本」シリーズ。

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