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第1回

スマイルの値段

「仕事がないわけじゃないんだよね」

 流里るりは、言い訳がましく聞こえるかと、相手の反応を伺った。

『ふーん。そうなんだ』

 ビデオチャットの相手は姉の柚子ゆずだ。特に何も考えていなさそうな顔。そろそろネイルサロンに行くべきかどうか迷っているらしく、先の禿げかけたオーロラ色のネイルをずっと気にして見つめている。

「ほら私、演技も下手だし、歌も楽器も文章も絵も、創作系のお仕事はなにもできないじゃん。かといって、創職系が得意なわけでもないし、人より味覚が敏感ってわけでもないから創味系もムリ。だけど、こんな私でも探せばあるんだよ、いちおうは」

『それでハローワーク行ったの? なんて言ってた?』

「笑顔がいいですねって」

『笑顔かあ』

 柚子が画面越しに、ようやく顔を上げてこちらの表情を観察するような目をした。

「そう、笑顔」

 人工知能が発達して、人間が「仕事」からどんどん解放されて何年にもなる。今ではおよそ人間のできることなら、人工知能にできないことなんかないんじゃないか、ってくらいに発達したのだ。

 人工知能が人間から仕事を奪う、と憎まれた時代も過去にはあったそうだが、それは資本主義の考え方をチョイチョイと変更することで解決したそうだ。

 人工知能が仕事を奪うのではなく、賃金を奪うから憎まれただけ。めんどうで嫌な仕事からは解放してくれて、人間は自分の好きなことをやって、それで賃金をもらえるなら、そのほうがいいじゃない。

 それで、実は歌えたり、踊れたり、スポーツが得意だったり、小説や絵を書けたりする人工知能も作れるらしいが、国際的なルールでそういう技能は「封印しましょう」となった。だって、そういう楽しみまで人間から奪ってしまったら、人間はいったい何をして暮らせばいい? 機械に働かせて、自分たちはただその上前をはねるだけで、生きていくことはできるだろうけど、やりがいはない。

 一部の人が期待していた「シンギュラリティ」とやらは、部分的には実現し、部分的には実現しなかったらしい。期待され、恐れられてもいたような、「自分の機能を自分でどんどん改善して、人間をはるかに超える知性を持つようになる人工知能」は、少なくとも今のところ生まれていない。

 おそらく研究者がそういう方向に開発を進めなかったのだろうけど。

 実際に生まれたのは、「人間よりはるかに高い能力を持ち、人間のできることならなんでもこなす人工知能」だった。まあ、それでもたいがい脅威なんだけどね。

 なんでもできるから、もちろん笑顔だってつくれるんだけど、ロボットの笑顔では人間は完全には満足できなかったらしい。

(そこに感情はないでしょ、というお客様がいらっしゃるのです)

 昨日のハローワークの職員はそう解説してくれた。

 なるほど。ロボットに感情があるかどうか、というテーマは今でも議論されているが、ないと考えている人なら、ロボットの笑みはただの「つくりもの」には違いない。

(はるか昔のことですが、ある企業の「スマイル0円」というキャッチフレーズが流行語になりました。従業員のスマイルに、お客様から代金はいただきませんよという意味です。しかしですね、お客様はそのスマイルを0円で享受できたとしても、スマイルはけっして0円ではなかったのです。なぜなら、その企業は従業員のスマイルに価値を認めていたわけですから)

 職員は四十前後の女性で、両手を振り回して熱弁をふるっていた。

(つまり、スマイルは立派な労働なのです!)

『まあ、そろそろ流里も「成人」なんだからさあ。スマイルでもなんでもいいから、仕事は見つけたほうがいいよ。今の世の中、生きていくのにお金はいらないといっても、肩身の狭い思いをするのは嫌でしょ、あんた』

 それはもちろん、わかっている。

 柚子は子どものころから美味しいものが大好きで、「味変」なんていって、できあいのお惣菜に予想外の調味料や素材を組み合わせることで、ほとんど別の料理のような美味しいものをつくりだすのが上手だった。

 今はその技を生かして料理番組も持っているのだから、成功者のひとりだ。

 柚子とのビデオチャットが終わった後、流里は鏡をのぞいてにっこりしてみた。

「これが労働かあ」

 だけど、スマイルが労働になったら、嫌な客が現れた時にでも、笑っていなければいけないわけだ。親しい人や、大好きな歌手が亡くなって、泣きたい時でも笑えっていうの? 

 その笑顔はつくりもので、心はこもっていない。

「それなら、ロボットのスマイルと何が違うの」

 思わずひとりごとを呟いてしまう。

 ハローワークの職員がひと目で見抜いたように、流里は笑顔に自信がある。ぶすっとしてぶっきらぼうなのが特徴の柚子とは、正反対だと子どものころから言われてきた。

 これを仕事にすることが、自分にできるだろうか。断ったところで、他にできることがあるわけでもないのだが。

 それに、仕事にすると、笑顔に値段がつけられてしまう。

 ――あなたの笑顔は、おいくら万円。

 納得できる価格ならともかく、びっくりするくらい安かったらどうしよう。くだらない悩みだけど、自信が持てるものが笑顔しかないのに、それが二十円とか言われたらどうしよう。辛すぎて、もう生きていけないかもしれない。

(肩身の狭い思いをするのは嫌でしょ)

 柚子の言葉がよみがえる。

「そうなんだけど、さ」

 端末に表示される広告には、人工知能がつくりあげた「ひと」の微笑みがあふれている。

 あれらと自分の笑顔の違いが、きちんと説明できるようになったら。

 そうしたら、笑顔のプロとして、値段をつけられてもいいかなと思った。

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