新月のはじまり
キッチンからペタペタと肉を成形する音が響いていた。母親が、夕食の準備を始めていた。
流し台の脇には、スタンドにセットされたスマートフォンが置かれ、その画面にはエプロン姿の男性が映っている。
「ポイントは粉ゼラチンを入れること。肉汁が閉じこめられます」
人気の料理研究家の動画だ。五歳になる彼女の息子は、彼のレシピで作るハンバーグが大好きだった。
その息子は、リビングでテレビのアニメに夢中になっている。平和な夜のひととき。おだやかな日常だった。
すると、スマホが急に静かになった。なぜかとつぜん電源が切れて、ただの黒光りする板となった。
「あれっ、さっき充電したのに……」
息子がやってきた。幼い声で呼びかけてくる。
「ママぁ」
「こらっ、料理中は危ないからキッチンに入ってきちゃだめっていったでしょ」
「だってテレビが消えて、アニメが見れなくなったんだもん」
テレビも? 停電かしら? でも照明はついたままだし、テレビはともかく、スマホに停電は関係がない。
「テレビのリモコンの赤いのを押してみなさい」
「押したけどつかないよ」
「あとでいい? 今ハンバーグ作ってるから」
「今がいいの」
「……もうっ、しかたないわね」
母親は手を洗う。ハンバーグを成形していて手がねちゃねちゃしているので、時間がかかる。子育ては試練の連続だ。
息子のいうとおり、テレビの画面が消えていた。試しにリモコンのスイッチを押すが、画面がつかない。何度やっても同じだ。
母親は首をかしげた。
「おかしいわね。この前電池を入れかえたばかりなのに」
時間差で急に電源が入ったので、母親はびくりとした。
テレビ画面にノイズ混じりの映像が浮かび上がった。
そこに映っていたのは、一体の奇妙なシルエットだった。それがシルクハットをかぶり、ステッキをついた紳士となった。奇妙な覆面をしている。
ふとキッチンのスマホを見ると、同じ映像が映っていた。連動しているのだ。
「どういうこと?」
するとその紳士が話し始めた。
「はじめまして、地球人の諸君。自己紹介をさせてもらおう。吾輩は君たちの上位に位置する者。そうだな、仮にこう名乗らせてもらおう、『夜の管理者』と」
母親は息子の方を見た。
「こんな変なアニメが流行ってるの?」
「ううん。知らないよ」
息子が首を横に振ると、紳士が続けた。
「我々は長い時をかけて、君たち地球人を監視してきた。君たちの歴史は、愚行のオンパレードだ。欲望のままに大地を焼き払う戦火。大気を汚し、海を濁らせる環境破壊。実に、実に愚かで嘆かわしい行為ばかりだ。
だが、かつては素晴らしい人間もいた。空を見上げ、星のきらめきのような言葉を紡ぐ詩人。望遠鏡を覗きこみ、遠い宇宙やそこに住まう生命体に想いをはせる科学者。そんな彼らがいたからこそ、我々は必死に耐えていた」
ふうと紳士がため息を吐いた。
「しかし今の君たちはどうだ。空を見上げて希望を語ることを忘れ、手元の数インチの液晶の板に夢中になっている。星空を形容するために美しい言葉を紡ぐのではなく、匿名という闇に隠れて汚い言葉の石を投げ合う。他人の不幸を蜜の味としてすすり、正義の名の下に暴力をふるう。
過激な言葉のみが拡散され、誠実さは踏みにじられる。注目を浴びるために魂さえも切り売りし、「いいね」の数に一喜一憂する。君たちは考えるという行為を捨ててしまった。嘆かわしい。実に嘆かわしい。そこでついに我々の堪忍袋の緒が切れた。プチンとね」
プチンという擬音語が画面に描かれた。
「見せしめとして月を消す。空を見ない君たちには必要ないだろうからね。
おっと、そんなことできるわけがないと思ったかね。だがよく考えてみたまえ、今我々が世界中すべてのモニター、回線、ネットワークを掌握しているという事実を」
たしかにそうだ、と母親はスマホの方を見た。
「試しに各機器の電源を切ってみたまえ。テレビのプラグを抜いてもらってもいい」
母親はリモコンのボタンを連打したが、反応がない。いわれたとおりプラグを抜いたが、映像は流れている。スマホの電源ボタンを長押ししても、画面は消えない。
「これで我々が月の破壊すら可能だと証明できただろう。
何々? 月が消えてもなんの問題もなくね? お月見バーガーが販売できないくらいじゃねえの? おやおやそんな声が聞こえてくるね。
無知蒙昧のお気楽な輩には、月が消えたらその後地球に訪れる未来を教えておこう。
月とは、地球の重しでもある。月のおかげで、太陽のような巨大な重力をものともせず、地球は回転の勢いを維持し、地軸を安定させている。
だが月が消えると地軸が傾き、極端な気候変動が起きるだろう。灼熱と極寒がランダムにくり返され、大地震と津波が起きる。異常気象のパーティーだ。
さらに砕けた月の破片が隕石の雨となり、地球全土に降り注ぐ。ハード・レインだ。まあ一言でいえば、『みんな、スマホを見ている余裕なんてなくなるよ』ってことだ」
クスクスと紳士が笑う。
「だが安心したまえ。我々は大変慈悲深い。救いの手も考えてある。
我々の真実の名をいい当てたまえ。
『夜の管理者』とは仮の名前だ。真名ではない。
名前とは君たちの想像以上に重要なものだ。エジプト神話でも、女神イシスは太陽神ラーから真実の名を聞きだし、その力を奪いとった。
グリム童話のルンペルシュティルツヒェンでは、名前を当てられた小人は、体が二つに千切れた。
君たちが我々の真実の名をいい当てたら、潔く負けを認めて、月の破壊は中止しよう。
もちろんヒントは与える。これを見たまえ」
画面に文字が浮かんだ。いくつかの文章が連なったストーリー──どうやら小説のようだ。
「これから毎日、一作品ずつ君たちに小説を読んでもらう。嘆かわしいことだが、昨今の読書離れの傾向も知っている。想像力と思考力を奪われた君たちは、物語を読む力も失われているだろう。だが安心したまえ。
これは、『1分小説』だ。1分ほどで読める、短さと面白さを両立させた画期的な小説だ。これならばふだん物語を読まない君たちも面白く読めるだろう。毎日一話ずつ、君たちが所有するデバイスにこの1分小説を送信する。
期限は、三十日間。月の満ち欠けの周期だ。ちょうど今日は新月。月が太陽と地球に挟まれ、その姿は見えない。これは始まりを意味する。
次の新月を迎えるまでに1分小説に隠されたヒントを読み解き、我々の真実の名前をいい当てるのだ。
それができなければ、月は破壊させてもらう。このひと月が、お月見を楽しめる最後の時間となるかもしれない。心ゆくまで堪能することだな。では健闘を祈る」
そういい残すと、画面が暗くなった。それと入れ替わるように、1と書かれた1分小説があらわれた。
「ママ、変わったアニメだったね」
息子が無邪気な顔でいった。
1 魔法
クラスメイトたちが空を飛んでいた。ブルーナは、その様子を羨望のまなざしで見つめていた。
誰かがいった。
「ブルーナもおいでよ。気持ちいいよ」
一人が笑った。
「何いってんだ。あいつは魔法が使えないんだぜ。空も飛べないし、火も氷も作れない」
「いくら勉強ができたって、役立たずの無能力じゃなあ」
みんなの嘲笑に、ブルーナの目には涙がにじんだ。
この世界では誰もが当たり前のように魔法を使い、魔法が文明の基盤となっていた。だが時々、ブルーナのような無能力者が生まれる。
「どうしたんだい?」
ベンチで肩を落とすブルーナに、男が声をかけてきた。もじゃもじゃの白髭をたくわえた、謎めいた男だった。
「……魔法が使えるようになりたいんです」
「キミは誰よりも賢いじゃないか」
「それじゃあダメなんです。魔法が使えないと、落ちこぼれ扱いをされるんです」
「よし、では君にいいものをあげよう」
男はブルーナに封筒を渡した。
「なんですか、これ?」
「私は別の世界から来たのだが、ここには我々の世界の魔法の言葉が書かれている。キミの頭脳があれば、この力を使いこなせるだろう」
五年後、いまだかつてこの世で見たことのない兵器と魔法の全面戦争が起こった。その兵器を用いた組織のトップがブルーナだった。
世界を掌握したブルーナの書斎には、かつて男から手渡された封筒の中身が額装されている。
そこには、こう書かれていた。
『E= mc2』
2 働かないアリ
働きアリのトッキは、毎日忙しく働いていた。
小さなパンのかけらや虫の死骸を巣穴に運び、エサにした。巣の中では通路の補強や、幼虫の世話にあけくれた。いつも泥だらけだ。
一方カニンは、一日中のんびりしていた。
トッキは怒った。
「カニン、あなたも働いてよ」
「いいんのよ。私は働かないアリなんだから」
「何それ?」
「アリの集団っていうのはあなたのようなよく働くアリが二割、普通に働くアリが六割、そして私みたいな働かないアリが二割。それが最高のバランスなのよ」
「ふざけないで。私たちばかり損してるじゃない」
「うるさいわね。昔からそう決まってるのよ」
トッキは納得がいかなかった。
「女王様、これでは不公平です。全員働くようにしてください」
トッキは、何度も何度も女王アリに訴えた。女王も、やがてそのしつこさに根負けした。そのおかげでカニンを含めた働かないアリたちも、ブツブツいいながら働き始めた。その様子を、トッキは満足げに眺めていた。
ある晩のこと、とつぜん大雨が降り始めた。巣穴に水がしみこみ、天井が崩壊した。
「大変よ!」
トッキたちはすぐに修復作業を始めた。だがみなが働きづめだったので、体力が残っていない。
トッキは知らなかった……。
こういう非常時のために、働かないアリが体力を蓄えていたことを。
数時間後、巣はくずれ落ち、アリたちは土砂に埋まった。
アリたちは平等に働くことを選び、全滅してしまった。
3 友情
教室で、健と次郎がもめていた。
「噓つけよ。地面に虹なんかできるわけないだろ!」
健が怒ると、次郎はむきになった。
「ほんとだって」
「虹は空にできるもんだろ」
「前住んでたところにはできたんだって」
「でたらめいうなよ!」
健が次郎に飛びかかり、クラス中が大騒ぎになった。
家に帰ると、健は母親に叱られた。
「何やってるのよ!」
「だって……次郎くんが地面に虹があるって噓ついたんだもん」
三ヶ月前、健のクラスに転校してきた次郎とはすぐに意気投合し、仲良くなった。いいやつだと思ってたのに……。
かたわらでやりとりを聞いていた父親が、にこにこといった。
「健は次郎くんが噓つきだと思うのか?」
「……思わない」
「さっき雨が降ってたからたしかめに行くか」
父親に連れられて、健はある場所に向かった。周りには工場がいくつもある。
地面を見て、健はびっくりした。
濡れたアスファルトの上に、虹がゆれていた。
「なんで?」
「工場の近くだと、潤滑油や機械油が雨水とともに流れて、地面が虹のような模様になるんだよ。父さんも子供の頃、よく見たよ。次郎くんの前の家の近くにも工場があったんだろうね」
「……次郎くんに悪いことしちゃった」
「さっ、謝りに行くか」
健は次郎に頭を下げた。
「ごめん。噓つき呼ばわりして」
「いいよ。信じてもらえてよかった。あっ、健くん見て」
次郎が空を指さし、健はあっと声を上げた。
そこには大きな虹があった。
*
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■ 著者プロフィール
浜口倫太郎(はまぐち・りんたろう)
1979年、奈良県生まれ・在住。 漫才作家、放送作家を経て、 2010年『アゲイン』(のち、『もういっぺん。』に改題して文庫化)で、 第5回ポプラ社小説大賞特別賞を受賞し、翌年小説家デビュー。 著作に、ベストセラーとなった『22年目の告白-私が殺人犯です-』のほか、『宇宙(そら)にいちばん近い人』『お父さんはユーチューバー』『ワラグル』 『天空遊園地まほろば』など多数。漫画原作者としても活躍の幅を広げている。
24年、読書の苦手な人や忙しい人にも気軽に小説を楽しんでもらうための方法として、600字以内で書かれた「1分小説」のスタイルを考案。ライフワークとして日々執筆し、ブログで公表を続けている。26年3月現在、作品数は600を超える。初の児童書『1分小説 ミニットリア』も刊行された。

