4 継がれていくものには
質屋さんと同じような感じでね、って千弥さんに教えてもらっていた。
例えばだけど、たくさんの同じような壊れた商品を持ってきて、これを全部修理してほしい、なんていう注文があったとき。必ず、身分証明書を見せてもらって、名前や住所やそういうものを控えておくこと。
つまり、盗品ではないのかな、と一応疑ってみること。
〈おもちゃのチヤチエチャ〉はあくまでもおもちゃ屋さんとオリジナル制作と商品修理が仕事で、持ち込まれたものに対する警察への報告義務とかはないみたいなんだけど。
質屋は、あるんだ。
盗品とかのリストも警察の方から回ってくることもあるし。その辺の目利きというか、情報収集も大事な仕事。いくら質屋側に非がなくても、知らずに盗品を扱ってしまうっていうのは恥ずかしいし困るから。
それで、〈おもちゃのチヤチエチャ〉でも、玩具やいろんな製品の修理を頼まれたとき、一個とか二個とか、そしてごくありふれたものだったらそんな心配することもないんだけれど、ものすごく大量だったり、あるいは未成年なのに高そうな貴重っぽい製品を持ってきたりしたときには、きちんと身元を確認する。確認してから、修理を受け付ける。
開店してから二週間経っちゃった。あっという間に、ってよく使う言葉だけど本当に実感しちゃっている。〈おもちゃのチヤチエチャ〉が開店して、もう二週間! 私は高校卒業してから二年間、ものすごくのんびりとした仕事をしてきたんだなぁ! って思ってしまった。
その間に、大量のものだったりものすごい貴重そうな製品の修理だったりが持ち込まれることはなかったんだけど。
来た、かな?
日曜日の夕方五時過ぎ。千弥さんは打ち合わせに出ていて、智依さんは作業室で仕事をしているとき。
小さめの段ボール箱を抱えて、受付にやってきたのは二十代か三十代前半ぐらいの若い男の人。ほっそりしていて、そして笑顔がさわやかな、ちょっとイケメン。
「これ、直せますかね。あの、新品同様にするってことなんですけど」
「わー、たくさんですね」
段ボール箱を開けると、そこにミニカーがたくさん! ざっと見ても三十個か四十個ぐらい。あ、ミニカーだから三十台か四十台って数えるのかな。たぶん、ほとんどが私も知ってるあの有名なミニカーのメーカーのもの。
こんなに大量ってことは、どういうことなんだろうか。
「壊れているということは、ちゃんと走らないものもあるってことですか?」
「そうなんですよね。タイヤのところが壊れていたり、あと窓のところが欠けていたり。そして本当に全部塗装がボロボロでしょ?」
うん、全部の車があちこち剥げてしまったりしている。中にはいちばん肝心の運転席のウインドウが割れているものもあるし。子供の玩具なんだから、うっかり踏んづけちゃったりしたのかな?
これは、智依さんに見てもらわなきゃならない。
「少々お待ちください」
椅子を少し滑らせて、作業室の窓をコンコン! と叩く。こっちに来て見てください! っていう合図。すぐに智依さんがツナギのまま出てくる。
「いらっしゃいませ」
「智依さん、これの修理、新品同様にできるかなってことなんですけれど」
智依さんがすぐにミニカーを手に取って見て、二台三台とどんどん手にして見てカウンターに置いていく。
「新品同様に、ってことはー。塗装も全部するということですね?」
「そうなんです。できるんであれば、ですけど」
「けっこう古いものもありますよねー? これは、どこかで手に入れたということでしょうかー」
智依さん上手い。そうやって出所を探るんですね。男の人が、ちょっとだけ恥ずかしそうに微笑んだ。
「実家から持ってきたんですよ。ほとんど俺が子供の頃に買ってもらったやつです」
「ご実家から」
「だから、俺の親父が、子供の頃に持っていたものも何台かあるんですよね。五十年ぐらいも前のやつじゃないかなぁ」
五十年! 半世紀!
「それはもう立派なビンテージですよねー。それを新品同様にしちゃうとちょっと価値も下がっちゃいますけど」
あぁ、って男の人、頷きました。
「そういうんじゃないんで。あの、子供ができたんです。あ、まだ奥さんのお腹の中なんですけど、九ヶ月で」
「おめでとうございます!」
まだ生まれてないけど思わず言っちゃった。赤ちゃん、いいよね。まったく関係ないのに幸せな気持ちになっちゃう。
「男の子だってわかったんですよ。それで、ゼッタイに男の子はこういうので遊ぶんで、この間実家に行ったときに全部持ってきて。どうせなら新品同様にしたもので遊ばせたいなって」
そういうことですか。そうか、お父さんの時代からこのミニカーは人気だからずっと取っておいて、それでこんなにあるんですね。
わかります、って感じで智依さん大きく頷いて。
「男の子って、なんでかミニカー大好きですよねー」
「そうですよね!」
別にそうしなきゃならないわけでもないのに、教えるわけでもないのに。もちろん男の子でもお人形が好きだったり女の子でもミニカーが大好きになったりする子もいるんだけど。
「お母さんがずっとあなたのものも取っておいたんですね」
智依さんが言って、男の人もそうなんですよね、って。
「では、できるだけ新品の頃のものに合わせて塗装もし直して、壊れているところは修理もして、という形ですねー。ちょっとお時間をいただくことになります。今は手に入らないものもあるでしょうから、それの色合いを調べるのもけっこう時間が」
「あ、いやまったく同じじゃなくていいですよ。本人も覚えてないですから。ほら、残っている色で判断しておんなじような感じってことで」
「そうですか。では、できるだけ新品に近く色塗りして、塗料もできるだけ安全なものを選んで、ですね。詳細な見積もりは後で出して、それから正式にご依頼いただくことになりますけどー」
智依さんが少し困った顔をする。
「このタイプのミニカーは、新品で買っても五百円とか六百円ですよね。まぁ高いものは千円とかそれ以上するものもありますけど」
「あるね」
あるんですね。
「わたしたちがきちんと色塗りして修理すると、それはもう間違いなく素晴らしい新品同様になるんですけど、お値段もそれなりにするんですよ。それこそ、新品を新しく買った方が安いんじゃないかってぐらいに」
あー、そうですよね。手間賃はタダじゃないですから。男の人も、あぁ、って顔をした。
「そうか、そうなるよね。プロの技術だもんね」
「そうなんです。塗装も剥げたものを全部剥がして一から塗り直す、って作業になっちゃうんです。それが、プロの仕事ですから。なので、こういうのはどうでしょう。これとか、これとか、タイヤが壊れていたりフロントガラスの部分が割れているものはきっちり修理します。そして、色が剥げちゃっているものは、ちょっと待ってください」
智依さんが、カウンターの下からカタログを出してきた。
「プラモデルの専用みたいな感じで、ほらこういうペンタイプの塗料があるんです。しかも車体にぴったりな色合いの」
「あ、本当だ」
「多少金額が張るのもありますけど、それは自分で判断していただいて、必要なものだけ購入して自分で色を塗るというのはどうでしょうー? うちでは壊れているものの修理の手間賃と材料費、そうですねー。全部で五千円もしないと思いますけど」
なるほど。うちの儲けは少ないですけれど、いい案ですよね。男の人、ちょっと考えました。
「それならですね、全部で二万円ぐらいまでなら出せるんですけど、それで何台ぐらい新品同様に素晴らしくできますかね?」
二万円。
「その金額は? 何かあるんですか」
「親がね、どうせなら新しく出てるものや、ほらこういうのってケースとか、レースとかして遊べるお揃いの玩具とかあるじゃないですか。そういうものを買ってやればいいって言ってるんで、それぐらいは出してもらえるんで」
智依さんが考えた。
「では、二万円ぴったりの代金で、うちで二十台やりましょう。新品同様に塗り直して、プラス壊れているものを全部修理。残ったものは、うちで購入済みで使用しているペンタイプの塗料を無料でいくつかお分けしますので、足りないのは買い足して自分でやってみるというのは」
うん! って男の人、大きく頷いた。
「それでいいです!」
男の人、松田さんという人で、歩いて十分ぐらいのマンションに住んでいるご近所の人だった。預かったミニカーは全部で二十九台。この塗装は智依さんがやらなきゃダメだっていうもの二十台と、修理しなきゃならないものを九台。残りは松田さんに一度持って帰ってもらった。
「いい折衷案ですよね」
「そうでしょ? 儲けはそんなにないけどねー」
「二十台の塗装って、お値段の相場はどれぐらいになります?」
んー、って唇を尖らせた。
「相場なんてものはあってないような感じだけれどー、まぁやるなら一台につき塗料代も含めて三千円ぐらいは貰わないとダメかなー。技術料ってことでね」
三千円。じゃあ、二十台だから六万円か。今回は一台につき千円でやっちゃうってことか。
「六万円もあったら、新品が百台くらい買えちゃいますもんね」
「そう。まぁ塗料はうちで使っているのがたくさんあるし、修理の材料もごっそりあるからその辺はサービスってことでね」
修理に関しては、ケースバイケース。臨機応変にってことですね。
「自分のためじゃない。可愛いお子さんへの愛情たっぷりのものじゃない。こっちからの気持ちってことだよ」
*
六時になる前に、スーツ姿の千弥さんが帰ってきた。
「お帰りなさい」
「ただいま」
双子なんだけど、スーツが本当に似合うのは千弥さん。智依さんはそれこそ制服のツナギの方がよく似合うんだよね。おんなじ顔でスタイルもほぼ同じなのに、そう、訊いたら身長も体重もスリーサイズもほぼ同じなんだって! それで似合う服のイメージがそんなに違うのも不思議。
「遅くなっちゃった。何か注文はあった?」
制作の注文はなし。ついさっきのミニカーの修理の話をしたら、千弥さんもうんうん、って頷いていた。
「オッケーね。いい注文だわ。写真は撮ってる?」
「撮ってますよ。大丈夫です」
修理で持ち込まれたものの写真は、きちんと撮る。そして許可してもらえたら注文主さんの写真も撮る。修理前と修理後の写真も撮って、後からサイトに載せるんだ。〈修理実績紹介〉って感じで。そういうのも、いいよね。見た人はゼッタイに安心する。きちんとこういうふうにやってくれるんだって。
「その他は今日は何もなかったです。あのラジオの修理で北斗さんから電話があって、やっぱり部品はまったく手に入らなくて完璧に直すには同じようなラジオのジャンク品を探してバラしてやるか、まったく一から部品を作るかって話になったって」
「あーそうよね。そうなると思った」
「北斗さんの方でまずはジャンク品を探すけど、千弥さんの方でも探してもらえると助かりますって」
うん、って千弥さんが頷く。
「了解しました。ミニカーの修理かー」
パソコンに出した写真を見る。
「こういうの、塗装のやり方とか、教室みたいなのを智依が開催したらお客さん来るかしらね?」
「あ、いいんじゃないですか! 私もやってみたいです」
「塗装だけじゃなくて、シルバニアファミリーの服の作り方とか?」
「いいです!」
それは本当にやってみたい!
「全然アリですよ千弥さん」
「智依の作業量が増えちゃうから、相談してみてね。私もできるところはやってみるかな」
ちょうど智依さんが作業室から出てきて、何の話? って。
「これを見てね。塗装教室とか、シルバニアファミリーの服を作ろう! なんていう教室を開催したらお客さんが来るかなー、って」
パン! って智依さんが笑顔で手を打った。
「いいねー子供たち集めてねー。夏休み工作教室とかー、いろんな道具の使い方なんかも教えてあげられたらいい」
「それもいいですね!」
そういうの、やってみたい。私は何にも教えられないんだけど。
ドアが開いてお客さんが入ってきたと思ったら、あの人は、〈バーバーひしおか〉の桔平さんだ。桔平さんが、よっ、て感じで笑顔で手を軽く上げて。
「お店を見に来たのよ」
「いらっしゃい」
千弥智依さんが嬉しそうに微笑んで。この間、フィギュアの話をしに行ったときに久しぶりの再会だったんだって。私は全然知らなかったけれど、三人は同級生。一時期だけど同じ小学校に通ってたんだって。
桔平さんは、ほとんど外国で暮らしているから私たちもそんなに親しくしたことないんだよね。でも、たまに帰ってきたときにはあちこちのお店に顔を出して、あ、すばるちゃんのところにも車を停めたりして話はするんだけど。
「いいお店になったわねー」
「ありがとう」
桔平さんは、とってもきれいな髪の毛と可愛らしい顔とステキなスタイルをしていて、中性的な感じの人。たぶんLGBTの人なんだろうけど、私たちもはっきりと聞いたことはない。〈バーバーひしおか〉のせいらちゃんはもう三年ぐらいそこで働いていて、桔平さんと一緒になって〈バーバーひしおか〉を継ぐんじゃないかって言われてるけど、本当に二人が恋人同士になっているのかも、ちょっとわからない。
「桔平さんも、革職人ですよね」
「そうよー。バリバリの職人よ」
「革製品の作り方なんて、素人に教えることできるんですか?」
訊いたら、ふむ、って感じでちょっと考えた。
「全然できるわよ。発想としては服を縫うのと同じことだから。布じゃなくて革を使った裁縫ね。だから素人でもやり方さえわかれば自分で小物とかは作れる。なんで? 瑠夏ちゃん興味ある?」
今三人で話していた、子供たちの教室の話をすると、なるほどって頷きます。
「それはいいわよね。ボクもねー、そろそろこっちで自分の工房作って腰据えようかなーなんて思ったこともあったりするから」
「商店街でですか!」
うーん、って。
「その教室だって、この店ではできないでしょう? どっか場所がないと」
「そうだねー。ここの作業室じゃ狭過ぎるし危ないしー。どっか商店街に場所があればいいけれどねー」
またドアが開きました。
「こんにちは」
「こんにちは」
小さな箱を大事そうに抱えてお店に入ってきたから、ゼッタイに何かの修理依頼の人だろうなって思ったらそうだった。
まっすぐに奥のカウンターにやってきて、桔平さんはお客様かと少し店の方に下がっていって。
「こちら、何でも修理できるって聞いたんですけれど」
千弥智依さん、そして私も思いっきり頷いた。三人とも揃っているけれど、私がいるときには私が最初に対応するって決めている。
「大抵のものなら、できますよ」
女の人。中年の、ちょっと上品そうなおばさん。そっと、本当に大事そうにそーっと箱をカウンターに置いた。これは、たぶんとっても高級そうなお菓子の箱だと思う。堅くて立派な箱。
「金継ぎ、ってあるじゃないですか」
きんつぎ、って金継ぎのことかな?
「陶磁器などの修復の金継ぎのことですか?」
訊いたら、はい、って。
智依さんを見たら、こくん、って頷いた。
「できますよ。この箱の中ですか?」
「はい、割れてしまったマグカップなんですけれど」
マグカップか。
「拝見していいですか?」
女の人が頷くのを確認してから、そっと蓋を開けた。本当に立派な箱だ。こういう箱ってどうしても取っておきたくなるよね。
中には、ポリエチレンの緩衝シートがびっしり。あ、本当に陶磁器なんだなって思った。陶磁器とかはよくこの緩衝シートに包まれているから。
「お恥ずかしいことに、落としてしまって本当にバラバラになってしまったんです。なので、破片をひとつひとつ包んでいるんです」
そういうことですか。
そっと一番上のシートから取り出して、カウンターに置いて広げた。あ、本当にこれはマグカップの破片。色は、黒かな。ひょっとしたら他に言い方があるかもしれないけど、見た目は黒色。
千弥智依さんも顔をちょっと顰めるのがわかった。桔平さんも興味深そうに少し遠くから眺めてる。
「少々お待ちくださいねー。破損したりしないように、ゆっくり確認していきますから」
智依さんが言って、同じように緩衝シートを一枚ずつ取り上げて、ゆっくりカウンターの端に置いて広げていく。
これはマズイかも。本当にバラバラっていうか粉々に近いものまで包んである。どうやったらこんなふうにマグカップが割れるんだろう。
こう、高いところから大理石の床の上に落ちたとか? 本当にそんな感じだ。
「あの、参考までに訊きますけど、床に落ちたとか、ですか?」
あぁ、って感じで頷いた。
「床材が大理石で、その上に落ちてしまって」
やっぱりそうだったのか。普通のフローリングとかクッション性のある床材だったらこんなふうにバラバラにはならないよね。
「写真、撮っていきますね」
「お願い。わたしが整理していくから」
智依さんがひとつひとつ破片を広げて、私が写真を撮ってすぐにサーバーに上がるからそれを千弥さんがパソコンで整理していく。
全部で、六十八個もの破片になっていた。粉々になっていてもう土の欠片みたいなのもある。
「これを、金継ぎで直したいということですか」
千弥さんが言うと、女の人、不安そうに顔を顰めた。
「やはり無理でしょうか。陶器を直すなんて、金継ぎぐらいしか知らなくてそう言ったんですけれど」
「無理、ではないですけれどねー」
智依さん。
「金継ぎを思いついたということは、マグカップのまま使いたいってことですよねー? 金継ぎってそういうものなんですよ。元の形に戻して、そのまま使うってことが第一義なんですけれど」
女の人、頷いた。
「よくはわかりませんけれど、とにかく修繕できないかなと思いまして」
元の大きさははっきりわからないけれど、頭の中で破片を組み合わせてみると、たぶん黒い色のちょっと大きめのマグカップ。
破片の中のひとつに、たぶんマグカップの飲み口のところ。欠けていて変色しているのもある。この欠けはきっと。
「ここは、最初から欠けていたものですか? 変色しちゃっていますけれど」
確認。
もしも修理を請け負って後から変なことを言われても困るから。
女の人、ちょっとはっとした感じでその破片を見て、頷いた。
「そうなんです。あの、これ、古いものなんですよ。実は、その昔に、一人暮らしを始めたときに自分で買ったマグカップなんです」
一人暮らしを。
「じゃあ、もう何十年も前のものになるんですか」
「はい、三十年近くも前かしらね。欠けてしまっても大事に使っていて、あの、コーヒーやひょっとしたら煙草のヤニの染み? その昔は喫煙者だったので、そういうもので欠けたところは変色したんだと思います」
なるほど。千弥さんがその破片の写真のところにメモを打ち込んでいた。初めての一人暮らしのときに買って大事にしてきた。だから、こんな粉々になっても直したいってことなのかな。
「黒いマグカップですから、確かに金継ぎするとなかなか渋味のあるものになるかもしれませんけれどー。金を使わない継ぎ方もあるんですよ」
智依さんが言う。
「そうなんですね」
「そして、金継ぎの料金なんですが、大雑把に言ってしまうとー一欠片いくら、っていう計算になってしまうんですよねー。たとえば、この欠片ひとつ分だけ欠けてしまって他は大丈夫っていうパターンの場合、この欠片を金継ぎでくっつけると外側と内側の両方に金継ぎして片方で二千五百円、両方で五千円、なんていう計算方法ですねー」
五千円、って口を動かすのがわかった。
うん、私も初めて知ったけどけっこうするんですね。あ、金を使うからか。
「金を使わない継ぎ方であれば、まぁ二千円とかー。難しいことをしないで全部陶磁器専用の接着剤でつけてしまえばー、これを全部直すとして、手間賃で五千円ぐらいかな、っていう感じなんですよ」
智依さん、じっと女の人を見て話している。
「ご予算は、どれぐらいまででしょうかねー。それによって、補修方法を考えた方がいいと思うんですけれども。あくまでも金継ぎにこだわるわけじゃないんですよね?」
そうですね、って頷いた。
「こだわりはありません。金継ぎって方法を知っていただけなので。あの、金継ぎを全部しちゃうと最終的には何十万もかかってしまうから、ってことですよね?」
智依さん、こくん、って頷く。
「単純計算で、今欠片が六十八個ありますから、全部金継ぎで直していくと、五千円かける六十八個で、三十四万円にもなっちゃいます。あくまでも単純計算で、正確には欠片の大きさ、つまり金継ぎする長さで決まるのでもう少し安くなるかもしれませんけれど、それは、まずいですよね?」
いくら何でもマグカップの修理に何十万円も使えないですよね。女の人、ちょっと唇を噛んでうん、って頷きます。
「直るのなら、いくらかかっても構いません。ただ、金継ぎにこだわってはいませんので、どんな方法でもいいです」
わかりました、って千弥さんが受けた。
「それでしたら、少しお時間をいただいて、どういう方法で直すのがベストかをこちらで考えて、ご提案させていただけますか? その方法と一緒にお見積もりも出しますので、その時点で発注をいただくということで。それまでこの欠片はこちらで預からせていただきます。いかがでしょう?」
「はい、それで結構です。よろしくお願いします」
「それでは、お名前とご住所、連絡のつく電話番号をこちらにお願いします。今、預かり証を出しますね」
お名前は、篠原郁子さん。あ、住所は〈マンション矢車〉だ。セイさんのマンションの住人の方だったんですね。
「ご近所ですね。すぐに連絡が取れますね」
言ったら、篠原さん微笑んでくれた。
「毎日のようにここの前を歩いていますから、電話いただければすぐにお邪魔します。あ、電話は、家電ではなく私の携帯に」
ちょっと恥ずかしそうに笑った。
「家の者には内緒にするので、お願いします」
「わかりました」
恥ずかしいからお家の人には黙っている、ってことなのかな。
「なかなか難しい注文ねー。よくもこれだけ派手に割れたものだわ」
篠原さんがいなくなってから桔平さんがカウンターに戻ってきて、言います。
うーん、って智依さんが桔平さんに答えながら、考え込んでいる。
「どうしましたか」
マグカップの破片を腕組みして眺めて。
「難しい注文になっちゃいますか」
「いやー、そうじゃないのよ。直すのは簡単よ。正直、一日あったら普通に直せるのー」
そうなんだ。
「瑠夏ちゃんでもできるよ。要は割れたパズルのピースを組み合わせていくだけだから。接着剤も口にしても無害なものはいろいろあるし熱に強いものもあるから、それを使えば本当に中学生にだって直せるのー」
「でも、この粉々のもう土になったところは難しいでしょう」
千弥さん。
「そこはね、ちゃんと補填するものでやらなきゃならないから、ちょっとは難しいけど」
「じゃあ、何を」
考え込んでいるんでしょう。
「このマグカップ。すっごく大事にしてきたっていうのは、とてもよくわかるの。心が残っている」
心?
「魂みたいなものを感じるって言ったでしょ? 作品だけじゃなくて、大事に大事に使われてきたものには、使ってきた人の心みたいなものが染みていくのよ。そういうのを感じるの」
言ってましたね。それは何となくわかる。私だって、質草として持ってこられたものに、何となくそういうのを感じることはあるから。
「昔から智依ちゃん言ってたよね。千弥ちゃんもこの子は変な子だって」
「そうなんですね」
そんな小さい頃から、物に込められた何かがわかっていたんですか智依さん。
「変だったわよね我が妹ながら。あ、ほらまだ瑠夏ちゃんも生まれてない頃だけど、〈田沼質店〉で、虫干ししていたところに行ったじゃない」
虫干し。してます。蔵の中にある質流れ品を風にあてるために、中庭に出して干す作業。ときどきすばるちゃんにも手伝ってもらってる。
「あったねー。智依ちゃん、なんだっけ、何か着物かなんかを触っていて泣き出しちゃってさ」
「泣き出したんですか?」
「そうなの。その着物の持ち主の、悲しい過去のこととかがすっごく伝わってきてね。その頃はただ悲しいだけだったんだけど大きくなってから思い出したらものすっごく怖いことだったんだけど、いや、それはそうだけど、このマグカップね。篠原さん? 篠原郁子さん、彼女が一人暮らしをしてからずーっと三十年も使ってきた大切なものってことなんだけれど、違うものを感じるのよ」
「違うもの?」
千弥さんとユニゾンしちゃった。
「ひょっとして、彼女のものじゃない、とか?」
桔平さんが言うと、智依さんが、こくり、って頷きました。
「女の人をまるで感じない。男の人を感じる」
男の人。
「これを大事に使ってきたのは、男の人なんじゃないかな。うん、たぶん間違いない。絶対に、男の人の持ち物だった。篠原さんのマグカップじゃないのよきっと」
篠原さんのものじゃない。
「えー、どういうことでしょう」
「盗品、とかかしらね。でも最初から欠けたマグカップよね。そんなもの盗んでもどうしようもないわよね」
そう思いますけど。
「出所が不安ってことだね」
桔平さん。
「じゃあさ、見積もり出す前に確認してみたら?」
「どうやってですか?」
簡単、って桔平さんは外を指差します。
「〈マンション矢車〉に行ってセイさんに訊けばいいんだよ。篠原郁子さんは、どんな人でしょうかって。君たち三人とも顔を見られているから、篠原さんとばったり顔を合わせたら不審がられるから、ボクが行ってきてもいいよ?」