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石狩七穂のつくりおき 猫と休職当番、それから

 一章 なんじの隣人を愛せよ

 告白しよう、いしかりななは台風が苦手だ。
 まず空がどんより暗くなって、雨が沢山降る。そして風も非常に強い。昨今多いゲリラ豪雨は、文字通りゲリラに襲われたとでも思ってあきらめもつくが、台風の場合何日も前から発生が告げられ、じわじわと近づいてくるのがなんとも嫌で落ち着かない気持ちにさせられるのだ。幼い頃に一回、近所の川がはんらんしたのも、トラウマの原因になっているのかもしれない。まるでゴジラの接近がわかっているのに、なすすべもない一般市民のようである。
 時は九月。イコール台風シーズン。七穂が暮らす埼玉県南部は、比較的台風の上陸ルートから外れやすい傾向にあったが、今回しっかり当たってしまったようだ。
 小一時間前から雨に加えて風が強まる一方で、閉め切った雨戸に何かが強く当たってガシャンと音をたてた。
「な、なに? なんなの?」
 台所でおにぎりを握っていた七穂は、文字通りびくりと全身を震わせた。
 確認しに行きたいところだが、この荒天で外に出るのは自殺行為だろう。
(ていうかさ、らくてい自体が吹き飛びそうなんですけど!)
 さきほどから地震でもないのに、蛍光灯から下がるひもが常時ゆらゆら揺れているのが怖すぎるのだ。
 現在住んでいる住居は、築八十年超えの古民家で、鉄筋ともコンクリートとも縁のない木造平屋建てだ。どうしたって現代建築に比べれば、けんろうさに欠けるだろう。『三匹のこぶた』で建てた木の家は、オオカミに簡単に吹き飛ばされてしまったではないか。
 同じ家の中にいるのは、茶トラの老猫ちゃみ様ぐらいだ。
「ちゃみ様ー、台風嫌だよね。怖いよね」
 すがるように声をかけたら、廊下のちゃみ様は共感のかけらもなく、すっと奥の部屋へと行ってしまった。辛い。孤独が身にしみるとはこのことだ。
 こうなると庭に出入りしていた猫たちの安否も気にかかるが、このところの気温上昇傾向を受けてか、完全室内飼いに切り替えるご家庭が増えたようだ。ずいぶん前から常連だった『先輩』の姿が見えなくなったし、地域猫の『ギザさん』も、先日ご近所の二階窓からこちらを見下ろしているのを目撃してしまった。
 今日もまだ庭に誰かいたら、台風にかこつけて回収してしまおうかと思っていたが、その機会はめぐってこなかった。みんなどこかのお家へしまわれてしまったようだ。
 ここも安全な家の中のはずだが、部屋の明かりはチカチカと明滅を繰り返し、ついには真っ暗になってしまった。
「──ああもう!」
 だめだ。耐えられない。
 七穂は手探りでスマホをつかむと、ビデオ通話で相手を呼び出した。
『──やあ。おはよう七穂ちゃん』
 おはようじゃねえよこんちくしょう、と思った。
 スマホの小さな画面に映っているのは、たか。七穂にとっては血のつながらない母方の従兄いとこで、今は将来の約束もしたパートナーだ。
 もともと色素が薄めで品のいい顔立ちの青年だが、濃紺ストライプのシャツにグレーのジャケットを着て、自然光の下でさわやかさを増していた。数年前の、引きこもって死んだ魚の目をしていた頃がうそのようだ。
 ここ日本が夜ならイギリスは出勤タイムらしく、背景の雑踏を大勢のロンドン市民が行き交っている。隆司は出がけにカフェでも寄ったようで、テイクアウト用のふたきカップを持つ姿も様になっていた。
 我楽亭は隆司が祖父から相続したものなのに、当人はのほほんとイギリス出張中というのは皮肉すぎないだろうか。
「お元気そうで何よりねー」
『うん、まあね。ボスにたまには息抜きしてこいって言われてさ、昨日はノッティング・ヒルのこっとういちに行ってみたんだよ。ひろのお土産みやげって、イギリス軍のビンテージボタンでいいと思う?』
「いいんじゃなーい、中坊ならなんでも喜ぶわよ」
『なんかそっち、暗くない? 電気つけないの?』
「つけないんじゃなくて、つかないのよ。台風で停電してんの!」
 隆司が画面の向こうで、『えっ』と目を丸くした。今頃気づいたのかと思った。
『大丈夫なの?』
「大丈夫じゃないわよ。さっきから雨はすごいし風で屋根は飛びそうだし、なんで肝心な時にいないのよこの男はー」
 半泣きで訴えたら、隆司はますます驚いたようだ。
『……ああ……七穂ちゃんにも、苦手なものってあるんだね……』
「感想それ? 当たり前じゃない」
『そっか。そうだよね。いや、なんかごめん。今の七穂ちゃんなら慰めるのも需要ありそうだなとか、不謹慎なこと思っちゃったよ』
「むしろしがみつきに行くから。全力で。くっつきたいのにちゃみ様にも逃げられるんだよ」
 聞いた隆司は相当なショックを受けたらしく、『くそ。なんで俺は今ここに……』と絞り出すようにうめいた。
『……うん、わかった。よくわかった。俺の間が悪すぎるのも、七穂ちゃんが困ってるのも理解した』
「わかったならなんなのよ」
 彼はそのまま、歩道の街灯に背中を預けた。完全に歩くのをやめてしまった形で、もともとの造りのいい顔をほころばせる。
『七穂ちゃんの気が紛れるよう、いくらでもつきあうよ。もう戸締まりとかは、全部してるんだろ?』
 ──君ねえ、仕事行かなくていいの──なんて言葉も出かかったが、正直相手をしてくれるのはありがたかった。七穂はお言葉に甘えて、暗い台所のに腰をおろした。
 話途中のスマホは、ダイニングテーブルの上に、立てかけるように置いた。
「戸締まりは、した。雨戸があるところは全部閉めて、そうじゃないところは養生テープで目張りして、カーテン閉めた」
『偉い偉い』
「お風呂に水も張ったし、トイレの逆流防ぐために水入れたビニール袋で、便器内に蓋もした。停電に備えて冷蔵庫に凍らせたペットボトルも何本か入れてある。炊飯器のご飯は、全部おにぎりにした」
『だからそのサバイバル能力がすごいんだよね……正直俺がいても、今以上にできることないと思うんだけど』
「そういう問題じゃないんだよー!」
『わかったわかった。そっちはもう夕飯時だろう? おにぎり作ったなら、食べちゃえば』
「え、なに、ここで見せつけろっていうの?」
『そうそれ。俺は見てるから。一方的に』
 隆司はなんだか楽しそうだった。こいついきなりどういう趣味に目覚めたのだと思うが、にこにこと観賞モードに入った隆司の前で、自作のおにぎりの食レポをしろということらしい。
 ちょうどダイニングテーブルの上にあった、皿のラップを外す。
『普通のおにぎりと違うね。炊き込みご飯?』
「ううん、違う。炊いたご飯にね、電子レンジにちょっとかけてめんつゆを馴染ませた揚げ玉を入れて、あと桜エビとべにしょう刻んで混ぜたの。天むす風」
 本物の天むすよりも、圧倒的にコスパがいいのが特徴であろうか。
『それはおいしそうだ』
「でしょでしょ。ちゃんとの味がするし、満足感があるんだよね。お客さんのところで作っても大好評」
 しゃべりながら、一口食べる。
 今回もめんつゆの甘辛い味が揚げ玉によく馴染んでいて、桜エビの風味も相まって、口の中がまるで天丼だ。ともすればあぶらっこくなりそうなところを、刻んだ紅生姜がきりりと引き締めていい仕事をしてくれるのである。
『一緒に食べてるそれは……?』
「これ? 作り置きしておいた浅漬けと、ごぼうのきんぴら」
 浅漬けは大根にしおこうじと砂糖少々をみ込んで、丸みのあるシンプルな味付けにした。きんぴらはあえて甘みをいっさい加えず、酒と塩とごま油だけの塩きんぴらだ。黒ごまをたっぷり振って、香ばしく仕上げてある。
「あー、天むすおにぎりが甘辛こっくりめだから、浅漬けもきんぴらも甘さ控えめで大正解。お茶れよう」
『紅茶……なわけないよね』
「あったりまえじゃーん」
 こちらもなんだかエンジンがかかってきたのか、怖さが減って楽しくなってきてしまった。
 お茶といってもポットのお湯に粉の緑茶をとくだけだが、それでもご飯の友にはぴったりだ。湯飲みにたっぷり作って一口すすれば、ぞうろっに染み渡る。
『あのさ、そろそろ日本の食べ物が恋しくなってる人間に、もう少し手心っていうか……』
「あったかい緑茶うまー……」
『そうだ七穂ちゃん、仕事の方はどんな感じ? うまくいってる?』
 おい、話をそらすなよと思った。君が始めた物語だろうが。
 音を上げるのが早すぎるが、こちらとて意地悪がしたいわけではない。このあたりで勘弁してやることにした。
「……まあ、変なことにはなってないよ。今日は台風来てたから、午後の仕事はキャンセルになっちゃったけど」
『それはしょうがないよ』
さなさんなんかは、ここぞとばかりに側溝の掃除や植木鉢の移動に駆り出されたって言ってたな」
 そこまで言って、七穂はとっさに画面の向こうにいる隆司の表情を確認してしまっていた。
(……特に変なところはない、かな)
 最近、仕事で新しい仲間を得た。真田という、業界では珍しい男性の家事代行業者だ。
 夜はバー経営、昼間は家事代行と二足のわらじを履いている人で、作る料理は酒によく合うプロ仕込みの味。かつ一般的な家事代行の範囲から逸脱気味の注文もこなす人だが、そこがいいと七穂が見込んで『KAJINANA』にスカウトした。
 これからはお得意様や休みを融通し合ったり、逆にボリュームのある案件も二人で対応したりできて幅が広がるのではないかと話し合っているところだ。
 ただ、仕事のパートナーが異性であることは、自覚しないといけないのだろう。そこはプライベートのパートナーに対して無神経にならないよう、重々気を配る必要があると学んだばかりだった。
 今回のこれは大丈夫かなと思ったが、隆司の顔つきは特に変わらず、ひょうひょうとして優しげなままだ。
『ん?』
「……う、ううん。なんでもない」
 いいや、ただ優しいだけではない気がする。
 思うに何か一つの山を乗り越えて、やわらかいままに強く、地面に根を張る太い幹を手に入れたような。
 正直ちょっとうろたえてしまった。最強じゃないか。
『明日はどうするの?』
「明日は……このまま無事に台風が通り過ぎてくれたら、予約入ってるお客さんのとこに訪問するかな。ちょっと心配してたご家庭なんだよね」
『問題あるクライアントなの?』
「あ、違う違う。しょうさん自体は、すごくいい人なの。いい人すぎるからトラブってるんだろうけど……」
 これでは隆司には説明不足だろうと思い、七穂は守秘義務に反しない範囲で、補足することにした。
「そのお宅、なんか両隣のくせが強いみたいでさ。こういう時、近所づきあいってガチャ引くようなもんだなって思うよ。簡単には逃げられないもん」
 そこまで言った瞬間、ふっとスマホの音声が途切れ、画面もブラックアウトした。
 慌てて再操作をするが、どうやらバッテリー切れのようだ。
「じ、充電、充電……って今停電じゃん! ばかー、やっぱ肝心な時にいない男よ結羽木隆司!」
 表では風がうなり、液晶の明かりさえ絶えた状態で、七穂にできるのは八つ当たりぐらいだった。どうにも未熟なのは、自分自身なのである。

  *

続きは発売中の『石狩七穂のつくりおき 猫と休職当番、それから』で、ぜひお楽しみください!

■ 著者プロフィール
竹岡葉月(たけおか・はづき)
1999年度ノベル大賞佳作受賞を経てコバルト文庫よりデビュー。以降、少女小説、ライトノベル、漫画原作など多方面で活躍する。著書に、「おいしいベランダ。」「谷中びんづめカフェ竹善」「犬飼いちゃんと猫飼い先生」「旦那の同僚がエルフかもしれません」などの各シリーズ、『恋するアクアリウム。』『つばめ館ポットラック〜謎か料理をご持参ください〜』『音無橋、たもと屋の純情 旅立つ人への天津飯』など多数。共著に、『泣きたい午後のご褒美』『すばらしき新式食』などがある。

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