第一章 薔薇の宴
1
「はたして、お七さんのお気に召しますかどうか……」
石問屋の主人尾張屋喜八は、そう言いながらも自信ありげな笑みを浮かべ、くじゃく屋の帳場の前で風呂敷包みをほどいた。
中から出てきたのは桐箱だ。蓋をあければ内側は小さく区切られ、その一つ一つにあざやかな石がならんでいる。
みな紅色だが、赤みの深さや明るさが、それぞれに異なる。お七にもすぐには名がわからぬような、見なれぬ色味の石もあった。
(異国の石かしら。薄紅の色がまるで花のよう……)
思わず見入っていると、
「それは蝦夷から届いたばかりのものです」
と、視線の先を見て喜八が言った。
「長崎から異国の石として仕入れたこともありまして、見つかった場所の名をとって、〈いんかの石〉とも呼ばれています。ですが、実は蝦夷でもとれるのですよ」
「〈いんかの石〉……名前は聞いたことがあります。数年前に入ってきたばかりの石だとか。これがそうなんですね。なんてきれいな……」
まだ原石だが、玉としてみがきあげたら、どれほど美しくなるだろう。
「ほかならぬくじゃく屋さんの頼みですから、できるかぎり集めてまいりました」
喜八は、お七の反応に満足したようで、にこにこと言った。
「ありがとうございます」
頭を下げながら、お七はあらためて、この老舗とふたたび商売ができる喜びをかみしめた。
喜八は長年、くじゃく屋に小間物細工用の石を卸してくれていた商人だが、祖父が他界し、二十歳の小娘でしかないお七が店を継ぐことになった際、一度は離れてしまった。お七は見限られたのだ。
それを恨めしく思わなかったわけではない。
ただ、しかたのないことだったと、お七にもわかっていた。
若い女が店の主人になるというだけでも無茶だというのに、その頃のくじゃく屋は悪辣な大店に目をつけられ、借金を背負わされ──その上、あとから知ったことだが、お役人にまで目をつけられていて──息も絶え絶えだった。
だが、お七を信じ、助けてくれた人たちもいた。そのおかげで、どうにか商売を立て直すことができたのだ。
近頃は、苦境にあったくじゃく屋を遠巻きにしていた昔なじみが、少しずつ様子をうかがいながらではあるが、ふたたび戻ってきてくれている。小間物の行商人や、白粉や紅を卸してくれる問屋、それから、かつての贔屓客。
みな、どことなく気まずそうにやってくるが、お七は再会を心から喜んだ。
なかでも、くじゃく屋にとって、もっとも大事な取引相手である石問屋とのつながりが戻ったのは、お七をおおいに安堵させた。
石灯籠や石像に使う石材が主要な商品である石問屋にとっては、小間物細工用の石の商売はさほど利益にならぬものにちがいないが、今日もこうして、わざわざくじゃく屋まで足を運んでくれた。本当にありがたい。
「これは良い石じゃな。〈いんかの石〉は何度か見たことがあるが、これほど見事に透きとおったものはめずらしい。白い縞模様の入るものが多かったはずじゃが」
お七の隣で同じように箱をのぞきこんだ石斎も、目を見開いた。
「ええ、縞模様のものも美しゅうございますよ。今日は持ってきてはおりませんが、孔雀石の模様のように見事なものも。今度、持ってまいりましょう」
「それはありがたい。職人として言うなら、この石はさほど硬くないのもいいところでな。そのぶん気をつけねば傷がつくが、細工物にはもってこいじゃよ」
石斎は、今は奇妙な縁から石細工職人としてくじゃく屋で生活する日々であるが、以前は修験者の形をして、津々浦々を旅していた。お七が書物でしか知らぬ石を、実際に目にしていることもしばしばある。
その石斎も感心するほどの石だ。ここから選んだ石であれば、どんな客も満足させられる細工になるはずだ。
──とは思うのだが。
そこで、あらためて思案顔になり、お七は慎重に言った。
「それで……どの紅色がふさわしいものでしょうね。その……先だってお話ししました花見の宴には」
「……さて」
喜八も今度は、困惑した顔になる。
「むずかしいのう」
石斎も、顔をしかめた。
お七たちを悩ませている難題がくじゃく屋に持ち込まれたのは、七日前のことだ。
日本橋の信濃屋の娘おみつが、新しい玉簪を作ってほしいと言ってきたのだ。わざわざ店まで足を運んでのことだった。
「今度、花見の宴があるのです。その席に似合う色のものをお願いしたくて」
「花見、ですか」
そろそろ木枯らしも吹こうかという季節だ。いったい何の花を見るのか、お七には見当がつかなかった。
おみつの家は江戸中で知らぬ者がいない大店の呉服屋で、千代田のお城に出入りするほどに格が高い。生まれ育ちから考えれば、本ほん所じ よの小さな小間物屋であるくじゃく屋にみずから来ることが、そもそもありえない。店に出入りの商人が持ってくる品を吟味して買う──そういう暮らしをしていた娘だ。お七と会うまでは。
ひょんなことから縁がうまれ、おみつはくじゃく屋の作る石細工の簪を気に入ってくれた。
それはうれしいことなのだが……。
「薔薇の花を見る宴なのです。それも、めずらしいことに長崎から取り寄せた西洋の薔薇ばかりで、廻船問屋の西村屋さんが毎年開いているのですよ。わたしは去年、初めて行きましたが、薄紅色の薔薇がそれはもう美しくて……今年は、その薄紅の薔薇に合わせた小袖を用意してあるのです。簪もぜひと思いまして」
「薔薇の宴、ですか……」
噂に聞いたことはあった。
西村屋というのは本町に居を構える大店で、異国渡りのめずらしい花をたくさん育て、四季折々に客を招いて宴を開いているという。
もちろん、お七のような小さな店の娘には縁のない宴だ。名の通った大店や大名屋敷の方々、お旗本の殿様……そういった顔ぶれが集う場所だと聞いている。
繚乱と咲きほこる薔薇は、両国広小路で売っているような小さな鉢植えとは比べものにならない美しさなのだそうだ。お七には想像するのもむずかしい。
おみつもそこは予想していたようで、
「桜より深みがあって、椿よりやわらかく、色目としては、朱より紫に近いようでいて、牡丹の紅より薄い色で……」
お七にもわかるようにあれこれと言葉を尽くしてくれた。
だが、
「紅色の石ですと……」
くじゃく屋の在庫のうちから、赤石に珊瑚、紫水晶に紅水晶、紅色の瑪瑙といった品々を並べてみても、おみつは首をたてにはふらなかった。
「これだけしかありませんか……」
残念そうにそう言われると、お七としては、なんとしてでもその薔薇という花に近い色の簪を作りたいと思う。
おみつには、少し時間をくれるように頼み、おみつを見送ったその足で、尾張屋に行って、ありったけの紅色の石を見せてほしいと頼んだ。
残念ながら、そのときにあった石はすでにくじゃく屋にあるものばかり。
ただ、数日後に蝦夷に仕入れに出かけている店の者が戻るから、その後、よさそうな石を見繕って届けると喜八は約束してくれた。
その言葉通りに、こうして良い石を届けてくれたわけだが、しかし──。
「わたしどもの店にも、西村屋の薔薇園を見たことのある者がおりませんもので、どの紅色が良いかは……」
喜八も言葉をにごした。
おみつの望む色がどんなものか、この場にいる三人とも、知らないのだ。
ならば──と、箱の石をすべて買い取る力は、今のくじゃく屋にはない。
「〈いんかの石〉は、他にも見せたい方がいましてな」
くじゃく屋のあと、そちらの客のところに行くつもりだと、喜八は言った。
「弄石家の葉玉さんをご存じですかな。商売は確か仏具屋でしたか。その方が前にも買ってくださったのですよ。くじゃく屋さんとはお付き合いがございましたかね」
「いえ──お名前だけしか。そうですか、他にも欲しい方がいらっしゃるのですね。こんなに素敵な石ですものね」
となれば、箱ごと預からせてもらい、おみつのところに持っていって、いるものを選んでもらう、という手も使えない。
しかたない──と、お七は腹をくくった。
「ここでいくつか選んで、そのなかからおみつさんに見てもらうことにします。石斎先生も一緒に選んでください──見たことのない薔薇を思い浮かべて」
「うむ」
お七と石斎は、いっそう真剣な眼差しになり、それぞれに箱のなかの石に手を伸ばした。
──と、そのときだ。
「よう、邪魔するぜ──お、なんでえ、揃ってこわい顔をして」
明るい声とともに、のれんを払って土間に入ってきた者がいた。
すらりとした長身の若者だ。
伸びた月代と着流しの身なりから浪人者に見られがちだが、実はさるお旗本の次男坊だと、すでにお七は知っている。その身元を隠し、遊び人──と自称することを好む人だということも。
「金さん」
お七はその名を呼んだ。
自然に弾んだ声になった。
その人へと向かうおのれの気持ちがなんなのか、今のお七はもうわかっている。
くじゃく屋が巻き込まれた大きな事件がきっかけとなって、もともと出会うはずのなかった金さんと縁が生まれたことを、幸運だったと感じているし、あの事件がすべて片付いた今も、こうして気安く店に来てくれることをうれしく思う。
──あまりにも身分が違う人なのだ、ということを知ってはいても。
だが金さんは、帳場の前の桐箱をちらりと見、あっさりと言った。
「また今度にしたほうがいいみてえだな。本当に邪魔をしちまいそうだ」
そして、さっさときびすを返そうとする。
え──と、お七は思わず腰を浮かせ、その背に引き止める言葉をかけようとした。
なんとか思いとどまったのは、冷静に考えて今は金さんと話をしている場合ではないと思ったからだったのだが、
「──いや、けど、これだけは先に渡しとかねえとな」
金さんのほうが、足を止めてふり返ってくれた。
「お七にこいつを見せてえと思って、かけ足で来たんだ。まだ萎れてねえな」
ほら──と、金さんは土間を横切って、お七に右手を差し出した。
その手に、一輪の花が握られていた。
明るい薄紅色の花だ。幾重にも輪を描く花弁は、牡丹に似ているが、やや小ぶり。
お七はひきこまれるように、その花に見入った。
初めて見る花だ。可憐なようで、あでやかでもあり、やさしい香りがする。
「きれい」
うっとりとつぶやき、このめずらしい花はいったいどこに咲いていたのか──と、そこまで考えたとき、ひらめいた。
「これは──もしかして、薔薇の花?」
「お、知ってたのか? 西村屋の薔薇園からもらってきたのさ。ちょうど咲き始めたところでな。……誰かが先に持ってきたとは言わねえよな?」
金さんはちょっとすねたような声になる。
お七はあわてて首をふった。
「まさか。見るのは初めて。それに──」
自分と同じように薔薇に見入っている石斎と喜八に目を向けて、お七は言った。
「誰かが見せてくれたら──って、今みんなで思っていたところなの」
2
「なるほど、そりゃあ、いいときに来たもんだ。これも縁ってやつだな」
金さんは、帳場机の上の一輪挿しにかざられた薔薇を見ながら、満足げにうなずいた。
予想外の紅薔薇の登場で、石の候補は三つにまでしぼられ、お七と尾張屋との取引は無事に終わった。薔薇園を見たことがある金さんも、石の選定に加わってくれた。お七との石談義を楽しむほどの石好きでもある金さんは、〈いんかの石〉にも興味津々で、どの色がいちばんいいか、じっくりと見くらべてくれたのだ。
あとは、石斎の腕で三つとも玉に磨き上げたあと、おみつに見せて選んでもらい、簪にする。
選ばれなかった二つも、さほど時間がかからぬうちに買い手が見つかるのでは、とお七は思っている。なんといっても、その薔薇の宴でおみつが身につけてくれるのだ。同じものをほしいと思う人が現れそうではないか。
「この花が庭中に咲いているのね。きれいだろうなあ」
うっとりと薔薇を見ながら、お七は言った。
尾張屋は帰っていき、客もいないため、お七と石斎、金さんとで、のんびり麦湯を飲んでいた。
「見事なもんだぜ。今度、連れていってやる」
金さんは気楽なことを言うが、お七はとんでもないと首をふった。
「わたしなんかが行ける宴じゃないことくらい、知ってます」
だが、金さんは笑って続けた。
「宴にゃ、おれも行かねえよ。あれはかたっくるしい集まりでな。一度行ったが、うんざりした。やってくるのは千代田城に出入りの大商人と、殿様と呼ばれる連中ばかり。おれは、まだ五分咲きくらいのときに、こっそりもぐりこませてもらうくらいでいい」
「おぬしも殿様の家柄じゃろ」
石斎がそう言ったが、金さんは答えずのんびり麦湯を飲み続けている。
かと思うと、ややむずかしい顔になって言った。
「…… 堀田様が、ちょっと薔薇を見てこいといきなり言いだしたんでな。おれもおどろいたんだが、行かねえわけにはいかねえだろ。なら、ついでに一枝くらいいいだろうってんで、もらってきたのさ」
「堀田様が──」
その名はお七もよく知っている。
旗本の殿様で、金さんとは親しい間柄であるようだ。遠山家の次男坊として、継ぐ家もなくふらふらしている金さんに、お役目の手伝いを頼んでくることが多い。
堀田様が正式にどういうお役目なのかをお七は知らないが、表には出ず、江戸の市中で起きる揉め事の芽を摘んでいく──そういうことをしている方だと、理解していた。
(その堀田様の名前が出てきたということは……)
「金さん、もしかして、また何かややこしいことに関わっているの?」
だから、来たのだろうか。そう思ってお七が問うと、
「大当たり」
金さんはうなずいて、お七を見た。
そして、にやりと笑う。
「それがまた、石がらみなのさ」
*
続きは8月5日ごろ発売の『本所あづま橋小間物細工くじゃく屋 紺青の珠』で、ぜひお楽しみください!

■著者プロフィール
築山桂(つきやま・けい)
1969年、京都府生まれ。大阪大学大学院博士後期課程単位取得。専攻は日本近世史。主な著作に、NHK土曜時代劇でドラマ化された「浪花の華〜緒方洪庵事件帳〜」の原作「緒方洪庵 浪華の事件帳」シリーズのほか、「浪華疾風伝 あかね」「天文御用十一屋」「家請人克次事件帖」「左近 浪華の事件帳」の各シリーズ、舞台化された『未来記の番人』、「おすすめ文庫王国2022」にて「時代小説部門」第2位に選ばれた『近松よろず始末処』など多数。「オオカミ神社にお願いっ!」シリーズなど、児童書にも活躍の場を広げている。

