プロローグ
ようこそ、天空遊園地まほろばへ。
こんな真夜中にお越しいただき、誠にありがとうございます。
わたくし当園の案内人、シチカと申します。
ここは死者に会える遊園地──。
もう二度と会えないあなたの大切な方と再会できる場所です。
本当に会えるのかですって? ええ、もちろんお会いになれます。遊園地の中で、お客様をお待ちになっていらっしゃいます。
はい。たしかにずいぶんと昔に、当遊園地は閉園しております。昼間にお越しになっても、今はただの広場です。
ですが真夜中には死者に会える遊園地として営業しております。特別なお客様のみがご来園いただけるのです。
入園される際に、一つご注意を。
当園では泣くことが禁止されております。
もし泣くと、あなたの大切なものが失われます。
くれぐれもお気をつけください……。
「シチカさん、シチカさん! 見てください。完成しましたよ」
バタンと待合室の扉が開く音と同時に、すみれのかん高い声が響き渡った。
はあ……とため息をついたシチカは、パソコンの録音停止ボタンをクリックする。
「扉はもっと静かに開けてくれよ」
あっけらかんとすみれが返す。
「元気なのはいいことじゃないですか。元気に陽気に、にこにこと。わたしのモットーです」
すみれが目元の脇でピースサインを作り、屈託のない笑みを浮かべた。
「モットーはいいけど、そのポーズはお客様にやったらダメだよ……あとどうしていつも録音中に入ってくるんだ」
「わたしがここに来るといつも、シチカさんが録音中なんじゃないですか。っていうか、同じメッセージを毎回録音しなくてもいいのに」
「一つ一つ丁寧にやりたいんだよ」
まほろばへの案内動画は、ここの案内人であるシチカの声で収録している。動画の編集もシチカが担当だ。まほろばを訪れる人にとって、この動画が最初の入り口となる。だからシチカは心を込めて作っている。
「そんなことよりちょっと見てくださいよ」
強引にすみれに連れられて、外に出る。風が運ぶ優しい春の匂いが、シチカの鼻をくすぐった。
目が洗われるような青空が広がっていた。山の上の空は青が濃くて、どこまでも澄んでいる。山の稜線で寝そべるように、白い雲が浮かんでいた。
左手には回転ブランコがくるくると回り、右手にはバイキング船を模した遊具が揺れている。中空のレールを、パンダの形をした遊具が横切っていった。
来園者の希望に合わせて遊具が入れ替わるので、いつも定位置にあるわけではない。だから毎回、新鮮な景色を楽しめる。
その手前では、暖かな日ざしを浴びたメリーゴーランドの馬達が佇んでいる。目を細めて眠っているようだ。その馬の背の上で、黒猫のテンマが本当に眠っている。テンマもこの遊園地のスタッフだ。
すみれがクスッと笑う。
「あれ、ブレーメンの音楽隊みたいですね」
「ほんとだね。犬とにわとりがいたら完璧だ」
シチカが笑顔で同意する。テンマは、この遊園地で一番居心地がいい場所を知っている。この時間帯は、メリーゴーランドの馬の背中なんだろう。
自然とシチカの視線が上がる。そこには飛行塔があった。
塔の頂部から伸びるワイヤーの先に、飛行機の遊具が吊り下がっている。天空遊園地まほろばのシンボルであり、シチカがもっとも好きな遊具だ。この飛行塔だけは定位置にある。
「シチカさん、飛行塔じゃなくてこっちを見て欲しいんですよ」
グイッとすみれが、シチカの腕をひっぱった。
すみれが案内した先には、一面の花畑が広がっていた。甘い花の香りの中に、かすかに土の匂いがした。
すみれが胸を張った。
「どうですか。見事なフラワーガーデンでしょ。ほんと苦労したんですから」
まほろばに花が咲き乱れる庭園を作って、お客様に喜んでもらいたい。すみれがそう提案し、少しずつ庭造りに励んでいた。完成するまで、シチカには見せてくれなかったのだ。
「たいしたものだよ。これはお客様が喜んでくださるね」
口元をほころばせたシチカは、ある一カ所に視線を留めた。
「あそこが特にきれいだね」
赤、ピンク、白、紫の小さな花弁が、気持ちよさそうに春風に揺れている。
ふふんと、すみれが鼻を鳴らした。
「さすがお目が高い。あれはゼラニウムですよ。フランスのパリの人達は、アパルトマンの窓辺にゼラニウムの鉢植えを置くんです。石造りの外壁に咲く色とりどりの花──想像するだけでパリって感じがするでしょ。ゼラニウムは花の都の日常に彩りを添えてくれるんです」
「パリの方々に愛されてる花なんだね」
「はい。まさにパリ市民の象徴です。香りに虫除けの効果もあるそうですよ」
「実用的でもあるんだ。一石二鳥だね」
「こちらはアイリスです」
すみれが指差した先には、紫の花があった。
「日本だとアヤメと呼びます。この花の特徴は、花びらが内側と外側にそれぞれ三枚あることです。アイリスはフランス王家の紋章のモチーフになってるんですよ。ゴッホやモネもフランスの画家でしょ。だから絵の中にアイリスを描いてるんです」
「やけにフランスに詳しいね」
「Je m’appelle Sumire. Je travaille au parc d’attractions céleste Mahoroba.(わたしの名前はすみれです。天空遊園地まほろばで働いています)」
流暢なフランス語に、シチカは耳を疑った。
「すみれってフランス語が話せるのかい?」
得意そうに、すみれが肩を揺らした。
「ふふふ、意外でしょ。わたしの特技なんです」
「意外すぎる」
「……意外すぎるはちょっと失礼じゃないですか」
ふくれっ面のすみれに、「ごめん、ごめん」とシチカは謝った。でも長年一緒に過ごしてきて、すみれがフランス語が堪能だなんて知らなかった。人にはいろんな一面があるものだ、とシチカはしみじみと感じた。
気を取りなおして、シチカが声を強めた。
「さっ、今夜もお客様が来園される。しっかり準備してお迎えしよう」
「はい!」
すみれの元気のいい声が、園内に響き渡った。
記念日のスケートリンク
佐伯陸は、テレビ局の廊下を歩いていた。
すべてのオフィスを見たわけではないが、ここほど派手な廊下はないだろう。番組のポスターが、壁の地肌が見えないほど貼られている。原色を使ったものが多いので、目がチカチカする。
塾の廊下とも似ている。学習塾の廊下には、生徒の成績表が張りだされる。優秀な生徒ほど目立つように。
テレビ局での成績表とは、もちろん視聴率だ。『三週連続コア視聴率三冠達成』『個人視聴率、10・4% 横並びトップ』などの貼り紙。つまりこれが、テレビにおける優秀な成績だ。
最近では、見逃し配信の再生回数も人気番組の指標となっている。陸にとってはこちらの方が重要だ。貼り紙を見ると、先週放送した陸の番組の再生数がトップだ。見逃し配信のランキング上位はほぼドラマで独占されているが、陸が担当のバラエティー番組は、唯一それに対抗している。
このテレビ局はドラマに定評があるので、ドラマの制作陣はバラエティーを下に見てくるのだが、その関係性を現在陸が覆している。ざまあみやがれ、と陸はにやにやした。
ただあまりに凝視しすぎると、一人悦に入っているように見られるので、視界の端でちらっと捉える程度にとどめておく。
「佐伯さん、やりましたね。トップですよ、トップ!」
後ろからやって来た三年後輩の安井が、屈託のない笑みを浮かべている。
「バカ、はしゃぐな」
「いやいや、マジマジ見るのはダサいからって、視界の端っこで見て通りすぎようとしている佐伯さんの方がダサいですって」
「おまえ、先輩の心を読むなよ」
安井は陸と同じテレビ局員だ。ずっと制作畑で、陸が面倒をみてきた。バラエティーのいろはをすべてたたき込んでいる、陸がもっとも信頼している後輩だ。
安井が、番組ポスターの一部を指さした。金髪でショートカットの女性が、ベエッと舌を出して写っている。まるでアインシュタインの写真みたいだ。
「天ざるの丸倉七海、めちゃくちゃ売れてるじゃないですか。インタビューでも、佐伯さんのおかげだっていってましたよ」
「あいつの実力だよ」
お笑いコンビ・天ざるの丸倉七海は、今売り出し中の女性芸人だ。昨年体調を崩して少し休養していたが、復活してからの勢いが凄まじい。
七海を初めてMCに起用したのが陸だった。MCを務めるには実績がなさすぎる、と周りから反対されたのだが、陸は押し切った。
一度仕事をしたとき、七海は台本を丁寧に読み込み、スタッフの意図を理解した上で収録に挑んできた。自分の役割をよくわかっていて、若手の売りだし中の女子アナにかみつき、しっかりと負け顔を見せてくれた。事前準備がきっちりできる芸人は、MCとしても優秀だと陸は経験で知っていた。そこで七海をMCに起用した。
その番組は単発だったが非常に好調で、今はレギュラー化に向けて、七海MCの新たな企画を編成に提案しているところだ。
「さっ、会議だ」
颯爽と廊下を歩く。肩で風を切るとはこのことだろう……。
スマホが振動する感触がして、陸はハッと目を覚ました。
いつも見る夢だった。なぜこのシーンばかりを夢に見るのか。理由はわかっている。ここが、俺の人生における絶頂だったからだ……。
まだ夜も明けていない。暗闇の中、スマホの画面だけが光っていた。朝の五時だ。
四歳の娘のひなたが、すやすやと眠っている。二つ並べたベッドに対して体が真横になっていた。寝相が悪くて、一緒に寝ると体を蹴られて安眠できない。かといって、ベッドを離して寝るのは嫌がる。もうずっと寝不足だ。
眠気をかみ殺し、のろのろとベッドから這いでる。冷えきったフローリングの感触で、ひゃっと声が出そうになった。
コーヒーの一杯でも飲んで眠気を覚ましたいところだが、そんな暇はない。今日はひなたの遠足で、弁当を作る必要がある。ただでさえ朝は忙しいが、弁当のある日は戦争のようにあわただしい。
冷蔵庫から食材を出して、まずは薄焼き卵を作る。気泡が入らないように慎重に。焼き上がるとそれを専用の型抜きで星や花に切りだし、海苔をカッターでミリ単位に切る。これがキャラクターの髪となる。ひなたが好きなラブリナというアニメのキャラクターで、いわゆるキャラ弁と呼ばれる弁当だ。ひなたはこの弁当でないと納得しない。
それぞれの部品をピンセットで丁寧に配置し、なんとか完成した。この前よりはだいぶマシだろう。
時計を見て飛び上がった。もう七時だ。噓だろ……。
「ひなた、起きろ」
キッチンから声を張り上げるが、これで起きてくれるならば苦労はいらない。寝室に行って体を起こしてやるが、一向に起きようとする気がない。抱き抱えて洗面所に連れていき、顔を洗わせて歯を磨かせる。そこでやっと、ひなたがしゃんとする。
「パパ、おはよう!」
すぐさま陸はキッチンに戻って朝食の用意を始める。弁当の余り物を食べて欲しいが、それはひなたが嫌がる。ハムエッグを手早く作って食べさせた。
もう時間がないので、ひなたが口を動かしている状態で体温を測る。平熱だ。それを保育園の連絡帳に記入する。
「さっ、着替えるぞ」
ひなたのパジャマを脱がせて服を着替えさせる。一体いつになったら自分でできるようになるんだ。
続けて髪のセットだ。クシでといて、一つに結ぼうとすると、
「パパ、今日はあみあみにして」
「無理だって。もう時間ないんだから」
「だって彼氏と遠足だもん」
陸がぎょっとした。
「かっ、彼氏!? 彼氏なんているのか」
「いるよ。だからあみあみにして」
問い質したいが、そんな時間もない。悪戦苦闘しながらも、なんとか作った編み込みは不格好だ。
ハンカチ、ティッシュ、水筒、忘れ物がないかチェックする。大丈夫だ。
「パパ、お弁当入れた?」
「……忘れてた」
ぞっとした。あわてて通園リュックに弁当を入れる。
靴を履かせて、スニーカーのマジックテープをとめる。まずい。本格的に時間がない。
ひなたにヘルメットをかぶらせ、電動自転車の後部座席に乗せた。自転車の電源を入れた途端、「マジかよ……」と絶望の声が漏れた。充電するのを忘れていたので、バッテリーが切れている。
ひいひいいいながら自転車の重いペダルを漕ぐと、太ももがつりそうになる。電動アシストがないと、これほど大変なのか……。
汗だくになりながら保育園に到着すると、遠足に出発しようとしている集団がいる。よしっ、なんとか間に合った。
送りに来ている保護者は女性だけではなく、男性も多い。みんなスーツ姿でリュックを背負い、ビジネスシューズを履いている。
「じゃあな、ひなた。遠足楽しんでこい」
「ゆうやくん!」
ひなたは陸を無視して、園児達の方へと駆けだした。まさか、あれが彼氏か……。
「ひなたちゃん、今日も元気ですね」
二十代ほどの女性が話しかけてきた。ひなたのクラスを担当している、保育士の小寺だ。
「ご心配なく。仲のいい友達のことを彼氏っていってるだけなんで。今どきの子供はほんとませてますよね」
内心を見透かされていたみたいだ。
「何か困ったことがあったら、いつでもおっしゃってくださいね」
困りごとしかないが、それを口にできるわけがない。
「ありがとうございます。大丈夫です。ひなたをよろしくお願いします」
頭を下げると逃げるようにして立ち去り、そのまま駅に向かう。他の保護者達も、仕事モードの表情になっていた。電車はぎゅうぎゅう詰めだ。満員電車が嫌で、時間差通勤しやすいテレビ局に勤めたのに……。
駅に着くと、テレビ局へと向かう。少し前まではこの道を歩くと、やる気と気合いがみなぎっていたが今は違う。足取りがとにかく重い。
テレビ局のエントランスはいつも明るい。吹き抜けで全面ガラス張りなので、陽光が降り注いでいる。前はこの採光のよさが好きだったが、今は気分が落ち込む。光が強ければ影も濃くなる。胸のうちが黒く染まっていく気分だ。
伏し目がちに廊下を歩く。視聴率関係の貼り紙が目に入らないように……。
そこでぎょっとした。廊下の奥の方に、見覚えのある人物がいた。
後輩の安井だ。立ち止まり、壁を見つめている。自身の番組に関する貼り紙だろう。
主婦だった由香里の死後、十四時に終わる幼稚園に通い続けるのは難しくて保育園に移ったのだが、偶然安井の子供がいるところだった。送迎は安井の妻が行っているので、安井と顔を合わせることはない。
この廊下は通れない……遠回りをしてエレベーターに向かう。
重い扉を開けて中に入る。もうみんな、自席のモニターに向かって作業をしている。
「おはようございます」
挨拶をすると、「おはよう」と隣席の島田が小声で返してくれた。今日はやけに姿勢がいいなと思ったら、腰痛防止のための骨盤矯正クッションに座っていた。
以前いた制作と比べると、同じ社内とは思えないくらい静かだ。
ここは、アーカイブセンターだ。このテレビ局の過去の放送テープや取材VTRが大量に収められている。仕事内容としては、映像の保管と貸し出し、検索システムの作成と管理、最新のメディアへのダビングなどだ。
早速デスクで仕事をする。素材のタグを入力フォームにひたすら打ち込み続ける。カタカタとキーボードを打鍵する無機質な音だけが響く。
島田は検索のプロフェッショナルだが、自分は中々慣れない。元々事務作業は不得意なので、この部署で役に立てているのか不安だ。居場所がない感じがして、ずっと落ちつかない。
ピーッと音が鳴る。素材の貸し出し依頼が社内チャットで届いた。席を立って倉庫へと向かう。
天井まで届く電動式の移動棚が、ズラッと並んでいる。台車を押しながら廊下を歩くと、目当ての棚が見つかった。スイッチを押すと棚が動き始める。目的のテープを見つけて取りだした時、ふと別のテープが視界に入った。
「『コロッケ帝国の日常』……」
その瞬間、大学生の自分の姿が脳裏をよぎった。
就職活動の時期だ。特に将来への展望もなく、一体どんな進路を選んだらいいのか悩んでいた頃、当時恋人だった由香里が、こんな助言をしてくれた。
「テレビ局に入社して、バラエティー番組を作ったら?」
意外そうに、陸が目を瞬かせた。
「テレビ局? なんで?」
「陸って昔から人を楽しませたり、驚かせたりするの好きだったから。それにほら、コロッケ帝国の話ばっかりしてたし」
陸と由香里が小学生だった頃、放映していたバラエティー番組だ。今思うと子供が面白がるような内容でもないし、人気番組でもなかったのだが、陸は『コロッケ帝国の日常』が大好きで、放送の翌日は、学校で興奮気味にその話をしていた。
なるほど。俺、ああいう番組を作ってみたいんだ。
由香里の一言が、陸の心の奥で眠っていた願望に火をつけてくれた気分だった。陸は、テレビ局を志望した。
一時期よりも人気が落ちたとはいえ、テレビ局の倍率はすさまじかった。優等生とはいえない陸が、内定を勝ち取れるはずがない。そう周りは思っていたが、陸は意外にも最終面接までこぎつけた。
そこで面接官が、陸を含めた最終面接者にこんな質問を投げてきた。
「テレビ局に入社して何がしたいんですか?」
周りは、「放送という枠を超えて、IPを基軸にしたビジネスモデルを構築したいです」など、いかにも優等生的な発言ばかりだった。
陸はこう答えた。
「『コロッケ帝国の日常』みたいな番組を作りたいです。子供の頃の僕はあの番組で感じたことのない感情を体験できたんですよね。結局バラエティー番組ってつきつめれば、未知の感情を呼びおこすものだと思うんですよ」
マイナーな番組だったので他の面接者は知らないのか、みんなきょとんとしていたが、面接官の一人が顔を輝かせた。
「君の年齢であれ見てたの?」
「もう大好きでした」
そして他を置いてきぼりにして、コロッケ帝国の話で盛り上がった。偶然だったが、その面接官がコロッケ帝国のプロデューサーだった。陸は幸運を味方につけ、テレビ局へと入社することができた。しかもバラエティー部門に配属された。
アシスタントディレクターを二年ほどやったあと、チャンスが訪れた。局内で新しいバラエティー番組の企画募集があった。レギュラー化を前提にしたものだ。
何事も経験だから陸も企画を考えて応募しろ、と先輩に命じられた。そこで陸は、いつか自分がディレクターになったらやりたいと思っていた企画を提出した。
テレビ業界では、「見える」「見えない」という言葉が飛びかっている。
「見える」とは企画が見える──つまり、面白くなる道筋が見えるということだ。「見えない」とはその逆だ。
ADではあったが、陸は積極的に会議で発言した。でもことごとく先輩のディレクターから、「それは見えない」と却下された。
だが陸からすれば彼らのいう「見える」とは、予定調和で過去の成功例をこすっただけの企画だ。トーク、クイズ、グルメ、街ブラ、形を変えただけで、中身は全部一緒のものばかり。トークをする人間の組み合わせが斬新というだけで、局内では評価される。そんなものが企画と呼べるか、と陸はむかむかしていた。
陸が作りたいのは、コロッケ帝国のような、まだ誰も見たことがない番組だ。できないディレクターに限って、「見えない」を連呼する。だからみんなテレビじゃなくてネット動画を見るようになるんだよ……陸はずっとそれに不満を持っていた。
そこで陸は、こんな番組を企画した。「見えない」と先輩やチーフ放送作家が却下した企画を実際にやってみようとするものだ。番組名は、『見えないTV』だ。
他の応募者達は歴戦のテレビマンだ。陸の先輩の局員達だけではなく敏腕放送作家達や、レギュラー化を虎視眈々と狙う制作会社の人間も応募していた。陸達テレビマンは数少ない番組枠を巡って、血みどろの争いをくり広げている。そんな競合を押しのけて、陸の企画が採用された。編成のトップになった人間が、他と一線を画した陸の企画を面白がり、鶴の一声で決まったそうだ。そしてまだ入社三年目の陸が、番組の総合演出を任された。異例の抜擢だった。
予算やキャスティングの交渉など番組の外側の仕事をするのがプロデューサーで、総合演出は番組の面白さや見せ方などの責任者だ。
陸は、この仕事に全身全霊を注いだ。陸が面白いと思う放送作家や、外部のディレクターに頭を下げて参加してもらった。
何十時間も会議をくり返した。見えない企画を面白くしようとするのだから、当然超えなければならない障害は山ほどある。
スタッフの中で、陸は一番の若手で経験もなかったが、遠慮なく意見をいい、時には年上のスタッフと大喧嘩になることもあった。
総合演出はディレクターに編集を一任し、自分はチェックだけをするケースが多いが、陸はすべてのVTRの編集を自分で行った。
間がコンマ1秒あるかないかで面白さが変わる。テロップの文言、フォントの大きさや色も重要だ。納得のいくテロップデザインがなかったので、自分で一から作った。納品のスケジュールをギリギリまで遅らせて完成度を高め、番組が放映された。
この番組が、高視聴率を叩きだした。予定調和が嫌い。今までにない新しいものを作りたい。陸のその考え方が、視聴者には新鮮に映ったようだ。
一回だけの特番からレギュラー番組となった。総合演出はそのまま陸が担当した。
特番と違って、レギュラー番組は毎週放映される。つまり、時間の余裕がない。それでも陸は、自分が編集することにこだわった。
神は細部に宿る。これは俺の番組だから、できる限り俺がやる。そうしないと面白さが担保されない。そう考えたからだ。寝食を忘れるほど仕事に没頭し続けた。
そのかいがあって番組は好評で、局を代表する番組にまで成長した。
ちょうどこの時期に由香里と結婚し、ひなたが産まれた。由香里が陸をサポートして、仕事に打ち込める環境を作ってくれたことも、番組が成功した大きな要因だった。
陸はあっという間に局のエースとなった。業界の中だけではなく、メディアでも取り上げられるようになった。
そんな絶頂の日々に亀裂を入れたのが、ある制作会社のADだった。瀬下という二十代の新人だった。
その週の企画は、街行く人にインタビューをして、不幸話を披露してもらうというものだった。いわゆる街録というやつだ。
編集室での作業中、陸は瀬下に訊いた。
「インタビューした人のまとめ、もらえる?」
インタビューをする際、どんなことを話したのかを文章でまとめて記録に残すのはADの仕事だ。
瀬下が平然と答えた。
「忘れてました」
その返答にむかっとした。多忙だから手の回らない時もあるのだろうが、おろそかにしてはいけない仕事だ。第一、すみませんが先だろう。せめて言葉にしなくても態度で示せよ。瀬下は能力が低い上にやる気もない。周りのスタッフからの評判も悪い。
怒鳴りつけてやりたかったが、喉元で堪える。昔の現場では罵声がとびかっていたが、今はそんな時代ではない。とくに若いスタッフへの対応にはくれぐれも注意するように、と人事部から釘を刺されていた。
「チッ」
我慢していたが、つい舌打ちをしてしまった。
数日後、コンプライアンス推進室に呼びだされた。呼び出したのは同期の寺田という男で、陸とは仲がよかった。寺田は真面目な性格で、テレビ局よりも銀行勤めが似合っていると陸はよくからかっていた。
寺田が訊いてきた。
「編集作業中にADに対して、おまえが不適切な言動をしたという報告があった。おまえがパワハラなんてするとは思えないが、公平な視点で聞き取りをしたい。何かあったのか?」
「何もねえよ」
「報告書によると、『おまえみたいなクズは今すぐ辞めろ』と佐伯がいったとある」
陸は耳を疑った。
「そんなこというわけねえだろ。軽く舌打ちしただけだ」
「舌打ちか……」
沈んだ表情で、寺田が意味ありげにくり返した。
とりあえずその日は解放され、処分は保留となった。厳重注意ぐらいで済むだろうと軽く考えていたが、信じられない不幸が陸を襲った。
妻の由香里が突然亡くなったのだ。
当時由香里はひなたを連れて、京都の実家に帰っていた。朝、義母が起きると、由香里は脱衣所で倒れていた。死因はヒートショック。急激な温度変化によって血圧が乱高下し、心臓に大きな負担がかかった。冬場の冷えきった風呂場で、血圧が上がったとのことだった。由香里の実家は築年数が経っており、浴室暖房なんてなかった。
ヒートショックという言葉自体は知ってはいたが、若い人間がなるものではないと思っていた。それも、自分の妻が……。
病院の廊下のソファー。誰よりもショックが大きかった義母のすすり泣く声。そして、「ママはどこ?」というひなたの幼い声──半年前のことだが、もうどれも断片的にしか思い出せない。
なぜならそこから、驚異的に忙しくなったからだ。由香里の葬式を終えて気づいたのが、自分は子育てに関して何も知らないということだった。
登園前に必ず体温を測ることも、ひなたが嫌いな食べものも、好きな歯磨き粉もわからなかった。
ひなたが産まれてからも家庭を顧みることなく、仕事漬けの日々を送っていたからだ。由香里が文句でもいえば気づいたかもしれないが、妻はそういう人間ではなかった。
そして上司から「大変だったな。少し落ちついたか」とねぎらいの言葉をかけられたあと、映像管理部への部署異動を命じられた。あの瀬下へのパワハラ疑惑のせいに違いない。
あとで知ったのだが、瀬下はある官僚の息子だった。局員希望だったのだが、あまりにできが悪すぎて就職試験に落ちた。さすがにこのご時世にコネだけで、テレビ局も採用にはできない。ただその官僚の顔を立てて、瀬下は関連の制作会社に入社できたそうだ。
最年少総合演出のエース局員が、パワハラで他部署送り……まさに栄光からの転落だった。妻と番組作りという生きがいを奪われた陸は、まさに生ける屍だった。
あらためてコロッケ帝国のテープを見る。子供の頃の自分が今の自分を見たらどう思うだろうか? 情けなくて、まぶたの裏が熱くなった。
「どうした?」
島田が声をかけてきた。あまりに遅いので、心配になって見にきてくれたのだろう。
「なんでもないです」
そう目に力を入れ、テープを台車の上の箱に入れた。
終業時間になると、「お疲れ様でした」とそそくさと帰る。保育園にひなたを迎えに行く必要がある。制作局にいた頃は、定時の存在すら知らなかった。
帰りの電車では夕食の献立を考える。毎日何にするか悩む。今日は弁当作りのために早起きをしたので、やたらとあくびが出る。
保育園に到着すると、小寺がひなたを連れてきてくれた。
ひなたが開口一番文句をいう。
「パパ、お弁当の卵焼き、また変だったよ」
「どう変なんだ? 甘いとかしょっぱいとかあるだろ?」
「わかんないけど変」
由香里が亡くなったあと、一番困ったのが料理だ。
陸が最初に担当していたのは料理番組だったので、ある程度料理はできる。
ただひなたは、やたらと味にうるさい。由香里がレシピ帳を残してくれていたのでどうにか対処できているが、肝心の卵焼きのレシピだけがない。ひなたは卵焼きが好物なので、そこだけはいつも困った。
ひなたを自転車の後部座席に座らせてペダルを漕ぐ。重い……バッテリーの充電が切れていることを思い出した。
「なあ、今日は外で食べるか」
もう夕食を作る体力と気力が残っていない。
「やだ。家で食べたい」
「好きなとこ連れてってやるぞ」
「やだ」
「わかったよ……」
もう泣きそうになる。子供は外食が好きなはずじゃないのか。そういえば由香里は、ほとんど外食をしなかった。
スーパーで買い物をして夕食を作り終えると、すぐに洗濯をした。中々風呂に入りたがらないひなたをなだめすかして風呂に入れる。どうして子供は風呂を嫌がるんだ。さっと入ってくれよ。
髪をドライヤーで乾かすときもじっとしない。コードレスのドライヤーを買わなければ、と毎回思うのだが、ひなたを寝かしつける間に忘れてしまう。
ベッドに連れていき、ひなたの足の裏をマッサージしながら、永遠に続きそうなおしゃべりに耳を傾ける。
「パパ、保育園でね、なんで月が光ってるかってみんなで話してたんだけどね、ひなたはわかってたから教えてあげたんだ」
「なんでなんだ?」
「お月様は夜になると男の人の金玉が、ふわふわって蛍みたいに空に飛んでいって、世界中から集まって光るんだよ。ほらっ、金って光るでしょ」
「……月は小さな金玉がたくさん集まってできてるんだ」
「そうだよ」
自分の股間を見る。
「……夜だけどパパのはあるぞ」
「それは袋だけだよ。中身は今、空に飛んでいって月になってるんだよ」
「じゃあ今、パパは金玉がないのか」
「安心して。朝になったら戻ってくるから。でも夜は外を歩かない方がいいよ」
「なんでだよ」
「男の人は金玉がなくなったらふらふらしてこけちゃうでしょ。危ないからね」
ドラマか何かで見た酔っ払いから連想しているんだろう。発想が斜め上を行き過ぎている。一体誰に似たんだろうと思ったが、間違いなく陸だ。
やっとひなたが寝ついた。ひなたのとりとめのない話に付き合うのは大変だが、前みたいに泣かれるよりはいい。由香里が亡くなってからしばらくは、ママはどこ、ママに会いたいと泣き続けていた。今でも夜には涙ぐむこともあるが、最近はだいぶ落ちついてきた。
休憩したいところだが、洗濯物を干して食器を洗わなければならない。
すべての家事を終える頃には、もうくたくただった。風呂に入って湯船につかると、もうこのまま寝てしまいたい気分だった。
頭をタオルで拭き、冷蔵庫から缶ビールを取りだした。この風呂上がりの一杯しか楽しみがない。
冷えたビールを喉に流し込み、やっとひと心地ついた。そこでふと、由香里のことを思い出した。
ひなたが産まれる前は、夫婦で晩酌をする習慣があった。陸も由香里もお酒が好きだった。妊娠中はもちろん飲酒はできないが、ひなたを出産後も、由香里は酒を飲まなかった。その理由を尋ねると、
「ひなたがもし病気や怪我をして救急病院に行くことになったとき、運転できひんし。そやから私、ひなたが大人になるまではお酒は飲まないことにしたの」
そう由香里が微笑んだ。
陸は、缶ビールを見つめた。由香里がもうこの世にいないのだから、俺も酒をやめた方がいいのかもしれない。何かあったときのために……。
もう一口ビールを飲む。二口目の冷えたビールは心に染みてくる。
「由香里、おまえなんで死んだんだよ……」
そう声をこぼしたとき、突然スマホから声がした。
「ここは死者に会える遊園地」
陸はぎょっとして、スマホの方を見た。触れていないのに、動画が流れだした。あわてて手に取ると、画面には『ようこそ 天空遊園地まほろばへ』と書かれたゲートが映った。
映像が切り替わる。空中を浮かぶレールの上で、親子が自転車の遊具を漕いでいる。続けてパンダを模した遊具に乗った子供が、嬉しそうにはしゃいでいた。
それに合わせて、男性の声が流れてきた。プロのナレーターではないようだが、実直で聞き取りやすい声だ。誠実さが感じられる。
その声の主が説明した。
死者に会える遊園地とは、天駒山にある、『天空遊園地まほろば』というところだそうだ。
最寄り駅の天駒駅から深夜〇時に一便だけ、特別なケーブルカーが出発する。それに乗ればまほろばに到着するとのことだ。
「遊園地で過ごす時間は、誰にとってもかけがえのない思い出です。
もう一度、あなたの大切な人に会いたくはありませんか」
そういうと動画が消えた。
何が何だかわからず一瞬放心してしまったが、すぐにかぶりを振った。
死者に会えるだと……ふざけやがって……。
由香里のことをつぶやいたから反応したんだろう。スマホはすべての会話を聞き取って、それに合わせた動画や記事を流すという都市伝説があるが、おそらくその類いだ。前にもカレーが食べたいなとつぶやいたら、カレーの店を紹介するショート動画が流れたことがある。
ただあの声は……人の心を優しくなでるような、温かみのある声だった。
画面を見ると、リンクが貼られていた。ふだんならばフィッシング詐欺を警戒して、こんなリンクは間違っても踏まないが、そろそろとタップする。まほろばのサイトが表示された。いくつかの注意事項が書かれている。
1 当園は一生で一度しかご利用になれません。
2 再会できる死者は一名のみです。
3 当園のご利用時間は一時間のみです。
4 当園の遊具のご利用は一台のみです。
5 当園では泣くことが禁止されています。泣くと、お客様の大切なものが失われます。
一読しただけでは意味がわからず、もう一度読み返した。最後の泣くことが禁止とはどういう意味だろうか? 大切なものを失うというのもずいぶんと仰々しい。
『ご利用前の注意事項を必ずご確認の上、予約サイトへお進みください』
タップして次に進む。
『再会を希望する方のお名前を入力してください』
指が勝手に『佐伯由香里』と打ち込んでいてハッとした。やっぱり俺は、由香里に会いたいのか……でも会って何をするんだ? そう胸の中に問いかけたが、何も返ってこない。
『再会を希望する時期を選択してください。以下より、ご希望の日程をお選びいただけます』
「マジかよ……」
画面にあらわれた日程表を見て、驚きの声がこぼれ落ちた。
由香里が亡くなった日以降の日程が消えている。つまり、彼女がいつこの世を去ったのかを把握しているということだ。日付を遡って、見覚えのある日程で指が止まった。命日の三週間前──俺達の結婚記念日だ。この日も深夜まで仕事で、ろくなお祝いをしなかったな……そう思った時には予約ボタンを押していた。
『再会を希望する日程を選択してください。空き状況を確認の上、ご予約を確定してください』
ポツポツと埋まっている。他にも利用者がいるということだろうか。来週の土曜日を予約した。
『ご予約を承りました。天空遊園地まほろばへのご来園を心よりお待ちしております』
テーブルの上にスマホを置くと、陸は詰めていた息をゆっくりと吐いた。
*
続きは8月5日ごろ発売の『天空遊園地まほろば 時を結ぶ花々』で、ぜひお楽しみください!

■著者プロフィール
浜口倫太郎(はまぐち・りんたろう)
1979年、奈良県生まれ・在住。 漫才作家、放送作家を経て、 2010年『アゲイン』(のち、『もういっぺん。』に改題して文庫化)で、 第5回ポプラ社小説大賞特別賞を受賞し、翌年小説家デビュー。 他の著作に、ベストセラーとなった『22年目の告白-私が殺人犯です-』のほか、『宇宙(そら)にいちばん近い人』『お父さんはユーチューバー』『ワラグル』『1分小説』など多数。漫画原作者、構成作家としても活躍の場を広げている。

