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第3回

痛くて、ちょうどいい街—池袋

連載第三回目は、池袋を歩く。

池袋にはプライベートでもよく遊びに行くことがある。

この街は平日、休日関わらず、人々で溢れとても賑やかだ。歩く人々を眺めているだけでなんだか面白い。

赤、緑、オレンジ、奇抜な髪色をしていたり、ロリータファッションやコスプレ、アニメキャラのTシャツを着ている人がいたり。人と比べずそれぞれが独立性を持っていて、個性がないほうがむしろ浮いてしまうようなそんな感じがする。

色々な人が行き交うこの街に、治安が悪いというイメージを持っている人もいるかもしれない。
しかし私にとって、その若干の「悪さ」は、あるがままの自分も受け入れてもらえるようで、そんな居心地良さがお気に入りだ。

まずは、池袋駅東口からスタート。ドン・キホーテ方面に向かって歩き出して行く。

時刻は13時すぎ、7月も後半に差しかかり、ついに夏本番。夏休みにも重なっているのだろう。周囲には外国人観光客や家族連れも目立つ。

そして、本日もカンカン照りで少し歩くだけで汗が吹き出してくる危険な暑さだ。

たくさんの店、人、ゲームセンター、なんだかテーマパークに来たような気分になる。

歩き進めて行くと、アニメイト池袋本店に通りかかった。

ここの通りは、アニメ好きにはたまらなそうな一帯が広がっている。

ただ残念なことに、私はあまりアニメに詳しくないため、今回は店前のガチャガチャを眺めるだけにしておくことにする。

隣に、一つのアニメキャラの缶バッジをこれでもかと言うくらいびっしりとつけたカバンを持っている女性がいた。最近、電車や街中でよく見る、「痛バッグ」と呼ばれるものだ。

一昔前のオタク文化は、好きなことをどこか隠さないといけない雰囲気があった。

しかし、今やこの「痛バ」だって、隠すどころか周囲に見せびらかしている。まあ、だから「痛バ」なのかもしれない。

ここでいう「痛い」の意味は、空気が読めていないだったり、ずれていたり、自己中心的な感じ。そして、それを側から見た感想として表現されたものだろう。

「痛い」行動で私がまず思いつくのは、恋人のタトゥーを彫っている人だ。
本人は幸せそうだけど、「痛いなあ」と心から思ってしまう。
だけど、そんな中でもほんの数%、そんなに夢中になれる人がいていいなあと、きっと誰もがほんの少しだけ羨ましく思っている気もする。

私は、元々恥ずかしがり屋で一人だけ注目されるのが苦手なタイプだった。
しかし、グループに入り表で活動するようになってからは、どこかで「痛くありたい」と思っていた節があるように思う。
どうせなら、人と一緒じゃなくて目立ちたい。
人のできないことをやってしまう「痛い」ってなんだかかっこよくないかと。

若干の厨二病もあったと思う。そんな考えもあって、グループ時代はしなかった色はないくらい、髪の毛を頻繁に奇抜な色に染めていたことがある。
特に水色にした時は、髪の色を真っ白になるまでブリーチで抜かないといけなかったため、かなりダメージを受けたのを覚えている。
タトゥーも、奇抜な髪色も、痛バッグも、それなりの労力がかかっている。

痛いって楽じゃない。

けれど、「個性がない」だったり、「みんなと一緒だ」と言われる方が私にとっては、本当の意味で「痛い」ことだったのかもしれない。

アニメイト付近を通りすぎ、また少し歩いていると、ロリータ服専門の古着屋さんを見つけた。

店内に入ってみると、クラシック系のダークなものから、プリキュアに出てきそうな大きなリボンのついたふりふりのドレスまで、1フロアに詰め込まれ、ずらっと並べられている。

大抵の女子たちはここに来たらきっとトキメクはずだ。

店内に数人いるお客さんは、ロリータのプロといった感じなのに対して、私は白いタンクトップに、黒い長ズボン、黒いサンダルを履いたシンプルな装いをしているので、若干浮いてしまっている。

ロリータ服は、基本的に露出が少なく、夏だと暑そうに見えるが、それでもビジュアルが崩れていない彼女たちを尊敬の眼差しで眺めてしまう。

ロリータファッションは仕事の撮影で、着たことがあったが違う自分に出会えたようでとても新鮮な気持ちになった。
もうひとつ違う自分になる、といえば、私は子供の頃、コスプレが大好きだった。
ただ、私がするコスプレといえば、ディズニープリンセスや、セーラームーンとかそんな派手なものではなかった。それよりも、見た目的には地味な方のコナンの灰原哀ちゃんとか、ポケモンのカスミちゃんとかだった。
灰原哀ちゃんのコスプレをする時は、私服の中から暗めのTシャツと短パンを着て、髪型は元々ショートカットなのでそのまま。これで完成だった。
コスプレというには、地味。地味すぎる。が、当時の私にとっては立派ななりきりだった。
引っ込み思案な子供だった私は、きっと灰原哀ちゃんのような物怖じしない性格に憧れていたのだろう。また、私は男兄弟に挟まれていたから、家でプロレスごっこなどが始まると、うまくその中に入れずに一人になることが多かったため、クールやボーイッシュな、周りの男の子にも馴染んでるキャラに憧れていたのかもしれない。

今は、そんなふうに別の誰かになりたいと思うことはなくなった。
これは、大人になってなりたい自分になったのか、自分を受け入れられるようになったのか、それとも夢を見なくなったからなのか、どれだろう。

ロリータ服専門の古着屋さんを後にして、しばらく別のルートを通ってまた駅の方面に戻りつつ歩いて行く。
古着屋さんで少し涼めたものの、炎天下の中で外にいるのもそろそろ辛くなってきた。どこかに腰を落ち着けたいものだ。

池袋には、純喫茶からチェーンカフェ、コンセプトカフェまでたくさんのカフェがある。

この中でも、私は今回の散歩で池袋ならではのコンセプトカフェに入ろうと決めていた。
そこで、事前に狙いをつけていた不思議の国のアリスがコンセプトの世界観たっぷりの飲食店に入る。

階段を下りて、店前に着くとアリスの国の住人の「帽子屋」を名乗った銀髪ショートカットの中性的な外見の店員さんが迎えてくれる。

目の色は水色で凛としていて声優さんのようにハキハキとお店の説明をしてくれるその姿には、なんだか惚れ惚れしてしまう。

店内は、広々として内装も凝っていて豪華だ。床は白と黒で、トランプ兵のオブジェがあり、本当にアリスの世界に迷い込んだような没入感がある。

いくつか種類のある席の中で、シャンデリアのようなキラキラとした装飾が施された、独立した丸テーブル席に案内される。

メニューはご飯から、デザートと幅広く展開されているが、ここでは今流行りのアフタヌーンティーのセットを注文してみることにした。

ティースタンドと呼ばれる何段かに分かれた容器に、数種類の小ぶりなスイーツが乗っている。
運ばれてきた中には、ケーキやマカロン、【EAT ME】と書かれたクッキーもある。このクッキーは、アリスの物語の中に出てくるもので、一口齧ると身体が大きくなったり、小さくなったりするのだ。

もちろん、ただのクッキーだとわかっていても、物語に入り込んだみたいでワクワクする。こうやって少しの工夫で、大人になっても遊び心をくすぐられるものだ。

他にも、熱帯魚が泳いでいる水槽を眺めながら座れる席など、同じ店内でも、少し異なったコンセプチュアルな空間が広がっている。

再び訪れた際には、他の席にも座ってみたいと思う。

コンセプトカフェでゆっくりティータイムを過ごしていると、時間はあっという間に過ぎてしまう。

店を出ると、夕方に近づいてきているものの、まだまだ空も明るく空気も重たく蒸し暑い。アリスの国から出て、一気に現実に引き戻されてしまった。

とりあえず、自販機で麦茶のペットボトルを購入しつつ、またどこか涼める場所を探って行くことにする。

池袋といえば、まだ行っていない場所がある。

飲食、エンタメ、物販、水族館、なんでもある、あの大規模な複合施設「サンシャインシティ」だ。

私はこの施設の中のプラネタリウムに通っていた時期がある。グループ時代の本当に休みのない、とても忙しい時だった。
仕事の合間、3時間程度あったら、ここのプラネタリウムに足を運ぶことがあった。

ふかふかの椅子に座りながら、何も考えずに、星空を眺め、私には全く関係のない北極のシロクマだったり、星座だったりのナレーションを聞いていると、日頃のストレスを忘れてどこか別の世界に行ったような感覚になったものだ。大体いつも、どう頑張っても途中で眠ってしまっていたが。

旅するには時間も体力もないけど、どこかに行きたい。そんな当時の私にとって我ながら、とても良いリフレッシュ方法だったと思う。

そんな思い出もある、この施設の中で今回私が向かったのは、最上階60階にある展望台だ。

60階への直通エレベーターに乗り込むと、エレベーター内のライトが暗くなる。ワクワクしながら一緒に乗っていた外国人の家族と笑顔を見合わせた。
一気にスピードアップしてエレベーター内に表示された階数の数字はどんどん上がっていき、あっという間に60階までたどり着いた。
一瞬のことで、本当に60階まで来たのかと疑いたくなったが、耳には気圧の変化によって、膜ができているように感じるのが証拠だ。

エレベーターを降りて、入場ゲートを通る。
奥へ進んでいくと東西南北360度ガラス張りになっていて、周辺の景色が一望できる空間が広がっている。

ぐるりと囲んだ窓の近くには、様々な形の椅子が置いてある。雲みたいな形だったり、ブランコみたいな形だったり。そのほかにも、芝生が敷いてある場所もある。
その中で各々がみんな気持ちよさそうに寝そべったり、景色を眺めながら談笑したりと寛いでいる。

今の時期は、南国をテーマにした内装になっており、売店には、そんな雰囲気にぴったりのドリンクやフードも合わせて売られているようだ。

こんな暑い中でも、涼しい空間で開放感を味わえるこの場所はまさにオアシスだ。

私も窓際に立って、景色を眺めて見る。さすが海抜251m、大パノラマから、スカイツリー、富士山など、とにかく都心から遠くの景色まで見渡すことができる。

私自身、東京生まれ、東京育ちで、もう都心の景色は見飽きていた気もしていたが、まだまだ行ってない場所はたくさんあるし、知らないことも多いのだろう。

周囲には、友人同士やカップル、子連れファミリーがそれぞれ同じくらいいる。今は、明るいが、展望台は夜22時までやっているようだから、空が暗くなるにつれ、客層も変わってくるのだろう。

夜の展望台にも行きたいような、カップルが多い中、一人で行くなら自分は場違いかもしれないような、そんな複雑な気持ちを抱えながらも、360度ゆっくりと景色を眺め歩きながら、自分のベストポジションを探して行く。

たまに執筆等で煮詰まった時、家の近くを散歩して、外の公園のベンチに座って作業すると、意外と進むことがある。

だけど、夏だと暑くて、外では作業できない。そんな時、涼みながら外にいるみたいな気分になれるこんな場所は貴重だろう。

そう、プラネタリウムに通っていた時のように、何事もエスケープが重要なのだ。

エスケープといえば、久しぶりに同窓会で会ったのをきっかけに後日ご飯に行った高校時代の友人を思い出す。その子は、学生時代から優秀で何事も冷静に上手くこなしている、完璧な人のように私からは見えていた。


しかし、その子は社会人になってから、職場に馴染めず、一度辞めて一定期間お寺の修行にまで行っていたということを話してくれた。今は、自分のペースでゆるく働いているのだと言う。
学生時代のその子からすると、バリキャリになっているイメージが私の中で勝手にあったため、内心とても驚いた。

話し進めると、その子は今同人誌を仲間たちと趣味で作っていることを、目を輝かせて教えてくれた。
彼女は自分の居場所をしっかりと作っていて、そこに誇りも感じているように見えた。きっと、昔よりエスケープするのが上手になったのだろう。

それに比べ、私は自分の中で、これをやれなきゃダメ、逃げちゃダメだとか、無意識に自分にノルマを課せながら窮屈に生きているように思えた。

もちろんそんなふうに、最低限の仕事をすることは大事だ。しかし、それ以上に自分の理想像を守りたい、エスケープする自分を許せないという思いもどこかにあるかもしれない。

だけど、彼女のような生き方も素敵で憧れる。そんなことを考えながら、また外の景色を眺めた。

真夏の都会の中心にいたって、探したらこんな快適な場所だってある。見えない敵と戦うより、こうやって、またどこかにエスケープしながらのらりくらり生きていってもいい気がする。

きっとそうしても、誰も怒ったり、自分の価値が変わったりはしないはず。
私がその子に対して感じたみたいに。

好きなものがあるから好きな場所になり、好きな場所があるから、好きな人生になる。
そんなシンプルな感情がこの街には漂っている。少しくらい痛くたって、関係ないじゃないか。

早歩きでも遅歩きでも、自分の歩幅が道になる。
歩くのが下手なんだったら、どうせなら人よりユニークで面白い道をゆこう。

さて今度はどんな街を歩こうか。次回へ続く。


モモコグミカンパニー
9月4日生まれ。東京都出身。ICU(国際基督教大学)卒業。
2023年6月29日の東京ドームライブを最後に解散したBiSHのメンバーとして活躍。
メンバーの中で最多の17曲の作詞を担当。2023年9月から音楽プロジェクト(momo)を始動。
執筆活動やメディア出演を中心に幅広く活躍。
著書に『御伽の国のみくる』『悪魔のコーラス』(ともに河出書房新社)、『解散ノート』(文藝春秋)、
『コーヒーと失恋話』(SW)など多数。

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