飯を食いながら携帯はいじりません。目の前の飯に集中します。
でも飯が来るまでの待ってる時間は、携帯の画面に集中します。何を見ているのかというと、将棋の対局です。プロ棋士の対局はほぼ毎日やっていて、日本将棋連盟のアプリなら対局をリアルタイムで、しかも解説つきで一手ずつ見られます。これがあれば飯を待つ時間なんてないようなもの。ありがとう、日本将棋連盟。
将棋との出会いは突然でした。
忘れもしない、あれは小学三年生の習字の時間。習字の授業で使う「新聞紙ファイル」をご存知でしょうか。新聞紙を横向きにして、半分のところで切り、それを重ねて、上部をホッチキスで止めればできあがり。字を書いた半紙を新聞紙の間に挟んで保管できるシロモノです。新聞、半紙、新聞、半紙という具合ですね。
書いた半紙をいざ挟もうとしたそのとき、将棋欄の「竜王」という言葉に目が留まったのです。
「竜王」?
えっ「竜王」?
この人「竜王」っていうの?
どういうことこれ?
どうやら将棋の世界には、大人なのに「竜王」と呼ばれてる人がいるらしい。「課長」とか「部長」とか「社長」ならもちろん知っています。でもこの世に「竜王」なんて呼び名があるとは。友達の新聞を見せてもらうと「名人」とか「棋聖」とか「王将」という人もいるらしい。
すげえ。かっこいい……。
興奮が止まりませんでした。
すぐ学校の図書室に行って、子ども向けの将棋の本を借りました。そこから、もぐら少年は将棋にどんどんのめりこんでいくのです。
将棋ができる同世代の子どもはほとんどいませんでしたから、相手をしてくれるのはもっぱら私のおじさんや、友だちのじいさん。でも当然、私が相手になるわけがないんです。当時の私なんてコマの動かし方がわかる程度。定石もなにもわからない。
中でも友達のじいさんはまったく容赦をしない。子ども相手だからって「飛車角落ち」なんてもってのほか。つねに平手。やりたい放題やられました。超つよかった。ボコボコです。
圧倒的な実力差があったとしても、負けるとやっぱり悔しい。「歩」で「飛車」や「角」を取られた経験がありますか? あの悔しさと言ったらもう。結局じいさんには一度も勝てませんでした。
私が30歳のとき、将棋のじいさんが亡くなったと小学校の同窓会で聞きました。驚きよりも悲しみよりも先に、こみあげてきたのは悔しさです。「ああ勝ち逃げされたな」と。今の私とやったらどういう結果になっていただろう。じいさんの強さはホンモノだったんだろうか。やっぱり勝てないんだろうか。じいさん、もう1回あんたと将棋指してみたかったよ。
中学になっても将棋熱は冷めやらず。ノートにボールペンで将棋盤を、えんぴつで駒を書いて、友だちのトモヒサと授業中も将棋の毎日です。「歩」を一歩進めるなら、そのマスの「歩」を消しゴムで消して、ひとつ前のマスに「歩」と書く。書いたら相手にノートを渡す。その繰り返しです。1回の授業で対局が終わらないときは休み時間中も継続。次の授業に持ち越すことだってありました。ノート将棋は中2でトモヒサとクラスが別々になるまで続きました。
そして高校で将棋部に入部します。私の家は貧乏でしたから、母親からは「高校は自力で通え」と言われていました。だからバイトをしなきゃならない。入部するなら、活動が週1回、水曜日だけの将棋部一択。迷いはありませんでした。
将棋部の活動場所は2年H組。教室の前で同じクラスの「王子」というあだ名の男子とばったり会いました。彼も将棋部に入るらしい。ふたりで一緒に扉をガラガラ開けて入ったら、教室の隅っこにひとり、メガネをかけた生徒が座っていました。入ってきた私たちを見て「来てしまったんだね」とポツリ。その人が1学年上の将棋部の部長でした。
「本当に入るのかい? やめてもいいんだよ? 君たちがこなければ、今日この将棋部をつぶすつもりだったのに……」
そんなことを続けざまにぼそぼそと言ってきます。
「こんなつまらない部活には入らないほうがいいよ。将棋なんてやったってなんにもなんないよ……」
ひたすらマイナスプロモーションです。
「俺とやりましょうよ」
ぐずぐずしている部長に私は対局を申し出ました。
その対局が、すごくいい将棋だったんです。熱戦でした。最後、部長がよくわかんないミスをして私が勝ちました。あれはほんとに部長のポカだったのか、もしかしたらわざとなのか。でもそのときの部長はたしかに楽しそうでした。将棋の本を片手に、教室でずっとひとりで将棋を指していた部長には、同世代との対局がうれしかったんだと思います。
それからバイトが休みの水曜日の放課後は、将棋部で王子と部長とひたすら対局。18時くらいまで黙々と。心地良い時間だったなあ。
将棋部の後のたのしみは、なんと言ってもスーパーコックの「のり唐」です。高校を出て坂をくだって、チャリで30分。私の家の最寄り駅にある黄色い屋根の弁当屋が見えてくる。スーパーコック干潟駅前店です。そこの「のり唐」が、めちゃくちゃうまいんですよ。のり弁の上に唐揚げがのってるから「のり唐」というわけです。
じつはこの「のり唐」、地元の人に代々伝わってきた裏メニューなのです。ふつうののり弁は白身魚のフライが1つ入ってるんですが、それが唐揚げ2つに代わってるんですね。私の場合は、トッピングで唐揚げをもう1つ増やします。細い袋に入ったマヨネーズもつけます。米も大盛にします。390円くらいだったかな。めっちゃボリュームあります。
発砲スチロールっぽい長方形の容器にしきつめられた、米。その上にまぶされた、オカカ。そしてその上にしかれている、のり。1枚のでかいのりじゃなくて、細長いのりが3枚だったかな。きんぴらごぼうと、大根のピンクの漬物、半分の半分くらいのサイズのちくわの磯部揚げ。そして、でっかいもも肉の唐揚げが3つ。私はそこにマヨネーズ。
まずは唐揚げを一口いきます。そしてのりと米。その後きんぴら。また唐揚げに戻って、のりと米いって、おしんこ。
唐揚げ、米、つけあわせ。
唐揚げ、米、つけあわせ。
こんな楽しいリズム、なかなかありませんよ。
唐揚げの1個めを食い終わったら、磯部揚げへ。食ってる途中でのりを箸で切っていくのが難しくなってきます。そうなったら、エイッとのりで米を巻いて食っちゃいます。最後に、のりに巻けなかったオカカごはんと唐揚げが残ります。それを大事に味わって終了です。
将棋部の帰りは、学校を出た瞬間から、私の口はもう「のり唐の口」。「のり唐食いてえ」に脳が支配されます。一刻も早く食いたい。
じつは高校からチャリで1分のところにもスーパーコックがあるんです。八日市場店が。でもそこで買ったら、家に着いたころにはのり唐が冷めてしまう。だから、八日市場店はスルーする。スルーすることによって、「のり唐食いてえ」という気持ちをさらに高める。「よし、おれは今からあったかいのり唐を食うんだ」と己を奮い立たせる作業ですね。「のり唐欲」を高めていく。
「のり唐」はふつうののり弁よりボリュームがあるので、蓋が完全には閉まりません。口が半分開いちゃってるような容器を、謎のオリジナルキャラクターがプリントされた包み紙で巻いて、無理やり輪ゴムでおさえこんでいます。それをチャリのカゴに載せて帰るんですが、口が開いてる部分を進行方向にもってきちゃうと弁当に風が入って冷めてしまう。だから口が開いてるほうを自分の体に向けて、少しでも冷めないように急いでチャリ漕いでシャーッと坂をおりていくんです。カゴの中でガタガタ揺れる「のり唐」をチラチラ見ながら。ひっくり返って唐揚げ落ちんじゃねえぞと思いながら。そうして我慢と工夫と努力を重ねて家で食う「のり唐」はもう最高です。うますぎ。
この私の青春の味は、もう味わえません。スーパーコックがもうないんです。干潟駅前店も八日市場店もずっと前につぶれてしまいました。
久しぶりに「のり唐」のことを思い出したら、私の口は当然のように「のり唐の口」になってしまいました。でももう食えない。こんなに食いたいのに。これを不幸と言わず何と言いましょう。

写真:辻敦(ポプラ社)
鈴木もぐら(すずき・もぐら):1987年5月13日生まれ。千葉県出身。NSC東京校17期で、同期の水川かたまりと2012年にコンビ「空気階段」結成。2019年に『キングオブコント』ではじめて決勝に進出し、2021年に優勝。2017年から放送中のラジオ『空気階段の踊り場』(TBSラジオ)では、それぞれの結婚や離婚などをリアルタイムで伝え、反響を呼んでいる。特技は将棋(アマチュア二段)、麻雀(アマチュア四段)、卓球(中学時代千葉県ベスト16)。