ポプラ社がお届けするストーリー&エッセイマガジン
メニュー
facebooktwitter
  1. トップ
  2. レビュー一覧
  3. 夢中になれるものを見つけた喜び【書評:瀧井朝世】

夢中になれるものを見つけた喜び【書評:瀧井朝世】

チェスをモチーフにした小説といえば、ルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』、小川洋子『猫を抱いて象と泳ぐ』などが浮かぶ。最近ではシュテファン・ツヴァイクの『チェスの話』が映画化され(邦題は「ナチスに仕掛けたチェスゲーム」)、ナチスに監禁された男が一冊のチェスのルールブックを読み込み、圧倒的な才能を身に付ける様子が印象に残っている(その過酷すぎる過程を含めて)。そうしたフィクションを通して、このゲームが持つ不思議な魅力は、多くの人が感じたことがあると思う。

第12回ポプラ社小説新人賞を受賞した石井仁蔵『エヴァーグリーン・ゲーム』は、そんなチェスをモチーフとした小説だ。もちろんこのゲームの醍醐味がたっぷり盛り込まれ、さらには青春エンタメ、成長物語としての読み応えもある。

本書は視点人物を変えながら時間が進んでいく連作形式の物語である。第1章の主人公は小学五年生の透。身体が突然動かなくなる全身型特発性神経不全症と診断された彼は長期入院を余儀なくされ、絶望している。だが、同じ病室の少年、輝が父親とチェスに興じる姿を見て興味を持ち、自分も教えてもらうことに。やがて同じ五年生の入院患者、瑠偉も仲間となり、彼らは対局を重ねていく。

第2章の主人公は高校2年生のチェス部員、晴紀。彼の部活仲間に瑠偉がいるため、読者は時が進んだのを知ることになる。実力に自信はありプロプレイヤーを目指している晴紀だが、親に反対されていることもあり、将来の目標が見えなくなっている。そんな折、かつて同じ学習塾に通っていた真妃と再会。彼女が学校でいじめられていると知った晴紀がとった行動とは……。

第3章の主人公は全盲の少女、冴理。幼少期、「目が見えない人でもできる仕事を」と望む母親にピアノのレッスンを強要され、最初は楽しんでいたものの重圧に耐えられず拒絶した彼女は、今は母親から見放されている。冴理がチェスにのめりこんでも、母は「それで食べていける?」と冷たく言い放つ。この章でも意外な人物たちが登場し、時の流れが把握できる。

第4章は、非行に走り少年院に入った過去があるが、チェスに目覚めてアメリカに渡った信生という男の話だ。ニューヨークでマフィアのドンの対局相手となった彼は、ある出来事で窮地に追いやられる。そしてクライマックスを迎える第5章は――。

1章ごとに読み応えのある展開を見せつつ、全体を通して主要人物4人の人生模様が浮かび上がる本作。4人の立場はまったく異なるが、共通するのは、本気で夢中になれるものを見つけ、自分の人生を転換させた、という点である。

日本ではチェス人口が少なく、将棋のようにプロになって稼げる可能性は低い。といって世界で戦えるようになるには相当な実力が必要だ。しかし、それが仕事になるかどうかに関係なく、心の底から夢中になれるものが、どれだけその人の生きる上での心の支えになることか。夢中になれるものを見つけた喜びが本書にはあふれている。また、彼らのゲームに臨む際の緊張、逡巡、決意、チェスに限らず多くの競技に共通する心情は、未経験者にも心に迫るものがあるだろう。

巧みなのは、誰でもチェスの魅力を実感できる内容になっている点だ。第1話がチェス未経験者の透の視点のため、読者は彼と一緒に簡単なルールやゲームの進め方を把握することができる。しかもそれが、説明的になりすぎず、あくまでも物語運びのなかに読みやすく盛り込まれているのだ。将棋などに比べドロー(引き分け)が多いこと、先人たちが残したさまざまな定跡があること、一度とられた駒はもう使えず、透の言葉を借りれば、〈生き残った駒は、いなくなった仲間の命を全部背負って、敵に挑んでいく〉こと。また、視覚障害者用のためチェス盤があることや、周囲に仲間がいなくてもネット上で世界中の人と対戦できることも分かり、初心者に「それなら自分でもできるかも」と思わせるポイントにも多く言及されていて心憎い。

長い時間にわたる大きな物語となっている本作。最終話では、この先の日本のチェス界への期待と希望をもこめた展開となっている。好きなものを通して繋がった人と人の縁、受け継がれていく思いに胸が熱くなる。チェスに限らず、打ち込める何かを見つけた人たちへの、温かいエールが感じられる作品である。

 

瀧井朝世(たきい・あさよ)
1970年生まれ。WEB本の雑誌「作家の読書道」、『別冊文藝春秋』『WEBきらら』『週刊新潮』『anan』『クロワッサン』『小説宝石』『小説幻冬』『紙魚の手帖』などで作家インタビュー、書評を担当。TBS系「王様のブランチ」ブックコーナーのブレーンを務める。著書に『偏愛読書トライアングル』、『あの人とあの本の話』、『ほんのよもやま話 作家対談集』、監修に「恋の絵本」シリーズ。

このページをシェアするfacebooktwitter

関連書籍

themeテーマから探す