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第2回

『英国幻視の少年たち5 ブラッド・オーヴァ・ウォーター』発売記念SS

「皆川に頼まねぇ?」
 コロッケパンを食いながら、近藤が言った。「なんで皆川?」俺は小声で訊き返す。近藤は肩をすくめた。
「器用じゃん。このあいだシングルに褒められてたし」
「でも……、なんか変わってるじゃん。喋ったことないけど」
「俺、1年のときおなじクラスだった。普通にいいやつだよ。っていうか、真鍋と飯食ってんだぞ。いいやつだろ」
「……」
 俺たちは教室の後方を振り返る。
 窓際から2列目の一番後ろ。そこには、ここ3週間ほどですっかりうちのクラスの日常となった、おかしな光景が広がっている。
 机を向かい合わせて昼飯を食っている皆川と真鍋。
 ただし2人は喋っていない。真鍋は売店のクリームパンを食いながら、俯いてなんかの絵を描いている。皆川は左手に弁当箱、右手に箸を持って淡々と食事を進めている。机に置かないのは、そうしないとときどき真鍋がものすごい勢いで払う消しカスが弁当箱に入るからだと思う。
 発端もあれだった。ちょうど梅雨に入ったばかりで、雨が降っていて、ほとんどの生徒が教室で昼を食っていた。真鍋はやっぱりクリームパンを片手に絵を描いていたが、まだ皆川のほうは向いていなかった。噂では、真鍋は入学当初からああで、1年のときも孤立していたらしい。挙動不審で、毎日クリームパンを食って、1日中ずっと消しカスを製造し続けているやつだから、まあそうなるよな、と思う。2年になっても真鍋は相変わらずで、その昼休み、勢いよく払った消しカスが斜め前の野上の弁当箱に入り、短気な野上がぶちキレて真鍋の机を蹴り倒し、馬鹿みたいにでかい音がして、クラスは静まり返った。
 一番驚いたのは真鍋で、どうやらやつはお絵描きに夢中で消しカスの行方なんて知らなかったらしい。突然机ごと心の友のスケッチブックを吹っ飛ばされ、手をぶるぶる震わせながら野上を見た。うちのクラスはそれまで比較的平和だったが、もし男子でいじめが出るとしたら野上とその取り巻きが加害者で、真鍋あたりが被害者だろう、とみんなが暗黙のうちに納得していたので、とうとうきたか、という雰囲気が漂った。
 固まった空気の中、最初に動いたのが皆川だった。
 真鍋の後ろの席で一部始終を目撃していたあいつは、まず自分の机を引いた。避難したのかと思ったが、そのままふらりと立ち上がって、倒れた真鍋の机を自分の机に向かい合わせた。次に、真鍋の肩に手を置いて「拾え」と言った。呆然としていた真鍋がはっとして床に膝をつき、スケッチブックや筆記用具を集める。最後に皆川は、勢いを削がれ手を出せなくなった野上を見て、「これでいい?」と訊いた。野上は真鍋を見下ろし、皆川に視線を戻し、けっきょく頷いた。それで我がクラスの平和は保たれた。
 それから毎日、真鍋と皆川はいっしょに飯を食っている。無言で。
「……もしかしてあれか、皆川が1年のとき矢木と付き合ってたから気に入らないのか」
 図星を突かれて俺は露骨に動揺してしまった。近藤がにやりとする。
「いいじゃん、もう別れてるんだから。逆になんかお得な情報聞けるかもしれないだろ。ほら」
 しかたなく立ち上がり、近藤について皆川たちに近づいた。真鍋はもちろん顔をあげない。弁当箱を片付けていた皆川は不思議そうな顔をした。近藤がへらっと笑う。
「皆川、今日の放課後ヒマ?」
「なんで?」
「あれあるじゃん、家庭科の、エプロン。来週締め切りのやつ。お前あれ進んでるだろ」
「普通」
「俺たちこのままじゃ間に合わないんだよ。手伝って。あれ、ほら、家に持ち帰るの禁止じゃん」
「なんで俺なんだよ。女子に頼めばいいのに」皆川がつぶやき、俺はその台詞に微妙に苛ついた。皆川が真鍋の足を軽く蹴る。真鍋がはっとして顔をあげ、俺と近藤にいまさら気づいてびくっとした。皆川は頓着しない。「お前、エプロンは?」
「え、エプロン?」
「家庭科の。終わりそう?」
 真鍋は神妙に首を横に振った。皆川が肩をすくめる。
「こいつもやる」
「おっけ」近藤が返す。「マジ感謝。今度売店でなんかおごるわ。クリームパンとか」
「俺の好物じゃない」
 そこで皆川はかすかに笑った。真鍋はすでにスケッチブックに戻っている。近藤が席に戻りながら「な、いいやつだろ」と背中を叩いてきた。よくわからない、というのが正直な感想だったが、俺はとりあえず頷いた。

 そうじが終わってから家庭科室に行くと、皆川と真鍋はすでにいて、作業台を挟んで向かい合っていた。どうやら皆川が糸をセットしたところで、真鍋がとろとろと縫い始めている。俺と近藤は棚からミシンと作りかけのエプロンを持って皆川の隣に座った。
「手伝うって、なにを?」皆川が訊く。「縫えってこと?」
「俺、まず糸のセットから危ういんだわ」
「いままでなにやってたんだよ」
「適当にやってるとできたりするんだよな」近藤が答える。「それかおなじ班の女子が見かねてやってくれる」
「猿渡は?」
「上糸はできる」俺は答える。
「下糸もがんばれよ」皆川が脱力して笑う。「なんなんだお前ら。糸のセットしたら帰っていい?」
「いーろーよー。途中でわかんなくなるかもしれないだろ」近藤が返す。
「準備室に田川センセイいるぞ」
「やだよ。シングルって、女子だけひいきしてないか。だからシングルなんだよな」
「そういうあだ名付けるからだろ」
 皆川は言いながら慣れた手つきで近藤のミシンの上糸をセットし、「なんでどいつもこいつもボビンがガタガタなんだ」と言いながら下糸もセットした。俺が10分くらいかける工程が数分で終わってしまう。近藤が拍手した。
「すげぇな。お前もうプロじゃん」
「ミシンの?」皆川は俺の裁縫道具を開けてこっちを見た。「上糸は自分でやるんだっけ」
「いや、やって。そのほうが早い」
「お前ら、これテストに出たらどうするんだよ」
「お前の答案カンニングするわ」
 近藤が言い、皆川は呆れ気味に笑った。

 結論から言って皆川はいいやつだった。そして器用だった。英語の予習をしながら近藤の雑談に応じ、真鍋が押さえを下げ忘れれば手を伸ばして下げてやり、近藤が返し縫いを忘れれば指摘し、俺の縫い目が曲がっているのに気づくと修正してくれた。それでいて、ミシンは授業まで触ったこともなかったという。嘘かもしれない。でもそういう感じもしない。きょとんとした顔で、だって、プリントに書いてあるだろ、なんて言うのだ。この図を見て理解できない人間がいるなんて思ってもみないような口調で。
 真鍋は画塾に行くとかで少し早く帰ってしまい、俺たちは6時前に後片付けをして学校を出た。駅までぶらぶら歩く途中、「そういえば、皆川って1年のとき矢木と付き合ってただろ」と近藤が突然言った。俺は近藤の腕を引っ張ったが振り払われた。
「なに、いきなり」皆川は眉を寄せた。「矢木?」
「いま3組の矢木」
「うん。まあ」
「なんで別れたの?」
「さあ……」皆川は首をかしげ、それから苦笑した。「よく知らない」
「振られたってことか」
 近藤はけっこう突っ込んで訊く気らしかった。俺は謎のドキドキを覚えながら、とりあえず口は出さずに聞いていた。皆川が頷く。
「別れよう、って言われたら、そうですか、ってなるだろ、普通」
「別れたくない、ってならねえの?」
「まあ……、あんまり」皆川は頭をかいた。「なんでいきなりこんな話になってんの? 矢木がなに?」
「こいつが気になってんだってさ」
 不意打ちでバラされて俺は慌てた。皆川がびっくりした顔をこっちに向ける。「いや、委員会でちょっと話したくらいだから」俺は言い訳みたいにそう口にする。
「あ、そう……」
「告白も矢木?」
 皆川はやりにくそうな顔をしたが頷いた。
「どんくらい付き合ってたの?」
「2ヶ月くらい……?」
「短いな。ケンカとかは?」
「しなかったと思う」
「なんで振られたんだよ」
「さあ……。だいたい振られるからな。なんか、根本的にだめなところがあるんだろ」
「でもわりとモテるほうじゃねえの。自分からは告白してないんだし」
 皆川はまた首をかしげた。
「告白されて、付き合って、振られるって、モテるにカウントされるのか?」
 俺たちは考え込んだ。理不尽といえば理不尽な気もしたが、だいたい俺は、女子から告白されたことがない。そう考えるとやっぱり皆川は「モテる」に分類される気がする。「モテるけど、長続きしない」ということだ。
 駅に着き、皆川とは改札の前で別れた。やつは徒歩圏内に住んでいるという。電車に乗ると、「矢木の好みとかについては、よくわからなかったな」と近藤が言った。
「ああ」
「訊かないほうがよかった? 口堅そうだし大丈夫だろ」
「いや、別に。でも、矢木っていうか、皆川自体がよくわかんねぇな」
「そうか? いいやつじゃん」
「それはそうだけど」
 それはそうなんだけど。
 俺は窓を見た。そうなんだけど、でも、よくわからなかった、というのが感想としては正しい気がした。まちがいなく嫌なやつではない。親切だし、冗談も言う、わりと容赦のない突っ込みもする。でもどこか掴みどころがない。振られたら普通はもっとダメージを喰らうか、女の悪口のひとつでも出てきそうなものなのに、それもない。どこか他人事みたいな口調だった。俺はむしろ矢木に訊きたいくらいだ。あいつと付き合うってどんなだったの、と。訊けないけど。別に仲良くないし。でも、明日委員会で会う。
 近藤のほうが俺より先に電車を降りた。俺はすでに矢木のことで頭がいっぱいで、皆川のことは考えなくなっていた。

 エプロンは皆川のおかげで無事に間に合った。夏休み明けの席替えで真鍋と皆川は席が離れて、どちらもそれ以降、いっしょに飯を食う気はないようだった。そういうところもやっぱり不思議だ。真鍋が変わっているのは明らかだが、本当は皆川も変わり者なんじゃないかと思った。あるいは、皆川のほうがずっと。
 3年になると皆川とはクラスが分かれて、絡むことはなくなった。大学に入ってずいぶん経ってから、ひさびさに会った近藤に皆川の話題を振られた。
「――そういえば、皆川って、覚えてる?」
「ああ。エプロンの」
「そうそう。あいつ、大学辞めたらしい」
「えっ。なんで?」
「なんか、後輩の女子と別れ話がこじれて、相手が自殺したんだって」
「はっ? 自殺? 死んだの?」
「らしいよ。家が近所のやつに聞いた。ヤバいよな」
「皆川って、そんなやつだったっけ?」
「別にいいやつだったよな」
「ああ……。大学辞めてなにしてんの?」
「どっか海外の大学に逃げたらしい」
「留学ってこと? そんな突然できんのか」
「知らねえけど。でも、俺あいつから英語のノート借りたことあるけど、綺麗だったぞ」
「そういう問題じゃないだろ」
 俺は突っ込み、近藤は笑った。その話題はそれ以上掘り下げようがなかった。親切で、器用で、いいやつ。俺たちは皆川についてそれしか知らない。ちなみに真鍋は、1浪して芸大に入り、漫画家としてデビューしているらしい。これにもけっこう驚いた。納得もした。そっか、そうきたか、という感じ。
 けっきょくのところ、おなじ高校で3年間をいっしょに過ごしても、ちゃんと知り合えるのなんてほんの一部なのだ。
 近藤と別れて家に帰りながら、エプロンか、作ったなあ、と思い出した。人生でミシンを使ったのはあれきりだ。もう上糸もつけられないだろう。皆川はなんとなく、いまでも使いこなせる気がした。だって、高校のときやっただろ、とか言いながら。
 俺はちいさく笑い、それからちょっと切ない気分になる。
 なにかをどうにかしたら、もっと仲良くなれたんだろうか。
 空を見上げて飛行機を探した。そう都合よく現れるはずもなかった。地球上のどこにいるかも知らないが、皆川がどこかで楽しくやってるといいな、と俺は思った。

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