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第12回

#12 早生まれの甘え

 春は明け方にやってくる。
 まさに「春はあけぼの」、今年も三月下旬にその第一声が響いた。
 声のあるじはウグイス。
 空はようよう白み始めるも、それでもまだほんのり夜の気配が残っている、そんな時間に「ほー、ほけ、ほけッ」と来た。
 それからはだいたい同じ時間にその日の第一声が聞こえてくる。私は超夜型の生活を送っているため、だいたい執筆中、もしくはゲーム中だ。
 そこへ、「ほー、ほけきょ」と窓の外からあいさつが届く。
 時間は毎朝ほぼ同じ。今年は午前五時半だった。「ほー」とチューニングするが如く第一声を伸ばし、それから「ほけきょ」と少し駆け足気味に決める。それを聞いて、「ハア、もうこんな時間だ。今日も原稿進まんかった」と寝床に潜りこむのが春の始まりの風景である。
 数年前のこと、ずいぶん美声のウグイスが登場した。
「ほーーーーー、ほけきょ」
 明け方にいつものルーティーンを繰り出したあと、「ぴろりろりろりろりろりろりろ」と続ける。これがやけに長い。まるで軽やかな笛の音のように気ままに鳴いている。ワンブレスで見事なものである。
 他のウグイスと比べても、一羽だけずば抜けた歌唱力がある。さながら、ウグイス界の美空ひばり。おかげで、その春は朝の訪れが楽しみだった。
 もっとも「ほーほけきょ」と鳴くウグイスはオスだ。「ここは俺のなわばりだぜ」と主張し、「さあさあ、こちらへ」とメスを呼びこむために、一生懸命さえずっている。ゆえに人にたとえるならば、美空ひばりではなく尾崎紀世彦なのかもしれない(そうなると、ウグイス嬢というネーミングも変な気がしてくる)。
 さらには「ぴろりろりろりろりろりろりろ」のロングトーンも、実は求愛のさえずりではなく、カラスなどが接近していることへの警戒感の表れなのだとか。されど毎朝、脅威が迫っていたとも思えず、あの美空うぐいすは極度のビビりだったのか。あれほどの美声を聞く機会はその後なく、「求む、ロングトーンが得意なビビりのウグイス!」である。
 ここで、ウグイスにまつわる俳句でお気に入りの一句を紹介したい。
 
 鶯や 製茶會社の ホッチキス
 
 作者は渡辺白泉(1913-1969)。静岡は沼津にて教員を務めた人物である。静岡と言えばお茶の名産地。春の新茶出荷の準備中に、製茶会社の軒先でおばあちゃんがバチンバチンと勢いよくホッチキスで袋詰めしている。そこへウグイスが「ほけきょ」と鳴く。実にのどかで、まるでその風景が目に浮かぶようだ。
 
   *
 
 そんなウグイスが鳴き始めて一週間もすると三月が終わる。
 四月からは新学期のスタート、様々なものが切り替わる。一月、二月、三月に生まれた赤ん坊は、世間で「早生まれ」と呼ばれるが、この呼び方もまたこのタイミングで区切りを迎える。
 ここに、
「早生まれの甘え」
 なるフレーズがある。
 この言葉を私に授けてくれたのは作家の津村記久子氏だ。
 かれこれ十年ほど前になるだろうか。大阪にある私の実家と、当時津村さんが住んでいたお宅が近く、ならば互いの家から同距離の串カツ屋に行こうという話になり、西成の老舗串カツ屋「ひげ勝」で待ち合わせをした。
 私が先に到着するも店は満席、入口脇のイスに腰かけていると、津村さんがかっこいいスポーツバイク(自転車)に乗って颯爽と現れた。
「あー、どうも」
 と手を挙げると、津村さんは店の前に雑然と集合する自転車列の端にスポーツバイクを停めた。すると接した自転車から一台、また一台と将棋倒しになるように次々傾いていく。
「あー」
 自然に声が漏れた。隣に座っていたおっちゃんも「あー」と言っている。
 これは助けに行くべきか、いや、でも他の自転車も倒れたわけではなく、単に傾いただけだから、そのまま放っておいてもアリと言えばアリな雰囲気であるな、と被害の状況を見極めようとしていたら、
「ほら、彼氏やろ。はよ行って、手伝ったらんかい」
 と隣のおっちゃんに叱られた。
 仕方がないので腰を上げ、傾いた自転車を戻す作業に入りながら、
「ごぶさたです」
「あ、ごぶさたしてます。何かすんません」
 と互いにがたごとと自転車の角度を戻しながらあいさつを交わした。
 その後、串カツ屋に入り、先ほどの「早生まれの甘え」なる言葉を聞いたわけである。
 相変わらず、おもろいこと言うな津村さん! とその場で大いに感心したのだが、困ったことにその他、話すことが多すぎたせいか、この「早生まれの甘え」の肝心の中身を忘れてしまった。
 私は津村さんとの再会を熱望した。
 それから一年ほど経って、今度は難波のイタリア料理屋「サンタ・アンジェロ」で津村さんとパスタを食べた。そこでようやく、前回の串カツ屋会食で津村さんが「早生まれの甘え」なるフレーズを案出し、それがとても印象的だったのだが、前後のくだりを忘れてしまった。あれはいかなる文脈で使われた言葉だったのか、もいっぺん教えてください――、と申し出たところ、
「え? そんなこと言いました? 全然、記憶にないです」
 とよもやの反応が返ってきた。
 そこで私は記憶の糸を手繰り寄せ、
「串カツを食しながら、たぶん早生まれである私の行動パターンを分析した津村さんが、『早生まれの甘え』という絶妙なフレーズをひねり出したと思うのですが、何をもって『早生まれの甘え』と言われたのかがわからない」
 と何とか周辺を蘇らせようと試みるが、
「確かに、そんな話をした気がしますけど、何やったかなー」
 結局、発言主が記憶を蘇らせてくれることはなく、それきりになってしまった。
 その後、このフレーズはぽつんと私の心に居残ることになった。ふとした拍子に思い出すのだが、つかめそうでつかめない、そんなもどかしい距離感を保ったまま十年が過ぎた。
 去年の直木賞待ち会でのこと。
 拙著『八月の御所グラウンド』が六回目の候補になり、選考会当日、なかなか届かぬ結果連絡を、新橋駅前の「ルノアール」会議室で、作家の森見登美彦氏、綿矢りさ氏、ヨーロッパ企画の上田誠氏とUNOなどに興じながら待っていた。
 二枚カードを取る、方向チェンジ、四枚カードを取る、あ、UNO言うの忘れた、などとしどけなくゲームが進行する最中、ふと目の前にいる森見登美彦氏と綿矢りさ氏が早生まれであることを思い出した。
 森見登美彦氏は一月生まれ、綿矢りさ氏は二月生まれである。
「早生まれの甘え」
 何の脈絡もなく、ひさしぶりにこのフレーズが蘇った。
 この場にいる小説家全員が早生まれという事実に、何かが薄らつながったような気がした。
 しかし、このときもそれきりであった。
 直木賞の幸運な結果を伝える電話がかかってきて、てんやわんやの長い夜が始まったため、それどころではなくなってしまったのである。
 あれから一年が経ち、今年も三月の終わりまであと一週間というところでウグイスが鳴き始めた。
「早生まれの月もおしまいですなあ」
 などと風流に浸っていたとき、唐突に一個の仮説が頭の中に降ってきた。
「早生まれは小説家になりやすい」
 たとえば、幼稚園に通うお子さんがいる方などはよくご存じだろう。入園式を終えたばかりの年少組の教室には、入園した途端に四歳になる子と、三歳になったばかりの子が同居する。この年頃の子どもたちは、誕生日が半年違うだけで相当な身体的、精神的成長の差が発生する。いわんや、一年をや。
 実際に、二月生まれの私は幼稚園に入園したての頃、非常なあかんたれだった。毎朝、幼稚園の入口まで付き添ってくれる母親と別れるのが嫌で仕方がなく、うおんうおんと泣いては幼稚園の先生たちに拉致されていくという儀式を繰り返した。さらにはひとりで着替えることができず、年少の間、親切な女の子が面倒を見てくれていたのだという。
 かように、自分よりもはるかに身体が大きく、機敏な動作ができる「遅生まれ」の子たちに囲まれながら、「早生まれ」の子が迎える幼稚園の環境は過酷だ。よほど発育がいい場合を除き、どうしても受け身、もしくは様子見のポジションに身を置かざるを得ない。人によっては、それが小学校低学年あたりまで続くこともあり得る。
 ならばである。
 環境が人の性格に影響を与えるならば、「早生まれ」は好むと好まざるとにかかわらず、行動者よりも観察者として社会生活をスタートすることになるのではないか。
 話は戻り、直木賞の待ち会の場にいた小説家三人ともが早生まれだったのは(脚本家の上田誠氏は十一月生まれだった)、ある可能性を示唆してはいないか。すなわち、小説家にとって何よりも必要な要素である観察者としての能力を、早生まれであるがゆえに会得した――。
 以前、京極夏彦氏のお宅でボードゲームをすべく集まった小説家メンバーを思い返してみる。私と森見氏と綿矢氏は早生まれ。ホストである京極氏は三月生まれ。最年少参加の小川哲氏は十二月二十五日生まれ。一週間の誤差だし、これも早生まれにしてしまおう(今は百八十センチを超える偉丈夫である小川氏だが、三歳くらいまでは病弱だったそうである)。
 何と五人全員が早生まれというデータが出た。
 もはやこれは「統計学的に有意」と言えやしないか。
 勢いを得た私は、手っ取り早くデータが取れる作家の集合体として、直木賞選考委員の誕生日を調べてみることにした。
 角田光代氏が三月、辻村深月氏が二月、米澤穂信氏(二〇二五年七月の選考会から加わる)が三月、宮部みゆき氏が十二月二十三日生まれなので、これも一週間くらいならと「早生まれ」に含めてしまおう。そこに先ほどの京極氏を加えると、選考委員九人のうち五人が早生まれという結果が出た。一月、二月、三月生まれである確率は四分の一なので、かなり偏りが発生している。
 おもしろいことに、「この人は早生まれだろうな」と何となく予想しながら調べると、実際に早生まれなのである。自分から先手を打つのではなく、いったん相手の手を見てから対応を決めそうな、まさに観察者のイメージがある作家が早生まれであることが多い。その逆も然り、「林さんは違うだろうな」と当たりをつけて林真理子氏の誕生日を調べると四月一日だった。先頭も先頭、何て行動者のイメージどおりなのだろう、と妙に感銘を受けた。
 ついでに芥川賞の選考委員も調べてみた。
 こちらも九人中五人が「早生まれ」だった。さらには川上弘美氏が四月一日生まれで、直木賞と鏡写しのように出来上がっているのが不思議だった。
 
   *
 
 前もってお伝えするが、結論など出ない話を続けている。いくらでも例外がある与太話のひとつである。
 されど、ここまで偏りがあるならば、早生まれであることは何かしら小説家の資質に後天的な影響を与える要因となっているのではないか、とも言いたくなる。
 さらに、ここで念のため「早生まれ」の定義について調べてみたら、とんでもないことが発覚した。
 何と「早生まれ」とは一月、二月、三月に生まれた人を言うのではなかった。正確には、
「一月一日から四月一日までに生まれた人」
 を指す言葉だった。
 意外とややこしい法律に基づく話なので詳細は省略するが、四月一日生まれが「早生まれ」組に吸収されてしまうのは、
「四月一日生まれは三月三十一日に満年齢で一歳年を取るため」
 という理屈によるものらしい。
 となると、四月一日生まれの林真理子氏と川上弘美氏は「早生まれ」だ。完全なる最後尾として、誰よりも過酷な環境のもと幼稚園もしくは保育園に入り、観察者として社会生活をスタートさせたはずで、「先頭も先頭、何てイメージどおりなのだろう」などと勝手なことを記し、たいへん失礼しました。
 ということで、両賞ともに「早生まれ」が占める比率は九分の六。本来あるべき四分の一からは大きくズレている。
 果たして、これは日本だけの現象なのか。三月から新学年が始まるお隣の韓国では? さらには、九月に新学年が始まるアメリカや台湾で、六月、七月、八月生まれに作家が多いというデータが出たならば、いっそう仮説を前進させられそうだ。
 ひとつ確かであるのは、これだけあれやこれやと話を広げたところで「早生まれの甘え」が何かはわからぬまま、ということ。
 一月生まれの津村記久子氏が思い出してくれぬ限り、真相は永遠に藪の中である。
 
 鶯や 甘えずホケキョと けさも鳴く

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