6 失ったからこそ得るものもある
どんなふうに直すことができるのか、他の手段ではどんな感じになるのかをきちんと絵にして、智依さんの場合はCGで作るんだけど、郁子さんに提示しなきゃならない。
「まず、ひとつは」
智依さんがマグカップの欠片をひとつ持って言う。
「これはもう郁子さんのご希望なのだから、何の工夫もなく全部を専用の接着剤でくっつけて、元通りのマグカップにすること。金継ぎはもうあまりにも価格が高くなりすぎるからやめましょうってことねー」
それはもうそうですよね。いくら形見の品でも何十万もかけてマグカップを修理できません。
「でも、普通にくっつけても見た目はけっこうなヒビだらけになりますよね?」
そうねー、って智依さんが頷く。
「色が黒だから余計に目立つわね。でも、そうならないように見た目を整える方法はいくつかあるから、それでできるかな。手間賃としてはー」
「五千円かしらね」
千弥さん。
「くっつけるだけならそんなものかなー。見た目をきっちり整えるのなら、八千円から一万円、いや完璧にするのなら、一万五千円ぐらいは欲しいかも」
それぐらいなら、大切なものなんだろうから払うよねきっと。
「でも、それは」
「うん、してほしくはない。愛した人の形見を台所のどこかの隅で埃を被るだけにするなんてことは」
あくまでも、お義父さんが感じたことが本当であれば、の話なんだけど。
「もうひとつの方法としては、まったく違うものにしちゃうこと。それは、隠しておくなんていう悲しいことをしないでほしいからね。まず、この欠片たちをぜーんぶ土に戻しちゃう」
土に。
「削っちゃうんですか?」
「そうだね。細かく砕いてゴリゴリやって」
「その上で、粘土に混ぜちゃって違う焼き物、それこそ似たようなマグカップを一個焼いちゃうってこと?」
そういうこと、って智依さんが頷く。
「もちろん、マグカップじゃなくたっていいわよねー。陶器だったら何でもいい」
「お皿でも、スープカップでも」
「何でも造れる。郁子さんの好きなものに。むしろ毎日使うものにした方がいいようにわたしは思うけれどー」
毎日使う陶器か。
「私もすばるちゃんも朝はパンなんですよ。そのときに必ずスープも飲むので、スープカップとかスープボウルとか」
「そうそう。そういうものー。そして旦那さんには新しく買ったもの、って言わなきゃならないだろうから、アーティスト色の濃いものにするのがいいかもー」
「大抵の家にはそういうものがあるから、わざわざ買ったのはたまたま見かけて一目惚れしたアーティストの作品だからってことにするのね?」
うんうん、って智依さんが頷く。
「どこで買ったかは、それこそうちでいいよね。うちでたまたまアーティストの作品を飾っていたってことにしちゃえば」
うん、それはすっごくわかる。もう家にはあるものでも、すごく気に入ったアーティストとかのものは欲しくなるよね。
「まぁ仮にスープボウルにするのなら、旦那さんのも一緒に作っちゃう、っていう手もあるけど、さすがに他に愛した人の遺品が入ったものをねー。今の旦那さんに使わせるっていうのはね」
「それは、ちょっと抵抗あるわよね」
ありまくりです。
「旦那さんに使わせる方のは欠片を使わないで、まったく同じような新品を作るっていうのもあるけれども、それもあれよねー。他に愛した人のものと一緒にっていうのもね」
キツイですよね。その方法はきっと却下ですよね。
「さらにもうひとつは、形見の品を割れたからってそうやってさらに砕いてしまうのはさすがに忍びない、っていうことならこの欠片をそのまま全部使って、モザイクアートっぽいものにしちゃう」
モザイクアートって。
「あ、あれですね? いろんな色のタイルを使って絵を描くような」
「そうそうそう、それー」
「どんなアートにするかは、郁子さんと話し合いね」
智依さんが頷く。
「この濃い黒色が印象的な作品にしなきゃならないから、そうだなー、黒と言えば夜の闇か、土の色だよね」
夜の闇か、土の色。
「どこか、土があるような場所の思い出の風景とか、あるいは星や月が浮かぶ夜空の風景? でしょうかね」
「あーいいねー。そういうのを、モザイクアートにしちゃって、壁に飾るものにしちゃう。他には、モザイクとはちょっと違うけれど、鉢植えの鉢ね。植木鉢。少し大きめのものにこの欠片や他に色の付いた陶器の欠片を混ぜちゃって、鉢にしちゃう。そうして観葉植物を入れれば、居間とかにずっとそれを置いておける」
良いと思います!
あ、でも決めるのは郁子さんなんだけど。
「他にはないかしらね。この欠片を使って作れるものは」
「実用品じゃなくて、現代アート的なオブジェならいくらでもいろんなものを作れるけれども、それはちょっと違うかなーって思うんだけど、どう?」
現代アートですか。
「ああいうのは、人を選びますもんね。少なくとも郁子さんが現代アートの作品を買うような人とは、ちょっと思えなかったですけど」
「そうだよねー」
「いや、わからないわよ。案外提案してみたら気に入ってくれるかもしれないし。どんなものが浮かんでくる?」
千弥さんが智依さんに言うと、んー、って首を捻った。
「木かな。角材にこの欠片を組み込んでいて、まるで木がマグカップを取り込んでしまったようなオブジェ。それなら安価で簡単にできる」
あ、何となくイメージできる。
「私でもイメージできるんだから、きっと親しみやすいものになりますよね」
「もしも、郁子さんと腹割って話ができるのなら、何かしら、えーと逢沢真さんだったっけ。その人との思い出の何かがあるんだったら、そういうのをモチーフにしてアートにもできるんだけどねー」
腹割って話すかー。
「自分が夫以外の人を愛していて、その人の形見を黙って持ってきちゃったんだ、なんて話してくれるでしょうか」
うーん、って皆で唸っちゃった。
「このプレゼンを智依がするときに、何かしらそういう打ち明け話をする的な雰囲気に、実はこのマグカップは、なんて郁子さんが話してくれる感じに持っていければいいんだけれども、何かないかしらね」
「セイさんが葬儀から帰ってくるところを見ていた、なんていうのを話すのはダメですよね」
「ちょっと危険ね。セイさんがその場にいてくれればいいけれど、たまたまそのときにうちの店にいるって、さすがにそれは無理やりだろうしセイさんに迷惑を掛けることになっちゃうし」
無理やりですもんね。
あ、でも。
「ちょっと小芝居しなきゃならないかもですけど」
「小芝居?」
「どんな?」
それは考えなくちゃならないですけれど。
「我が家にですね、〈田沼質店〉には、それこそ形見の品という質草がいくつかあるんですよ。それを上手く利用できないでしょうか。あ、利用っていうのはちょっと蔵から持ってくるってことですけれど」
形見の品、って千弥智依さんがハモって繰り返して少し考え込んだ。
「たとえばどんなものがあるのか覚えてるのー?」
「えーとですね、わかりやすいところでは古い時計ですね。腕時計と懐中時計もあります。それから、着物に、あ、万年筆っていうのもありますね。あとは、オイルライターに、あ、時計は掛け時計もありますね。陶器もいくつかあります。有名どころの有田焼の大皿とか」
「時計が多いのね」
「残りやすいんでしょうねー。故人の持ち物としてね」
千弥さんが、少し首を捻った。
「掛け時計、って、振り子のついた大きめのものね?」
「そうです。こんな形の」
さらさらってメモに形を描いた。箱は全部木でできていて、文字盤のところが六角形になっていて、振り子のところは長四角で。
ふーん、って千弥さんが呟く。
「ねぇ、桔平くんってね。商店街でバイトしたことなんか、たぶんないわよね」
「え、わからないけどー」
「ないんじゃないですか? 桔平さんは高校の頃から海外に留学していたって聞いてますけど」
「ちょっと確認してみる」
スマホを取り出して、打ち込んでいる。桔平さんにLINEしているんだ。
すぐに返事が返ってきて、また千弥さんが何か打ち込んで、返事が返ってきて。
「桔平くんね、この間郁子さんがマグカップをうちに持ってきたときにたまたま店にいたじゃない?」
「いたね」
いましたね。
郁子さんが入ってきたのですぐに店内に下がっていったけれど。
「今改めて確認したけれど、桔平くんはもちろん郁子さんのことを知らなかったって。だからね、桔平くんはそのときに実はその形見の掛け時計を持ってきていて、修理できないかって依頼に来たお客様なんだって感じになってもらおうかなって思いついたんだけど、どうかな?」
あー、って言いながら智依さんが何度か頷いた。
「商店街の子だけどほとんどずっと海外だから、マンションに住んでいる郁子さんも桔平くんの顔を知らないだろう、っていう線でね?」
「そうそう。郁子さんにプレゼンする直前に、桔平くんに店に来てもらって小芝居してもらうの」
「掛け時計の修理が終わったとか、あるいはその掛け時計はもう動かないのでアートにしちゃったとか!」
うんうん、って千弥さん。
「郁子さん、あのときに桔平くんを見ていたと思うんだ。印象的な人だから覚えていると思う。仮に、桔平くんを〈バーバーひしおか〉の息子さんじゃない? って知っていたとしても、古い掛け時計なら桔平くんのお祖父ちゃんやお祖母ちゃんの形見とかでごまかせないかな」
「〈バーバーひしおか〉さんは歴史あるお店だから、そういうものがあっても全然おかしくないです! っていうか、あります、お店の壁に掛かってます! そしてあそこのお祖父ちゃんお祖母ちゃんはもうお亡くなりになっています!」
それは知ってる。
「だから、田沼さんのところの本物を用意する必要はなくて、掛け時計をどっかの古道具屋さんから買ってきて」
うん。
あ、いや、そういうふうにするのなら。
「桔平さんに協力してもらうなら、うちの掛け時計にする必要は全然ないし、桔平さんの小芝居も別の方向でいいんじゃないでしょうか」
「別の方向?」
「桔平さんは桔平さんのままでいいんですよ。下手な嘘は小芝居にも影響します。海外暮らしが長いんだから、何か海外のアンティークとかを用意して、それが壊れちゃったんで、何か違う方向でアートにしてもらったんだって、そういう流れでいいんじゃないでしょうか!」
ポン! って千弥智依さんが同時に手を打って。
「それね」
智依さんが言って、千弥さんが続けた。
「郁子さんと同じシチュエーションの小芝居でいいんだ。桔平くんにはちょっと申し訳ないけど、海外で知りあった恋人、恋人って嘘はさすがにツライかな。大事な友人知人から貰った形見のような品物が割れちゃったので、それをアートにしてもらった、ってことにして」
「それなら、イケるんじゃないかなー。それが陶器だったらますますオッケー」
陶器ならあります!
「マイセンならどうです?!」
「マイセン? ドイツの陶磁器のね?」
「そうです! それのバッタもんがうちの蔵にたくさんあります! 質流れで出しても本当に二束三文にしかならないので、あれなら割っちゃってアート作品にしても全然問題ないです!」
ブランド物のバッタもん、偽物っていうのもうちの蔵には実は山ほどあるんですよ。それこそ全部いっぺんに売り払いたいぐらい。
「え、いいの? 二束三文ってどれぐらい?」
「いいんです! 私は一応跡継ぎですから。そういうものの処理だってできちゃうんです。そのマイセンは質流れで出しても、せいぜい一個二千円ぐらいですね」
「いくつか買い取って、そして最後に売りましょう!」
智依さん。
「そのマイセン、〈おもちゃのチヤチエチャ〉で買い取っちゃう。そうして別のアート作品にして、桔平くんに小芝居してもらって郁子さんに見せる。成功失敗は別にして最終的にそれより高い値で売っちゃえば、お互いに損はしないでいいでしょー」
そうしましょう。
「そのアート作品を、郁子さんがいる前で披露して、桔平くんにもちょっと小芝居してもらって、それで郁子さんが実は、って話をしてくれたならラッキー」
「してくれなかったら?」
千弥さんがちょん、って感じで指を合わせた。
「もうしょうがない、って諦めて、素直にマグカップをマグカップに直せばいいだけの話よ」
「そもそもそういう依頼なんだしね」
*
「なるほどねー」
桔平さんが店に来ていた。
ちょうどお昼時で、この時間帯は〈おもちゃのチヤチエチャ〉がヒマっていうのはわかってきていたんだ。
受付は店のいちばん奥で、そこで話していてもガチャガチャをやってるお客さんたちに聞こえることはたぶんないけれども、やっぱりお客さんがほとんどいない方がいいからって時間を指定した。
もうちょっとしたら郁子さんがやってくる。その前に、完成したマイセンのバッタもんを使ったモザイクアートの完成品を見せていたんだけど。
「凄いよ智依ちゃん。これは、マジで売れると思うわー」
「でしょー?」
えへへ、って感じで智依さんが笑って。
でも本当に凄い。私も今日になって初めて見たんだけど、これはもうしっかりとしたアート。芸術作品。
マイセンの皿とかティーカップのバッタもんを割って、あのモネの日傘をさす女性の絵をイメージさせるモザイク絵にしちゃっている。大きさは、大きめの写真集を拡げたぐらいのもの。
「家の壁に飾るにはちょうどいい大きさだしね。いいわー」
「桔平さんは、ヨーロッパのあちこちで住んできたんですよね? 向こうでアートとかそういうものにはたくさん触れてきたんですよね」
なんか、そういう話を聞いたことあるような気が。
「そうねー。あちこちってもドイツとイギリスとフランスがメインかな。向こうでアートっていうのは日本と比べるとすごく日常的な感じがするかな。堅苦しくないって感じ。だからこのモザイクアートも、日本よりは向こうでウケると思う」
「最終的には、〈おもちゃのチヤチエチャ〉のサイトで売ろうと思ってるのよ。そこではおもちゃもアートも何もかも同じレベルで扱って、〈茶木智依〉の作品としてね」
「いいねー。ボクの作品も売ってもらおうかな。普段使いの革製品じゃなくて、もっとアート色の強いのを作って」
「良い良い! 作ろうよ」
全然別の話になっちゃっていますけど。
「うん、それでこのモザイクアートの元になったマイセンの偽物は、亡くなったボクの友人のものだった、ってことにしちゃって話せばいいのね」
「ゴメンね、変なこと頼んじゃって」
ううん、って桔平さんが微笑んで。
「いい話よ。そのマグカップが本当に愛した人の形見の品なら、こんなふうに壊れてしまったのも運命だったのかもしれないじゃない? むしろ、生まれ変わって一緒に暮らしていくためにそうなったのかもしれないし」
桔平さん、とても優しそうな眼をして、マグカップの破片を見ている。
「それにね、本当の話で、向こうで一時期一緒に暮らしていたけれど、亡くなってしまった友人がいるのよ」
「え、本当に」
こくり、って桔平さんが小さく頷いて。
「友人、うん、男で特別な関係ってわけじゃなかったけれど、大好きな友人だったの。彼が亡くなって一緒に住んだ部屋に彼のものが残されてしまって。だから、そういうものを持つ人間の気持ちはとてもよくわかるから、小芝居にもリアリティが出るかも」
そうだったんですね。私はまだ親しい人が亡くなったなんてことはないから、少しわからない感情かもしれないけれど。
「来たわ」
千弥さんの小さな声。皆が、さも今こうして話をし始めた、って雰囲気を作る。
「いらっしゃいませ」
こんにちは、って郁子さん。まだご主人はしっかり働いているので、昼間は一人なのでいつでもいいっていうのは聞いていたんだ。
「すみませんお昼時に」
「いいえ、いいのよ。たまに外でご飯を食べているからちょうど良くて」
カウンターの前の椅子に座ってもらった。桔平さんは、少し離れたところで今さっき話していたマイセンのバッタもんの、でも素晴らしいモザイクアートを見ながら、ちょっと頭を下げて郁子さんにも挨拶した。
郁子さん、あらこの人は、って感じの表情をした。
見逃しません。中身の話をするのは千弥智依さんだけど、進めていくのは、私の仕事。
「篠原さん、今回のご依頼の話をする前に、偶然なんですけどこちらの方、この間マグカップを持ち込まれたときにも一緒になりましたよね?」
「そうですよね? お見かけしたと思ったら」
桔平さんも郁子さんも同じように微笑んで、頷いた。
うん、これはまったく知らない人っていう反応だ。あのとき見かけた人、っていうだけ。でも桔平さんは老若男女問わずものすごく印象的って思われる人だから覚えている。
「それで、重ねて偶然なんですけど、こちらの方も割れてしまったティーカップセットを持ってこられていて、これを修理できないかっていうご依頼だったんですよ」
「あら、そうなの?」
「そうなんです」
桔平さん。
「それが上がったってことだったので、今日取りに来たんですよ。これなんですけれどもね」
桔平さんが、モザイクアートを見せた。
郁子さんが、驚いた。
その驚きの表情は、素敵! って顔。
「モザイクアートね。割れたティーカップセットの破片をそのまま使って」
モザイクアートって言葉を知っていた。つまり、郁子さんはその辺りの知識もあるっていうことだ。
桔平さんが、頷いた。
「最初は、ただ元の形にくっつけてもらおうと思ったんですけれど、こちらの皆さんに話を聞いたんですよ。そうしたら、大事なものであったのならば、新しく生まれ変わらせるというのは、どうですかって」
「新しく」
郁子さんが、小さく呟いて、桔平さんが続けた。
「ちょっと変な話をしちゃいますけど、このティーカップ、大事な親友の遺品だったんです。昔に一緒に暮らしたこともあってそのときに使っていたもので」
「まぁ、お友達の」
桔平さん、普段はとてもフェミニンな、はっきり言うとわりとオネェ言葉で話すのだけれど、今は完全に男言葉で話していますね。これは、演技がとても巧いんだと思います。
「元々使っていなかったカップで、ただ茶箪笥の隅で埃を被っていただけなんです。でも、うっかり割ってしまって、元通りにしてもまたしまっておくだけならば、いっそのことこういうものにしてしまってはってチヤチエチャさんに言われて、確かにそうだな、と」
うん、って大きく桔平さんは頷いて。
「すごく良かったと思います。なんか、友人も見てくれて喜んでいるんじゃないかって。俺のティーカップすごいじゃんって」
本当に、桔平さん演技が巧い。なんか全部嘘って知ってるのにちょっと目頭が熱くなっちゃったぐらい。
郁子さんが、うん、って何か感じ入ったように頷いている。
「そこで、篠原さんにもご提案なんですけれども」
「はい」
「まず、ご依頼のあったように、このマグカップ」
元通りに箱に入れて、蓋を開けてテーブルに置いてある。
「金継ぎはお勧めしません。どう考えても、三十万円以上掛かります。私たちの商売としては非常に嬉しいですけれども」
「そうね」
クルッとディスプレイを回して、智依さんの作ったCGを見せる。
「こちらは、専用の接着剤を使ってくっつけて、元の通りに戻したものです。ひび割れや砕けて元に戻せない部分が見えないようにしっかり加工したもので、よく見ないとまったくわからないものにできあがります。料金は、一万五千円になります」
郁子さんが、小さく頷く。
「そしてここからは、私たちからの提案なのですが、マグカップは陶器で元は土です。それならば、いっそのことこのように元の土に戻してしまって、そうした上で粘土と混ぜて、前と同じようなマグカップを作ることです」
まぁ、って郁子さんが声を出した。
「できるのね?」
「できます。もちろん、このようにマグカップではなく、たとえばスープボウルとか、お皿とか、普段も普通に使えるものを作ることだってできます」
「陶器ならなんでも、ってことね」
「そうです。料金の方ですが、普段使いの陶器としては若干お高くなりますが、大体は何を作っても三千円から五千円ぐらいに収まると思います。そうして」
桔平さんがまだ手に持っていたモザイクアートを示した。
「ご希望であれば、マグカップの色が黒ですから、それを生かしてこんな感じに」
ディスプレイのCGを入れ替える。
そこには、あのゴッホの〈星月夜〉をイメージしたアート作品と、もうひとつ、中学校のグラウンドを黒の欠片で表現した、どこか懐しい感じの学校の校舎をイメージしたもの。郁子さんと彼氏が中学の同級生っていうのをちょっと拝借した。
「モザイクアートとして、完成させてお部屋に飾ることもできます」
郁子さんの眼が輝いている。少なくとも悪いイメージにはならなかったみたい。
「他にもこのような」
CG入れ替え。現代アートっぽい作品をいくつか見せる。
「文字通り、アート作品ですね。こんな感じに作ってしまうこともできる。もちろん料金に関しては作るものによって要相談ということになるのですが、たとえばこの学校をモチーフにしたモザイクアートならば、周りの額装も含めて材料費込みで、一万五千円ぐらいでご提供できると思います」
「もちろん、使う材料が少なくなれば、その分料金もお安くなりますよー」
智依さんが続けた。
「材料を」
「はい、今このCGでは、マグカップの他の材料に全部色タイルを使って作っていますけれど、タイルを絵にしちゃうとか、あるいは篠原さんのお持ちの陶器、もう使わないものを持ってきてもらって割って使う、なんてことにすると、材料費が削られて一万円以内で作れちゃいますね」
郁子さん、ゆっくりと頷きました。そして、桔平さんがテーブルに置いたモザイクアートを見つめます。
「まさしく、新しく生まれ変わったのね。ティーカップが」
「そうですね」
桔平さんが答えます。
「素敵だわ。すごくいい提案をしてくれて、ありがとう。まさか、こんなふうなことをしてくれるなんて思いもしなかった」
いい感じでしょうか。言いながら、郁子さんは何かを考えています。
「元に戻すことばかり考えていたのだけれども、そうよね、一度壊れた物が完全に元通りになることなんか、ないわよね」
「見た目だけなら、そして新しく作り直すのなら、新品同様にはなりますけれど」
壊れたという事実は変わりませんからね。
「あのね、チヤチエチャさん」
「はい」
勢い込んで言ってしまいました。千弥智依さんも私の脇でちょっと身を乗り出しました。
「少しだけ、嘘を言っていたのよ」
「嘘ですか?」
「この割れてしまったマグカップね、私のものじゃないの。私のものは、まだ家にあるのよ」
ん? 家にある? って?
「その昔にね、あぁこの間言ったけれども、初めてのひとり暮らしをするときに買ったものなのよ。そのときに、その、友人が買ったのがこのマグカップなのよ、割っちゃったのは。私もそのときに、一緒に色違いの同じものを買っていたの」
一緒にその場で買ったんですね!
お義父さんが言っていた、買ったときにその場にいたかもっていうのは、正解だったんだ。
ひょっとしたら、一時期一緒に暮らしていたんですかね?
「だから、まったく同じ形で色違いのものがあるの。ねぇ、そのマグカップを持ってくるから、それを使ってこういうモザイクアートを作ってもらえます?」
智依さんが大きな笑みを浮かべて。
「もちろんですー! そのマグカップの色はなんですか?」
「クリーム色。ちょうどこの校舎のような。ねぇ、私はとてもびっくりして、ものすごく驚いたのだけれども、この学校とグラウンドの絵? 何かとても私が通った学校に似ているのよ」
学校って、どこも大体同じような造りだから、そう感じてもおかしくないですよね。
「じゃあ、こんな感じのですかね。作るのは」
郁子さんが、大きく頷いた。
「これがいいわ。本当にこれ、素敵なモザイクアート。これを部屋に飾る。きっと、このマグカップの持ち主だった友人も喜んでくれると思う」
料金は、材料を持ってきてくれるので税込みで一万円にしちゃった。
「凄いわー。なんて完璧で幸せな結末になったの。びっくりしちゃった」
桔平さんが、郁子さんの姿が見えなくなってから、笑って言いました。
「本当にね。郁子さんじゃないけど、私たちもびっくりしたわ」
「想像していた通りになったよねー」
唯一、想像していなかったのは。
「同じマグカップがあったってことですよね」
郁子さんは、それをずっとずっと使っていた、もしくは大事に持っていたんだ。長い長い間。
「一緒に暮らしたこともあったのでしょうね。そうじゃなきゃ、お揃いのマグカップなんて買わないもの」
「ですよね」
そういう二人が別れてしまって、それぞれに別の人と結婚して幸せに暮らして、それでもずっと気持ちを持ち続けていたんだ。お互いのことを思い合っていたんですねきっと。
桔平さんが、モザイクアートを見ている。
「ねぇ、智依ちゃん」
「はいはい」
「智依ちゃんが凄いアーティストだっていうのは、よくわかったわー。今度、相談に乗ってくれる? ちょっといつになるかはわかんないんだけれども」
相談ですか。
「何かを作るの? そんなの全然いつでもいいよー」
うん、ありがとう、って桔平さんが言って、小さく息を吐きました。
「そうねー。ひょっとしたら、瑠夏ちゃんたちにも同じように相談するかも」
私、たち?
「瑠夏ちゃんや、すばるちゃん。商店街の若者たちに。まぁボクもまだ若いつもりなんだけど」
若者たちですか。