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第12回

見守ることはできるのか

十六 見守ることはできるのか

 誰にも気づかれないように見守る。
 自分で言っておいて、すぐにそんなことはできないんじゃないだろうかって考えてしまいました。
 禄朗さんも、お父さんも、うーん、と考え込んでしまいます。
「無理、だろうな。いや、不可能、違うか。どう言えばいいんだこれは。結局のところ、真紀さんが美紀さんであることをはっきりと証明しなきゃ、正面からでも裏からでも、見守ることなんかできやしないだろう」
 お父さんが言います。
 そう、ですよね。
「そしてそれを証明するには、結局のところ、本人に訊く、確認するしかない。でも、本人に訊く、ということ自体が、真紀さんが最も恐れている事だろうから、そんなことはできない」
 禄朗さんです。
「できませんよね」
 自分が真紀ではなく美紀であることは、間違いなく決して誰にも知られてはいけないことのはずです。
 それが誰かに知られた時点で、今の真紀さんたちの暮らしが崩れてしまうかもしれないんです。
「今、この野々宮真紀さんたちの暮らしは一変して、苦しかったところから少しは楽になろうとしているところだよな?」
「そう、ですね」
「そんなところにな、俺は絶対に顔を出せないとして、いくら雇用主の弟夫婦、いやまだ夫婦じゃねえが、そんな二人だったとしても『あなたは美紀さんじゃないんですか』って。そりゃあもう、恐怖でしかないだろうよ」
 その通りです。
「やっぱり無理ですね」
 見守るにしても、このままただ黙って推移を見て行くしかないのでしょうね。そしてそれは、ただの知人であることと何ら変わりないってことになります。
「まぁ今までなんとかなってきたんだろうし、俺も一応は考えたが、どうしたって〈野々宮真紀〉が〈浅川美紀〉である証明は誰にもできっこないんだから、心配ないんじゃないか、とも思う」
「できない? ゼッタイ?」
「絶対はこの世にはねぇけどな。仮に警察としての捜査の観点からしても、ほぼお手上げの状態だ。禄朗くんならわかるだろうけどよ」
 禄朗さんが頷きます。
「何もできない以上、もうどうしようもないですけど、指紋は確か、一卵性双生児でも違いますよね。残された手段はもうそれしかないですよね」
 そうか、指紋がありますね。
「指紋はあるな。一卵性双生児の場合は似てるそうだが確かに違うらしい。だが、そもそも真紀美紀姉妹の指紋自体が残されていないだろう。今いる野々宮真紀さんの指紋と、浅川美紀さんの指紋を比べることができねぇんだ」
「浅川家の実家の状況は、どうなっているんでしょうね」
 禄朗さんが言うと、お父さんがメモを見ます。
「実家には今は、父親である浅川敬伍さんしかいないな。その実家は浅川家の持ち家で姉妹が生まれた頃から住んでいたところだから、まぁ姉妹がいなくなった後に改装とかしていなければ、徹底的に漁りまくれば姉妹の指紋はひょっとしたら出てくるかもしれないが、集まった指紋の照合自体ができない」
「母親は既に死亡していますからね」
「その通り。仮に家族四人分らしきものの指紋が採取できたとしても、照合できるのは浅川敬伍さんと野々宮真紀さんのみ。そしてその指紋は二人の指紋なんだな、わからない二人分の指紋は亡くなった母親と浅川美紀さんのものなんだな、と、結論付けるしかない。もちろん、警察のデータベースに四人の指紋なんか残っていないぞ。犯罪やら何やらに巻き込まれたことは一切ないからな。とにかく、野々宮真紀さんはここに存在している。誰も浅川美紀だと疑う人なんかいないってことだ」
「事件として扱うことを考えれば、これは状況証拠になってしまうけれど、姉妹の部屋がそれぞれ残されていて、そこに指紋が多数見つかれば、これはおそらく姉の真紀の指紋、そして妹の美紀の指紋というふうに分類ができる。それと今の野々宮真紀さんの指紋を照合すれば」
 そうか。
「確実なものではないにしろ、妹の美紀さんの部屋に多数残されていた指紋と一致したら、状況証拠としては」
「野々宮真紀さんは、浅川美紀ではないか、と、推測される」
「捜査の観点から考えれば、だな。だが、そんなことができるのは警察だけだ。やる必要もないだろうしな」
 そうですね。
 これが何かの事件に巻き込まれて、野々宮真紀さんが実は美紀さんですって証拠を挙げれば真紀さんが助かる、とでもいうのならやってもらいますけれど。
 そんなことは、できません。
「だから、とりあえず安心しておけ、だ。見守るのは今までのように、知人として友人として接しておけばいいってことにしかならん」
「このまま本当に何もしないのが、最善ってことね」
「そういうことになるな。唯一の懸念事項は夫である太一くんだが、これにしたって今までなんともなかったんだろうしな。まぁひょっとしたら、二人がわかっていて周囲には黙って夫婦を演じている、という可能性もなきにしもあらずだが、そんなことを俺たちが考えてもどうにもならん」
 二人がそれでいいと思っているのなら、周りがとやかく言うことじゃないですね。
 禄朗さんが、何かを考えています。
「浅川家の実家は、どこなんですか」
「千葉県だな」
 千葉だったんですね。
 禄朗さんが、頭脳をフル回転させているのがわかりました。
「何を考えているんですか」
「いや」
 うん、と頷きます。
「どう考えても、このままそっとしておくしかない。それはもう間違いないことだよ。そうしよう。権藤さんも、僕が言い出してお手数かけてしまって申し訳なかったですけど」
「そりゃ別にいいさ。俺も納得してやったことだからな。そしてこのままそっとしておくのにも賛成だ。黙って見守っていくのにもな。何かあるのか?」
「そうですね」
 禄朗さんが、外を見ました。
「偶然は、縁ですよね」
 偶然は、縁?
「僕がずっと気になっていた名前で〈嘘〉をついている野々宮真紀さん。今まで何もなかったんです。気にはなっていたけれど、本当に何もなかった。それが、ここに来て、僕が引き起こしたあの一球と関わってきた。野々宮真紀さんが、〈嘘〉をついていた荒垣球審の義理の孫娘というのが突然わかったんです。荒垣さんまでもが、偶然に一磨さんと知り合った。この偶然が、縁なんだとすると」
「すると?」
「他にも、縁が動き出すんじゃないかって気もするんですよ。もしもその縁が動いたときに、ひょっとしたら僕にできることが、やった方がいいんじゃないかって思う点がいくつかあるんです。そのための準備はしておいた方がいいかなと思うんですよ」
 縁が、動き出す、ですか。
「どういうふうに動くんでしょう」
「それは、まだ言えないかな。いずれにしても、まずはここまでにしておこう」
 お父さんに、本当にいろいろ済みませんでした、って禄朗さんが頭を下げます。話はこれまでです、って。
 そういう禄朗さんの瞳に、何か揺れるものがあったような気がして、察しました。
 お父さんの前では、言えないようなことを考えたのかもしれません。
 ひょっとしてそれは。

十七 その嘘がもたらしたものは

 朝ご飯を食べながら、今日から真紀さんはフルタイムで働けるのよ、って五月が。
「そうだね」
 衝撃的とも言える事実がわかった昨日。それは大げさか。でも本当にびっくりしたよ。まさか真紀さんの義理のお祖父さんが、あの禄朗くんが殴ってしまったアンパイアの荒垣さんだったなんて。
 それも縁といえば縁なのか。
「できれば給料もベースアップしてあげたいけどねー」
「それは、無理だよ」
「無理なのよねー」
 働いてくれている人、全員の給料は上げたい。もう何年も据置のままだ。これ以上僕のラノベ作家としての印税収入を回してしまっては、もたなくなってしまう。最悪なのは、潰してしまうことなんだ。
「でも良かった。新しいお家に住めて。優紀くんのことをお祖父ちゃんお祖母ちゃんに見てもらえて」
「それはね、本当に良かったよね」
 正確にはひい祖父ちゃんにひい祖母ちゃんなんだけど。お二人とももう全然頭はしっかりしていたから、優紀くんが小学校に上がってもう一人でも平気になるぐらいまでは大丈夫だと思う。
 保育所というか、子供を預かっておくスペースをうちでも作ろうかって話は前からしていたんだ。
 うちは中身は二階建てのビルではあるけれど、実は大きさとしては四階建てぐらいのものがある。一階分の天井高がめっちゃ高いからね。回廊みたいなスペースが一階にも二階にもあるから、その気になれば多少天井が低い四階建てにもできる。だから、改装することはいくらでもできたんだけど、でも、小さな子供がいる従業員は真紀さんだけだったからね。そこまでは踏み切れなかったんだけど。予算もないし。
「思ったんだけどね」
「うん」
「禄朗のこと、真紀さんを通じて荒垣さんに教えておいた方がいいんじゃない? 実は妻の私、〈ゲームパンチ〉専務の私の弟は、宇部禄朗ですよって。あなたをぶん殴ってしまった高校球児だった男ですって」
「荒垣さんに?」
「だって、真紀さんがいる限り、ずっとこの関係は続くのよ? 私たちは知ってて向こうは知らないっていうのがずーっと続くって、なんか気持ち悪くない? しかも真紀さんも何も知らないままっていうのも」
 まぁ、確かに。
 今後会う度に、こっちが隠しているような気になっちゃうよね。
「かといって、私や一磨くんが荒垣さんの家までわざわざ言いに行くのもなんかおかしいし。だったら、真紀さんに全部話して、真紀さんから荒垣さんに伝わるようにしてもらった方がいいんじゃないかしらね」
「そうだねぇ」
 全部わかったのはつい昨日なんだからな。
「早いうちに、真紀さんに言っておいた方が、変に思われないよな」
「そうなのよ。このまま隠しちゃうのって、なんか真紀さんとの関係を悪くするような気がするのよね」
 確かに、そうだ。
 禄朗くんも何かのきっかけで向こうにわかってしまったのなら、強いて隠す必要もないって言っていたし。
「今日、真紀さん出社したらちょっと時間取って、話しましょう。禄朗には今、電話して話しておくから。真紀さんには教えるからねって。そしてお祖父さんにも話していいからって言っとくって」
「わかった」
「荒垣隆司さんね? お祖父さんが。そして義理のお父さんが社長の荒垣秀一さんね?」
「そう」
「ややこしいからメモしておかなきゃ」
 隆司と秀一。別にややこしくはないと思うけど。

 真紀さんは、びっくりしていた。
 そりゃあするよね。
「専務の弟さんが甲子園に行った高校球児だった、っていうのは、前から知っていたんですよ」
「話したっけ?」
「いえ、誰だったかな。誰かに聞いたんです。児玉さんだったかな」
 そうだね、児玉さん野球好きだからな。
「それで、荒垣の祖父も、昔は高校野球のアンパイアをやっていたっていうのは聞いていたので、ひょっとしたら同じグラウンドにいたこともあったのかな、なんて考えたことはあったんですけど」
 まさか、だよね。
 真紀さんは、深く息を吐いた。
「高校球児に殴られた、って話までは知らなかったよね」
「知りませんでした。そもそも別れた父親の、荒垣さんの方なので、夫もあまり話はしてくれなくて」
 そうだよね。離婚した父方の話なんてあんまりしないよね普通は。
「まぁとにかくそういうことなのよ。こうしてね、真紀さんも荒垣さんと繋がっちゃったし、いや元々繋がっていたんだけどね。私たちもそうなったし、黙ったままでいるのもなんだってことで。さっきも言ったけど、お祖父さん、荒垣隆司さんには禄朗のことを教えてもいいから。っていうか、私としては真紀さんからスパッと伝えてもらった方がいいんだけどね」
 真紀さんが、頷く。
「そうですよね。専務や社長が荒垣の祖父にわざわざ伝えに行くのも、おかしな話ですよね」
「まぁおかしくはないけどね。それこそ禄朗くんの身内としてその節は申し訳ありませんでしたって菓子折り持って謝りに行くのが筋なのかもしれないけど」
「いや、それはやったのよ昔に」
「あ。やったの?」
 話してなかった? って五月が言う。聞いてないよ。
「もちろんまだ元気だったうちの父と母が出向いて行ったわよ。わざわざ荒垣さんの住所を調べてね。それこそ当時はうちで作っていた和菓子とか詰め込んだ菓子折り持って」
「全然知らなかった」
 でもそうか、普通はやるよな。
「私と太一さんが出会う前の話ですよね」
「もちろんよ。禄朗が高校生のときなんだから、真紀さんなんかまだ小学生でしょう。荒垣さんも、息子の秀一さんはもう奥さんと別れていた頃でしょう?」
 真紀さんも頷いた。確か、太一さんが幼稚園ぐらいのときに別れたんだよね。
「それで、そのときはどうなったの」
「どうもこうも。ただ謝ってきたって。でも、向こうは、荒垣のお祖父さんは特に怒っていなかったって言ってたわね。こちらこそ申し訳ない、って言ってたみたいよ。久しぶりに思い出したわそういえば」
「え、どうして申し訳ないって言ったの向こうが」
 五月がちょっと考えた。
「何でだったかしら。試合をコントロールできなかったのは、つまり禄朗がそんなことをしてしまったのは、審判の自分の責任でもあるんだ、みたいなことだったかしらね。もう昔のことでおぼろげになってるけど、確かそんな感じのことを言われたはずね」
 まぁ、そういう解釈もできないこともないか。
 でも、謝っていたのか。ということは、やっぱり少なからず荒垣さんの方にも何かあったってことなのかな。禄朗くんに対して。
「まぁとにかくそういうことでね。なんか申し訳ないけど、真紀さんから荒垣のお祖父様に話しておいてね。〈たいやき波平〉の店主は、あなたを殴った高校球児の宇部禄朗で、私の職場〈ゲームパンチ〉の経営者の弟なんですよ、って」
 真紀さんが、わかりました、って頷いた。

       *

 実は、火の車なんだ。〈ゲームパンチ〉は。いやそこまで大げさに言わなくてもいいかもだけれど。
 それはラノベ作家としての収入がそこそこまだあるからだし貯金なんかもできているからなんだけど、その作家の仕事は今のところ消えかかっている。
 一生懸命ネタを考えて、今まで本を出してもらっているところに持ち込んで書かせてもらわなきゃ、もう消えかかってはいるんだけど。
 あまりやる気が出ない。そんなことを言っていては駄目なんだけど。
 もちろんそれは、経理をやってもらっている五月もよくわかっている。
「どうしようかしらね」
 パソコンに向き合って、五月が言う。
 何をどうしようかって言ってるのかは、わかってる。借金でもして改装したりして、もっと〈ゲームパンチ〉を大きくして収益アップを図っていくのか、それともこのまま細々と火が消えるまでとことん頑張るのか。
「貯金使ってしまえば、改装なりいろいろ手は尽くせるのよね」
「だよね」
「でもそうすると、それが失敗したときは悲惨なのよね。まぁ借金さえしなきゃこの家は残るだろうから雨風は凌げるだろうけど」
「雨風はね」
 情けないことを言えば、倒れたとしても宇部家の四姉妹の結束でなんとか僕ら二人のことは面倒を見てもらえるだろうけど。どこかで雇ってもらったりね。なんだったら僕もたいやき焼いてもいいかなって思っているんだけど。
 でも、従業員の皆は守れなくなってしまう。
「おはようございます」
 事務所のドアが開いて、真紀さんが入ってきた。
「おはよう!」
「おはよう」
 タイムカードを捺す。あの話をしてから一週間は経ったかな。その後真紀さんも何も言ってこないし向こうからもコンタクトがないから、それでいいんだなって思っていたんだけど。
 真紀さんが何か微妙な表情をしている。
「あの、社長、専務」
「はいはい」
「実は、荒垣の方なんですが」
 荒垣さん。
 やっぱり何か言ってきたんだろうか。
「どうしたの」
「お会いしたいと」
 会いたい。
「え、僕たちに?」
 こくん、って真紀さんが頷く。
「禄朗にじゃなくてね?」
「いえ、禄朗さんにも。それで、荒垣の祖父だけじゃなくて、義父も一緒に」
「お義父さん?」
 荒垣秀一さんも?
「会いたいって、話があるってこと? 禄朗くんも僕たちも一緒に?」
「そうなんです。何の話なのかは、教えてくれなかったので私はまったくわからないんですけど。ここの営業終了後でも構わないので、できれば近々にお話しできる機会を設けていただきたいってことなんですけれど」
 お話しできる機会。
「場所は、どこでもいいそうです。ここでも」
 五月と顔を見合わせてしまった。
 一体、何の話があるっていうんだろう。しかも禄朗くんも一緒になんて。
「禄朗くんを呼ぶってことは、ユイちゃんも一緒でいいのかなぁ」
「たぶん大丈夫です。皆さんご一緒にってことだったので。私もご一緒させてもらいます」
 真紀さんも。

 禄朗くんに電話した。荒垣さんが、秀一さんも隆司さんも一緒に、しかも僕と五月も含めてお会いしたいって言ってきたって。
 そうしたら、四日後ではどうでしょうかって。その四日後っていう指定に何か意味があるんだろうかって思ったけど、特には訊かなかった。何かいろいろ予定があるんだろうなってことで。
 うちはいつでも良かったので、じゃあ四日後に、そしてうちの営業終了まで待ってもらうのは遅くなってしまって申し訳ないから、〈たいやき波平〉の営業終了後の午後七時すぎに、〈たいやき波平〉に来てもらうことにした。
 禄朗くんが、その方がいいでしょうって。〈ゲームパンチ〉の事務所は狭いしいろいろゲームの音が聞こえてきてうるさいし。それに、どんな話があるにせよ、メインは僕の件でしょうって。
 確かに。荒垣球審としては禄朗くんへの話だろうけど、そこに息子の秀一さんがどうしてやってくるのかが、よくわからない。
 まぁ宇部家の居間なら、その人数でも充分。おやつにたいやきを焼いておくって。それはいいと思う。どんなに剣呑な話になっても、甘いものを食べれば人間優しくなれるから。
 晩ご飯をどうしようかって思ったけど、そんなに何時間も話し込むはずもないから、終わった後に、どっかから出前取ってもいいし食べに行ってもいいしってことになった。なんだったら皆さん全員で。
 ひょっとしたら、ご飯も喉を通らないような話が出てくるのかもしれないし。

十八 その嘘から導かれたものは

 何かの準備をしていたように思いました。
 禄朗さんです。お父さんと話して、野々宮真紀さんが浅川美紀さんであることはほぼ確実とわかって。
 自分たちにはこれ以上は何もできないし、しない方がいい。ただ、今まで以上に見守っていくだけ、と決めました。
 でも、その後に禄朗さんは一人で外出とかしているんです。どこへ行くとかは言わずに。たぶん、セイさんのところだなって思いました。
 野々宮真紀さんのことで、何か相談できるとしたらセイさんしかいません。警察であるお父さんでさえ、これ以上は誰かに知られずに調べることはできない状況でした。その状況をひっくり返すようにやってしまえるのは、きっと〈Last Gentleman Thief “SAINT”〉、怪盗セイントであるセイさんしかいません。
 でも、何を調べているのか、そして何を準備しているのかは考えても全然わかりませんでした。
 訊かない方がいいんだな、とも。
 だって、セイさんが怪盗セイントであることを知っている人はたぶん誰もいないはずです。禄朗さんだって、嘘かどうかを見抜けるから自分ではわかっているだけ。大賀くんのときも、手助けはしたけれども自分で怪盗セイントだとは一言も言っていません。
 だから、今回のことも私は知らないでいた方がいいんだなって思って、訊かないでいました。
 そうしたら、今度は荒垣球審が。
 荒垣隆司さんが、会いたいと言ってきたんです。しかもどういうわけかはまったくわからないんですが、その息子さんの荒垣秀一さんも一緒に。そして、五月お義姉さんと、一磨さんに、真紀さんも一緒にです。
 全然わからなくなりました。何の話をしにくるのか。

 荒垣隆司さん。そろそろ七十八歳になられるということですけれど、全然そうは見えません。背が高くその背筋も伸び、身体に力さえ感じます。そして、とても優しそうなおじいさんです。
 その息子さんで、〈ARGホームラン〉の社長さんである荒垣秀一さんは、あまり隆司さんには似ていませんでした。少し丸顔の方で、身長もお父様である隆司さんより少し低いぐらいです。
 この方が、野々宮真紀さんの夫の太一さんのお父さんだったんですね。ここ何週間かで隆司さんのことも秀一さんのこともいろいろ聞かされたんですけれど、お二人ともとても優しそうで、でも、いろんな意味で力のある方だと思いました。
 さすがにこの人数だといつも使っているちゃぶ台では小さいので、宇部家がまだたくさんいた頃に使っていた座卓を出してきました。
 荒垣隆司さんと秀一さん、そして真紀さん。
 その向かいに、禄朗さんと私。上座と下座に、一磨さんと五月お義姉さんに座ってもらいました。
 もちろん、お茶とたいやきを出して。
「焼いたばっかりです。温かいうちにどうぞ。うちの自慢のたいやきです」
 禄朗さんが、笑顔で言いました。
「いや、これはありがとうございます」
 荒垣秀一さんです。
「では、お言葉に甘えてかけつけ云々ではないですけれど」
「どうぞどうぞ」
 皆でたいやきを頬張ります。本当に、何百個もたぶん食べていますけれど、いつも美味しいんです。
「旨い」
 荒垣隆司さんが思わず、って感じで言いました。
「いや、話には聞いていましたが、本当に旨い」
「ありがとうございます」
「これは、確かに買いに来てしまうな。明日からも買いに来ていいですか?」
 秀一さんが言います。
「もちろんです。どうぞご贔屓に」
「いや、なんだかこれはうちの居酒屋のメニューに加えたいぐらいだな」
「居酒屋のメニューに甘いものですか?」
 一磨さんです。
「いや全然ありですよ。居酒屋でもデザート感覚で甘いものを出すのは、普通にあります。これはあれですか、温め直してもオッケーなものですか。あぁいや、その辺はまた後にしましょう」
 皆で笑顔で頷きました。温め直しても全然美味しいです。
 秀一さんが、食べ終えて言います。
「とにかくいろいろお話があるのですが、まずは、私から。この度は、こうしてお話しする機会を設けていただきありがとうございます」
 社長の秀一さんです。笑顔が人を楽しくさせる笑顔です。たくさんのお店を抱えるやり手の社長さんだというのも、わかります。
「実は、〈ゲームパンチ〉さんとはもうずっとお会いする機会を探っていたんです」
 身体の向きを少し動かして、一磨さんに向かって言いました。
「というと?」
「改めまして、〈ARGホームラン〉の荒垣秀一です。こちら、まだでしたが、名刺です」
「あぁ、これはすみません。まさかとは思いましたが、持ってきて良かった」
 そう言いながら、一磨さんがポケットから名刺入れを取り出して、名刺交換です。五月お義姉さんも、やります。専務ですからね。
「うちの、と言ってしまうのも少し憚られるのですが、真紀がいつもお世話になっていまして」
「こちらこそです」
「真紀さんにはとてもよくやってもらっています」
「ありがとうございます。もちろん、私と真紀さん、そして息子の太一の間の事情はご存知のことと思います」
 知ってます、と皆が頷きました。
「ひょっとしたら、事情を知って疑問に思った方がいるかもしれません。離婚したとはいえ、太一は私の息子。そして真紀さんは義理の娘。新しい家に呼んで一緒に暮らし始めるということをしたのに、何故、真紀さんを自分の会社に呼ばないのか、と」
 そうなんです。私は思いました。
 たくさんのお店を抱える〈ARGホームラン〉さんです。真紀さんを自分のところで雇うことなんか簡単なんじゃないかって。
 一磨さんも五月お義姉さんも頷きました。
「少し考えましたね。ただまぁうちとしては真紀さんにいてもらうことがいちばんなので、余計な話はしませんでしたが」
 秀一さん、頷きます。
「実は、〈ゲームパンチ〉さんに、うちに入っていただけないかと考えていたんです」
「うちに? ということは?」
「〈ARGホームラン〉傘下に加わっていただき、カラオケ〈Mスター〉&〈ゲームパンチ〉としてやっていけないだろうか、というお話を、今日はさせていただきたいんです」
 傘下。
 買収、ですか。
〈ゲームパンチ〉さんを。

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