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第3回

義弟の禄朗くんはアンパイア

四 義弟の禄朗くんはアンパイア

 雨の日以外は散歩、ウォーキングを欠かさない。

 一日一時間程度の散歩ぐらいはしないと、本当に身体からだがなまって死んでしまうかもしれない。まぁ運動しないからいきなり死ぬってことはないだろうけど。

 でも本当に四十を越えたら途端に身体がなまってきたのがわかってしまったんだ。

 だって、靴下穿くのに片足で立ったらぐらぐら揺れて転んでしまうんだ。いや本当に。それで洗面所のところで盛大に尻餅をついてから、靴下を穿くときには椅子か床に座って穿くようにしている。若い頃から運動嫌いだったけどね。学校でも体育の成績は悪かったし。

 でも、観るのは好きなんだ。

 野球が大好きだ。

 同じ小中に通って下級生だった近所の禄朗くんが甲子園に行ったときには、本当に興奮して甲子園まで応援しに行ったよ。まぁそのときに禄朗くんが審判をぶん殴ったっていうのを後で聞いたんだけどさ。

 もう二十年も前になるんだな。いまだに誰も、五月も義姉ねえさんたちもその理由を知らないらしいし、禄朗くんも絶対に言わないらしい。もちろん、義兄になった僕も何も聞いていない。

 僕としては、たぶん、あの一球のせいだと思ってるんだけど。いてないけど、訊いてみたい気もあるんだけど、たぶん絶対に言わないだろうからずっと訊いてないんだけどさ。

 九回裏でフォアボールを出して同点になってしまったあの一球。

 あれは、スタンドで見ていても高さは間違いなくストライクだった。コースもそんなに外れてはいないように思ったけれど、審判は「ボール!」と告げた。そのときの、キャッチャーだった禄朗くんの反応が、ちょっと普通じゃなかったからね。スタンドで観ててもわかったよ。

 それまで見たことない反応をしていた。

 普通は高校野球なんだから審判のコールにいちいち反応はしないんだ。しちゃいけないんだ。際どいのをボールと取られても反応しないですぐにピッチャーにボールを返すのが普通。

 それなのに、あのときの禄朗くんは一瞬、動きを止めてゆっくりとアンパイアの方を振り仰ごうとしたんだ。

 そんなことをしてはいけないと気づいてすぐにやめて、ボールをピッチャーに返したけれどさ。

 本当にあの反応だけは違った。禄朗くんが高校に入ってすぐにレギュラーになってからの試合はほとんど全部観ていたけど、そんなことしたことなかったからさ。

 たぶん、あの一球はストライクだったんだ。禄朗くんははっきりとそれがわかっていたのにアンパイアがボールと告げた。もしもストライクと告げたのならそれで勝ったはずなのに、ボールとされて負けた。

 ただまぁ、負けたからって、そんな理由でアンパイアを殴るまでいくとは思えないんだけどね。何か、あったんだ。間違いなくあのときに。

 むしろその後に事故で肩をやってしまって、もうまともに球を投げられなくなった方が可哀想だったけれど。

「禄朗くんも、結婚か」

 十四歳も下のユイちゃんとね。元オリンピック選手っていうのはなんか元高校球児とは良い感じだけど。

 まさかね。あの女嫌いかつ堅物の禄朗くんがね。

 惚れられたとはいえ、ユイちゃんの一途な思いを受け入れる気になるとはね。

 人生ってホントにわからないもんだ。僕がラノベで作家になれたのもまさかね、って思っちゃうし、デビューして十五年もの間ずっと途切れなく依頼があるのもまさかね、だし。

 人生はおもしろい。

 経営者にはまったく向いていない僕がゲームセンターの息子に生まれて、親父がさっさと死んじまって否応なくそれを継ぐことになったのもおもしろいし、なんとかやっていけちゃっているのも、おもしろい。

 ゲームセンターの経営者とはいっても、仕事らしい仕事はほとんどしていないんだからね。

 やることといえば、提携しているアミューズメント会社との交渉だけ。それもほとんど向こうのお勧めに従って、はいはいとうなずいて新規のマシンやなんかを導入していくだけ。その他の店のことは、全部従業員たちがやってくれている。

 皆、優秀なんだ。ゲームとかそういうのが大好きな人たちばかりだし、お客さんをたのしませるためにどうしたらいいかって本当にしっかり考えながらやってくれている。

 あと、僕みたいな男と一緒になってくれた五月もね。なんとか潰れないように、潰されないようにと綱渡りのような日々だけどそれをきちんとやってくれている。

 宇部家の血は、きっと代々商売人の血なんだろうなって思うよ本当に。お義姉さんたちもそれぞれのところでもう主よりもずっと主らしく商売をやっている。そもそも全員が商売人のところに嫁ぐっていうのがね、なんかもうそれっぽくてさ。

〈すずき洋装店〉なんか、二葉さんが嫁になってからずっと売り上げが右肩上がりだからね。もう二葉さんがいないとやっていけないよあそこは。

 三香さんが嫁の〈佐東薬局〉は、大手ドラッグストアにも負けない堅実で誠実な商売で評判になってる。結婚してから大学入って薬剤師の免許を取ったっていうのも驚いたよね。

 四穂さんが嫁いだ〈向田商店〉もずっと順調だよね。新しいアイデアがスゴイよね。まさか肉屋が缶詰も扱うようになるとは誰も思わなかったしそれがすごい好調だしさ。

「でも、うちはなぁ」

 そもそもゲーセンを個人でやること自体がもう厳しい時代だし。いつまでもつかなって感じなんだけど、従業員の皆の暮らしは守ってやらなきゃならないし、かと言ってもう店はダメだからどこかへ移ってもらうから、ってのもね。なかなか難しいし。

 提携先が経営しているどこかのゲーセンやアミューズメント施設にまとめて雇ってもらえるように交渉することはできると思うんだけど、皆が皆いろいろ事情を抱えているからなぁ。

 おいそれとどこかの街に引っ越して新しいところで働いてね、っていうのも難しいんだよなぁ。

 もう五月と二人きりなら死ぬまで、贅沢さえしなきゃのんびり暮らしていけるぐらいの貯金は、ラノベ作家として稼いだんだけどな。

「頑張らなきゃならないかなぁ」

 どこかが店ごと買い取って、このままここでゲーセンか何かのアミューズメント施設を経営してくれて、従業員もまるごと雇ってくれるのがいちばんいいんだけど、こんな地方都市にやってきてそんな話に乗っかってくれるところもないだろうしな。

 そんなことを毎日散歩の度にずっと考えている経営者のもとで働いている皆が可哀想な気もするけど。

 でもうちはホワイト企業だしね。皆で幸せな暮らしができるように頑張っているつもりだし。

「おっ」

 向こうから歩いて来るのは愛しの甥っ子の大賀。〈向田商店〉の後継ぎ候補。お姉ちゃんの穂波ちゃんもお店を手伝うのが好きみたいだけどな。どっちが継いでくれるのか楽しみだよな。

「大賀」

「こんちはー」

 歩きながらぺこん、と頭を下げる。

「もう学校終わったのか?」

「終わった」

 四年生はこれぐらいの時間だったか。

「どこ行くんだ」

 ひょいと右を指差す。〈たいやき波平〉。

「お母さんが、禄朗叔父さんの様子見て、たいやきおやつにもらってこいって」

「そっか。叔父さんもだ」

〈たいやき波平〉の暖簾を大賀と一緒にくぐって戸を開ける。ここの暖簾、良いんだよね。形といい素材といい色といい、なんだかしっくり来る暖簾なんだ。

「一磨さん、大賀ちゃんも。いらっしゃい」

 ユイちゃんの笑顔。

 そして無愛想なんだけど微かに浮かべる禄朗くんの笑み。この二人、確かに年は一回り以上離れているんだけど、なんかこれも良いんだよね。

 二人で並んでいるのが、すごくしっくり来るんだまた。

 個人でやってる店って、もちろん扱ってるものがちゃんとしてることが第一条件だけれど、こうやって夫婦でやってるならその二人の間がものすごくしっくり来てるってすごく大事なんだよね。

 もうそれだけでまた来ようって気になるんだよ。

「大賀もたいやきか?」

「うん。お母さんが四個焼いてもらってこいって。あ、そして禄朗叔父さんはどうだって訊いてこいって」

「そうか。ユイお姉ちゃんがいるから、全然大丈夫だって言ってくれ。四個な。ちょっと待て。すぐに焼くから」

「一磨さんの分は、こちらに包んであります」

「ありがとう。こっちも伝言だけど禄朗くん。保育園へのたいやき差し入れは明日で、今回は二十個だって」

「了解です」

 頷いて、壁のホワイトボードにユイちゃんが書き込んだ。

 近くにある〈きぼうの森保育園〉。夜の一時までやってる夜間保育園だ。園長さんが宇部家とは深い繋がりがあって、昔からお菓子の差し入れをしているんだよな。

「そうだ、大賀」

「なに」

「今度の日曜日、うちでコラックの大会やるぞ。小学生の部もあるから参加するだろ?」

 人気の格闘ゲーム。大賀もいつも来てるもんな。

「や、今度の日曜は友達んちでカードゲームやるから。みんな集まって。行けない」

 そうか。

「わかった。残念だな」

 絶対に参加すると思って頭数に入れておいたが。まぁいいか。

「気が変わったら当日でもいいから言ってこい」

「わかった」

 こくん、と頷く。

 うちには子供ができないから、子育ての苦労やその他諸々を味わうことができないんだけど、甥っ子や姪っ子を見てる分には本当に可愛いと思う。

 まぁ子供を持ったら持ったで本当にいろいろあるのは、宇部家をずっと見てきたからよくわかるけどさ。

五 子供がつく嘘には何がある

「はい、大賀くん。たいやき四個ね」

「ありがと」

 大賀くんは〈向田商店〉に嫁いだ、宇部家三女の四穂さんの息子さん。四穂さんに似て、眼が丸くてくりんとしていて可愛いんですよね。髪の毛も長めにしているので、遠目には女の子に見えるときも。

 向田の篤さんと四穂さんは仁太さんの同級生だったので、ずっと仁太さんにコーチしてもらっていた私も、禄朗さんとお付き合いを始める前から何度も会ったり一緒にご飯を食べたりしていました。

 宇部家の四姉妹の中でも、いちばん仲良しかもしれません。

「お母さんに言っておいてくれ。特に様子を見に来るとかしなくていいからなって」

「わかったー」

 風のようにさーっと飛び出して帰って行く大賀くん。

 あれぐらいの子供たちって、本当に足に羽でも生えているように飛ぶように元気に走り回りますよね。

「明日、〈きぼうの森保育園〉には私がお届けしますね」

「頼む」

「三時ぐらいでいいんですか?」

 そうだな、って禄朗さんが頷きます。金型をブラシでこすって掃除しながら、何か考えているふうに首を少し捻りました。

「さっき、大賀は」

「え?」

「一磨さんに誘われたときに、日曜は友達の家でカードゲームやるから〈ゲームパンチ〉の大会は行けない、と、言ったね」

 言っていましたね。

「それが、どうかしましたか」

 禄朗さんが、顔を少ししかめています。

「それは、嘘だったんだ」

 嘘。

 大賀くんが? 一磨さんに?

「どこが嘘だったんですか?」

 確か、大賀くんは『今度の日曜は友達んちでカードゲームやるから。みんな集まって。行けない』と言いました。

 禄朗さんが、ホワイトボードに書き出しました。

〈友達の家でカードゲームやる〉

〈みんな集まって〉

〈行けない〉

「〈家でカードゲームやる〉が〈嘘〉だった。〈みんな集まって〉と〈行けない〉というのは本当だったな。あ、〈友達〉と〈今度の日曜〉というのにも嘘はなかったから、それも本当だ」

 家でカードゲームをやる、というのだけが嘘。

 では。

「日曜日に何人か集まって何かしらの用事があるから、〈ゲームパンチ〉に行けないというのは本当なんですね」

「そうだな。それは間違いなく本当だ。大好きなゲームの大会に行かないぐらいに大事な用事があるんだろう」

 小学生は、忙しいです。

 平日の学校はもちろん、放課後も土日もほとんど何か予定が入っています。何かの習いものだったり、学習塾だったり、もちろん友達と一緒に遊ぶのも小学生のうちはれっきとした予定。

 禄朗さんが、苦笑しました。

「これが、俺の日常なんだ」

 何気ない会話でも、その人がついた嘘がわかってしまう。

 さっきの一磨さんと大賀くんの会話は、ほんの二言三言。本当に何気ない会話で、聞いていた私も何とも思いませんでした。そうなんだ、と思っただけです。

 でも、禄朗さんはその中に〈嘘〉を感じてしまう。

「まぁ放っておいてもいいんだ。きっと大賀には、大好きな〈ゲームパンチ〉での大会に行けないぐらいの大事な用事が、友達の何人かと一緒にすることが日曜にあるんだろう。それはいいよな。おかしなことじゃない」

「そうですね」

 全然、普通にあることです。

「でも、どうしてその大事な用事を、一磨叔父さんに言えなかったのか、ですね? 大好きな叔父さんに嘘をついてまで、それを隠したのは何故なのか」

「そうだな」

 大賀くんのお母さんは、四穂さん。

 五月さんの夫である一磨さんは、大賀くんにとっては叔父さん。しかも同じ商店街に住んでいる、いつでも会っている、しかもゲームセンターをやっている大好きな叔父さんです。

「それが、どうにも引っ掛かった。少なくとも今まで大賀がそんな嘘を一磨さんに、まぁ一磨さんだけじゃなくて他の皆にも言うようなことはなかった」

「良い子ですものね。大賀くん」

 決して大人しいわけじゃなくて、元気で活発な子だけれども、しっかりもしている。もう少し大きくなったら頭も良くて運動神経もいいオールマイティでモテモテになるんじゃないかって感じの男の子。

 そんな子が、叔父さんに何かを隠した。

 嘘をついた。

「四穂さんのところで、向田家で、日曜に何かイベントがあって出かけるわけじゃないですよね」

「違うだろう」

 外を見ながら即座に禄朗さんが言います。

「それなら嘘をつく必要なんかない。素直に言うだろうし、そもそも〈向田商店〉の休みは月一回の火曜日だ。日曜に休むはずがない。店を休んでまで何かをするのなら、俺も聞いているはずだし、一磨さんだってユイちゃんだって聞いていてもおかしくない」

「そう、ですよね」

 臨時休業するのなら、間違いなく誰かが聞いています。商店会の方にも連絡をするでしょうし、それは事務局から全店舗に回されるはずです。

 以前はメールや掲示板を使っていましたけれど、今はLINEでも回ります。

「それに、絶妙な嘘だった」

「絶妙、ですか」

「〈友達と遊ぶ〉、と言っておけば、一磨さんはそれ以上の詮索はしないだろうし、後で五月にわざわざ言うことも、たぶんない。ましてや向田さんに確認なんかするはずもない。そう思うだろう?」

 確かにそうです。

「仮に、一磨さんが帰り際に五月さんに会ってそう言ったとしても、五月さんもあらそうなのね、と、ただ納得するだけですよね。友達と遊ぶって言っているんですから、いつものことですよね」

「その通りだな。大賀は頭も良いし、機転も利く子だ」

 学校の成績も良いし、とても賢い子です。

 ゲームが大好きなのはもちろんですけれど、パソコンとかにもとても詳しくて、子供向けの特別教室でプログラミングなんかもこなしていました。

 確か、その特別教室でオリジナルのゲームを作って表彰とかもされていたはずです。まだ四年生なのにすごいなぁと思っていました。

 禄朗さんが、考えています。

咄嗟とっさの答えじゃない。予め用意してあった嘘のような、感じだったな」

「予めというのは、誰かに日曜日の予定を訊かれたらこう答える、っていうのを用意してあったってことですか?」

 そうだな、って頷きます。

「答えに、何の躊躇ちゅうちょもなかった。素直に、ごく自然に答えていた。予め用意してなきゃ言えない感じの受け答えだった。きっと誰か他の人に、たとえば母親である四穂に訊かれたら、誰々くんの家に遊びに行く、と仲の良い友達の名前でも出したんじゃないか。一磨さんだから、友達、という表現で済ませた」

「ということは、その誰々くんという友達とも、予め打ち合わせ済みってことですよねきっと」

「そうだろう。きちんと口裏を合わせておかないと、いざ日曜日が来たときにバレてしまう。どんな嘘だろうと、まだ十歳の子供がそういう嘘をつけば、怒られる。そんなのは、大賀はもちろん充分に承知している」

「何らかの、大人には誰にも言えない計画があるってことなんでしょうか」

 今度の日曜日に。

「そういうことなんだろうな」

 さて、と、禄朗さんが私を見ました。

「これは、どうしたらいいかな。放っておいてもいいかな」

 大賀くんが嘘をついた。

 それはもう間違いのないこと。

「子供の他愛のない嘘なんて、放っておけばいいとも思いますけど」

「そうだな。だが、同じく叔父である俺はその嘘を知ってしまった。将来の叔母である君も。そして本当に他愛のない嘘なのかどうかは、わからない」

 そうですね。

 困りましたね。

「いきなり、四穂さんに『大賀くんが日曜に何かするみたいですけど聞いていますか?』なんて確認なんかできないですね」

「できないな」

 禄朗さんが嘘を見抜けるというのは、私にしか言っていない秘密。

「もう既に大賀は日曜の予定を四穂に告げているかもしれない。計画遂行のひとつとしてね。もしも、その計画がとても良いことだったとして、俺たちが動いたことでバレてしまって、それが台無しになってしまったら」

「トラウマクラスの出来事になってしまいますよきっと」

 そんなことが起こったら、自分が十歳の頃のことを考えてもきっと泣いてしまいます。

「でも、何か危険なことを考えている可能性もあるわけですよね」

「まぁ、あいつは賢いからな。そんなとんでもなく危険なことを内緒でやろうなんてことは、決めないとは思うが」

 そうだとは思いますけれど。

 禄朗さんが、腕を組んで考えています。

「友達と集まるのが本当なんだ。だとすると、小学校に関することだろうか」

「選択肢の中には出てきますよね」

 小学四年生です。

 その世界は、学校と家庭と、周りにあるものだけ。

 友達は全員小学生のはずです。

「それも、クラスメイトの可能性がいちばん高いですよね」

 うん、と、禄朗さんも頷きます。

「今度の日曜に、小学校で何かのイベントがあるとかは」

「特に何も聞いていませんけれど」

 確か、日曜の小学校では。

「体育館の開放は、していますよね」

「あぁ、あったな」

 小学生はもちろんですが、保護者の皆さんにも開放して、バドミントンや何かのスポーツをして遊ぶことができます。私も小学生の頃には何度か行ったことがあります。

「校庭で遊ぶことももちろんできます。球技は禁止ですけれど」

「イベントとして、父兄の球技大会とかもあるからな」

「やっていましたね」

 禄朗さんはもちろんソフトボール大会とかのアンパイアとして参加していました。

「ただ、そんなものではないな」

 違うんでしょう。

 禄朗さんが、スマホを取り出しました。どこかに電話します。

「ちょっと、北斗に確認してみる」

「北斗さんに?」

 二丁目の〈松宮電子堂〉の北斗さん。商店会事務局の局長としていろんなことを一手に引き受けてやっています。そのせいじゃないんですけれど、以前から〈松宮電子堂〉の裏には近所の皆さんが集まって井戸端会議をするようなスペースがあって、そこでいろんな話が集まるんだって聞いています。

 仁太さんも、以前はよくそこに顔を出していたって聞いています。

 電話をかけて、スピーカーにしました。

(もしもし)

「あぁ、済まない。宇部の禄朗だ。今大丈夫か」

(いいですよ。どうしました?)

「小学校で、最近何かいつもはやらないイベントとか、あるいは変わったこととか、出来事とか、そんなものの話は聞いていないだろうか」

(小学校で?)

「そう、ここ最近の話でいいんだが」

(イベントとか、出来事)

 北斗さんが考えている様子が浮かんできます。

(それは何か、特別なことがあったとか、ですか?)

「いや、わからないんだ。あぁ済まないけど、俺がこんなことを訊いてきたっていうのは内緒だ」

(内緒で。出来事)

 また少し間が空きました。

(そういえば、退院おめでとうございます。どうですか? 明日からもう営業を)

「するよ。ユイが手伝ってくれるから、二人で店に出る」

(良かった。早速明日たいやき買いに行きます)

「頼む。退院祝いで」

(行きますよ。出来事と言えばですね、鳩が体育館に一羽迷い込んできて、しばらく出て行かなくて困ったそうですよ)

「鳩か」

(餌を買って床に撒いて、ドアを全部開けたりして何とか出ていってもらったそうですね。なかなか大変だったと)

 中学校のときに同じことがありました。どうして学校って鳩が集まるんでしょうね。昔からそんな話をよく聞きます。

「他にはないか」

(えーと、そうだ。ついこの間、ピアノの調律師が来たそうですね)

「ピアノの調律師が?」

(小学校のピアノって滅多に調律できないそうですね。予算がなくて)

「あぁ、そうか」

(年に一回とか二年に一回とか、ひどいところではもう何年も調律できなくて、ピアノをやってる人にしてみると聞くに堪えない音階になってるとか)

「わかるな」

 私もわかります。

「わかります」

(あぁ、ユイちゃんもいるのか)

「あ、済みません。お久しぶりです。私も、音楽はやっていないのに何故か絶対音感を持っているらしくて」

(あ、そうなんだ)

「ピアノはやっていたよな?」

「中学校までは。高校に入ってからはやっていなくて。なので、学校のピアノが調律されていないっていうのはよくわかります」

 予算のある私立とかはきちんとしているらしいですけれど、公立などはなかなか難しいって聞いたことがあります。

「それで? 予算を取って調律師が来たって話なのか?」

(いや、それがボランティアとかで。初めて来た人らしいですよ)

 ボランティアで調律ですか。

「ああいうものは、けっこう高いはずだが」

(もちろん、一台につき何万、とかはするでしょうね。特殊技能なんですから)

 禄朗さんが少し首を捻りました。

「そのボランティアの調律師さんはどこからどういう経緯で来たとか、どこの誰かはわからないのか?」

 うーん、と、北斗さんが唸ります。

(調べれば、わかる、かな? 当然小学校では把握しているでしょうからね。誰か先生に訊いてみますか?)

「いや、こっそりとわからないか」

(こっそりですかぁ。何かあったんですか禄朗さん)

「いや、悪だくみをしているわけじゃないんだ」

(それはわかりますよ。禄朗さんは商店街のアンパイアなんですから)

 野球のアンパイアですけれど。

 でも、禄朗さんは高校野球審判の手引きにあることを、きちんと守っています。

〈野球に関係のある場所ではもちろんのこと、私生活においてもマナーと身だしなみには十分な注意を払い、社会人として常に審判委員の精神にのっとった行動をしなければなりません。審判委員は礼儀を重んじ、しかも公平で厳格であるべきです。この日常の態度がゲームにおける適正かつ正確な判定にもつながっていきます。平素の身だしなみのみならず審判の服装や用具についても特に自分自身で、常に行き届いた手入れと管理を心掛けることが必要です。〉

 だから、堅物とか言われるんですけれども。

「とりあえず、小学校で何か変わったことがなかったかを知りたいんだ。決して悪用とか、そんなことはしない」

(するはずもありませんね。わかりました。こっそり確かめてみます。四、五分時間をください。折り返し電話します)

「済まんな」

 電話が切れます。

「今の話が、何か」

 うん、と、頷きます。

「何か引っ掛かった。いや、北斗の言葉に嘘があったわけじゃない。全部本当のことを言っていた。でも、何かピアノってものに感じるものがあった」

 直感。

 本当に禄朗さんはその直感というものが優れているんだと思います。嘘にしか反応しないと言っていましたけれど、実はその他のものにもきっと直感は働くんじゃないでしょうか。

 スマホが鳴りました。

「早いな。もしもし」

(北斗です。わかったんですけれど、禄朗さん)

「うん、どうした」

(ちょっと困った事実が出てきましたね)

「なんだ」

(調律師さんの名前も住所も判明したんですけれど、調べてみたらそんな調律師さんは、少なくともこの街にはいないんですよね)

「いない?」

(控えた住所が間違っていたか、もしくはでたらめです。名前に関しては範囲を、たとえば東京とか関東全域まで広げれば同じ名前の調律師が出てくるか)

「もしくは、まったく名も無い調律師か、か?」

(そういうことになりますね)

 それは、何なのでしょうか。

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