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  4. ユイちゃんと真紀さんと私
第9回

ユイちゃんと真紀さんと私

十一 ユイちゃんと真紀さんと私

「そう、うちの旦那さんは、ゲームセンターの社長ではあるけれども、ラノベ作家でもあるの」
 その区切りというか、仕事をしている中で社長業と作家業の切り分けをどういうふうにしているのかな、と思うこともあるんだけれども、うちの人は全然区別がないみたいなのよね。
 何せ、原稿もこの事務所で書いているから。
 この机にはこんなふうにパソコンが二台並べて置いてあって、一台はゲームセンターの事務仕事で使うものだけれど、もう一台が原稿執筆用のパソコン。そこは完全に区別しているみたい。全然違うでしょ?
 こっちがWindowsでこっちがAppleのiMacね。
 その違いは私にはよくわからないけれど、iPhoneってAppleっていう会社のなんでしょ?
 一磨くんは若い頃からずっとそのAppleのMacっていうパソコンが好きで使っていたんだけど、事務仕事となるとどうしても他の会社が使っているのと同じWindowsにしなきゃならなくて、仕方なく使っているみたい。
 うん、私には全然違いがわからない。そもそも私はネットとエクセルとワードぐらいしか使えないから。あ、経理のソフトは別にしてね。
 何か机に向かって仕事しているなー、と思ったら原稿を書いているときもあるし、ゲームセンターの方の書類を作っていることもあるし、メーカーから送られてくるゲーム機器の資料を読み込んでいるときもあるの。
 だから、一日の中で両方の仕事に時間的にはまったく区別がないみたい。
 もう全然平気。
 原稿書いている最中にも普通に話しかけてる。そういうのはまったく気にならない人みたいね。集中したいから黙っててとか、書けないからどこかに籠るとか、そんなのまったくないの。
 仕事は仕事として、マルチタスクが普通にできる人なのよね。
 筐体の、あぁゲームの機械のことね。筐体っていうんだけど、メーカーから送られてきているその資料をパソコンで見ていたと思ったら、次の瞬間には隣のパソコンで執筆していたりするし。
 そこは、感心する。
 私は基本、ひとつのことしかできない人だから。ゲームセンターの仕事をしていたらそれが終わるまでは今日の晩ご飯は何にしよう、なんてことを全然考えられない。思いつきもしない。
 なので、私の相棒はスマホのアラームとタイマー。
 仕事のルーティンはもうまったく決まっているものだから、それに合わせてアラームが設定してあるの。
 朝ご飯のときに薬を飲む時間とか、お昼ご飯の三十分前とか、おやつの前とか、晩ご飯の支度をする時間とかお風呂を洗う時間とかとにかくもういろいろいろいろアラームが設定してあって、それが鳴ったら自分のやるべきことを思い出すのよ。
 まぁまだけるには早いので、アラームが鳴る前に時計を見てあぁそろそろお昼ご飯用意しなきゃ、とかは普通に思うんだけれど。
「そうなんですか」
「ユイちゃんはどう? わりとマルチタスクな人だと思うんだけど」
 ユイちゃん、器用なのよね。
 たいやき屋の仕事も一度教えたらすぐに覚えたし、何よりも躊躇いとかないのよね。ネタを作るときの手つきなんかも、初めてだったのにおっかなびっくりとか一切ない。しっかり私の真似をして、それがもう実に正確。
 ユイちゃんはオリンピックにも出たんだからそれはもう一流のアスリート。そして一流のアスリートって、どんな競技にも通じると思うんだけどきっと眼が良いのよね。視力じゃなくて、見たものをきちんと再現できる能力。
 それがものすごく高いと思うんだ。ましてや、ユイちゃんは射撃の選手。眼が良くてセンスがないとできない競技だと思うから。
 ユイちゃん、うーん、って考えてる。
「そもそも私、社会人としての仕事はコーチしかしたことないんです。〈波平〉の仕事が人生で二例目の仕事ですから」
「あぁ、そうね」
 まだ若いユイちゃん。
 実質ハシタン射撃部のコーチしか仕事をしていなかったっけ。まぁそんなこと言ったら私だって仕事は経理とたいやきの作り方しか知らないけれどね。その他の仕事はしたことないから。
「でも、コーチの仕事って基本マルチタスクじゃないの? 何人もいる生徒さんのことを常に頭に入れてなきゃならないし、そもそも射撃自体がマルチタスクじゃないの」
「射撃がですか」
「だって引鉄ひきがねをただ引けばいいってもんじゃないでしょ? その前に姿勢とか立ち方とかとにかく身体のあらゆるところを把握して、ただ当てるためだけに身体を、こう、動かさなきゃならないでしょ? それを常に考えているんだから、マルチタスクよ」
 うん、って頷いた。
「そういう意味ではそうですね。私もコーチになったときに、初めて自分の撃ち方がどういうものなのかを理論的に考えて、身体の動かし方を理解しました」
 そういうものよね。スポーツ選手って、そりゃあそればっかりやっていて学校の成績はイマイチっていう子もいるんだろうけど、スポーツなんて基本的にはいろんなことを考えながら身体を動かさなきゃならないんだから、そういうスポーツ脳みたいなものは鍛えられているはず。
 ユイちゃんもきっとそうよね。
「でもユイちゃん、小さい頃はピアノやったり絵を習ったりしていたのよね? そういうのもすっごく得意だったって前に聞いたわよ」
 こくん、って頷いた。
 ユイちゃん顔ちっちゃいのよね。スタイルもいいし。ちょっとやせ過ぎだなって思うんだけどそれはまだ身体を鍛えているからよね。
「もう今は全然やっていませんけど、ピアノも絵もやっていました。仁太さんが言うのには、私の感覚はそういうもので鍛えられているんだって。だからある意味繊細で射撃に向いていたんだって」
「繊細なのが向いてるの?」
「繊細じゃなければ、引鉄を引いても当たらないって仁太さんは言います。昔から〈引鉄は闇夜に霜の降りる如く〉って言うんだそうです」
「闇夜に霜」
 それぐらい静かで繊細な感覚ってことね。仁太さんも大概変わった人だけど、そういう言葉は信用できるわよね。
「なるほどねぇ。考えてみたらユイちゃんと禄朗って、銃を撃つ、っていう共通点はあったのね」
 警察官とオリンピック競技の違いはあるけれど。
「いや、私は実弾なんてほとんど撃ったことはないので。禄朗さんは訓練でありますけど」
「ほとんど?」
「クレー射撃はやったことあるので、それぐらいですね」
 三時のおやつのたいやきを持ってきてくれたユイちゃん。それこそ一磨くんが取りに行くはずだったんだけど、ちょっと用ができたからってさっき電話があって、私が取りに行こうと思ったらユイちゃんが持ってきてくれたのよね。
「一磨さんはどこに行ったんですかね」
「なんか、ちょっと人に会うとか言って。〈きぼうの森保育園〉にお届けものに行ったんだけどそこでばったり誰かに会ったらしいのね。そのままちょっと時間を貰うからって」
「久しぶりのお友達にでも会ったんですかね」
「そんな感じかな」
 珍しいけれどね。あの人もだいたいにして友達少ないし、インドア派だから外に出ようともしないし。
 ユイちゃんが、ちらっと壁に掛かっている丸時計を見た。骨董品の丸時計。お義父さんとお義母さんの遺品ね。毎日毎日ネジを巻かないと止まってしまう。振り子時計なので、ちょっと地震が来ても止まっちゃったりするのよね。
「三時のおやつって、こちらでは交代で食べるんですか?」
「そうよ。それぞれ適当に一人ずつとか、暇なときには二人で一緒とかあるけど、その辺は適当にここに来てもらって、そこで」
 大きなテーブルがあるから、休憩しながら食べてもらう。ほんの十五分ぐらいの休憩だけれどね。
「お昼ご飯とかも、そこで食べることもあるわよ。私たちもたまに出前取ったりしてるし、一年に二回ぐらいはここでカレーを皆で食べるの」
「カレー?」
「聞いてなかった? カレー作りが趣味だった先代社長がね、従業員の皆にお昼ご飯に自分で作ったカレーを奢っていたの。それを、先代が亡くなった今も続けているのよ。開店はお昼からにしてね。作るのは私だけどね」
「えー、楽しそうです」
「来て来て。禄朗ったら何度誘っても一度も来ないのよね。今度は秋になったらまたやるから、ユイちゃん無理やり連れてきて」
 もうその頃には結婚してるだろうし。あ、結婚祝いにしちゃうっていう手もあるわね。〈ゲームパンチ〉から二人への。
「お疲れ様ですー」
 ドアが開いて、真紀さんだ。
「お疲れ様。どうぞー。今日もたいやきだけど」
「あ、〈波平〉さんのユイちゃんですね。お久しぶりです」
「お久しぶりです」
 ユイちゃんと真紀さんは、ここで何度か会ったぐらいよね。まだ全然話したこともないだろうけど。
「えーと、禄朗さんですよね。足の具合どうですか?」
「まだ全然なんですけど、とりあえず日常生活には支障はないです。痛みもないので」
 良かったです、って真紀さんが言いながら、テーブルにつく。
「お茶いただきますね」
「コーヒーもあるけど、お茶よねたいやきには」
「そうですね」
 あんことコーヒーは、合わないことはないけれども、日本茶にはかなわないわよね、相性は。
「真紀さんって、幾つだっけ?」
「私ですか? 今年で三十一です」
「じゃあ禄朗よりも年下なのね」
 同じぐらいかなって思っていたけど。真紀さん、苦労しているから少し年上に見えちゃうのかな。
「〈波平〉さんのたいやき、本当に美味しいです」
「ありがとうございます」
 ユイちゃん、そろそろ帰らなくてお店は大丈夫かしらね。まぁ忙しくなったら電話くれればすぐに戻れるしね。
「あの、専務、五月さん」
「はい」
 そう、専務さんって呼ばれるの。専務だけどね。でも堅苦しいから五月って呼んでって皆には言ってるんだけど、どうしても皆専務って最初に呼んじゃうのよね。そんなに私は専務顔してるかしらね。
「ちょっとお話があるんですけれど、お時間いいでしょうか」
「いいわよ?」
 ドキッとしてしまった。
 え、なに真紀さん。まさかここを辞めるなんて言わないわよね。いやそれはもう従業員の自由なんだけど。
 真紀さんはちょっと特別。事情を知ってるのは私ぐらいなんだけど。
「どうしたの?」
 給料の前借りとかそういうのだったらできるだけ希望に沿うようにしてあげるけれど、そのお金をどうするのかは訊きたい。
「あ、私、お邪魔でしたら帰ります」
 ユイちゃんが言うけど、真紀さん、ちょっと微笑んだ。
「いえ、全然大丈夫です。ご報告するのが遅くなってしまって申し訳ないんですが、私、引っ越しをしたんです」
「え?」
 引っ越し?
「あら、そうなの?」
「つい、三日前なんですけれど、ようやくこっちの部屋が片づいたので」
 引っ越しに時間が掛かったのね。
 でもちょっと待って。引っ越すなんて、真紀さんそんなに生活に余裕あった? 全然ないはずなんだけど。
「えー、じゃあ新しい住所は」
「書いてきました。ここになります」
 ポケットからメモ用紙を出して、渡してくれた。
家電いえでんもあるので、そちらも新しく書いておきました。私の携帯は変わらないですけど」
「うん」
 家電も?
 住所は、隣町じゃないの。そしてこの住所って。
「え、真紀さんこれって一軒家ってこと?」
「そうなんです」
 全然知らない人の名前が書いてあるけど、そこに一緒に住むってこと?
「えーと、どうなんだろう。これ、事情を訊いていいもの?」
 従業員がどこに住もうとそれに雇用主が何か言う権利なんかない。まぁ突然九州から通うとか言われたら交通費どうすんのよ! って話になるけど。
「ちょっと説明しないとわからないですよね」
 ちらっとユイちゃんを見たけど。
「あぁ、ユイちゃんだってうちの家族になるんだから平気よ。禄朗だってある程度は真紀さんのことも知ってるはずだし」
 そのはずよね? 確か話したと思うけど。まぁいいわ。真紀さんも、こくり、って頷く。
「実は、太一さんのお父さんなんです。以前に離婚していた」
「あ、そうなの」
 真紀さんの旦那さんの太一さんは、小さい頃にご両親が離婚してお母さんが一人で育てたのよね。
「その離婚したお父さんと一緒に住むってこと?」
 そうなんです、って真紀ちゃんが頷いた。
「私たちと一緒に住むために、新しい家を建ててくれて。三世代、正確には四世代になるんですが。同居になるんです」
「ってことは、そのお父さんの親も含めてってことね?」
 どうしてまたそんなことになったの。

十二 荒垣さんがどうしてこんなところに

「それじゃあ、失礼しますー」
 ゆかりさんに何かを悟られないように、そして慌てたりしないように挨拶をして、出ていった荒垣さんの後から保育園のゲートを出る。
 台車をまずは車に戻さなきゃならないけど、良かった、駐車場のある方向に荒垣さんはお孫さんと手を繋いで歩いていってる。
 ゆっくり歩いているからこのままついていって、サッと台車を戻して追いかけても充分間に合う。
 そして間に合った。
 歩いて保育園に迎えに来ているってことは、そんなに遠くないところに住んでいるってことだ、と、思った。
 荒垣さんは、何歳になっているのか。見た目では七十代に思える。
 あの頃、二十年前にアンパイアをやっていたときには、たぶん四十代か五十代に思えたから間違いなく七十代になっているんだろう。
(そんなに遠くから歩いてこないよな)
 でも、体つきは、そんなよぼよぼの老人という感じはしない。むしろ、シャキッとしている。歩き方も、お孫さんに合わせてはいるものの、かなりしっかりしているように思える。
 あんまり近づいてもまずいだろうけれども、何せ一緒に歩いているのは保育園に通っている子供だ。
 とにかくゆっくりだ。
 後を尾けているけれど、中年のおっさんがこんなにゆっくりゆっくり歩いていては、変に思われてしまうかもしれない。この辺りの周りに見るものなんか何にもない。脇には電車の線路があるただの住宅地だ。
 そしてこの線路を渡れば、隣町だ。うちの町とは住所が変わる。
(どうしたものかな)
 ここは一本道。いったん離れてみるのも手だけれど、どこかの角を曲がられて見失っちゃあ元も子もない。かといって、寄ってみるような店もない。
(あれ?)
 あの子供。
 荒垣さんのお孫さん。
 さっきは荒垣さんばかり見ていたから気づかなかったけれど、見覚えがあるようなないような。
(優紀くんじゃないのか?!)
 野々宮優紀くん。
 うちで働いている野々宮真紀さんの一人息子。
「え、なんで」
 思わず声が出てしまったけれど、大丈夫、離れているから聞こえていない。
 優紀くんを、荒垣さんが?
 どうして?
 いや、保育園が荒垣さんを通して、しかも優紀くんもおじいちゃんとしてついていったよな?
 っていうことは、荒垣さんが優紀くんの祖父?
 お祖父ちゃん?
 真紀さんは、荒垣さんの娘?
 全然わからない。そんな話は聞いていないっていうか、履歴書にはなかった。あったら気づいているはず。
 それに、そうだよ、真紀さんの親は浅川さんだ。
 確か浅川敬伍さんだったかな。今はもうどこかの会社を定年退職している、はず。そんな話を聞いたはず。そして、親はそのお父さんしかいない。お母さんはけっこう昔に亡くなっているっていうのを聞いた。
(ってことは?)
 義理の親か?
 真紀さんの旦那さんの、えーと、太一さんの親が荒垣さん?
「いやいや」
 違う違う。
 真紀さんは結婚して野々宮さんになっている。そう、夫は野々宮太一さんだ。だから当然親も野々宮のはず。そして太一さんのお母さんはその昔に離婚してシングルマザーとして太一さんを育ててきて、今は施設に入っているはず。
 名前は、確か野々宮尚子だ。
 三年ぐらい前から若年性認知症になってしまって、今はもう息子の太一さんのことも忘れてしまっているぐらいに進行している、はず。
 そう、真紀さんはかなり辛い人生を歩んでいるんだ。大きな交通事故で太一さんもろくに働けなくなっていて、真紀さんが一人で野々宮家を支えている。
 だから、荒垣さんが優紀くんのお祖父ちゃんというのは、あり得ない。そもそも年齢が随分上だ。
 あり得ない、か?
 他の可能性は?
「そうか」
 あり得る、か。
 もしもそうなら、荒垣さんが優紀くんが〈おじいちゃん〉と呼ぶ存在であるというパターンも、ありだ。
 どっちにしろ確認するしかない。
 そうだ、優紀くんは僕のことを知っている。うちにも何度も来て遊んでる。僕のことを〈ゲームのおじちゃん〉と呼んでいる。ゲームができるから、お母さんと一緒にうちに来るのを何より楽しみにしているんだ。
 大丈夫。
 近づいていって、偶然に会ったふうにすれば何の問題もない。ないよな?
 それで、荒垣さんともごく自然に知り合えるじゃないか。
 少し早足にする。すぐに追いつく。
「あれ? 優紀くん?」
 演技する。こういう小芝居は、上手い、はず。自分で言うのもなんだけど。
 それに、小説家って演技ができる人はけっこういると思うんだ。何せ、自分の作品の中で登場人物に演技をさせているんだから。演出をしているんだから。僕なんかセリフを書いているときには自然とその演技を顔でしていることがある。いわゆる百面相だ。最近は顔芸とも言うか。
「優紀くんだよね?」
 優紀くんが、笑顔になって僕を見る。
「ゲームのおじちゃん!」
 よし、わかってくれた。荒垣さんが、ちょっと警戒しながら、でも優紀くんの様子を見て少し笑みを浮かべて会釈する。
 ここで、また演技だ。
「ええっと」
 こちらも少し不審がる様子を見せる。でも、失礼にならないようにきちんと目上の方への対応をする。
「初めまして。私はこの優紀くんのお母さんが働いているところのものなんですが。宮下一磨と申しますが」
 荒垣さんが、表情を変える。
「〈花咲小路商店街〉の」
「そうです」
「〈ゲームパンチ〉さんですか」
 そうなんです。知っていたってことは、やはり関係者なのか。
「〈ゲームパンチ〉の社長をやっていますが」
 うちの従業員の息子を連れていっているあなたはどなたでしょうか、という表情を見せてやる。荒垣さんが、こちらに向き直る。
「荒垣と申します。この子の曽祖父にあたりますが、まだ真紀さんの方からは聞いてらっしゃいませんでしたか」
 やはり、曽祖父。
 ひいおじいちゃんか。
「すみません、聞いていませんでした。直接の曽祖父にあたる方までは把握していませんでしたが」
 荒垣さんがゆっくりと頷く。ちょっと向こうを見た。
「もう少し歩くと、新居があります」
 新居?
「たぶん、今日明日にも真紀さんの方から社長さんにご報告があると思うのですが、引っ越したのですよ。そこに」
 引っ越した。
「真紀さんもですか?」
 頷いた。
「この優紀も一緒にです。そこのガード下をくぐって、向こうに渡るとすぐなのですが、宮下、社長、ですね?」
 頷く。間違ってない。社長です一応。
「今日はこれからどちらに」
「あぁ、いやちょっと用事があってこの辺を回って、この後は店に帰るだけなんですが」
「よろしければ、どうぞ。もうすぐそこです。見えますかね。あの赤い屋根の家なんですが、話は多少長くなりますのでお茶でもいかがですか」
「ゲームのおじちゃん、うち新しいよ! すっごく広くなった」
 嬉しそうに優紀くんが言う。
「そうか、広くなったのか」
 荒垣さんは最近、三世帯同居の家を新築したって保育園のゆかりさん言ってたもんな。三世代、正確には優紀くんも入れれば四世代ってことになるんだろうなきっと。
 新しく家を建てて、真紀さんと優紀くん、もちろん太一さんも一緒に住み始めたってことか。
 その昔に離婚したという、太一さんの実の父親が。
 もしくはこの荒垣さんが。
 そして荒垣さんは、年齢からすると、たぶん太一さんの実の祖父、になるんじゃないか。つまり、優紀くんは荒垣さんにとって、曽孫。

 普通の家だ。確かに三世帯が暮らせるような大きな家だが、印象としては豪華でもなく、かといって瀟洒な、って感じでもなく、普通の家。
 でも、だから好感が持てるのかもしれない。三世帯が暮らすような大きな家を建てられる財力をあまり感じさせない、普通の家。
 玄関は二つしかなかったけれど、まぁそういう造りなんだろう。
 通されたのは向かって右側の玄関から。表札は〈荒垣隆司 元子〉と〈荒垣秀一〉になっていた。隣の玄関は〈野々宮太一〉になっていた。
「お邪魔します」
 中の造りも、普通だ。もちろん新築なので新しい家の匂いがする。木の匂いや、新しい畳の匂いも。
 女性が出迎えてくれた。
「妻の、元子です。こちら、真紀さんが働いている〈ゲームパンチ〉の社長さんで宮下さんだ」
「どうも、初めまして」
 銀髪の豊かな女性。そして笑顔のチャーミングなおばあちゃんだ。いつの間にか優紀くんの姿が見えないが。
「中で、繋がっています。自由に行き来できるんですよ。自分の部屋に荷物を置きに行ったのでしょう。ここが私と妻の生活するスペースですね。台所と居間と寝室ぐらいですが」
 それでも充分な広さがある。
 奥さん、元子さんは、たしか足腰がどこか病んでいる。立ち上がるのも歩くのも不自由にしている。お茶を淹れようとしてくれているんだろうけど、いいですいいです僕がやりますって言いたくなるぐらいの動きだ。
「膝が不自由になってしまって、優紀のお迎えもできないんですよ。ですが、せめて家の中では動かないと余計にダメになってしまうので」
 そういうことなんだな。それは、わかる。
「改めまして、〈ゲームパンチ〉の宮下一磨と申します」
 勧められたソファに座る前に、一応持ち歩いている名刺入れから名刺を渡す。荒垣さんが、微笑んで受け取ってくれる。
「もう名刺を出すこともなくなってしまっているのですが」
 そう言って、茶箪笥の引き出しから名刺を持ってきた。
「【スポーツジム〈ホームラン〉】。え、あそこの会長さんだったのですか」
 知っている。隣町にかなり昔からあったバッティングセンターだ。そして今はスポーツジムになっている。
 荒垣さん、そんな商売をやっていたのか。
「もう息子に、荒垣秀一といいますが、社長職を譲りまして今は引退しています。一応は会長職となっていますが、名のみです」
「すると、荒垣さんが始めたご商売だったんですか」
 そうです、と頷く。
「今は、社名は〈ARGホームラン〉となっていますがね」
〈ARGホームラン〉。
 知ってる。
「あの居酒屋〈太公望〉とかをやっているグループですね? カラオケ〈Mスター〉とかもそうですよね」
「はい、その辺りは息子が始めたものです。私はもう関わってはいませんが」
 うちの町にもどっちの店もある。たしか全部で店舗が十五や二十はあるグループ企業のはずだ。
 凄いじゃないですか。
 そうか、荒垣さんはそういうお人だったのか。
「ひょっとして、息子さん、荒垣秀一さんというのが、真紀さんの夫である太一さんの実の父親ということになるのですか?」
 荒垣さんが、ゆっくり頷いた。
「そうなります。ですから、太一は私の実の孫でした。優紀は、私のことをおじいちゃんと呼んでいますが、実際は曽孫ですね。ひいおじいちゃんになります」
「失礼ですが、お幾つになられました」
「今年で七十八です。妻は、八十になりますね」
 姉さん女房ですね。
「しかし、真紀さんの話では太一さんのお母さんと、ええと、秀一さんでしたか。別れたのはもうかなり前で、太一さんがまだ幼稚園ぐらいのときだったと聞いていましたが」
 そのはず。
 何故、今になって。

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