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第8回

義弟の禄朗くんが二十年前に殴った男が

十 義弟の禄朗くんが二十年前に殴った男が

 晴れた日には、必ず散歩する。ウォーキング。時間はその日によって違うけど、今日はこれからだ。
 原稿は、さっき入稿したっていうメールが来た。これで唯一続いているシリーズ『異邦のゲーム騎士ども』の十一巻目は出る。確実に出る。
 でも、次の目処は立っていない。
 一応、別々のところに二つプロットは出してあって、二つともこれで書いていいとは返事を貰っているけれども本当に出してくれるかどうかはまだわからない。書き上げてその出来次第ではボツる可能性も大いにある。ラノベ作家宮野麿光司は、ほぼ崖っぷちにいるんだよね。
 まぁどこからも執筆依頼とかそういう話がこなくなったら、そのまま消えるように引退しちゃってもいいなと思ってる。
 引退しちゃってから、もしもとんでもなく創作意欲が湧いてきておもしろいと思ったものが書けたなら、今度はまったく別の形での、違うジャンルでの作家デビューを目指してもいいかなって。江戸川乱歩賞に応募しちゃうとかさ。小説家は何歳になったって別のジャンルから新人としてデビューすることが可能なんだから。
 でもそれは儲かっていないとはいえ、一応ゲームセンター経営という本業があるから言えることなんだろうけど。
 禄朗くんが退院して店を開けてから一週間が過ぎてる。
 特に問題なくできているってことだし、ユイちゃんもすっかり仕事に馴染んでるって話だけど、寄ってみる。
 家のお風呂に入れなかったら一緒に銭湯に行こうと思っていたんだけど、一人でも入れたから大丈夫だって。ちょっと残念。これをきっかけに禄朗くんと裸の付き合いができるかなと考えたんだけど。
 いや変な意味じゃなくて。
 きょうだいがいない一人っ子だったから、小さい頃からずっときょうだいが欲しかったんだ。弟とか妹。
 結婚して、同じ町内の昔から見知っている人ばかりとはいえ、義理のお姉さんたちがたくさんできて、しかも皆さんとても強くてたくましいお姉さんばかりで。いちばん末の妹と結婚した旦那さんの僕のこともすごく気にかけてくれて、それはそれでとても嬉しいし、法事のときなんかは全員揃って本当に賑やかになって、きょうだいができた嬉しさを味わえるんだけど。
 唯一の年下で、しかも義弟になった禄朗くんとは男同士だから、それこそお兄ちゃん面をしたいんだ。義理とはいえ兄なんだからっていろいろ頼ってほしかったり、いちばん仲良くしたいんだけど、禄朗くんは本当に人付き合いが悪くて。
 いや、言葉が悪いな。
 人付き合いが悪いんじゃなくて、親しくなることを自ら避けているんだ。
 それは、単なる性格とかそういうものじゃなくて、何らかの禄朗くんなりの理由があると、昔から思っているんだけどね。
 いちばん年が近い姉である五月にも、結婚する前にそれとなく聞いてみたんだけど、そういう子なのよ、ってバッサリ切られてしまって終わりだった。単純に、人嫌いなのよあの子って。
 野球やって甲子園に行ったぐらいだから、小さい頃から運動神経が良くて活発な子だったけれど、とにかく無口な子だったって。
 別に人を避けるわけじゃなくて、きちんと話も聞くしコミュニケーションも取れるし、その辺はごく普通なんだけど、必要以上に他人どころか親きょうだいとも話そうとしない。一人になりたがるんじゃなくて、たとえば休みの日に一緒にどこかにレジャーに行ったりしたときも子供らしく楽しそうにしているし、普段の日でも居間で一緒におもしろそうにテレビを観たりするけれど、それで終わり。
 人と会話をしようとしない。皆で楽しく話しているのにそこに参加しようとしない。自分に関係なければふい、とどこかに行ってしまう。
 そういうのは確かに性格というのもあるのかもしれないけど、きっと何か誰にもわからない、言おうとしない理由があると思ってるんだよね僕は。
 まぁもう禄朗くんも三十過ぎた男。
 今更どうのこうの言ってもそういうものは変わらないだろうけれども、誰もが驚いたユイちゃんとのお付き合いと、そのまま婚約という事件。いや事件じゃないけれど、本当に身内にしてみればそれぐらい衝撃的だった出来事。
 これはきっときっかけになる、って感じたんだよね。
 禄朗くんが、どうして人付き合いが悪いのか、そうなってしまったのか。本当に小さい子供の頃はそうじゃなかったって二葉さんや三香さんが言っていたから、その隠された理由みたいなものがこれから詳らかにされていくんじゃないかって期待があった。
 いや、そんなのを勝手に期待されても禄朗くんも困るだろうけどさ。
 だから、そんなことは言わないけれども。
 午後二時を過ぎた。平日だからそんなに混んでいるはずもない。今日のうちの従業員へのおやつは〈ラレイユ〉のシュークリームを買っていくから、ここでたいやきは買わない。
 いや〈波平〉の売り上げのために毎日買ってあげてもいいんだけど、いくらなんでも毎日たいやきがおやつじゃ飽きちゃうからね。
「どうもー」
 暖簾をあげて、戸を開ける。
「いらっしゃいませ」
 ユイちゃんの笑顔とよく通る声。
 お客さんが一人だけいる。
 あ、珍しい。ユイちゃんのお父さんだ。刑事の権藤さんだよね。ほとんど知らないし話もしたことないけど、何度か見かけたことはある。
 そして、二人が結婚したら僕たち親戚になるんですよね。
 で、一瞬、お店の中に何か微妙な空気が流れているような気がしたんだけど、何かあったのかな。
「一磨さん、散歩ですか」
 禄朗くんが、何かを打ち消すような勢いで、すぐに訊いてきた。
「そう。お茶とたいやき一個貰えるかな」
「はい。あ、一磨さん」
 ユイちゃんが言おうとする。
 うん。わかってますよって頷いて見せた。
「刑事の権藤さんですよね。ユイちゃんのお父さん」
「お父さん、こちらそこの〈ゲームパンチ〉の宮下一磨さん。禄朗さんの義理のお兄さん」
 あぁ、って権藤さんが立ち上がった。
「初めまして。ユイの父の、と言ってもご存知でしょうが随分昔に離婚してしまった、権藤隆文です」
「禄朗くんのお姉さんの五月の夫です」
 どうもどうも、と、社会人で中年のおっさん同士の挨拶を。離婚してしまっても、父親は父親だよね。
「まだ少し早いんでしょうけど、これから親戚付き合いってことになりますね」
「そうなんですよねぇ。えーと、宮下さんはお幾つですか?」
「四十四になります」
 じゃあ私の方が少し上ですねって。権藤さん四十七歳ですか。大学なら先輩後輩の間柄っていう年齢ですね。
「今日は、お休みですか?」
 いや、って権藤さんが苦笑いする。
「ちょっとこっちに来る用事があったのでね。ついでに顔を出して、お茶を一杯飲んでから署に戻ろうかな、と」
 ちょっと娘と婿さんのところに顔を出してってことですか。
 あれかなぁ、前にちらっと聞いたことがある。権藤さんがユイちゃんの結婚に対して、なんか怒ったりしていたって。
 そりゃあね、ユイちゃんはまだ二十三だし、禄朗くんはもうそろそろアラフォーっていうだし。
 年が離れているからね。怒ったり反対されたりするだろうなぁって気がしたけれども、離婚して十何年も経つ父親にそんなことを言う権利なんかないだろうって話もあるけれど。いや、何年経とうが父親は父親だよね。
 って感じで、僕が来る前に何かこう、揉めていたというか、反対されているけれど結婚はするからね! なんて言い争いがあったとかそんな感じだろうか。入ってきたときの、店に流れていた微妙な空気は。
「はい、お茶とたいやきです」
「あ、ありがとう。あれですか権藤さん」
 ここは素直に訊いちゃおう。五月もというか、お義姉さんたち全員たぶん気にしてるだろうから。
「はい?」
「いや僕がこういう話をするのも何ですけど、権藤さん、禄朗くんとユイさんお二人の結婚には」
 権藤さんが、ちょっと苦笑いした。
「いや、それこそ離婚しちゃって娘を育ててもいない父親がなんだかんだ言うのは筋違いってもんですよ」
 ちらっと二人を見る。
「まぁ話を聞いたときには、ちょっと年が離れすぎだろうとか周りにいろいろ文句を言いましたけどね。禄朗くんはちゃんとした素晴らしい男性でしょうし、何よりもユイが決めたことですからね。それはもう、心から祝福するつもりですよ」
「そうですか。良かった」
 本当に良かった。きっと五月もお義姉さんたちもホッとする。後で皆にLINEしておこう。
 いやでも、それならさっきの店に流れていた微妙な空気はなんだったんだろう。
「ところで、宮下さん」
 権藤さんが、少しだけ表情を変えた。
「はい、何でしょう」
「〈ゲームパンチ〉さんの従業員の皆さんは、もちろん宮下さんが面接をしてお決めになった方ばかりでしょうね」
「もちろんです」
 え、その話題は、なんだろう。権藤さんは確か詐欺とか、泥棒とか、そういうのを担当している刑事さんだよね。
「何かうちに問題ありましたか?」
「いやいや、そういう話じゃなくてね。ほら、交番の警官が家々を回ったりしますよね。住民確認とかの台帳を作りに」
「あぁ、はい」
 お巡りさんがね。台帳片手に回ってくることは、何年かに一回ぐらいある。
 担当する町内のご家庭の住民を確認して、何か起こったときに、たとえば災害とか火事とかそういうので犠牲者が出たときとか、すぐにそこに居る人たちの確認ができるようにっていうものですよね。
 でも、話だとあれは全部の家庭を回るわけじゃないらしいし、住民確認だけじゃなくて、不審者の洗い出しなんていう側面もあるらしいけれど。でもそれはもう市民の安全を守る警察の立派な仕事の一環だ。文句をいうところでもない。
「もちろん宮下さんのところはご夫婦お二人だけ、っていうのはわかってますけど、ゲームセンターは若い子がたくさん集まるところですからね。従業員の皆さんのこともきちんと把握しといた方が、何かと警察としては安心というか。いや、そういう話をね。さっきそこの商店街の交番に寄ったときに、この〈花咲小路商店街〉を担当している警察官とまぁ雑談程度でしてからここに来たもんだから」
 なるほど。
「そこにちょうど僕が来たんですね」
「そういう話です。いやもうなんかすみません。別にゲームセンターのことを悪く言うつもりじゃなくてですね」
 いや、わかってます。そんな偏見は持ってないですよね。
 ゲーセンがね、それはもう不良の溜まり場とかっていうのは何十年も前の話で、今は健全というか、ごく普通のゲーム好きな人たちがほとんど。
 なんだけれども、それでもゲーセンにやってくる若い連中の、どう言うかな、問題抱えてる率みたいなものは、やっぱり高いかもしれないよね。警察としてはそこには不安を抱えますよね。
「まぁうちは小さいところで、従業員の年齢層も高いですし、全員で五人しかいませんからね。何でしたら、従業員の名簿だけでも提出することはできますよ?」
 それぐらいは、全然何でもない。警察に住所と名前と年齢を出すだけならね。
「あ、今書けちゃいますよ。住所と名前だけでいいならスマホに入っているんで。年齢は、ちょっとあやふやですけど。メモでよければ書きましょうか?」
 あー、って権藤さんが少し考えた。
「いやそこまでは考えていなかったんで。まぁ本当に世間話のつもりだったんですが、すぐに出てくるというなら、本当にメモ程度を預かっておきましょうか。それで私が交番に行って台帳に書き写してもらってからきちんと処分するってことで」
 うん、それなら安心ですよね。もちろん権藤さんは信頼できる刑事さん。ちゃんと話すのは今日が初めてだったけれども、あの仁太さんとも互いに信頼し合った友人ですよね。そういうのは、聞いているんで。
「あ、じゃあ何かメモと書くもの」
「はい」
 ユイちゃんが裏からレポート用紙とボールペンを出してくれる。
 従業員は五人。もう全員何年もやってくれているベテランばかりだ。立嶋浩輔くんと、坂上春名さんと、吉野昭くんと、児玉光広さんと、そして野々宮真紀さん。
 全員がしっかりとした、社会人だ。何も後ろめたいところはない。まぁそれぞれにご家庭のささいな問題とか将来への不安とか、そういうのはいろいろ抱えてはいるだろうけれどね。
 それは、どんな人でもそうだ。

        *

 ゲームセンターをやっていてしかも自宅併設だと、一般的な家庭の生活サイクルとは大分違ってくる。
 営業終了が午後十一時なので、それから場内点検して全部の機器の電源確認や売り上げ計算なんかして、終わるのはほぼ午前零時過ぎ。掃除機かけたり床拭きする大きな掃除は明日の朝に回している。それをやるととんでもなく遅くなっちゃうからね。
 もちろん、その前に晩ご飯は済ませてしまってお風呂も交代で入るようにしているけれど、やれやれ今日も一日終わった、って夫婦二人で居間で一息つくのはその時間から。テレビドラマとかそういうものは全部録画しておいたり、ネットで空いている時間にそれぞれで観るようになる。
 実際、二人であれこれ話をするのは、朝食の時間と夕食の時間だけなんだよね。それ以外の時間はそれぞれで仕事をすることになるから。あ、事務所に二人でいる時間も、喋ると言えば喋るか。
 さぁ、寝ましょうか、ってなるのは大体午前一時過ぎ。朝起きるのは午前七時半。朝ご飯を食べて朝の身支度をしたらすぐに全部の機器を拭いて磨く。人の手が触るものだから、脂がつくのでこれは絶対に欠かせないんだ。この機器の拭き掃除は開店中も頃合いを見て常に行なう従業員たちの大切な仕事。
 早番が来るのが九時なので、掃除機と床拭きはそっちに任せている。開店する午前十時前にはもう店内全部がピッカピカの状態になるように。
 なかなか忙しいんだけど、まぁ開店しちゃったら後は意外とやることがないし、それに子供がいないから楽と言えば楽なんだよね。たぶん、僕のせいで子供はずっとできないだろうし、五月もそれをわかっている。
 でも、その分身軽だから、甥っ子とか姪っ子とか、いろんな子供たちのために動けることはたくさんあるからね。
 あぁそれと二人ともお酒を飲まないっていうのも、いろいろ大きいよね。もちろんお金もその分かからないし、いつでも白面で動けるし。
 夜に飲むのは大体コーヒー。二人ともコーヒーで眠れなくなるっていうのはまったくない。むしろコーヒーを飲まないと落ち着かない。
「権藤さんね。良かったわね、偶然だけれどちゃんとお話できて」
「うん、良かった。まぁ話したのが義兄の僕だっていうのはちょっとあれだけど」
「そんなことないわよ。あれよ、結婚の、婚姻届の証人とか私たちがするかもしれないわよ」
 あ、そうなの?
「何で?」
「誰でもいいんだけれど、禄朗にいちばん近いのは私たちだからね。たぶん禄朗も言ってくるわよ。私たち夫婦にって」
 そういうものかな。確かにユイちゃんの両親は離婚しているし、宇部の親は二人とも亡くなっている、か。
「全然オッケーでしょう?」
「もちろん」
 いくらでも署名しますよ。
「一磨くん。明日って何も予定無かったよね。原稿はもう送ったものね」
「何も無いよ?」
「〈きぼうの森保育園〉にお届け物お願いできるかな」
「いいよ。何持ってくの」
「お米。三十キロ。三袋」
 おおう、三十キロ。なるほど、それは療養中の禄朗くんには頼めないね。
「四穂姉のところに届いているから車で持っていってほしい。何時でもいいから。ゆかりさんにはもう言ってある」
「了解。じゃあお昼過ぎに行ってくるかな」
 大して仕事もしていない店主は何でもやりますよ。
 そういえばお米も親戚だっていう農家さんからよく届くよね。保育園へ毎年けっこうな量のお米も差し入れしてる。あそこの食事は専門の業者さんが入っているけれど、食材がただで入る分には保育園としてはめっちゃ助かるよね。
「宇部家とさ」
「うん?」
「保育園の小柴さんところは深い縁があって、そういう差し入れとかよくやってるってのはわかってるけどね。本当のところどんな縁があって今もそういうことをしているのかは聞いてないんだけど、あんまり言えないこと?」
 五月がちょっと眼を丸くする。
「言ってなかった?」
「聞いてないね。小柴家とは深い縁と恩があるんだってことぐらいしか」
 そうねぇ、って頷く。
「ぶっちゃけ、私たち子供たちの代ではただ昔からの知り合いってことでしかないんだけど。副園長のゆかりさんは四穂姉の高校の先輩だしね」
「あ、じゃあ篤さんとも同じ先輩後輩だね」
「そうそう。でも単純に先輩と後輩っていうだけで、私たち子供同士には、もちろん仲良くはしているけど、そんなに深い縁があるわけじゃないんだ。簡単に言うと宇部家と小柴家は祖父同士が戦友だったの」
 戦友。
 そうか、お祖父ちゃんの時代だから戦争に行っているんだ。
「同じところで同じ戦いをして、小柴のお祖父ちゃんにうちのお祖父ちゃんは命を助けられたって。向こうに言わせるといやその逆で助けられたのはこっちだって話らしいんだけど、要するに恰好良く言えば、互いに背中を預け合って生き延びた仲だと」
「それでか」
「そうなの。二人共に生きて帰ってこられて、そしてお互いに家はすごく近くで商売をやっていて、生き延びたからにはこれから互いに助け合って生きていこうってやってきたのね。そこから、いろんなものを貸し借りしたり、余ったものを分け合ったりってやってきたみたい」
 戦争かぁ。
 もう僕らの時代では映画やドラマの中でしか観ないものだけど。実際、祖父や曽祖父の時代にはリアルなものだったんだよなぁ。
「それで、次の世代の私たちの親同士はね。翔子さん、園長さんね。うちの父とは小学校からの同級生だし、亡くなった旦那の泰明さんも高校からの同級生。うちの母親も含めて四人はまるであの時代の青春ドラマのような日々を過ごしてきたんだって」
「えーと、あれだ〈若者たち〉とか。若大将とか、坂本九ちゃんの映画とか」
 一応小説家だから詳しいよそういうものには。
 そうそうそう、って五月も嬉しそうに頷く。
「それはもう楽しそうに話していたのよあの人たち。自分たちの若き日のことを。だから、まさしく恩とそして縁で結ばれてきたのが宇部家と小柴家なのね」
 だから今もお互いの商売を助け合いというか、そういうことを、か。
「まぁ宇部家の商売はね、ちっちゃくなってたいやき焼いていればそれでオッケーだからあれだけど、小柴さんはね」
「確か、昔は工場をやっていたよね。金属加工の」
「そう、元々の〈小柴金属〉は泰明さんが亡くなって他と合併吸収されちゃって別の会社になったけど、翔子さんが始めた夜間保育園はね。商売ではあるけれども、地域や社会貢献の部分も大きいじゃない。それはもうしっかり応援しないとって私たち姉弟、子供たちの世代も全員思ってるから」
 なるほど。そういういきさつがあって、今に至る、か。
 そういう宇部家の四姉妹は、それぞれに〈花咲小路商店街〉の店主と結婚して、深い繋がりをもって皆で助け合って頑張っていこうという気概があるからこそ、宇部家が商店街の裏ボスだなんて言われるんだな。
 まぁ〈ゲームパンチ〉はその職種から、花咲小路商店会からは一歩離れる立場に立ってはいるんだけど。
 全然関係なく過ごしているってことはないけれどね。
「まぁ、でも」
 五月がちょっと首を傾げる。
「宇部家の後継ぎである禄朗は小柴さんとはなんの縁もないしね。姉さんたちの子供たちも保育園には入らなかったし。私たちの世代でこの繋がりも終わりかなぁなんて思ってはいるんだけど」
 そうなるかね。
「でも、あれじゃないかな。禄朗くんがその気になって〈たいやき波平〉をもっと大きな和菓子の店にするとかなってさ、そして二人に子供ができてその子を〈きぼうの森保育園〉に入れるとかなったら」
「あぁそうね。そうなったらまた新しい繋がりができて、楽しいかもね」

      *

〈きぼうの森保育園〉は夜間もやってる保育園ではあるけれど、もちろん普通に昼間の保育園でもある。だから、朝から夜中まで子供たちの声が響いているんだここは。
 子供の声って、いいよね。まぁ相手をする保育士さんとかにしてみれば騒がれたりするのは大変なんだろうけど、子供たちが騒いでたり喋りながら遊んでいるその様子って、なんだかずっと見て聞いていられる。
 あぁここには未来への希望しかないって思っちゃうよね。たまにこうやってお届け物を持ってきたりするけれども、来る度に、子供たちの元気一杯な姿を見る度に思う。この子たちが全員健やかに育っていきますように、そして幸せな人生を歩んでいけますようにって。
 駐車場は少ないから簡単には停められない。なので、すぐ近くのコインパーキングに一旦停めて、そこから台車にお米を三袋載せて転がしていく。台車はもちろんうちにあるやつ。けっこうゲーセンでは台車でものを運んだりもするからね。わかりやすいものではクレーンゲームの景品の入れ替えのときとかさ。
 ゲートのところでインターホンを押す。
【はい、どちらさまでしょうか】
「どうも〈ゲームパンチ〉の宮下です。宇部さんからのお届け物のお米を持ってきました」
【あ、はーい、ご苦労様です。どうぞー】
 中でカメラで確認してくれて、カチンと音がしてゲートが開く。
 その昔はどこもこんな厳重なことはしていなかったんだろうから、何ていうか、どうしてこんなふうになっちゃったのかなぁって思うよね。
「あぁ」
 入ろうとしたときに声がして、後ろに人がいるのに気づいた。
 白い開襟シャツにグレーのジャケットを着た、男の人。もうおじいさん、っていう年齢かな? たぶん七十代ぐらい。
「あ、ごめんなさい」
 入るのが被っちゃったか。
「別の用事の人たちが同時に入っちゃいけない決まりなので、僕が入って一旦閉めますね。ご家族ですよね?」
「あ、そうです」
「暗証番号知ってますよね?」
 こくん、と頷いた。クラシカルなデザインの黒縁眼鏡の奥の眼が優しい。
「じゃ、閉めますね」
 先に台車を入れて、ゲートを閉める。
 こういうのも面倒くさいけどね。でもあれだよね、こういうことは徹底しないと、オートロックで暗証番号入れなきゃ開かないマンションだって、誰か入った隙にさっ、と中に入られちゃったりするからね。
 勝手知ったる保育園の中。台車を転がして広い入口へ向かう。後ろでまたゲートが開く音がする。
「ありがとうございますー。いつもいつもすみません」
 副園長のゆかりさんだね。こうやってお届け物をしたときぐらいしか会わないけれど。いかにも子供好きそうな優しいふんわりした笑顔と雰囲気の女性。まだ独身ってことなんだけど、まぁそれは人それぞれだ。
「事務所の方に運んで置いておきますね」
「お願いします」
 ゲートから入ってきたあのおじいちゃんに、子供が、男の子が寄っていくのが見えた。いくつかな。年長さんぐらいの年かな。お迎えの時間にはまだちょっと早いだろうけど、何か用事があるとか、あるいはお祖父ちゃんが遊びに来ているとか、か。
「さっきありがとうございます。入るときに説明してもらって」
「いえいえ。お祖父ちゃんのお迎えですかね」
 そうですね、って頷く。
「お祖父ちゃんが来るのは珍しいんじゃないですかね」
「あぁ、でもたまにいらっしゃいます。荒垣さんところは最近三世帯同居の新居になられて、お祖父ちゃんお祖母ちゃんが一緒に住んでいるんだって。お祖母ちゃんはちょっと膝が悪くて来られないようだけど、お祖父さんはあの通り矍鑠としていて、よく来ますよ」
 ポロッと個人情報を喋ってしまったねゆかりさん。
 でも、あらがきさん?
 名前と、もう一度、向こうの園庭にいるその柔和な顔を見たときに。
 頭のどこかで何かが弾けるような感覚。
 小説なんか書いていると、そういうのがよくある。
 脳の中で何かと何かが繋がったような感覚。記憶の蓋が開くとか、まるで考えていない事柄が有機的にぶつかりあって言葉が溢れ出す瞬間とか。それまでアイドリングしていたエンジンが一気に急加速するところまで吹き上がるような感覚。
 最初にゲートのところで顔を見たときに、どこかで見たような気がしたんだ。でも、それは遠い遠い感覚。昔に観た映画に出てきた名も無き俳優さんを見たような。
 でも、それが、〈あらがきさん〉という名前で時を超えたかのように繋がって、浮かび上がった。
 あらがきさん。
 荒垣さん。
 荒垣主審。アンパイア。
 禄朗くんの、あの試合の主審を務めていた人。
 禄朗くんが、殴ってしまった人。
 僕は何度も見ていたんだあの試合で。マスクを取ったときの荒垣主審の顔を。覚えていた。いや覚えていたことに自分で驚いたけれど、あれから二十年経ってそのまま年月を重ねた荒垣さんが、変わらずそのままでいることに驚いた。
 背筋が、伸びている。しゃんとしている。
「あの」
「はい?」
「個人情報なんで知っていても教えられないかもしれないでしょうけど、荒垣さんって、あのおじいちゃんはその昔、野球のアンパイアをやっていたとかって聞いたことありませんか?」
 あぁ、ってゆかりさんが笑みを見せて小さく頷いた。
「そんな個人情報なんて大げさなものじゃないと思います。皆さん知ってるみたいですよ。以前は高校野球の審判をやられていたって」
 やっぱりか。荒垣審判員その人だったのか。
 三世代同居。最近、この辺りというか、この保育園にお孫さんを入れるようなところに越してきたってことなのか。
 これは、どうしよう。
 え、どうしようかな。
 荒垣さんが、お孫さんを連れてもう帰ろうとしている。
 話しかけるべきか、いやそれはちょっと。
 世間話でもする? それとも跡をつけちゃったりしてもいいもんだろうか。
 いや、さっき顔を合わせているから跡をつけたりしたらわかっちゃうよね。
 わからないように、尾行してみる?
 禄朗くんのためにも、この機は逃さない方がいいような気がするんだ。

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