わ、水生さんの良さ全部盛りじゃないですか!
本書を読んで真っ先に思ったことだ。「メゾン美甘」という賃貸住宅(元々は建設会社の社員寮だった)を舞台に、そこで暮らす住人たちのドラマが描かれているのだが、ミステリー要素あり、お仕事小説要素あり、さらにはご飯もの要素あり、と水生さんファンにはたまらない一冊だ。
物語は、骨折して入院した伯母の「有美子さん」から、食堂の料理人を頼まれた「僕」のプロローグで始まる。三年前、定年を機に、知り合いがオーナーのマンションの食堂で、料理人をすることにした有美子さん。彼女が入院している間、「メゾン美甘」の食堂を仕切ることになったのが、雨森涼真だ。
物語は第一話の増本優から第四話の福家柚葉まで、「メゾン美甘」の住人を主人公にしたドラマが描かれていくんですが、何よりも「メゾン美甘」がね、いいんですよ。外壁はグレーのタイル張り、一階の歩道側正面には色とりどりのガラスブロック、内装も凝っている。増本優の言葉を借りるなら「レトロで渋お洒落」なのだ。
だが、それよりも素晴らしいのは、かつて社員寮だった時の食堂がそのまま引き継がれていて、望む人に、朝食と夕食が供されていることだ。各部屋には一口コンロしかない造りなこともあり、このサービスを利用している住人も多い。朝食はおにぎりとゆで卵に味噌汁。夕食は日替わりの定食一種類。それぞれ定額で、「材料費プラス人件費程度ではと思われるほど安価」。あぁもう、私が「メゾン美甘」に住みたい! 仕事で疲れて帰って来た時、温かなご飯がすぐに供されるんですよ。それがどんなに贅沢なことか。心安らぐことか。
第一話の増本優の食生活は、「メゾン美甘」に越してくるまでは、「コンビニご飯やデリバリー」だった。きちっと仕事をしている人ほど、自分の暮らしは疎かになりがちだし、それはそれでしょうがない。職場は職場で、念願のチーフ職に就いたものの、二人の部下の段取りの悪さに頭を悩ます日々。その部下の尻拭いで残業することも多い。そんな優が、急性胃腸炎になる。原因を考えるうち、優の胸に沸き起こったのが、職場での異物混入だった。もしかして、わたしに悪意が向けられている?
その思考、すでにヤバいんですが、優自身はそのことに気づけない。まぁ、当事者ってそんなもんですよね。そんな優の気持ちをほぐすのが、雨森が体調の悪い優のために拵えた「ひとり鍋のおかゆ」だ。これがまた美味しそうなんですよ。
第二話の阪本龍平の章では、彼が大事にしていたスカジャン紛失の真相が、第三話の武内咲楽の章では、同じチームの女性上司のお財布窃盗疑惑をかけられた咲良の顚末が、第四話の福家柚葉の章では、柚葉を追い詰めるような悪意の正体、が描かれている。そして、それぞれの章に呼応するのが、雨森が彼らに提供する薬膳料理だ。お酒が好きな龍平には「二日酔いにおすすめの白菜のクリーム煮」、貧血気味の咲楽には「美肌をもたらす鶏団子のスープ」、人間関係で疲弊している柚葉には「ストレスを解消する薬膳スイーツ」。
いずれの料理も、その章で描かれるドラマにぴったりと寄り添うようなものばかり、しかも薬膳とくれば、それだけでむむむっ、となりませんか。といって、その料理だけが際立つような描き方ではなくて、そこがもう絶妙なんです。それぞれ〝謎〟があって、しかもその謎の根底には、読み手にとっても等身大の人間関係(優、咲楽は職場の、龍平は友人の、柚葉は家族の)の問題がある、というのが巧い。読んでいて、他人事の問題ではなく、自分事の問題に自然と重ね合わさるのだ。雨森は料理人とともに、彼らが抱えている問題の探偵役(彼が直接答えを出すのではなく、その答えに導くようなヒントを出す)をも務めていて、そこも読ませる。
登場人物たちが、雨森の知恵と料理、ダブルで助けを借りつつ謎をクリアすることで、それぞれに心身がステップアップする、という結果も、読んでいて気持ちがいい。そこにあるのは、たとえどんな時でも、きちんと食べ、自分で自分を労る気持ちを持てば、生きることが少し楽になるかもよ、という作者の水生さんからのメッセージなのだと思う。
ところで謎、と書きましたが、一番の謎は、雨森の本業だろう。食堂の料理人になる前は、バイトをしていた。その前はレストラン運営会社に勤めていた。調理師の受験資格まであと一歩という実務経験もある。これらが雨森の個人情報。エピローグのラストは匂わせっぽいんですが、多分、彼の職業は……。いや、これは書かないでおきます。「メゾン美甘」にはまだまだ他の住人もいることだし、ぜひ続編も書いて欲しいので。

■ 書籍情報
『メゾン美甘食堂』 著/水生大海
レトロなマンションの住人専用食堂を舞台に贈る、読めば体も心も元気になれるおいしい連作ミステリー! ゆる薬膳レシピも収録。
■ 評者プロフィール
吉田伸子(よしだ・のぶこ)
書評家。1961年生まれ、法政大学文学部哲学科卒。著書に『恋愛のススメ』(本の雑誌社)。

