この掌編は、『宇宙の片すみで眠る方法』の後日談を描いたものです。本編を未読の方はご注意ください。
クリスマスソングを歌いながら、橋本くんは店頭に小さなツリーを置き、点滅するイルミネーションを棚の上にかけ、雪の結晶の剝がせるステッカーを鏡に貼っていく。ハロウィンが終わったころから、ショッピングモール全体がクリスマスムードへと変わっていった。一階のエントランス広場には、見上げるほどに大きなツリーが置かれている。十二月に入り、寝具店も飾りつけをすることになった。
「どうっすか?」飾りつけを終え、橋本くんはレジカウンターに入ってきて、わたしの隣に立つ。
「なんか、足りない感じするね」
店が広いため、小さな飾りをいくつか並べただけでは、クリスマスに盛り上がる気持ちよりも、寂しさが出てしまう。
「これ、もっと出しましょうか」橋本くんは、段ボール箱からイルミネーションライトを引っ張り出す。「でも、布団やタオルの近くにかけると、燃えるかもしれないんですよね」
「この周りにかける?」
わたしと橋本くんは長いイルミネーションの端と端を持ち、レジカウンターの周りにかけられないか、上下させて位置を確認する。
「お疲れさま」作間マネージャーと店長が店に入ってくる。
今日は店長会議があり、ふたりとも朝から別店舗に行っていた。
「お疲れさまです」わたしと橋本くんは、声を揃える。
「沢村さん、ちょっといい?」作間マネージャーはわたしに手招きしながら、裏の倉庫に入っていく。
「はい」イルミネーションを橋本くんに渡して、倉庫に入る。
倉庫の奥に折りたたみ椅子を出し、作間マネージャーと店長が並んで座り、その正面にわたしが座る。
「沢村さん、社員になる気ある?」作間マネージャーが聞いてくる。
「えっ、いや、うーん」
デパートで一年三ヵ月くらい、ここのショッピングモールで半年くらい働き、寝具のことはわかってきたし、仕事にも慣れた。正社員登用ということを全く考えていなかったわけではない。しかし、全国への転勤や前のデパートの時に関わった社員の態度や働き方を思うと、躊躇いを覚えた。
「人事課長から、沢村さんを正社員にできないかって話があったの」
「はい」
「売上だけではなくて、沢村さんの仕事への姿勢や過去の経歴をふまえて」
「評価されるようなことしてませんよ」
「謙遜しない」店長が言う。
「あっ、はい」
「どこかの店舗で店長にっていうわけじゃないの」作間マネージャーがつづける。「本社で正社員になって、店舗スタッフをサポートするような仕事をしてみる気はない?」
「……うちの本社って」
「愛知」
「ですよね」
店舗は全国にあり、支社は東京と大阪にもあるけれど、本社は創業の地の愛知だ。
休憩に行っていいと言われたものの、なんとなく落ち着かなくて、お弁当を食べ終えると、休憩室から出てきた。
エントランス広場に立ち、クリスマスツリーを見上げる。
店長になって、全国のどこかへ転勤するかもしれないと考えていた時は、現実として捉えられていなかった。本社で正社員という話が出て、急に具体的になった。このまま勤めつづけるのであれば、社員になることは考えた方がいいだろうし、今回の話は大きなチャンスだ。迷う必要なんてないのに、決められない。
ツリーは、何万個もの電飾でできていて、青や白の光が壁や天井にうつる。エントランス広場全体に星がちりばめられたようになり、宇宙の中にいるようだ。
「沢村さん」
声をかけられて振り返ると、そこには髙橋さんが立っていた。
「……」驚きすぎてしまい、声が出なかった。
「ごめんなさい、あの、えっと」髙橋さんは困ったような顔をして、一歩下がる。
「大丈夫です。あの、その、驚いてしまって」
「ですよね」そう言って、少しだけ笑う。
その笑顔を見たら、さっきまで迷って不安になっていた気持ちが落ち着いていった。
「お久しぶりです」わたしから言う。
「半年くらいですけど、もっと長かった気がします」
「はい」
「声をかけるか迷ったんです。でも、何か悩んでるような顔をしてたから」
「お仕事ですか?」
髙橋さんはスーツを着て、黒いコートを羽織っていた。
「そこのスーパーに営業に来たんです」奥にあるスーパーを指さす。「沢村さんは、買い物ですか?」
「いえ、二階にある寝具店で働いています」
「ああ、だから、その格好」
髙橋さんは納得した顔で、白いシャツに黒のカーディガンを羽織ったわたしを見る。他の人たちはコートを着る中、あまりにも薄着だ。再会するのであれば、もう少しキレイな格好をしていたかった。
「お元気そうで」
「沢村さんも」
もう「依里」とは呼んでもらえない。だが、そう呼ばれることを拒否したのは、わたしだ。
「今、休憩ですか?」
「そうです」
「ちょっと話せますか?」
「十分くらいであれば」バッグからスマホを出し、わたしは時間を確認する。
ツリーを囲むように置かれているベンチに並んで座る。まだお昼を少し過ぎた時間なので、ベンチでゆっくりしているような人は、他にいない。
「わたしがいること、あまり驚いてないんですね?」
「いつかどこかで会う気はしてたので」
「そうですか」
「ここに寝具店があることは知ってたんです。でも、いるかもって考えて探しにいって、それで会っても、嫌がられるだろうって思ってました」
「……はい」
店で会っていたら、わたしは橋本くんか誰かを盾にして、隠れていただろう。そして、そのことを後悔する。
「何かありました?」覗きこむようにわたしを見て、髙橋さんは聞いてくる。
「先のことに関する悩みがまた出てきました」
「どういう?」
「それは、言わないでおきます」
話したい気持ちはあった。
さっきだって、クリスマスツリーを見上げながら、髙橋さんに聞いてもらいたいと考えていた。どれだけ願っても、直樹には会えない。けれど、髙橋さんとは、会えるのだ。もう会わないという以外の選択肢も選べたのかもしれない。その思いは、ずっと消えなかった。いつか会える期待は、わたしの中にもあった。
でも、話してしまったら、またこの人の優しさに甘えることになる。
「自分のこと、決められないから」髙橋さんはからかうように言う。
「最近は、決断力も出てきましたよ。店で、年下の子たちに慕われています」
「年下の子もいるんですか?」
「今のお店は、学生バイトの子もいるんです」
「そうなんですね」
「土日の他に、授業が休みの日や平日の夜に入るバイトの子がいて、ここで働きはじめた時は色々と教えてくれました。レジの使い方とかショッピングモールのどこに何があるかとか。仕事のこと以外にも、どこのお店がおいしいっていう話も。わたしが頼ることも多いけど、パソコンでの事務仕事がわからない時や店のレイアウトをどうしたらいいか決められない時は、聞きにきてくれます」
「いい人たちと働けてるんですね」
「はい」うなずき、髙橋さんの顔を見る。「ごめんなさい、またベラベラと自分のことばかり喋ってしまって」
「大丈夫ですよ。実は、年明けに転勤することになったんです。ずっと関東のどこかを担当していて本社勤務だったから、しばらくは他のところも見てこいって言われて。いずれ本社に戻る予定なんですけど、数年は関東から離れます。その前に、沢村さんと会えてよかったです」
「……どこへ行くんですか?」
「名古屋です」
「へえ」空気が抜けただけのような、気のない返事をしてしまう。
「興味ないですよね」髙橋さんは、恥ずかしそうに笑う。
「そういうわけじゃなくて……」
近いところで暮らしていけるかもしれないことに、顔がにやけてしまう。
喫茶店やカフェで会っていた時、髙橋さんに惹かれる気持ちはありながらも、ずっと迷いがあった。わたしたちの間には、どうしたって、直樹と髙橋さんの奥さんがいた。迷いがあるからこそ、強く惹かれる気もした。
離れたことで、今は、ただ純粋に「髙橋さんに、恋をしているのだ」と思える。
「本社で正社員にならないかって言われたんです」
「さっき言ってた、先のことですか?」
「迷ってたんですけど、前向きに考えようって決めました」
「急に?」
「今、決めたんです」
「いいと思いますよ」
「本社、愛知なんです」
「へえ」
「興味ないですよね」
「あります」髙橋さんは、わたしの目を見て言う。「依里の好きそうなカフェ探しておくから、一緒に行こう」
*
■ 著者プロフィール
畑野智美(はたの・ともみ)
1979年、東京都生まれ。2010年『国道沿いのファミレス』で、第23回小説すばる新人賞を受賞し、デビュー。13年『海の見える街』、14年『南部芸能事務所』で、吉川英治文学新人賞の候補となる。他の著書に、『みんなの秘密』『タイムマシンでは、行けない明日』『消えない月』『大人になったら、』『若葉荘の暮らし』『ヨルノヒカリ』『世界のすべて』『アサイラム』など多数。20年から2年間、寝具店で勤務務。まくらの高さと素材を見極めるのが得意。

