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蛍と月の真ん中で
第一章 蛍の行方 夏の夜の途中を、何もかもを失って歩いていた。 左手に広がる田んぼから、五月蠅いほどに蛙の声がしている。両肩に食いこんだリュックには、カメラと交換レンズが数種類。あと数日分の着替え。側面のポケットには…
第一章 蛍の行方 夏の夜の途中を、何もかもを失って歩いていた。 左手に広がる田んぼから、五月蠅いほどに蛙の声がしている。両肩に食いこんだリュックには、カメラと交換レンズが数種類。あと数日分の着替え。側面のポケットには…
1 キィン、とひときわ小気味よい音がして、ボールが高く打ち上がった。こういう時は「白球」という言い方をするんだっけ、と思う。実際に自分で投げたり捕ったりしていれば実感は「ボール」なのだろうが、こうして打ち上げられた…
「ミドリさんって、雷いかづち先輩がベースを弾いてて、ライブにもでてるのって知ってます?」 千尋ちひろの唐突な質問にミドリはいささか面食らいながらも、「知ってるよ」と答えた。 雷くん本人にも先輩って呼んでいるのかな。 …
「なあ、これやってみようや!」 そう言って、少し日焼けした肌の少年が私の顔をのぞき込んでくる。真っ白な世界のなかで、彼の瞳だけがキラキラ輝いて眩しいくらいだ。彼の手には、ハードカバーの児童向け書籍。ポップな色合いで華やか…
野球のユニフォームを身に着けた女の子達が十数人群がり、だれもがみな、満面の笑みで喜びあっている。いい写真だとミドリは思う。だが喜びを分かち合うことはできなかった。 三月下旬の一週間、埼玉にある球場で高校女子硬式野球の…
フゥフフフフフフゥウン、フゥフフフフゥン、フゥフフフンフンフゥン。 なんの歌だ、これ。 自分でも知らないうちに鼻歌を唄っていた。だがなんの歌だったか、まるで思いだせない。首を傾げながらアトリエをでる。そして玄関脇に…
プロローグ 三十年に一度と言われる大寒波は、滅多に雪が降らない九州南部の海岸線にも記録的な降雪をもたらした。 一夜明けてもまだ、湾の上空は分厚い雲に覆われている。 曇天を映した重油のような色の波が、のたりのたりと寄せ…
世界は無彩色でできている。 花も空も季節でさえ、 この目には灰色に映る。 けれども君がそばにいて、 当たり前に笑っていたから、 僕はずっと、大切なことに気づけなかった。 三百六十五日。 君が残した言葉のすべてが 僕に恋…
2 感謝された。オーナーからだ。 やはり面倒な客から逃げ出したというのが真実だったようで、夕方ごろに店へ帰ってきた彼女から「深川カヌレ」と小箱に書かれた洋菓子を渡された。門前仲町まで行っていたらしい。「急に怒り出す…
黒い夏のうたかた③ 五年前のひどく蒸し暑い七月、宇う佐さ見み椎しい奈なは中学二年生だった──。 「はじめまして。わたしは雪ゆき代しろ宗そう司じといいます」 子ども相手にもかかわらず、そのひとは丁寧な口調で話しかけてき…