ブレイディみかこさんの初の長編小説『両手にトカレフ』の文庫が11月6日に刊行されました。文庫化を記念して、連載、単行本、文庫とイラストを描かれたイラストレーターのオザワミカさんとの対談をお届けします。
【あらすじ】
寒い冬の朝、14歳のミアは、短くなったスカートを穿き、図書館にいた。そこで出合ったのはカネコフミコの自伝。ミアは読み進めるうち、同級生の誰よりもフミコが近くに感じられた。一方、学校では自分の重い現実を誰にも話せなかった。けれど、同級生のウィルにラップのリリックを書いてほしいと頼まれたことで、ミアの世界は少しずつ変わり始める――。
選挙のときに、『両手にトカレフ』を思い出してくれた人も
ブレイディ:単行本が出てから二年以上経つのに、ときどき『両手にトカレフ』の感想をXなどにあげてくれる人がいるんです。
オザワ:私も見かけます。
ブレイディ:10月に衆議院議員総選挙がありましたよね。そのときに、Xでこの本のことをあげてくれた方がいたんです。
本の最後の「たぶん世界はここから、私たちがいるこの場所から変わって、こことは違う世界になるのかもしれないね」という文章を引用してくれて、「だから選挙に行かないといけないと思った」というようなことを書いてくれていました。
オザワ:すごい!
ブレイディ:総選挙の前に、この文章を読み直したみたいなことも書いてあって。本当に著者冥利に尽きるというか、こういうことを感じてくれる人もいるんだなと嬉しかったんですよね。
オザワ:泣けてきてしまった。小説だからこそ読んでもらえて、受け取ってもらいたいところに届いているということですよね。すごいことだ。
ブレイディ:これがノンフィクションだったら、選挙に行こうというところまで書いちゃう。
でも、小説はそうは書けない、書かないというか。やっぱりそれをお話に託して、そこまで持っていく。
オザワ:人の心を動かすのって、難しいじゃないですか。一人でも、そうやって変えられるってすごいことだと思って、いま感動しています。
ブレイディ:じつは私も泣きました。
ブレイディさんでなければ、書けないお話
オザワ:最初にこのお話を拝読したときに、本当にブレイディさんじゃないと書けないお話だなって思ったんですよね。
いろいろな現実を見て、それらを受け止めた方じゃないと、こういう咀嚼をして、こういう形にお話にはできないなと思って。でも、ブレイディさんが見ている現実というのは、もっと大変だろうなとも感じました。
時代も国も違うけど、今の日本に同じ思いをしてる子が絶対いっぱいいると思うので、そういう子たちにも届いてほしいなあと。堅苦しくなく、直感的に、そういう子たちに届く絵が描けたらなあと思っていました。
ブレイディ:うれしい。でも、そういう子たちはあまり本を読まないんですよね。
オザワ:そうなんですよね。でも、そういう子たちに手に取ってみようと思ってもらいたいなとも思ったし、そういう子たちの手に届かなかったとしても、この本を読んだ子が、あの子もひょっとしたらそういう環境にあるのかもしれないと気づくきっかけになるといいなあと思いながら、読ませていただいていました。
ブレイディ:本当にそう思います。文庫には、バービーさんとの対談が入っていますけど、バービーさんは、ミアの友達の一人に感情移入しながら読みましたとおっしゃってくださって。
オザワ:バービーさんは、なんて謙虚で聡明な方なんだろうと思いながら、対談を拝読しました。バービーさんのような視点で、近くにいる人たちに思いを馳せるきっかけにしてもらう本にもなりますよね。
おふたりの対談が、このお話を理解していく一助になるなと思いました。すごく深くて、興味深い対談でした。
ブレイディ:バービーさんは、社会のことにもすごく興味を持っていらっしゃるし、ご自身もどうやって世の中を変えていこうかということにコミットしていらっしゃる。
わたしは、ノンフィクションや社会時評などをメインで書いてる人間だから、『両手にトカレフ』にもけっこう主張が入ってるというか、人文的というかノンフィクション的な要素が散りばめられていると思うんです。だから、さっきの選挙の話なんかを見ると、すごく嬉しい。
社会が変わらなくても、あなたの人生は足元から変えることができる
ブレイディ:書いている方の企みとしては、2人の少女の人生だけではなくて、そこから広がる社会がどうやったら変わっていくのかというところまで思いを馳せてほしかった。
社会や政治が変わらなきゃ、あなたの人生は変わりませんよねというのは、違うとも思う。自分が足元から変えていく部分もあるし、それが社会や政治を変えていく力の一つになるわけだし、それはもう両方あってのこと。
オザワ:両方からできることがありますよね。
ブレイディ:社会のせいもあるけど、あなたが自分で変えていける部分もあるというふうにしないと、人間は絶望しちゃうと思うんですよ。
政治に絶望している感覚は、いま日本ですごくあるんじゃないかと思うんですけど、じゃあ政治が変わらないと我々の人生は変わらないのかというと、そうじゃない。
オザワ:うんうん。
ブレイディ:足元にある世界から、たとえばカウリーズ・カフェみたいなところが、まさにそう。政治がやらないんだったら、自分たちがやる。自分たちで食べていけるようにお互い助け合う。相互扶助的な場所がまさに形になっているんですけど、そういう下からの動きもあって、それが上を変えていくのかもしれない。
上から降ってくるものだけを待っても、なにも変わらないというのは、いま日本の人たちはすごく感じているんじゃないかな。上に期待していてもしょうがないから、自分たちでなにかやり始める。そうしたら自分たちでやっていることが、社会全体を変えていくかもしれないというのは、みんな割と気づき始めている気がしています。『両手にトカレフ』に込めた、わたしの企みは、そのあたりにあるんです。
自分の身近なところで、できることをすればいい
オザワ:その企みにまんまとハマったのが私なんですけど、『両手にトカレフ』を読んで、本当に自分の身近なところでできることをすればいいんだとすごく思いましたね。
イラストレーターさん、デザイナーさん、クリエイターさんたちは、自分も含めてマジョリティ側ではない視点の方も多く、政治に対する不満みたいなことを話すことがあります。
もちろん上から変えてもらいたいこともいっぱいあるんだけど、身近なところで困っている人に自分が先に手を伸ばす方が早いなと最近は思っているから、選挙の結果が思ったようにならなかったとしても、あんまり失望しなくなりました。
私は、私が助けたい人に手を貸せばいいんだという思いにすごくなりましたね。
ブレイディ:カウリーズ・カフェでボランティアしているゾーイも、身近にいる子どもを自分が助けようみたいなところから始まっていく。日本は割と縦社会だから、政治に期待しちゃうところもあったのかもしれないですね。
オザワ:本当に。そうかもしれないですね。
ブレイディ:アナキズムは、わりと水平な世界を志向するというか、縦ではない水平な横の世界。横で繋がって、カウリーズ・カフェみたいな場所がいろいろなところにあれば、政治がどんなに失敗しても食べていける。みんなで集まって、ごはんを作って、食べていけるじゃんみたいな。
だから足元の私たちの世界から変わっていけば、この世界は違う世界になるんだよという、この本の最後のところにつながっていく。そういう政治的な企みもありました。
オザワ:その企みは、たくさん伝わっていると思います。本当にすごい本です。
ブレイディ:いやいや、そんなことはないんですけど。でも、高校生の男の子が読んでいたのを見ましたとか聞いたりとかすると、めちゃくちゃうれしいです。
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