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読者ひとりひとりの胸に伝わる目を逸らしてきた思い【書評:藤田香織】 

 自分と「違う」人を、厭わしく思っていた時期があった。 
 単純に、容姿や家庭環境の違いなどで、羨んだり羨まれたりするのは煩わしかったし、自分が持っているものと、持てずにいるものを直視せざるを得ない状況に置かれると、一喜一憂して神経がささくれ立った。価値観や物事についての見解も厄介で、同じものを見ているのに、どうしてそんなふうに思うのか、なぜそんな理解不能な言い方をするのか、話が通じないと感じたときに込み上げてくる「なんだかなー」というあの徒労感。 
 意味が解らない。納得できない。私はそうは思わない。 
 そんなことが何度かあると、「この人、面倒くさい」と心のシャッターを下ろした。そんな人と深く関わらなくても、世の中、他に気の合う人はいくらでもいるんだし、と、上辺だけの付き合いとして割り切っていったのだ。 

「自分と似た人」は楽だ。「共感」できれば「安心」できる。「常識」や「当たり前」を共有できれば、話が早い。触らぬ神に祟りなし。それはある意味、ストレス社会を生き抜く処世術だとさえ思っていた。 
 でも、だけど。 
 一方で、気が付いてもいたのだ。「違う」からといって、どうしてもばっさり切り捨てられない、切り捨てたくない関係もあることに。 
 解りたいのに解らない、伝えたいのに伝わらない。もどかしい。面倒くさい。イライラするし、腹も立つ。なのに、目を逸らせない。離れられない。それはいったい何故なのか。あのとき、あのころ、自分の心の奥底には、どんな感情が渦巻いていたのか――。 
 本書には、ずっと目を逸らしてきたたくさんの「私の気持ち」が描かれていた。 
 収められている八つの物語には、小学生から中高年と呼ばれるまでの、幅広い年齢の女性たちが登場する。「滅亡しない日」「非共有」「切れなかったもの」「お茶の時間」「あたしは恋をしない」「正直な彼女」「神様の名前」「皺のついたスカート」。目次に並んだタイトルから、まずはちょっと内容を想像してみて欲しい。 
 苦い話なのか。嫌らしい話だろうか。ちなみに私は「正直な彼女」が素直で美しい娘の話だろうとは欠片も思わず、そんな自分に呆れたりした。 
 最初に収録されている「滅亡しない日」は、いきなり強烈な印象を残す。同じ高校に通うふたりの少女の物語だ。「私(あたし)」=彩葉と「彼女」=真優は、放課後の寄り道を共にする仲良し。出会って間もないころに、同じ漫画を読んで盛り上がり、笑い合い、真優はぽつりとこう言った。  
「二人で話すと、一人で読んでたときよりおもしろくなる」 
 きゅっと距離が近付いたその瞬間が目に見えるようで、つい、あぁ、と息を吐いてしまう。同じものを見る。同じ時間を過ごす。でも、真優には他校に通う恋人がいて、彩葉は未だ誰かと付き合ったことがない。彼の友達を紹介しようか? と無邪気に訊かれて、恥ずかしいからいいと断ると「もったいないなー」と真優は言う。限られた女子高生という時間。今しかできないこと、今しか知れないこと。真優が軽いノリで口にした「もったいない」という言葉が、彩葉のなかで膨らんでいく。 
 その結果、彩葉がとる行動は、たぶん誰にも予測不可能だ。真優にとっては理解し難い出来事を、そうせずにはいられなかった彩葉の衝動。とても惨酷で、だけど泣きたくなるほどの切実さに数ページ前とはまったく違う息が漏れてしまう。 
 予想もつかないという意味では、三話目の「切れなかったもの」も意表を突かれた。事故で亡くなった両親が遺した一軒家に暮らす、祖母をひとりで看取った地味でお堅い妹と、東京から戻ってきた、どこか浮世離れしたような摑みどころのない姉。微かな不穏さが漂うふたりの日常が淡々と綴られていくうちに、秘められていた出来事が明らかになっていく。 
「あたしは恋をしない」の美羽は、十歳にして「死ぬまで恋愛しない」と言う。男の人なんて、ロクなもんじゃない。嘘つきだし、浮気をする。同じクラスの男子と付き合うなんて「一万円もらったってイヤ」だと。 
「神様の名前」の幸子が、捨てたつもりでいたその人の名前を呼びたくなった瞬間に、「皺のついたスカート」の奈津美の、きゅっと引っぱるスカートに付随する記憶に、同じ経験などしていないのに、ひりひりと胸が痛む。私が、切り捨てたつもりでいた、それでも離れられなかった彼女たちの顔を、声を思いだす。 
 みんな違ってみんないいとか、ひとりひとり違う美しい花を咲かせましょうなどと、綺麗にまとめられても収まりきらない気持ちを作者は丁寧に掬い上げていく。「私」は「彼女」に、「彼女」は「私」に、呆れもすれば諦めもする。憎しみや憧れや、侮蔑や思慕をのみ込んで、心のなかに広がった波紋は、読者の胸にも伝わっていく。 
 歌人としてデビューした後、作者が書いてきた小説を読み継いできたけれど、ここへきて、絶妙な「凄み」が出てきたように感じる。苦くて巧い。潔いのに後に残る。 
 加藤千恵は、誰にも似ていない作家になっていくだろう。その予想はきっと裏切られない。 
 とても楽しみだ。 


藤田香織(ふじた・かをり) 
書評家。1968年生まれ。音楽出版社勤務の傍らブックレビューを書き始め、98年にフリーライターに。著書に「だらしな日記」シリーズ、『ホンのお楽しみ』、杉江松恋さんとの共著に『東海道でしょう!』など。 

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