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第7回

【うちがふつうで、よそがへんなの!7】命日

 父の命日は、六月の終わり。

 昼過ぎにひとり暮らしの部屋を出て、実家に向かう。
 乗り換えの駅にある花屋で、花束を買う。うちは誕生日でも命日でも、花束を贈るときには、明るく大きくうつくしいものと決まっている。時間もなかったので、もうすでに作ってあるものから選んで、中央線に揺られて帰る。

 駅前の大きなパチンコ屋が、フィットネスジムに変わっている。思い出のある、あらゆる店がつぶれては、全く違う店になっていく。地元を離れて、もう十年になるのだから、まあ変わるよな。地元に愛着がないから、大きい心の揺れはない。でも、小雨降ってきた、くらいの揺れはある。

 実家に帰るまでの道のりにある、なんでもない川と、そのなんでもない川にかかる小さな橋からみる景色は好きで、ずっと好きで、写真にうつす。歩きだす。坂をのぼる。蒸し暑くって、汗をかく。八年前は、こんなに暑くなかったはずだ。

 インターフォンを押す。母が出る。すぐさま花束を渡す。わたしが手を洗っている間、母は花束をまじまじ眺めて、やっぱり都会の花束はきれいね、と言っている。母に花束を持たせて、写真を撮る。お母さんの命日じゃないのよ、と母が言う。

 何年か前から、母の写真を撮ろうとすると、あんた今、遺影撮ってるんじゃないでしょうね、と言われるようになった。母なりの冗談なのか、本気で怒られているのかわからなくて、目をそらしながら、ちがうよ、と言うことしか今のところできない。

 父にお線香をあげる。手を合わせる。ソファーに座って、母と少し話す。お腹がすいたね、と言い合って、家を出る。電車に乗り、一駅。駅ビルの上でとんかつを食べる。父が好きで、よく来た店だ。生きているから、いっぱい食べる。生きているから、ビール飲み干す。

 母の煙草が吸い終わるのを待ち、下の階で買い物をする。折り畳み傘はどうしまうときれいにしまえるのか、母が見せてくれる。やってみなさい、と渡されて、うまくできなくて、こうよ、こう、と教えてもらい、やっときれいにしまえるようになる。ひととおり、買い物をすませ、母をタクシーに乗せて帰す。

 去年の命日は大喧嘩したのだ。

 お互いお酒も入っていて、お酒は楽しいときにしか飲まない主義だと口ぐせのように言っていた母の、今のひとりの生活に降る孤独がどれほどのものなのか想像したことがあるのかと、そういうことを言われたのだった。子どものままのわたしが答える。「つよくなりなさい」とどんなときだってわたしに言いつづけたのはあなたでしょう、と。けれど、そのあとにつづく母の言葉は「やさしくありなさい」だったこと。

 つよく、やさしく。そんなのいちばん難しい。生きているうちに、なんとか。つよく、やさしく。よわさを許しあいたいと思う。

小原晩(おばらばん)
作家。1996年、東京生まれ。2022年にエッセイ集『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』を自費出版する。2024年11月に実業之日本社より増補版を刊行。他の著書に『これが生活なのかしらん』(大和書房)がある。

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