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第9回

【うちがふつうで、よそがへんなの!9】 涙の無駄づかい

 あれは、いつの晩だったか。家の中に、妙な緊張がみなぎっていた。家族会議というものが、唐突にひらかれたのだった。

 わたしは小学生、兄は中学生。父と母が、リビングに座っている。4人家族は円になって座った。なにか、お芝居のはじまりのような気配があった。

「いいか。よく聞け」

 父がそう言った。重々しい口調だった。

「お父さんは、もう、だめだ。おれは、死ぬ。病気だ。治らない」

 世界が、一瞬にして裏返ったような感じがした。

 わたしは、泣いた。大きな声で泣いた。どうしても、そうしたかった。だって、お父さんが、死ぬ。死んでしまう。

「泣くんじゃねえ!」

 父の声が、怒りにぬれて飛んできた。

「おまえが泣いたって、おれは死ぬ!」

 なんだ、それは。そんなこと、あるか。泣いたらいけないのか。こんなときに。泣くことすら、ゆるされないのか。泣かない人間のほうが、よほど冷たいのではないのか。

 しかし、怒られたので、泣くのはよした。喉の奥のほうが、痛くなった。

 それから、家族4人で、馬車道という、少しばかり高級なファミリーレストランへ車で行った。普段は行かない場所だった。わたしは、何もかもが現実ではないような気がして、ステーキを噛んだ。味が、しなかった。兄は巨大なジュースを、ほこらしげに飲みほしていた。

 ほんとうは、父はただ、病院の再検査にひっかかっただけだった。なにも起こらず、父はそのまま生きた。

小原晩(おばらばん)
作家。1996年、東京生まれ。2022年にエッセイ集『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』を自費出版する。2024年11月に実業之日本社より増補版を刊行。他の著書に『これが生活なのかしらん』(大和書房)がある。

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