7 甦るおもちゃたち
五月にオープンした〈おもちゃのチヤチエチャ〉。
今年はとってもいい気候だったと思う五月はあっという間に過ぎて、鬱陶しい梅雨も終わって、またしてもあっという間に夏がやってきて。
猛暑。
本当にもう日本だけじゃなくて世界中がダメになっていくんじゃないか、ってぐらいの異常気象とかあって、暑くて暑くてやっていられない。
私たちは基本的には店の中にいてエアコン効かせているのでいいんだけど、外は本当に身体が危険で歩いていられないぐらい。
「〈花咲小路商店街〉の一丁目から三丁目まではアーケードがあるので、まだ多少は楽なのよね」
午後三時。カプセルトイ関係の打ち合わせから戻ってきた千弥さん。ハンカチで軽く顔を叩きながら。
「ですよねー」
駅から歩いて帰ってくると一丁目から順番に商店街を通ることになる。アーケードで日陰になっているし風が通り抜けるから、本当に多少はマシ。それでも暑いことには変わりないんだけど。
「この時間、四丁目なんか歩けないですよ。アーケード終わった瞬間に陽射しでやられますから」
「本当よね。あ、知ってた? セイさん、亜弥さんから散歩を止めるように言われているんですってね」
「いや、そうですよ」
毎日の散歩を欠かさないセイさん。
私たち商店街の子供は学校の行き帰りに必ずって言ってもいいぐらいに、散歩しているセイさんの姿を見ていたんだ。英語で挨拶して会話するのを楽しみにしていた。本当に毎日毎日、散歩をしているんだ。
「こんな暑い中散歩していたら、冗談抜きで熱中症で死んじゃいますよ。いくらセイさんお元気って言っても」
そう、セイさんもそうだけど、この暑さで大変なのはすばるちゃんもそうなんだ。あのシトロエンって車はものすごくクラシックカーだからエアコンなんか付いていない。一応、車の中にスポットクーラーを置いて冷やしてはいるんだけど、そもそもあの車、外装が鉄板だからものすごく熱くなるんだ。
「そういえばそうよね。すばるちゃん、あそこが家なんだものね」
「家なんです。そのうちに二人でどこかに部屋を借りようと思ってるので、それはいいんですけど、仕事場があそこですから」
「プレハブ建てたって同じようなことだものね」
あんまりにも車体が熱くなるからお義父さん大丈夫なんだろうかって思うんだけど、そもそも身体がないんだから熱さ寒さはまったく感じないんだよって。その前にもう既に死んじゃってるんだから心配無用って。それは、そうですよねって。
「すばるちゃんもまだ若いからいいけど、瑠夏ちゃんは結婚するんだから一緒に考えないとね。ずっとあそこで駐車場をやっていくんなら余計に」
「そうですよねー」
どこに住んだらいいのかってことも含めて自分たちの将来については、いろいろいろいろ考えてはいるし話してもいるんだけれど、なかなか話が進まないんだ。現状特に不満はないっていうのも大きいんだけど。
将来。
この店を手伝うようになってから、ちょっと思ってる。千弥さんも智依さんも素敵な人たちなんだ。そして年齢はアラサー。もうすぐ三十歳になろうとする美女二人。
もちろん、店を開いて一緒に仕事に邁進してるっていうのはあるんだろうけれど、デートするとかそういう話は一切、まるで聞かないの。もう何十回も一緒にご飯食べたりいろいろお話ししているのに、カレシがどうとかって話もまったく出ない。いや、いいんですけれどね。別に結婚だけが人生の目標ってわけじゃないから。
でも、こんなに可愛くて美人で有能で素敵なお二人なのになぁ、って、ちょっと思ってる。すばるちゃんもそう言ってる。
自動ドアの開く音。
どこかで見たような気がするおばちゃんがお店に入ってきた。おばちゃん、いやおばあちゃんぐらいの年かな。くるくるパーマか天然かわからないけど豊かな髪の毛に、赤のTシャツにクリーム色のパンツっていうラフな格好。そういうんじゃないと暑いもんね。そして大きな紙袋を持って。
「いらっしゃいませ。どうぞー」
「はい、〈おもちゃのチヤチエチャ〉さん。ここで、昔の玩具の修理できるんですよね?」
「はい、できますよ」
うん、やっぱりどこかで見たことある人だ。ご近所さんかな?
「私ね、向こうの栄町中通りの大山なんですけどね」
「あ、ご近所さんなんですね」
栄町は商店街のすぐ隣の住所。やっぱり見たことあるのはどこかですれ違っているからだったんだ。
「これなんだけどね。ちょっと出していい?」
紙袋から出されてカウンターの上に置かれたのは、白木の薄い箱。
「あ、木の玩具ですね」
四角形の木の箱に入っている動物たち。私も持ってた気がする! いろんな動物たちが組み合わされてひとつの箱に入っているやつ。
「懐しいです。私もこんなので遊んでいました」
千弥さんが微笑んで言う。家になくても幼稚園や保育園とかでも、ゼッタイこういう玩具はあると思うんだ。
「これ、うちの娘のものだったんですよ。ずっと取っておいたんですけど、今度、孫ができましてね」
「わ、おめでとうございます!」
「娘さんにお子さんがですね?」
「そうなの。それでね、娘のね、昔の玩具をいろいろしまっておいたのを引っ張り出してみたら、この木の玩具が、いつの間にかこうなっていて」
「ないですよね」
そう、木の箱にピタッと揃って入っているはずの動物たちが、全部で十二匹、あ、十二頭かな? それが揃っていない。欠けているんだ。二つの、何の動物かわからないけれど、二匹がいない。
形からするとひとつはひょっとしたらキリンかな?
「この二つを作ってもらうってこと、できますかね?」
大山さんに、千弥さんが頷いた。
「できますよ。ちょっとお待ちくださいね。手順や方法などを作業する人間に確認させますので」
千弥さんが後ろの窓をコンコン、とノックすると、すぐに智依さんが部屋から出てくる。
「いらっしゃいませー」
「この玩具、木の動物が二つ欠けているのね」
そう千弥さんが言うだけで、智依さん、大きく頷く。
「できますよー。簡単に作れます。これは昔からある有名な玩具メーカーのものなので、このタイプの写真もあちこちにありますから、本物そっくりに作ることはすぐにできます」
「そうなんですね! おいくらぐらいになります?」
うーん、って千弥智依さんがおんなじように考えて。
「こちら、ちょっと待ってくださいね」
千弥さんがパソコンで検索して、出てきたのはまったく同じ新品の動物の組木の玩具。
「これとほぼ同じものですよね? 年代が違うのでちょっとずつ変わっていますけれど」
「そう! これですこれ」
「ご覧の通り、今はけっこうなお値段になっていますねー。ほぼ一万五千円ぐらいです。でも、二つの動物、えーとないのはキリンとカバかな? その二頭の動物をただ作るだけなら、材料費と手間賃、いわゆる技術料ですね。私が制作するギャランティですけど、材料費を含めて二匹で二千五百円ぐらいで作れると思います」
二千五百円、って大山さん呟く。一頭千二百五十円ですね。それを安いと見るか高いと見るか、ですけど。
「意外と安いですね」
商売上はもう少し高くしたいですよね。木の動物をひとつしっかり作るって凄い技術なんですから。
「けれども、ですね」
千弥さんだ。
「ただ同じのを作るだけじゃあ、ちょっとマズイかもしれないんです」
「と言うと?」
「この玩具、しまい込んでもう十四、五年、ひょっとしたら二十年ぐらいは経ちますか?」
大山さん、数を数えます。
「そうね、もう二十年ぐらいになるわね」
「ですよね。木の玩具となると、そもそも木は生きていたものですからそれだけしまい込んでおくと、雑菌だらけになるんです。そしてカビます。ほら、ここなんかカビが生えてますね」
「あらっ、本当に」
気づかなかったんですね。
「ここ、木枠の合わせ目のところが黒いのは埃の汚れじゃなくて、黒カビですね。他の動物たちにもほら、触るとわかりますけどうっすらと白いのが。これもカビです。白カビですね」
うわぁ本当だ、って大山さんが顔を顰めます。
「こうなるとですねー、ただ洗剤で洗って干しただけじゃあ不安なんですよ。なんたって、お子さんが手にするもの。そして赤ちゃんのうちは口に入れちゃったりしますよねー。なので、できれば、全部を一度マシンで削ってキレイにしないとならないんです。元のきれいな木の部分が出るまで、たぶん一、二ミリは削らないとならないです。カビの場合は根っこみたいに木の細胞に入り込むので」
カビの部分を全部削るってことですよね。
「そうなると、この表面の絵の部分も消えてしまいますから、人体にも安全な塗料を使って同じような絵を描き直すことになります」
「つまり、全部やり直しちゃわないと、かなり不安ってことね?」
「そういうことですー」
赤ちゃんだったらもうしゃぶっちゃったりしますもんね。
「もしも、それを全部うちでやると、きちんと形を保ったまま削ってそして絵を全部描き直すと、新品の値段を超えてしまうことになるかも、なんですよ。ざっくり見積もっても、一万五千円から二万円」
うん、って大山さん頷きます。
「そうよね。そんな手間暇掛けたらそうなるわよね」
「なので、どうでしょうか。きちんとグラインダーというマシンで削るのは素人の方にはちょっと難しい作業なので、うちで全部をしっかり削って、そして欠けた二頭を作り直して、七千円か八千円ぐらい。絵はなくても充分使えるものですからね」
「そうねー」
絵がなくても何の動物かは大体はわかるけれども、わからなくなっちゃうのも確かにあるかも。
「もしよければ、うちにある安全な塗料を使って、ご自身で描いてみるというのはどうでしょうかねー」
「私が? 絵を?」
「お教えしますよ。こうやって新品の見本があるわけですし、うちできちんと下絵を真っ新になった表面にエンピツで描いておきますから、その通りに色を塗ればいいだけです。たぶんけっこう簡単にできますよ」
ふぅん、って大山さん考えます。
「その絵の具? っておいくらぐらいに」
「サービスしますよー。ただ、画材をお持ち帰りいただくことはできないので、ここで空いた時間に来ていただいて作業してもらうことになります。そんなに時間は掛かりませんよ。乾燥やちょっとした手直し作業はやっておきますからー」
*
結局、七千五百円で請け負いました。
預かった木の玩具をきれいにするのとキリンとカバの二頭を作るのに二日ぐらい貰って、その後で大山さんの都合のいいときに来てもらって、絵を描いてもらって完成。
大山さん。自分で絵を描くのを楽しみにしているみたいだったから、いい方法になったかも。
「でも、修理ってそんなにお金にはなりませんね」
ずっと思っていた。開店してから今までにいろんなものを直してきたけれど、本当に手間賃みたいな感じ。私のアルバイト代を払ったら一ヶ月で稼いだ修理代金が全部なくなってしまうんじゃないかって感じ。
「いいんだよ。それで儲けようなんて思ってないしー」
「そう、生活費を稼ぐために、カプセルトイをこんなに並べているんだから。稼ぐのはこっちで稼ぐの」
お祖父さんの遺すおもちゃ屋さんをそのままやりたいって思ったんじゃなくて、夢のあるものを、智依さんの作る素晴らしい作品を、そして皆が幸せになるようなものがたくさんあるお店にしたい、っていうのが本当。
いろんなものを直して、喜んでもらう。素晴らしい作品を作ってそれを売って喜んでもらう。
皆が喜んでくれるおもちゃ屋さんになりたいんだって。
「ま、実際本当に本当のおもちゃ屋さんをやっても、そんなに儲からないっていうのはわかってるしね」
「そうなのー。それにここは実家で家賃が掛からないから光熱費だけで住めるしね」
うん、それ大事ですよね。私は実家に住んでるからもちろんだけど、すばるちゃんもあそこが自分の家で自分の土地だからやっていけるんだし。
「こんにちはー」
あれ、樹里さんだ。
「こんにちは」
二丁目の〈久坂寫眞館〉のカメラマンの樹里さん。
うちで既に第一弾を発売している〈花咲小路商店街看板娘シリーズ〉の一人。第一弾のラインナップは。
〈花の店 にらやま〉の花乃子さん。
〈久坂寫眞館〉の樹里さん。
〈バーバーひしおか〉のせいらちゃん。
〈ナイタート〉のミケちゃん。
〈たいやき 波平〉のユイちゃん。
それにシークレットで〈和食処 あかさか〉の梅さん。
梅さんは、もちろん現在のリアルなものと、なんと若い頃の写真を引っ張り出してきて、二十五歳の頃の梅さんのフィギュアの二組揃いなんですよ。
皆がその写真を見てもう大騒ぎになったよね。これは確かに〈花咲小路商店街〉のレジェンド看板娘とするに相応しいって。それぐらい、可愛かったというか、恐いほどの美人でした梅さん!
「これ、頼まれていた昔の商店街の写真のプリントですね。それと請求書です」
樹里さんが大きな袋を持ってきていました。
「すみませんわざわざ。電話くれたら取りに行ったのに」
「いや、今日はぜんぜんヒマだったので。それに私もまだここのガチャガチャ全然見ていなかったので」
ニコッと樹里さん笑みを見せます。さすが看板娘、樹里さんも素敵な笑顔なんです。
「ちょっとプリントを確認していいですか?」
「どうぞどうぞ。すっごく素敵ですよ昔の商店街。まだアーケードのない時代のものもたくさんありますから」
「千弥さん、それは商店街のジオラマフィギュアの参考資料ですよね?」
「そうそう」
頼んでいたんですよね、〈久坂寫眞館〉の重さんに。
〈久坂寫眞館〉に残っている商店街の写真をもれなく焼き増ししてほしいって。それを基にレトロな〈花咲小路商店街〉の模型を作って、それもカプセルトイと、ジオラマ化する計画。
「あー、本当だ。モノクロですね」
「これは、後でカラー化しちゃうんですよね?」
樹里さんが訊くと、千弥さん頷きました。
「モノクロバージョンとカラーバージョン。両方を一応モデル化しますからね」
「時代設定はどうするんですか?」
昔の商店街と一口に言っても、昭和の初め頃と終わり頃じゃ全然違う。
「そこも、検討課題。今はもうないお店をモデル化したとしても、基本的には許可を取らなきゃならないでしょ? まぁ昭和初期のお店なんかだと許可の取りようもないのはたくさんあるとは思うけど」
「ですよね」
誰がやっていたのかもわからないお店だってあるかもしれない。
「そういうのをもしもモデル化したいときには、どうするんですか?」
「調べるだけ調べて全然わかんなかったら、もうどうしようもないので白旗揚げます。わからないけど作ってしまったので、わかる方教えてくださいってネットでお願いするわね」
「そうするしかないよねー」
なるほど。
「だから、基本的には許可取りできる連絡先がわかっているところを優先していって、時代はもうバラバラでもいいんじゃないかって思ってる」
「バラバラに」
「そうだよねー。むしろバラバラの方が全体的な見栄えが統一されないで、おもしろいものになるかもしれないかなって」
「あ、それはきっと楽しいですよ」
樹里さん。大きく頷いている。
「これは、どこだろう。何丁目かな」
千弥さんが見てるのはやっぱりモノクロの写真で、〈花咲長屋〉って看板がある路地。〈花咲長屋〉?
「それは、四丁目ですね。火事になる前に四丁目にあったいわゆる飲み屋街です。ほら、アーケードがあるでしょう。四丁目にもあった頃ですよ」
「飲み屋街! そんなのが昔はあったんですね」
樹里さんが、こくん、と頷いた。
「あ、私も話を聞いただけですけどね。ちょうど今のセイさんのところ、〈マンション矢車〉の隣ぐらいにあったそうですよ」
そういえばなんか聞いたことがあるかも。昔は飲み屋街があったけれども、火事で焼けてしまってそれ以来いわゆるお酒を主に扱う飲み屋さんは、商店街には入らないようになったって。
「これも、四丁目なのかなー?」
智依さんが見たのは、古めかしい看板がある建物。
「〈スマートセンター〉? って、何屋さん?」
「それはですね、いわゆる遊技場ですね」
樹里さん。
遊技場?
「卓球とかビリヤードとか、スマートボールとかそういう遊びができる場所。言ってみればゲームセンターですね昔の」
スマートボール?
「すっごく久しぶりに聞いたかもスマートボール」
千弥さんが笑って。
「それは、なんですか?」
聞いたこともない。
「説明しづらいんですけど」
「こんなのよー」
智依さんがパソコンで検索して、出てきた画像。
「あ、わかりました。なんかで見たような気がします。ピンボールマシンみたいな感じで遊ぶやつですよね」
「そうですそうです」
「樹里さん詳しいですねー」
いやいや、って樹里さんちょっと慌てたように手を振って。
「重さんと一緒に写真を探して焼き増ししているときに、全部調べてみたんですよ。聖子さんにも確認したりして。あ、セイさんにも話を聞いたりして。いろいろと昔の商店街には詳しくなっちゃいました」
そうですよね。〈久坂寫眞館〉は〈花咲小路商店街〉でもたぶんいちばん古い店で、大正時代からここで営業していたって聞いてる。
だから、古い写真が本当にたくさん保管してあるんだって。
「じゃあ、あれですね樹里さん。これから〈花咲小路商店街ジオラマ作戦〉を本格化させるんですけれど、寫眞館の仕事の合間でいいですから、打ち合わせとかに協力参加してもらえません?」
樹里さん、ちょっと眼を大きくさせました。
「え、私は何を?」
「そういう昔の商店街のお話? いろいろ聖子さんや重さんと確認しながら聞いたんですよね? それを私たちにも教えてほしいんです」
「これからー、この写真を全部デジタルに取り込んじゃって、仮想の〈バーチャル花咲小路商店街〉を作っちゃうんですよー。3DCGでモデリングしちゃってね。話を聞かせてもらって、そしてフォトグラファーならではの視点でどういう街並みにするか、アドバイスしてほしいですねー」
「いやー、それは全然構わないんですけど、他所から来た私なんかより、うちの重さんはこの街で生まれてるんですから、その方が適役だと思うんですけど」
「うん、でも、ほら」
千弥さんがくるっと指を立てて回します。
「せっかく〈おもちゃのチヤチエチャ〉は女の子だけでやってるので、参加してもらうのも女の子、看板娘の方がいいなぁって思って」
笑いました。
「楽しそうですね」
「もちろん、参加してもらえたら、アルバイトとして、決められた時間給をお支払いしますから」
「いやー、それなら参加する度に一回ガチャガチャ回させてください。その方がいいです」
好きなんですね樹里さんも。
「じゃあ、一時間につき好きなガチャ二回回せるってことで」
「オッケーです!」
樹里さんが〈久坂寫眞館〉に戻っていって。
「樹里ちゃんと重さんって、どうなの瑠夏ちゃん?」
「それは、私もわかんないです」
元々樹里さんは新しく雇われた人で、もう二年ぐらいだったかな。専属のカメラマンとして働いているんだけど、そのままもう重さんと結婚して〈久坂寫眞館〉を夫婦としてやっていくんじゃないか、って、皆が噂しているだけで。
「お似合いなんだけどね、重さんと」
それは、そう思います。
「そうやって考えるとねー」
智依さんがパソコンで何かをいじって。
「この〈看板娘〉シリーズでもねー。瑠夏ちゃんとすばるちゃんはもう結婚を決めているしー。ミケさんは刑事さんと結婚したでしょ? 〈たいやき 波平〉のユイちゃんも禄朗さんと結婚する。と、なると、残るは樹里さんと重さん、そして〈バーバーひしおか〉のせいらちゃんと桔平さんはどうなるのか、って」
ニコニコして言います。
「そればっかりは、わかんないですね」
樹里さんと重さんもそうだけど、せいらさんと桔平さんは余計にわからない。そもそも桔平さんは異性愛者かどうかもわかんないんだから。
「桔平くんね。私たちが知ってる桔平くんは普通に男の子だったんだけれどね」
〈花咲小路商店街看板娘シリーズ〉はこの後も第二弾として、〈ミュージック国元〉のミヨちゃんとか、〈バークレー〉の奈緒ちゃんに〈ラ・フランセ〉の美海さん。
そして恥ずかしながら、〈おもちゃのチヤチエチャ〉の瑠夏ちゃんとして私なんかのフィギュアが登場する予定。
その後は〈花咲小路商店街看板男シリーズ〉が始まるんだけど、そっちの方も楽しみ。すばるちゃんのフィギュアも出るから、私と一緒に並べられるようにちょっと工夫してくれるんですって。
ガチャガチャを回していたお客様が何人か出ていったと思ったら、同時に桔平さんが入ってきました。
噂をすれば、ですね。
「いらっしゃい」
「繁盛していていいね」
「お陰様で」
日本に帰ってきた桔平さんは、今は革職人としての仕事はお休み中なんだそうです。いろいろと日本でやっておきたいことがあるとかなんとかで。
「智依ちゃんさ」
「はーい。なに?」
「この間言っていたけれど、いろいろとやってみてほしいことがあるって」
「うん、何でも作るよ」
これを見てくれないか、って桔平さんが胸ポケットから出してきたのは、古そうな紙?
それを広げると、スケッチ、かな?
「これは、なんでしょう?」
もう黄ばんでいるような紙に描かれた何かのスケッチ。
「何かの、像? かな?」
智依さん。
「もう薄くなっちゃっているけれど、デジタルで取り込んで調整すればもう少し見やすくなると思う。これは、五十年以上昔に作られたある石像のスケッチなんだ」
石像。
え、まさか石像を智依さんに作らせるんですか?

