12 時を越えて甦る夢は玩具だ
「もっと言えば」
すばるちゃんが言った。
「重さんがセイさんの正体を知った理由も、たぶん僕は知っています」
重さんが眼を丸くした。
「それは」
「重さんと樹里さんがセイさんと一緒に行なったことを、ですね」
樹里さんとセイさんとのことって、私は全然わからないけどそれもお義父さんがわかってしまったんだきっと。
「どうしようかな」
すばるちゃんは、ちょっと困ったような苦笑いのような笑顔を見せて。
「ここにいる人たちに教えちゃうのはいいんだけど、ただ話してもたぶん信じられないだろうから」
「あ、シトロエンに移動してもらう?」
千弥智依さんに桔平さん、克己さんに北斗さんに重さん。私とすばるちゃんが運転席と助手席に乗れば後ろに六名。
「乗れなくはないよね?」
「大丈夫かな? ちょっと狭いけど、むしろ秘密の話をするんだったら、うちの車の方がいいかもしれないし」
私とすばるちゃん以外の皆が、一体君たちは何のことを言ってるんだって訝しげな顔をしてる。
「セイさんが本物の〈怪盗セイント〉だっていうのを知ってるっていうのは、今回の計画でものすごく重要なポイントですよね」
すばるちゃんが言うと、桔平さんが頷いた。
「もちろんよ」
「僕は、中学生の頃から知っていたんですけど」
「そんなに前から?!」
克己さんも桔平さんも皆も驚いている。
「どうしてかっていうのは、実はセイさんのその秘密と同じぐらい大きな秘密が僕にはあるんですけど」
「その秘密が、シトロエンに行けばわかるの? いや信じられるのね?」
桔平さん。
「そうなんです。車の中で話した方が確実にわかって、信じてもらえるし、ひょっとしたら今回の計画を、〈ムーサ〉をスムーズに進めるのにとっても役立つアイテムになるかもしれません」
桔平さんが、克己さんや北斗さんたちと顔を見合わせてから頷きました。
「うん、いいわよ」
「行かなきゃ、すばるちゃんが知っていた理由も理解できないんだよね?」
「そもそもこのメンツがここに集まっているのを誰かに見られるのもちょっとな、って思っていたからちょうど良いかもしれないな」
「すばるちゃんのところなら、ほぼ誰も通らないだろうからね」
桔平さんたちが順番にそう言って。
その通りです。商店街の向こうにある駐車場なんだから、商店会の人たちは〈田沼質店〉か〈カーポート・ウィート〉に用事がないとあの道は通らない。そしてもう両方とも閉まっているからたぶん誰も来ないし通らないです。
すばるちゃんの家であるシトロエンに皆で乗ってもらって、外から誰がいるのか見られないようにカーテンを閉めて。
普段はすばるちゃんのベッドになっているマットは折り畳めばソファにもなる便利なものなんだ。それが二つあるので、三人ずつ座って貰った。
後ろに大人六人で狭いかと思ったけど、意外とそうでもなかったみたい。千弥智依さんもそうだけど、細身の人ばっかりだからちょっと余裕だってあった。重さんも体格はいいんだけど細マッチョだし。
コーヒーをこっちでも落として、テーブルを出して皆に配って。
「なんかいいな、こういうの。学生の頃に誰かの狭い部屋に集まってワイワイやってたときみたいで」
克己さんが言って、皆でうんうんって。
「僕は北海道の大学で寮生活だったんだけど、部屋の自分のスペースはこれぐらいの広さしかなかったよ」
「あ、あの有名な名物寮?」
「そうそう」
私とすばるちゃんは前の座席に横座りして、そして大きいのを付けてあるバックミラーを少し動かして後ろにいる皆の顔がお義父さんに見えるようにした。
「それで、僕がどうしてセイさんが〈怪盗セイント〉であることを、その他のことも知っていたかっていうのは、こういうことなんです。とてもびっくりするかもしれないので、心の準備だけしてください。父さん」
すばるちゃんが呼ぶと、ラジオのところがチカチカッって光って、お義父さんの声が車の中に響き出した。
『まさか、こんな形で皆と話すことになるとはね。克己くん、北斗くん、重くんに桔平くん。そして千弥さん、智依さん。久しぶりだ。麦屋司だよ』
全員が同時に身体が一瞬硬直したようになって、眼を丸くして。千弥智依さんは、二人して顔を見合わせていた。
ラジオから? って桔平さんが呟いた。
『久しぶりと言っても、千弥さんと智依さんは私のことを覚えてはいないだろうね。小学校のとき以来だし、そもそも親しく話してもいなかったから。私は、麦屋すばるの父親です』
千弥智依さんが口をパカッと開けた。
「すばるちゃんのお父様」
「え、亡くなられたんです、よねー?」
『そう、すばるが十歳のときに、心筋梗塞でね。死んでしまったのだけれど、どういうわけなのかは皆目判らないが、魂だけがこの車に残ってしまったらしい』
「魂だけが」
『そう言うしかないんだ。こうしてラジオを通じて話ができるし、君たちの声も周りの音もラジオを通して聞こえる。そして車に付いている全部のミラーに映ったものも、もちろん君たちの姿も見えているんだ。身体がないのだから、正確には聞こえたり見えたりするようにこの魂が感じている、ということなのだろうが』
うわ、とか、ええっ、とか、そんな声にならないような声が皆から出て。すぐに克己さんが身を乗り出してラジオを見つめて言った。
「麦屋先生」
『うん』
「今喋っている僕は」
『克己くんだね。白銀克己くん。〈白銀皮革店〉の三代目で、〈花咲小路商店会〉の現会長だ』
克己さんは感心したように、でもなんだか嬉しそうに少し笑った。
「これは、録音とか遠隔操作でとか、あるいはAIを使ってとか、こういうことはすぐにできるよな北斗」
「今は簡単にできるよ。特別な機材や知識なんかなくても、極端に言えばスマホひとつでもやろうと思えばできるけど」
そうなんだ。できちゃうのか。
「でも、そんなことして俺たちを騙す、なんてことをすばるちゃんがするはずもないから、本当の本当に麦屋のおじさんなんですね? あれから、亡くなってからずっとこの車に憑いてる、憑いてるって言い方悪いな。とにかく魂になってここで生きてるってことなんですね?」
『そういうことなんだよ克己くん。私は録音でもましてやAIでもない。正真正銘の麦屋司だ。遅ればせながら克己くん、結婚、そしてお子さんも生まれておめでとう』
「あ、ありがとうございます。え、じゃあ、これはすばるちゃんと瑠夏ちゃんは当然知っていたとしても他には?」
『他には弦さんも知っている。そしてある事情から私の教え子でもあった稲垣信哉くんには話した。もちろん、内緒にしてもらっているよ。今日で一気に知る人が増えてしまったが、皆もこれに関しては秘密にしてほしい』
稲垣さん、って北斗さんが呟いた。
「ひょっとしてあれですか。前にここでやっぱり教え子の中村さんと何かトラブルで出会って、中村さんと稲垣さんは同級生ですよね。中村さんはその後に駐車場で働くようになりましたけれど、そのときに稲垣さんは知ったってことですか」
『その通り。さすが北斗くんは事情通というか、察しがいい』
桔平さんが、ちょっと額に手を当てて考えるようにして。
「麦屋先生」
『桔平くんも立派になった』
「ボクは先生に習ったことはなかったですけれど、一度先生に助けてもらったことがありましたよね? 憶えてますか?」
『あれだね? 君がまだ小学校の六年生だったか。下校時にたまたま私も通り掛かったときに、自転車と衝突するのをかばったんだ』
「そうです! うわ、本当に本物の麦屋先生なんですね!」
「僕のことはどうですか? あの大会のときとか」
重さんが身を乗り出して言った。
『柔道の大会だ。私も係員で体育館にいて、君が足払いをくらって足首を痛めたときに医務室に連れて行ったね』
うん! って重さんが嬉しそうに大きく頷いた。皆、ここで生まれ育った人たちだから、何かで一度は会っているよね。お義父さんは中学校の先生で、子供たちを大好きな人だったから。
「信じられないけど、本当にこんなことがあるんですね」
『重くんと樹里さんが体験したことの方が信じられないことだろう。あれからしたらまだ私のことは可愛いものだと思うよ』
いや、って重さんが苦笑いした。
「本当にそうです。僕が経験したことに比べれば、麦屋先生が魂になってここにいるっていうのは、何というか、わりかし普通のことに思えてしまいますね」
え、重さんと樹里さんは一体何があったんだろうって思ってしまった。
「すると、あれですか。僕と樹里さんとセイさんに起こったことをすばるちゃんが知っていたというのは、以前に僕と樹里さんがこの車に乗っていろいろ撮影したときに、何らかの方法で麦屋先生が知ったってことですか」
そうだ。このクラシックな車を撮影しておきたいって、重さんと樹里さんがシトロエンを外観も中も全部撮影していったことがあったっけ。
『そうなんだ。私は〈魂の手を伸ばす〉と呼んでいるんだが、乗った人や車の周りにいる人が経験してきたことを、記憶というべきものなのか、それを感じることができるんだ。感じるというか、ほとんど自動的にいろんなものが見えてきてしまう』
「見えるんですか?」
千弥さん。
『身体がないから、感じているんだろうけれど見えるという感覚なんだ。もちろん、それらを考えなしにすばるに全部話しているわけでは、決してない。その記憶や経験を知り、もしも隠されていた何かでその人に不味いことが起こるようであれば、助けたり手を貸したりできるように、そういう事柄のみ、すばるに話していたんだ。私はこの通り、文字通り手も足も出ない何もできない状態だからね』
すばるちゃんも頷いた。
「最初は、セイさんのことだったんですよ。セイさんが〈怪盗セイント〉だってことを父さんはすぐに知ったんです。それで、もしもセイさんがそのことでピンチになったりヤバいことになったりしたのなら助けてあげられるようにしようって二人で話して」
「じゃあ、それで俺たちのことも」
克己さんに、すばるちゃんが頷いた。
「知りました。克己さんと北斗さんが仲間だし、セイさんは〈怪盗セイント〉なんだから不味いことにはならないだろうけれども念のために、って話していたんです」
『だから、これは信じてほしいし安心してほしいんだが、私は今も君たちが経験してきた様々な事柄を、記憶を感じてしまっているけれども、それを誰かに話したりは決してしない。それは信じてほしい。特に女性である千弥さん智依さん、安心してほしい』
千弥智依さんが、まだちょっと驚いているような顔をしながらも、頷いた。
「信じます。だってすばるちゃんの婚約者である瑠夏ちゃんでさえセイさんのことはまったく知らなかったんだものね? 聞いてなかったんでしょう?」
「全然です。もちろん私はお義父さん、あ、司さんのことはまるっきり信用しているので、私の記憶とか経験とかそんなことを知られたって全然平気です。今までそういうので変なことも嫌なことも何もなかったですから」
あれっ! って急に智依さんが声を上げて。
「ひょっとして瑠夏ちゃん。この間のマグカップの、お祖母ちゃんの件って」
「あ、あれは本当にゴメンナサイ! 嘘つきました」
「麦屋さんが見たんだね? ここにマグカップの破片を持ってきて、それにまつわる記憶みたいなものを!」
「そうなんです。あのときまではお義父さんのことは絶対に秘密だったので、お祖母ちゃんが霊能者みたいなものなんだって嘘つきました。あのマグカップの破片からいろんなことを読み取ったのは、ここにいるお義父さんなんです」
そういうことだったのか、って智依さんが大きく頷いた。
「それも全然信じます。信用します。私も、物には魂感じるから」
そうだ。智依さんはいろんな物に込められた気持ちみたいなものを感じるっていうから。
「あの、すばるちゃんとお父様のことはよくわかったんですけれど、重さんと樹里さん、セイさんの間であったことって、私たちは知っていいんですか? いいならものすごく気になるんですけれど」
「重さんと樹里さんが、セイさんが〈怪盗セイント〉であることを知った出来事があるってことですよね?」
千弥智依さんが二人で続けて訊くと、重さんが頷いた。
「もちろん、話そうと思っていたよ。麦屋先生が見た僕たちの経験というのは〈タイムトラベル〉だよ」
タイムトラベル!?
千弥智依さんと顔を見合わせてしまった。そうだ、他の皆は知ってるんだもんね。すばるちゃんもお義父さんから聞いているんだ。
「え、幽霊から今度はSF、あ、ごめんなさい麦屋さん幽霊だなんて」
『いやいや実際幽霊だろうからね。いいよ。そして驚くよね〈タイムトラベル〉は。私も重くんたちの記憶を見たときには、いよいよ頭がおかしくなったんじゃないかと自分を疑ったぐらいだよ』
「それは一体、どういうことで」
訊いたら、重さんが話してくれた。
重さんはもちろん〈久坂寫眞館〉の一人息子で、写真を撮ることも大好きだったんだけれど、何故か自分が人物を撮るといつも、それこそ幽霊みたいなものが写っていたんだって。
「それは、常にですか」
「まったく例外なくね。風景なら何でもないんだ。でも、人を、人物なら誰を撮ろうとその背後に幽霊のような影のようなものが写っていたんだ」
それで、実家である〈久坂寫眞館〉をカメラマンになって継ぐのは無理だと諦めていた。継ぐことそれ自体はできても、そこのカメラマンとしては仕事はできないって。そうだよね、〈久坂寫眞館〉の主な仕事は記念撮影。人を撮ることができないってなると、カメラマンとしては全然無理だ。
それで、大学を卒業して全然違う仕事をしていたんだけど、お父さんが突然亡くなられたときに戻ってきて写真館そのものは継いで、専属のカメラマン、フォトグラファーとして樹里さんを雇って。
「そのときに樹里さんに訊かれたんだ。プロになってもおかしくないほどカメラマンとしての腕があるのにどうして自分を雇ったのかって。それで久しぶりに人物を、樹里さんの写真を撮って事情を説明したらその写真を見た樹里さんが、これは幽霊ではないんじゃないかって。まるで後ろで動いている人を撮ったみたいだってね。実はデジタルで撮ったのはそのときが初めてで」
「あ、デジタルでの連続写真を見たので」
「そう。明らかに動いている人が後ろにいるみたいだっていうのが初めてそのときにわかってね。じゃあこのデジタルカメラで動画を撮ったらどうなるんだろうって。もちろん、デジタルカメラで動画を撮るのもそのときが初めてで、で、撮ったらいきなり昔に飛んでしまった」
「タイムトラベルを?!」
「うちのスタジオで撮っていたんだけど、一九九○年、平成二年のうちのスタジオに二人で飛んでしまったんだよ」
結局、重さんに不思議な能力があるんじゃないかって。
ただし、その能力が発揮されるのは〈久坂寫眞館のスタジオ〉で、そこにいる誰かに何かしらの〈過去に戻らなきゃならない強い動機〉があって、〈重さんがデジタルカメラで動画を撮った〉ときのみ。
その三つの条件が揃ったときに、その時代の〈久坂寫眞館のスタジオ〉に行くことができるんじゃないかって推測できたんだって。
そして戻る手段も同じこと。スタジオで重さんが動画を撮ったら、元の時代のスタジオにそのまま戻ることができた。
「そしてそのときに、樹里さんに大いに関係する事件のようなものを解決することを、若き日のセイさんに頼んだんだよ」
「会ったんですか?! 平成二年の頃のセイさんに!」
「そのときは直接は会わなかった。何とか正体を隠しながら頼んだんだ。もちろんその時代のセイさんが僕たちのことを知る由もないけれど、何かこう、歴史が変わっちゃったりしたら困るからね」
「戻ってこられたんですよね。今ここにこうして重さんも樹里さんもいるんだから」
千弥さん。
「戻ってこられた。同じ方法でね。だけど、どうしてそんなことが起こってしまったのかがそのときにはまだはっきりとは確信できなかった。何らかの条件があるんだろう。じゃあって、もう一度動画を撮ってみたんだ。そうしたら今度はそのときにスタジオにいたセイさんも一緒に過去に飛んでしまった」
「セイさんも」
「じゃあ、セイさんに過去に戻る強い動機があったんですね」
言ったら、そういうこと、って重さんが頷いた。
「皆も知っている〈花咲小路商店街四丁目の火事〉だよ。セイさんの家も全部焼けてしまったあの火事。それが、セイさんと一緒に過去に飛んだ動機だったんだ。そこで、セイさんと僕たちは昭和五十一年に起こった〈四丁目の火事〉にまつわることを経験して、何かしらの解決手段を施して、そして現在に戻ってきたんだ」
びっくりした。
「え、でも四丁目の火事は別になくなったりはしてませんけれど」
「そんなことはしていないよ。歴史を変えるのが良いこととは思えなかったし、幸いにもあの火事で死んでしまった人はいなかったからね。だから、そのときに解決したのは、まぁ言ってみれば火事の原因はなんだったのかをはっきりさせて、今も生きているある人を冤罪から救うため、かな」
冤罪。
「じゃあ、今も生きているその人の冤罪は晴れたんですね」
「間接的に、それを知ることができたよ。詳しいことは、まぁそのうちにそれが必要であればまた話すけれど」
「それで、重さんと樹里さんは、セイさんが〈怪盗セイント〉であることを知ったんですね」
そう、って重さんは頷いた。
つまり、セイさんも。
「セイさんが〈怪盗セイント〉であることを知っているメンバーの中に、重さんと樹里さんがいることもわかっているんですね」
「そういうこと」
「しかし、まさかセイさんもすばるちゃんが知っていたとは気づいていないだろうな。そもそも麦屋先生のことを知らないんだから」
そうだろうね、って皆が頷いた。
「これで、理解できましたよね。僕が知っていた理由と、〈ムーサ〉をスムーズに進めるのにとっても役立つアイテムになるかもしれない、っていうのが」
桔平さんも、皆も大きく頷いた。
「もしも、誰かが内緒にしていることがあって、それをきちんと知らないと〈ムーサ〉が進められないってときには、その誰かをここに、すばるちゃんの家に招けばいいってことね? それで、その人の内緒にしていた記憶や経験を、麦屋先生が知ることができる」
「そういうことです」
『くどいようだが、それは本来やってはいけないことだ。人の記憶を盗むようなことだからね。しかし、もしもその誰かを救うためにとか、あるいはそうした方がその人も含め皆が幸せになるんだ、というようなことであれば、私は喜んで協力する。この間のマグカップの件みたいにね』
桔平さんが、笑顔になってものすごく大きく頷いた。
「心強いです。まさかそんなことができるようになるなんて思ってもみなかった。いや、でもそれにしても凄いわね皆。重さんのタイムトラベルの件も本当に驚いたんだけど、麦屋先生がそんなことになっていたなんて」
「なんだかこの商店街、大きな秘密を抱えている人ばっかりになっているんじゃないですか」
「他にもいそうですよねー士
千弥智依さんが笑って言った。
それは本当にそうかも。
「桔平さんのお父さんのことも私、驚きましたよ。鑑定士として世界中に認められている人だったなんて」
「髪結いの亭主なのにね。まぁそれは知ってる人は知っていたし。美術品の鑑定なんて普通の生活をしているとまったく無関係なことがほとんどだからね」
うん、って重さんが頷きました。
「長く生きていけば、歌詞じゃないけれど他人には言えないことのひとつや二つは必ず抱えるものだよ。僕だって樹里さんと会わなければ、ずっと心霊写真を撮ってしまう男なんだと思って隠し通していただろうからね」
「そうそう。ボクだって皆に話していない隠し事はまだまだあるからね。これから話すけれども」
桔平さんが、私たちを見回した。
「このシトロエンの秘密を共有したところで、今日話すべきことを続けるよ。いいね?」
皆が、頷きます。
「主に千弥智依、そして瑠夏ちゃんとすばるちゃんに話していくことになるけれども、まだ克己と北斗、重さんも知らないことがあるから、順番に話していくわね」
まず、って桔平さんが人差し指を立てた。
「セイさんの具合が悪いんじゃないかっていう話。イギリスに帰るんじゃないかって噂も出ているみたいだけど、それは半分本当、半分嘘」
半分?
「具合が悪いのは本当よ。心臓が弱っているみたいだけれども、それはもう年が年でもあるんだし、そもそもセイさんは軽い心筋梗塞を何度かやっていて、心臓の三分の一、下手したら半分近くはもう筋肉が衰えているんですって」
え。
「三分の一って、半分近くって大丈夫なんですか?!」
「激しい運動は無理ね。でもそもそも八十近いお年寄りなんだから、激しい運動はそもそも無理よ。若い頃のように〈神出鬼没な怪盗〉を演じるのはもう無理ってこと。そして、ある日突然心臓に異変が起きても、おかしくないみたいね」
そんな。
「でも、それでイギリスに帰るなんてことは考えてはいないよ。セイさんは今は矢車聖人。日本人なんだから、この地で最期を迎えるってちゃんと思っているって言っているから」
皆がしんみりした雰囲気で頷いてしまった。そうだよね。セイさんはいつ何があってもおかしくない年齢なんだからね。
「だからこそ、ボクは〈ムーサ〉を早く進めたいんだ。セイさんが生きているうちにせめて計画の形だけでもはっきりさせたい」
そうですよね。
桔平さんがまた指を立てた。
「〈ムーサ〉に必要なこと、お金よね。これはね、実はあるの。実はっていうかこのお金が入ったからこそボクは〈ムーサ〉のことを考え始めたんだけどね」
肩から提げていたサコッシュから桔平さんが取り出したのは、銀行の通帳。
「ボクのね」
それを開いて、千弥智依さんと私に見せた。
「見て」
「えっ!」
驚いちゃった。
見たこともない桁がある。
「凄いでしょ?」
「凄いですけど、え? どうして?」
ニヤッと笑った桔平さん。
「悪いことしたわけじゃないわよ。もう七ヶ月も前になるけれども、フランスでいつも買っていた宝くじが当たったの」
宝くじ。
「大当たりなのよ。日本円にして、二億円程度。日本に送金する際にいろいろと引かれてそして税金の関係とかで、二億円弱になっちゃったけれど、一億七千八百五十二万七千五百六十二円、かな?」
「大金」
千弥さんが眼を見開いている。
「もしも一人で使うなら大金よねー。結婚しても二人でつつましやかに暮らせばこれだけで一生過ごせるかもしれない金額だけど、何かのために使うのには大した金額じゃないわよね」
何かのため。
「これで、四丁目の土地関係はなんとかなるのよ。もう話はほとんどついている。〈万屋洋装店〉の隣の土地をググッと五軒分ぐらいは大丈夫」
「五軒分」
「長屋と名乗るのにはちょうどいい大きさでしょう。そして〈万屋洋装店〉に関しては、買わないで借りた方がいいんじゃないかって話しているんだ」
「万屋さんは隠居して施設に入るってもう決めているんだ。それなら、俺たちがあの土地と建物を借りて、万屋さんが生きている間は賃料を払っていった方が、万屋さんのためになるってね」
克己さん。なるほど。
「じゃあ、亡くなられたときにはこちらで建物も土地も買い上げるという契約を、ってことですね?」
千弥さんが訊くと克己さんが頷いた。
「そう。契約書はもう作ってあって話し合い済み。さすがに万屋さんがまだ暮らしている間にお互いにサインしちゃうのはちょっとなので、ペンディングにしてあるだけ」
もうそこまで進んでいるんだ。
「ということは、もう〈花咲長屋〉を作る土地は確保できているってことなんですね?」
「そう。で、土地はこの金額よりもはるかに低いのでね。建物もある程度は賄えるかなって感じなのよ。まぁその辺はこれから建築屋さんとの話し合いになってくるんだけど、その建物はね」
桔平さんが言って、重さんを見た。
「たぶん、もう千弥さん智依さん、瑠夏ちゃんも見たかもしれないけれど、かつて四丁目にあった〈矢車家〉。わかるよね?」
私たちを見るので、頷いた。
「写真、見ました。かつて〈マンション矢車〉のところにあったセイさんの家」
言ったら、千弥さんがあっ! って声を上げた。
「ひょっとして! 私たちが樹里さんから貰ったかつての〈四丁目〉にあった建物とかの写真は!」
重さんが、ニコッと笑った。
「そう。本当にその昔に撮られた写真ではあるんだけれども、実は僕と樹里さんがタイムトラベルのときに撮った写真がほとんどなんだ。それが現在まで残るように願ったんだけど、無事に我が家に、〈久坂寫眞館〉に残ったものなんだよ」
凄い! って智依さんが手を打った。
本当に凄い。今ここにいる重さんと樹里さんが何十年も前にタイムトラベルして、そのときに撮った写真が、私たちの手元にあるんだ。
「じゃあ、あの写真に写った〈矢車家〉の日本家屋を、その建築デザインを参考にするんだね? それで〈花咲長屋〉を造るんだ!」
「その通り」
桔平さんが頷いた。
「もちろん、予算的に足りなくなる場合もあるかもね。そのときには、〈花咲長屋〉で商売をやってくれる人たちの個人資産を使ってもらう形になるわね。権利関係はきちんとするけれども、少なくとも雨風を凌ぐ基本的な〈外装〉ぐらいはなんとかなる予定。もしもすばるちゃんがそこで何かをやってくれるなら、内装のお金は自分でやってね、って感じかな」
それなら、きっとなんとかなる。すばるちゃんを見たら頷いていた。何をやるにしても、きちんと貯めておいたお義父さんの保険金とかがあるから。
「あとは、いちばん肝心なところ」
桔平さんがまた人差し指を立てた。
「〈愛と美のムーサ〉よ。あの石像の件。それを解決というか、はっきりとさせないと、〈ムーサ〉の計画は進まないの。それができるのは、セイさんだけなのよ」

