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第5回

ぼくらは祈ることにした

 真莉愛まりあは、緊張しているのか、真っ直ぐ口を引き結んでいた。
「どうぞ。座ってください」
 水音みおが促すと、彼女は「失礼します」と丁寧に言って、瑠生るいたちの向かいのソファーに座った。
 所作の一つ一つに品がある。いいところのお嬢様といった感じがする。
「私は、第三者委員会の山岡やまおか水音です。それから、こちらは、神原かんばら瑠生さん」
 水音が、チラッと瑠生の方に視線を向けながら言った。瑠生はそれを受け、「神原です」と、改めて名乗りながら会釈する。
三橋みつはし真莉愛です」
 真莉愛の声には、まだ硬さがあった。
 いきなり、大人二人に囲まれているのだから当然だ。しかも、相手はクラスメイトの自殺事案に関する、第三者委員会の人間なのだ。緊張だけではなく、警戒もしているだろう。
「この部屋、少し寒くない?」
 水音が自分の二の腕をさすり、キョロキョロと辺りを見回しながら訊ねる。
「そうですか?」
 真莉愛がわずかに首を傾げる。
「うん。私、結構、寒がりなの。暖房の温度上げていい?」
「はい」
「ありがとう」
 水音は、笑顔で答えると、一度立ち上がり、壁際にある暖房のスイッチパネルを操作してから戻ってきた。
「教室もエアコン付いているのよね?」
「はい」
「温度管理って誰がしてるの?」
「冬は二〇度で固定されていると思います」
「そうよね。固定しておかないと、トラブルになりそうだもんね」
 水音が楽しげに言うと、真莉愛も「そうですね」とぎこちないながらも、笑みを浮かべてみせた。
 きっと、水音は、緊張を解すためのアイドリングトークをしているのだろう。
「今日のことは、どんな風に聞いているの?」
 水音が訊ねると、真莉愛の眉間に皺が寄る。
敬斗けいと君のことだと聞いています」
「先生たちからは、どんな指示をされているの?」
「指示というか、知っていることを話すようにとは言われました……」
「それだけ?」
 水音が真莉愛の顔を覗き込むと、彼女は反射的に視線を逸らした。
 その反応だけで充分だった。おそらく、余計なことを喋らないように――といった、圧力がかかっているのだろう。
 水音も、それを察したらしく苦い表情を浮かべたものの、すぐに笑みに切り替えた。
「安心して。ここで話した内容については、先生たちに報告することはないわ。もちろん、クラスメイトや保護者の方にも伝えないわ」
「でも、第三者委員会は、調査した内容を教育委員会に報告するんですよね?」
 真莉愛が淡々とした調子で訊き返してきた。
 中学生にしては、よく知っている。日頃から時事ネタに興味を持っているのだろう。
「ええ。報告はするけど、誰の発言かは分からないようにするから安心して」
「仮に名前を隠していても、話している内容から、特定されることはあるんじゃないですか?」
「詳細な内容を記したものは、一部の人しか見ることはできないの。教師たちが閲覧できるのは、要約版だけだから、特定されるようなことはないと思う。もちろん、可能性はゼロじゃないけど、最大限の配慮はするつもりよ」
 水音は優しい口調で、丁寧に説明をする。相手が中学生であっても、しっかりと向き合うという姿勢には好感が持てる。
 真莉愛の不安も、少しは解消されたのか、「分かりました」と納得の返事をした。
「ありがとう。私たちも、敬斗君に何があったのか知りたいの。だから、協力して欲しい」
「はい」
 真莉愛がコクリと頷いた。
 水音は一呼吸置いてから話を切り出す。
「真莉愛さんから見て、敬斗君はどんなイメージだった?」
「イメージですか」
「そう。何でもいい。普段の彼が、どんな風に見えていたのか教えて欲しいの」
 水音が言うと、真莉愛は少し考えるような間を置いてから口を開く。
「とても静かな人でした。口数が少ないとか、そういうことではなくて、纏う空気が静かだったんです。深い森の中にいるような、そんな感じです。すみません。うまく説明できなくて……」
 真莉愛の独特な表現に、瑠生は首を捻ったのだが、水音はそうではなかった。
「その感覚、よく分かるわ」
 水音は上辺ではなく、本当に共感しているようだった。瑠生には分からない感覚だ。
「敬斗君は、静かでしたけど、周囲のことをよく見ていました。私が困っていたときも、何も言っていないのに気付いて、黙って手を差し伸べてくれたんです」
「困っていたことって、何か訊いてもいい?」
 水音が訊ねると、真莉愛は「それは……」と口籠もってしまった。
「誰にも言わないと約束するわ」
 水音が語りかけたが、真莉愛は「言えません」ときっぱりと拒絶した。
 さっきまでとはうって変わって、真莉愛の目には強い意志が宿っていた。これ以上、追及したところで口は割らないだろう。
「分かった。そのことは、追及はしないわ。別の質問をしてもいいかしら?」
 水音も瑠生と同じことを感じたらしく、話題を変える。
「はい」
「もう、知っていると思うけど、敬斗君のお母さんは、クラスでいじめを受けていたと主張しているわ。真莉愛さんは、そういう現場を目撃したことはある?」
「ありません」
 真莉愛は即答した。
「本当に?」
「はい。敬斗君は、静かな人でしたけど、いじめを受けるようなタイプではありませんでした。さっきも言いましたけど、困っている人に、手を差し伸べてくれる優しい人です。彼をいじめるなんて、あり得ません」
「いじめは、理由もなく始まったりするものなんだ。どんなに優しい人でも、いじめを受けることはある」
 瑠生は、つい口を挟んでしまった。
 これまで黙っていた瑠生が、急に口を開いたのに驚いたのか、真莉愛が目を丸くしている。
「どういうことですか?」
 しばらくの沈黙のあと、真莉愛が形のいい眉を寄せながら訊ねてくる。
「言葉のままだよ。いじめが始まるきっかけは、本当に些細なことだったりする。被害者に落ち度がないのに始まることもある」
「何が言いたいんですか?」
 真莉愛は挑むような視線を瑠生に向けてくる。
「優しかったからといって、いじめを受けない理由にはならないんだ。むしろ、優しいからこそ、ターゲットにされてしまうことの方が多い」
「そういうこともあるかもしれません。でも、少なくとも、うちのクラスには、いじめをするような生徒はいませんでした」
「どうして、そう言い切れるんだい?」
 瑠生は、口に出しながら、自分でも少し意地悪な質問をしてしまったと思う。
「うちのクラスの生徒は、みんな優しいんです。だから、誰かを仲間外れにしたり、いじめたりするような子はいません」
 真莉愛の言葉は真剣そのものだった。彼女は、心の底から、クラスの中にいじめをする人間はいないと信じているようだ。
 性善説を信じ、世の中は善人と善意で溢れていると思っている。瑠生も、そんな風に考えていた時期がないわけではない。だが、現実は、そんなに甘いものでないことを、もう知ってしまっている。
 表面上は優しく振る舞いながら、裏では平気で人を傷つける。そういう人間はいくらでもいる。
「君の知らないところで、いじめは起きていたかもしれない」
「絶対に、そんなことありません」
 真莉愛の口調がヒートアップしていく。
「でも、敬斗君のお母さんは、学校でいじめがあったと主張している」
「そんなの責任転嫁です。自分のやったことを隠すためにそんなことを言っているんです」
「それは、どういう意味?」
 瑠生が訊き返すと、真莉愛は急に我に返ったのか、はっとした顔をした。
 しばらく、放心していた真莉愛だったが、やがて「何でもありません」と俯き、口を閉ざしてしまった。
「真莉愛さん。敬斗君のお母さんのことで、何か知っていることがあるなら、教えて欲しいの」
 水音が声をかけたが、真莉愛は首を横に振るばかりで、それ以上、何も語ろうとしなかった。
「今日はここまでにしましょう。神原先生も構いませんね」
 話を打ち切るように水音が言った。
 瑠生は「はい」と一度は頷いたものの、立ち上がって応接室を出て行こうとする真莉愛を慌てて呼び止めた。
 どうしても、確かめておきたいことがあったからだ。
「真莉愛さんは、どうして敬斗君の机に、薔薇ばらを供えていたんだい?」
 一昨日、教室で会ったとき、真莉愛は敬斗の机に薔薇を供えていた。死者を弔うための仏花なら、トゲのあるものや、香りの強いものを避けるのが普通だ。それなのに、どうして薔薇だったのか? その引っかかりが、今になって急浮上したのだ。
「敬斗君は私たちの光だったからです」
 ――どういうことだ?
 言っている意味がさっぱり分からない。だが、それをどう問い質せばいいのか分からなくなってしまった。
 もしかしたら、真莉愛の真っ直ぐな視線に呑まれたのかもしれない。
 瑠生が、言葉に窮しているうちに、真莉愛は応接室を出て行ってしまった。

 

「すみません。少し余計なことを言ってしまったかもしれません」
 瑠生は、真莉愛が出て行ってから、水音に詫びた。
「いえ。あまりお気になさらず。あれくらいは、想定範囲内ですよ。それに、色々と分かったこともありますし」
「敬斗君の母親のことですね」
 瑠生が言うと、水音が大きく頷いた。
 真莉愛は、明言こそしなかったが、敬斗の家庭に問題があったことを示唆した。もちろん、彼女が保身のために言った可能性もあるが、改めて調べてみる必要はありそうだ。
「それもですけど、真莉愛さんが、敬斗君の机に薔薇を供えていたというのも、気にかかりました」
 水音の目は説明を求めているようだった。
 そういえば、水音には、一昨日、教室で真莉愛と会ったときのことを話していなかったと思い至り、瑠生はあのときのことを簡単に話して聞かせた。
「薔薇の花というのは、仏教徒からしてみれば違和感がありますけど、欧米では一般的だったりしますよ」
「それもそうですね」
 自分の価値観だけで捉えていたので、違和感を覚えていたが、確かに欧米ならさほど珍しいことでもない。
「ちなみに、薔薇は何色でしたか?」
「赤です」
「赤い薔薇は、深い愛とか敬愛の意味があるんです」
「真莉愛さんは、敬斗君に対して恋愛感情を抱いていたのでしょうか?」
「赤い薔薇に込められた意味を、彼女自身が理解していたとしたら、そういう可能性もあります。でも……」
 水音が顎に手を当てて言い淀んだ。
「でも――何です?」
「それにしては、真莉愛さんは、ずいぶんとあっさりしていたように見えます。もちろん、悲しんではいるんですけど、何かこうしっくりこないんです……」
 自分でも考えが纏まっていないらしく、水音は眉をひくひくと動かす。
「山岡さんの考えと同じかどうかは分かりませんが、ぼくは、真莉愛さんは、敬斗君が亡くなったことを、既に受け容れているように見えました」
 瑠生が感想を口にすると、水音がはっと表情を明るくした。
「そうです。それです。悲しんではいるんです。でも、真莉愛さんは、もう心の整理がついているみたいなんですよね。まるで、最初から亡くなることが分かっていたみたい」
 亡くなることが分かっていた――というのは考え過ぎな気がするが、真莉愛の心の整理がついているという点は同感だった。
 色々と思うところはあるが、これ以上、ここで考えを巡らせたところで、結論が出るわけでもない。
「次の人を呼びましょう」
 瑠生は、そう言うと学年主任の大貫おおぬきに連絡を入れた。
 五分ほどして、ノックもなく応接室のドアが開き、一人の男子生徒が入ってきた。熊沢陽司くまざわようじだ。
 シャツの一番上のボタンを開け、姿勢が悪く、いかにも気怠そうな顔をしている。
「熊沢陽司君ですね」
 水音が声をかけると、彼は「はあ」と気の抜けた返事をする。
「どうぞ、座ってください」
 促されるままに、陽司はソファーに座った。
 背もたれに身体を預けていて、真莉愛とは対照的に粗野な感じがする。
「陽司君って、結構、体格いいわね。何か運動をやってるの?」
 水音は、真莉愛のときと同じように、いきなり本題を切り出すことなく、アイドリングトークから始める。
「今はやってない」
 陽司が素っ気なく答える。
「そうなんだ。今はってことは、昔は何かやってたの?」
「野球を少しだけ」
「ポジションは何処だったの?」
「ピッチャー」
「それで、手が大きいんだね」
 水音の指摘した通り、陽司の手はかなりごつごつとしていた。前腕も太いように感じる。
「はあ」
「どうしてやめてしまったの?」
「金かかるんで」
 何気ないひと言だったが、そこに陽司の様々な想いが凝縮されていた。
 野球はグローブ、スパイク、バットと揃えるものが多い。それだけではなく、練習や遠征、合宿など、何かと出費が嵩む。
 ケガが原因でもないし、本人が野球に対する熱意を失ったわけでもない。陽司は、やめざるを得ない家庭環境にあるということだ。
「そう。でも……」
「ってか、今、その話関係ある? 敬斗のことが訊きたいんじゃないの?」
 陽司は水音の言葉を遮る。
 これ以上、自分の領域に踏み込んでくるなという、強い意志が感じられる。
「そうね。じゃあ、早速、本題に入らせてもらうわね」
 水音が苦笑いを浮かべながら言う。
「陽司君は、敬斗君とは仲がよかったのかな?」
「普通」
「陽司君から見て、敬斗君はどんな人だった?」
「見たまんま」
「陽司君が、感じたことを教えて欲しいの」
 水音が言うと、陽司はうんざりだという風にため息を吐いた。
 彼は、周囲を斜めに見るタイプのようだ。協調性が乏しく、クラスのはみ出し者になっているのだろうと予想する。どのクラスにも、この手のタイプはいた。
「お人好しのバカ」
 陽司は吐き捨てるように言う。
「お人好しはともかく、バカっていうのは、どういうこと?」
 水音が怪訝けげんな表情で訊き返す。
「利用されていることを分かっていながら、祭り上げられて、ずるずると言いなりになるのは、バカのやることだろ」
 ――何を言っているんだ?
 陽司が伝えようとしていることの意味が分からない。水音も、同じだったらしく、ますます表情が険しくなる。
「もう少し、分かるように説明してもらえるかしら?」
 水音が促すと、陽司は苛立ったように、髪をガリガリと掻き回した。
「偽善で行動するから、バカみたいないじめに遭うってこと」
 瑠生は、思わず水音と顔を見合わせた。
 真莉愛は、敬斗に対するいじめを否定していた。だが、陽司はその真逆のことを言う。
「学校からいじめに関する、アンケートがあったと思うけど、それに、敬斗君へのいじめのことは書いたのかな?」
 瑠生は、軽く手を挙げながら質問を投げる。
「おれ、その日、学校休んでたから」
 てっきりアンケートは全員から取ったものとばかり思っていたが、陽司は欠席していたので提出していないということか。後で、確認してみる必要がありそうだ。
「陽司君は、いじめの現場を目撃したってことね」
 水音がわずかに身を乗り出す。
「まあ、そんなとこ」
「具体的に、どんないじめが行われていたの?」
「陰湿なやつだよ」
「陰湿?」
「主にメッセージアプリのクラスのグループでだよ」
「仲間外れとか、誹謗中傷みたいなこと?」
「似たような感じ」
「面倒かもしれないけど、出来るだけ詳細に話してほしいの」
 水音の申し出に、陽司はもう一度、深いため息を吐いた。その後、しばらく沈黙していたが、やがて諦めたように語り出した。
「きっかけが何だったか、よく覚えていないけど、あいつら、クラスで何か問題が起きたりすると、全部、敬斗のせいにして、メッセージアプリで吊るし上げていたんだ」
「問題って、具体的にどういうこと?」
「色々だよ。誰かの物がなくなったり、壊れたり、教師に怒られたり、とにかく何でもいい。そういうのが、全部、敬斗のせいってことになるんだ」
「どうして?」
「知らねぇよ。とにかく、そうやって全部、敬斗のせいにして、みんなで責め立てるんだ。それだけならまだしも、あいつらは、罪を償わせるために罰を与えるとか言い出したりしてた。マジで、キモい。ほんと狂信的だよ」
 陽司は、心底うんざりしたように舌打ち交じりに言った。
 もし、彼の言っていることが真実なのだとしたら、それはおぞましい行為だと思う。それこそ、狂信的という言葉がピッタリ嵌まる。
「どんな罰なの?」
 水音が訊ねると、陽司は頬の筋肉をひくつかせた。
「色々だよ。一日中、誰も敬斗に話しかけずに、いないものとして扱ったり、断食みたいなことさせたり、屋上で懺悔の言葉を並べながら、ずっと正座なんてのもあったな」
「酷い……」
 水音が思わず声を漏らした。
 瑠生も同感だった。謂れのない罪を負わせるだけでなく、罰まで与えるなんて、あまりに理不尽で陰湿だ。
「そのことは、担任の先生も知っていたの?」
 水音が訊ねると、陽司はふんっと鼻を鳴らして笑った。
「知っていたも何も、そのメッセージグループには、担任も入っていたからな」
「冗談でしょ?」
「冗談で、こんなこと言うかよ」
 陽司が睨んできた。
 風貌と態度で誤解を生み易いかもしれないが、陽司は嘘をつくタイプには見えない。自分なりの正義を持ち、筋を通していると感じる。
 何れにしても、担任教師の青田あおた美利みりが、敬斗に対するいじめを見過ごしていたどころか、黙認し、あまつさえ自分もそのグループに入っていたのだとしたら、由々しき問題だ。
 愛美まなみが、学校にいじめを訴えたとき、美利は、家庭内の問題にすり替えようとしたらしいが、自分が加担していたからだと考えると納得できる。
 美利が、今も学校を休んでいるのは、そうした事情からかもしれない。
 ただ、現状では陽司の言葉を鵜呑みに出来ないのも事実だ。証言が、真莉愛とは真逆なのだ。
「そのメッセージグループを見せてもらうことは出来るかな?」
 瑠生が訊ねると、陽司が目を細めた。
「無理」
「どうして?」
「おれ、グループから外されたんだ」
「え?」
「バカみたいなことはやめろって言ったからだろ。で、あいつら、おれのスマホのメッセージ履歴を全部削除しろって言い出した」
「それで、削除したの?」
「したよ。削除して欲しいって言ってきたのは、敬斗自身だからな」
「敬斗くんが……」
 瑠生には、意味が分からなかった。
 敬斗は、どうして自分がいじめを受けているとき、唯一、助け船を出そうとした陽司を拒絶するようなことをしたのか?
「さあね。おれにも分からない。ただ、あいつらが異常過ぎて、おれも、もう関わりたくないって思ったから、言われた通りに削除したよ」
 陽司が肩を竦めるようにして言った。
 彼が、敬斗のことをバカと評したのは、一連の出来事があったからなのだと妙に納得した。
「ありがとう。今日のところは、ここまでにしましょう」
 水音がヒアリングの終了を告げたが、瑠生は「もう一つだけ」とそれを制した。
「一昨日、屋上にいたよね」
「ああ。ってか、あんときの……」
 陽司は、ここでようやく瑠生のことに気付いたらしい。まあ、一瞬のことだったから仕方ない。
「屋上で何をしていたんだ?」
「別に。おれは、ただ、つばさを呼びに行っただけだから」
「翼君とは、仲がいいの?」
「幼馴染みだから」
「それだけ?」
「それだけ。何が言いたいわけ?」
「いや、ただ気になったから……」
 自分でも、何を問い質したいのか、よく分からなくなっていた。
「じゃあ、おれ行きます」
 陽司が立ち上がる。
 ここで、瑠生の中に、もう一つ引っかかることがあり呼び止める。
「アニュス・デイ」
 瑠生が、その言葉を口にすると、陽司の眉間に皺が寄る。
「敬斗君が亡くなる前に、動画の中で言っていた言葉だ。彼の机にも、同じ言葉が彫られていた。何か心当たりは?」
 瑠生が訊ねると、陽司は雨の当たる窓に目を向け、黙り込んでしまった。
 このまま、何も答えないのではないかと思っていたのだが、彼は唐突に口を開いた。
「メッセージグループ」
「え?」
「さっき言った、メッセージグループの名前が、アニュス・デイだった」
 陽司はそれだけ言うと、さっさと応接室を出て行ってしまった。  

    

◇Profile◇

神永学(かみなが・まなぶ)
1974年、山梨県生まれ。2004年『心霊探偵八雲 赤い瞳は知っている』でプロデビュー。「心霊探偵八雲」シリーズとして人気を集める。他の著書に「天命探偵」「怪盜探偵山猫」「確率搜查官 御子柴岳人」「殺生伝」「革命のリベリオン」「浮雲心霊奇譚」の各シリーズ、『イノセントブルー 記憶の旅人』『ラザロの迷宮』『マガツキ』『青龍中学校 オカルト探偵部』などがある。

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