大人気の絵本作家・ヨシタケシンスケさんの最新刊が好評発売中! ということで、全3回にわたり、ロングインタビューをお届けいたします! 創作秘話から、海外版製作についてまで、お話をたくさん伺いました。
(ライティング:松井ゆかり 写真:帆刈一哉)
◆『あんなにあんなに』ができるまで
『あんなにあんなに』を絵本にしようと思ったのは、子どもの飽きっぽさにびっくりしたことがきっかけでした。うちの下の子が小さかったころ、ギャーギャー言って散々ほしがった本を、あきらめて買い与えたのに30分ともたなかったことがあったんです。まあびっくりはしたんですが、でもそうだよなとも思ったんですよ。だよなあ、どんなに騒いでもあっという間に飽きるよなって。
何かにあっという間に飽きてしまうということもそうだし、いろんなことがどんどんできるようになっていくこととか、すごく大変な時期があっても実際は2~3年で過ぎていってしまうというようなことも、子育てをしているとだんだんわかってきます。
初めて絵本を描いた8年前は我が家の子どもたち2人ともまだ小さかったんですが、上の子はもう中3で、いわゆる思春期に入ってきている時期なので、こちらも親として「子どもって大きくなるんだなあ」という当たり前のことが今はとても身近なテーマです。
◆成長していく子どもを描く
僕の絵本の中で、ひとりの子どもが成長して大きくなるというものは、実は今回が初めてなんです。いままではだいたい小さい子どもの生活の20分間くらいのできごとを描いてきたんですけど、『あんなにあんなに』では時間軸的に20~30年が1冊の中で展開するっていう内容になっています。
さっきまであんなにほしがってたのにもう飽きちゃったっていう下の子と、あんなに小さかったのにもうこんなに大きくなってしまった上の子。どんなことでもどんどん変わっていくのに、変わり続けることにいつまでも慣れないもんだなあ、これを絵本にできるんじゃないかなと思ったんですね。
このことを「あんなに○○だったのにもうこんな」というその2コマのフォーマットに落とし込んでいったんです。ふだん生活の中で気づいたことを、こういう視点で見ると別の新しいものになるというような発見があるんですね。絵本作りってそういうフォーマットを見つけることでもあるんだなと改めて思いました。
◆いい話だけでは終わりたくない
『あんなにあんなに』は、僕の絵本の中でも極端に文字が少ないです。言葉と絵の組み合わせ、その最小の組み合わせでどこまでその奥行きを出せるかというところで、うまくいったんじゃないかという感覚があります。
僕は絵本を作るときはだいたい最初にタイトルありきなんですが、今回も最初から決まっていました。タイトルが決まって初めてその企画がスタートするみたいなところがあるので、タイトルしか決まっていない、中身は全然決まっていないけれどタイトルだけが気に入っている、みたいなものもたくさんあるんです。タイトルの他にも、表紙の絵もしくはオチだけ決まっているということもあります。オチということに関していえば、いい話だけで終わりたくないとはいつも思っていますね。
どんなに怒っても、どんなに感動しても、人はすぐ素に戻る。その長続きしない感じっていうのが何より生活だなあという気がしているんです。僕の絵本はだいたいどれも、今いるところから空想の世界に入っていって、最後はまた日常に戻ってきます。”家に帰るまでが遠足です”みたいな感じが大事なような気がしているんですね。現実とイマジネーションの世界を本の中でちゃんとつないでいてくれると、僕だったら安心して読み終われるような気がするんですね。
◆考え方ひとつで、余裕がちょっと生まれるはず
子どもの飽きっぽさにはびっくりするんですけれど、大人は大人で忘れっぽい。生まれてきたときは「無事に生まれてきてさえくれればいい」と思っていたのが、だんだん求めるものが増えてくる。親も子もすぐ自分のことを棚に上げて、目まぐるしく飽きながら生きていくんだなあと思うんですね。そのとどまっていられなさを嘆くのではなくて、そのどうしようもない部分をおもしろがれるような捉え方や語り方があるんじゃないかというのは、普段から思っていることではありますね。
結局のところ、自分の努力でどうにかできることの少なさというものに、特に子育てなんかをしていると気づくわけです。だからたとえば「出産前のように自由な時間を持てなくなってつらい」という子育てのバタバタした状態について「つらい日常」っていうタイトルをつけてしまうと救いがなくなっちゃうんですよね。だから、以前とは何もかも変わってしまったけれども、これはこれで何かおもしろいんじゃないかっていう捉え方ができれば、何気ないこともずいぶん楽しめるんじゃないだろうかと思うんです。それは何より僕自身がすぐ「あ~あ」っていう気分になってしまうから、考え方ひとつで余裕が生まれるはずだという気持ちの切り替えが必要なんです。
◆自分にできていない部分を意識し続けること
インタビューなんかでお話をするときに「さぞかしヨシタケさんは立派なお父さんでいらっしゃるんでしょう?」みたいなことをよく聞かれるんですが、僕は仕事として絵本を描いてるわけで、プライベートのお父さんとしてはひどいもんなんですよ。今朝も「早くしなさい」しか言ってないですからね(笑)。
ちゃんと話を聞いてあげたいとか、余裕を持っていろんな捉え方をしてあげたいとかっていうのは、自分ができていないからこそ発想できるんです。そういうことが実生活で人一倍できていないからこそ、ひとつの理想型としての提案ができるという意味では、「自分にできないこと」が役に立っている。自分ができていない部分をちゃんと意識し続けること、その代わりに何だったらできるのかということを落ち着いて考えてみるのは大事なんだと思います。
実際の親子のやりとりの中では、そんなことを一から考える余裕がないことは自分も親として実感しているわけなんです。だからこそ絵本作家という仕事をする人間として、僕自身のためにも、僕みたいなお父さんやお母さんのためにも、何か選択肢が増やせたらっていう思いはあります。
◆子育ての中の選択肢を少しでも増やすために
現実の生活においては、親ってどうしても子どもに対して怒ってばかりになりがちですよね。だからこそ、そこで怒らないというのはファンタジーでしか成立しないんですよ。それでも、実際には怒ってしまうんだけど、怒らないという選択肢があるということだけでも絵本を通じて知らせられたらと思うんです。たとえばおしっこっていうのはちょっとどうしてももれちゃうし、もれちゃったときにお母さんがブスッとしたり呆れたりすることもセットで家族の風景なわけですよね。だからちょっぴりもれちゃったとしても、10回怒るうちの1回分がもし減るとしたらけっこう大きな違いだし、その1割を減らすことができれば、5年、10年一緒に生活していく中で最終的な着地点がずいぶん違うところにくると思うんです。
うちの場合も上の子が小さかったころは本当に大変で、そういうときには子育てアドバイスみたいな本を読む余裕すらないわけですよ。そういう本は、本来いちばん届いてほしい人には届かないものだということを自分の経験上知っている。読む余裕ができたときにはもう遅かったりするんですよね。喉元過ぎれば熱さを忘れちゃうんですけど、熱いのをさあ飲みこもうとしている人たちに対して何ができるのかというのはすごく難しいことです。特に直接的な支援じゃなくて、絵本という手段での後方支援的な関わり方だと、できることって限られてますから。それでもふとした瞬間に、ひとつでもそういう選択肢があると思い出してもらえるきっかけになれば、何もないよりはいいだろうなあとは思うんですよね。
(第二回につづく!)
ヨシタケシンスケ
1973年神奈川県生まれ。筑波大学大学院芸術研究科総合造形コース修了。日常のさりげないひとコマを独特の角度で切り取ったスケッチ集や、児童書の挿絵、装画、イラストエッセイなど多岐にわたり作品を発表。絵本デビュー作『りんごかもしれない』で第6回MOE絵本屋さん大賞第1位、第61回産経児童出版文化賞美術賞、第8回「(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞」を、『もうぬげない』でボローニャ・ラガッツィ賞特別賞を受賞。『つまんないつまんない』で2019年ニューヨーク・タイムズ最優秀絵本賞に選出。近著に『あるかしら書店』『もしものせかい』などがある。2児の父。