書店員さんからの大反響で、発売前重版。「王様のブランチ」などでも取り上げられ、話題を呼んでいる乾ルカさんの小説『神の代役 HBD調査鑑別室』は、あるウィルスの抗体を持つ者が、絶望を感じることが原因で死に至る「HBD(Heart-Breaking Death)」現象が存在する日本を舞台に、国の委託でHBDと疑われる事件を追う調査鑑別室のメンバーを描く連作短編集です。
「悲しみで人が死ぬ」という斬新な世界観は、どのように生まれてきたのか。創作の背景やキャラクターづくりについて、乾さんに3回にわけてお話を伺いました。

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第1回 大きな嘘をつくからこそ徹底的に考えた
――本作はどんなところから思いつかれたのでしょうか。
乾 以前『葬式同窓会』という作品で、「人間も、悲しみで死ねたらいいのに」という台詞を書いたのですが、その一行がずっと頭の片隅に残っていて。ある日犬の散歩をしているときにふと、「人が悲しみで死んでしまう世界ってどんな世界なんだろう。これもひとつの物語になるんじゃないか」と思いついたんです。
もうひとつ大きかったのは、ドラマの『アンナチュラル』ですね。私、あの作品が大好きで、ああいったチームで死因を探る物語をいつか書いてみたいという憧れがありました。ただそこには法医学という厳然たる高い壁があって、専門知識のない私には難しいだろうなぁとあきらめていたんですが、そのとき「だったら世界のほうを変えてしまえばいいんじゃないか」と結びついて。悲しみで人が死ぬ世界なら、その人は何が悲しかったのかを調査する物語にできる。だったら書けるかもしれないと思いました。
――次に浮かんだのは、キャラクターですか、事件ですか?
乾 事件ですね。まず、「どういうことがあれば人は絶望するのだろう」と考えました。
たとえば第一話「神の代役」は、嬉しいニュースの発表中に倒れた女性・甘野の死因を探るケースですが、その過程で主人公の一ノ瀬が「こんなことで?」と口にします。でも「こんなことで?」と思えることが、その人にとっては非常に大きな絶望に繋がることがあるんじゃないか。あってもおかしくないよな。そう思える悲しみを、ニュースやSNS、周囲の人たちの話からヒントをもらいながら、自分のなかで集めていって。そのあとで、「ではこれを誰が調査するのか」「どういうチームだったら面白いんだろう」と考えていきました。
――HBDは架空の現象ですが、そのメカニズムから法制定に向かう経緯まで、綿密に設定されていますよね。
乾 どんな事件が起こるのかと並行して、悲しみがトリガーになり、体内物質が作用して心停止をひきおこすまでのしくみを考えました。どうやって死因を判定するのか、死亡時刻をどう特定するのか。実際に死亡時刻を特定する計算式があるので、そことどう組み合わせるのか。そういったことをひとつひとつ積み上げてきましたね。
作中では政府がHBDを利用した殺人を取り締まる法制定を目指しているので、だとしたら、きっときっかけがあったはず。そこから、かつてHBDを利用して集団殺人を企てた疑いのある思想集団があるという歴史も生まれてきました。
――その確固たる世界観づくりが、物語に説得力と奥行きを与えているように感じます。いつもここまで設定を作りこまれるんですか?
乾 こんなに考えたのは初めてでした(笑)。でも必要な過程だったと思います。「世界を変えればいいんじゃない?」と思いついたわけですけど、悲しみで人が死ぬという大きな嘘をつく世界を成立させなければならない。読者の方に見えるのは氷山の一角だったとしても、その下にちゃんと土台がないと自分自身納得して書けないと思ったんです。
――乾さんは『蜜姫村』や『君の波が聞こえる』などファンタジー要素のある作品を書かれることもありますよね。
乾 ああいった作品は、最初から嘘を前提として楽しんでもらえるものとして書いているんですけれど、今回は、人それぞれに悲しみのありかが違い、その悲しみはその人特有のもの――その人自身みたいなものだな、と思っていて。どんな死因も蔑ろにしてはいけないと考えて取り組んだので、「どうせフィクションだからいいでしょう」で済ませたくなかったんです。
舞台に札幌を選んだのもそういった理由でした。世界を変える大嘘をついているから、ディテールでは嘘をつきたくない。嘘の中に本当のことを混ぜないと説得力がでない。もちろん自分の主観ではあるんですけれど、空気感や空の色や匂い、土の手触りなどは、日々暮らしの中で実感していることを描けるので、北海道で過ごしている時間のすべてに助けられましたね。
――弊社の大先輩も、noteの記事で乾さんの情景描写を絶賛していましたが、個人的にも一ノ瀬が「だったら私も、あの時死んでておかしくなかったな」と回想する、過去のシーンの描写が素晴らしいと感じました。積もった雪に身を投げ出して空を見上げる彼女の、頰に触れた雪片の感触や透徹した空気まで伝わってくるようでした。
乾 ああ、そういっていただけて嬉しいです。
第2回の公開日は、10月27日(火)です。
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■ 著者プロフィール
乾ルカ(いぬい・るか)

1970年北海道生まれ。2006年、「夏光」でオール讀物新人賞を受賞。10年『あの日にかえりたい』で第143回直木賞候補、『メグル』で第13回大藪春彦賞候補に。著書に、ドラマ化された『てふてふ荘へようこそ』のほか、『君の波が聞こえる』『向かい風で飛べ!』『森に願いを』『わたしの忘れ物』『コイコワレ』『明日の僕に風が吹く』『おまえなんかに会いたくない』『水底のスピカ』『花ざかりを待たず』『葬式同窓会』『灯』『バベルの教室』『愛する男』など多数。
■ 書籍紹介

『神の代役 HBD調査鑑別室』乾ルカ
強い悲しみが命を奪う世界。死因という名の絶望を探り、人の尊厳を守るために働くチームを描く唯一無二のヒューマンミステリー!

