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第6回

ダイナーⅡ(第6回)

 日暮れまでに都合十回、公衆電話を見つけるたびにパピは電話を掛け続けた。が、いずれも相手はつかまらず、わたしは彼の指示に従って北へ北へと運転を続けた。
「そんなにつかまらないなんて……。別のコンタクト方法を考えたほうがいいんじゃない」
 ドライブスルーで昼ごはんを買い込んだ際、わたしは云った。
「別の方法はないんだ。もともと電波の入りづらいところを選んで移動しているから、つながらないのは仕方がない」
 六時をまわり、日が暮れだし、雨が酷くなってきた頃、わたしは街道沿いにある食堂に隣接したモーテルにジープを入れた。
「なんで走らないんだよ」
「暗くなると無理なのよ」
「なぜ」
 パピとダフがキョトンとしている。
「免許を持ってないの。正確に云うと更新してないの。夜はパトカーに停められる確率が高いでしょ。職質されたらパーなのよ」
 パピは舌打ちした。
「なにか偽造のとか持ってないのかよ」
「冗談でしょ。わたしは堅気よ。あなたとは違うの。それに部屋なら好きなだけ電話を掛けることもできる」
 モーテルに着くと、ダフが〈あ! お泊りだ!〉とはしゃいだ。
 フロントに居たのはでっぷりした老人で、わたしはツインを希望し、ついでに転勤している夫に家族で逢いに行く途中だと云うと、ふたりに棒付きキャンディーをくれた。
 部屋は車を横付けできるコテージタイプ。
 パピが窓際を主張したので譲り、わたしとダフは奥のベッドを使うことにした。
 途中で買い足した飲料と食料を運び込み、いったん冷蔵庫にしまっていると、よほど疲れがたまっていたのだろうダフがベッドで眠ってしまっていた。
「困ったわね。食堂へ行こうと思ってたのに」
「ダフは寝起きがやけに悪いから無理に起こすと厄介だぜ」
 わたしはベッドに座ったパピにジンジャーエールを渡し、炭酸水のボトルを開けた。
 テレビを点けると、税金がまた跳ね上がりそうだという話と、地方で女の子が焼き殺されているのが発見されたというニュースが、塗るとボーイフレンドがメロメロになるというリップスティックのCMを挟んで流れ、次は野球選手の年俸の話になった。
「やってないわね」
 わたしはテレビを消した。
「なにが」
「昨日のことよ。四人も死んだのに」
「ひとりだ」
 パピは窓を向いて云った。
「俺たちがいる間に死んだのはジョーだけ。間違えんな」
「あら、そうだったわね」
 パピはわたしをひと睨みし、勢いよく仰向けになると目を閉じた。両手を重ねたお腹が静かに上下していた。重ね着している半袖シャツのインナーが見える。元はピンク色だったのが煤(すす)け、穴があちこちに開いていた。
「なにも教える気はないってわけね」
「まだあんたは仲間じゃない」
「ずいぶんなご挨拶だわ。店を放り出し、ろくな休憩も取らずに運転してきたのに」
 パピはわたしとは反対に向かって寝返りを打った。
「あんたは勝手に来たんだ。俺が来いと云ったときには来なかった」
「結果はこうしてるわ。それはどうなの」
「……大人って奴らは、腹の中で何を考えてるのかわからないからな」
「そう」
 立ち上がり、シャワーを浴びることにしたわたしは、パピの視線もかまわず服を脱ぎ捨てた。
「なにやってるんだ」
「汚れを落とすの。場合によっては、また運転して店に帰らなくゃならないから」
「だったら早く入りな」
 パピは顔を背けたまま怒鳴った。
 全身を洗い、バスタオルを巻いて出ると、パピは先ほどと同じ姿勢で窓を向いていた。
 わたしの服がダフの傍らに畳んで載せてあった。
「あら。下着がない」
「それは触れない。あんたが脱いだときのまま」
 パンティはベッドの足元に落ちていた。
 着替えを済ませたわたしは冷蔵庫から炭酸水を手にし、ダフの横に腰掛けて飲んだ。
「どうしてなの?」
「なにが」わたしに背を向けたままパピが応えた。
「パピ……まさか本名じゃないでしょう」
 しばらくするとパピの声が聞こえた。
「背中にあざがある。それが羽に似てる」
「見ていいかしら」 
 返事はない。
「見るわよ」
 パピの背後に近づき、めくれかけたシャツの端をつまみあげる。肩甲骨の辺り、左右対称になった赤黒いあざがあった──羽を広げた蝶に似ていた。
「蝶(パピヨン)」寝転がったままパピが影絵あそびでするように両手の親指をくっつけ、細い指をひらひらさせた。「俺のいた施設の所長がフランス人の尼さんでね。彼女が付けた仇名さ。彼女が云うには仕立て屋(テーラー)なんかが使う小型アイロンの先を押しつけると似たのができるんだってさ」
「あなた孤児(みなしご)なのね」
「まだ赴任したてだった頃、その尼さんが近くのゴミ捨て場に籐製の籠(バスケツト)が捨ててあるのを見つけて、施設で使えるかもと覗き込んだらおれがいたのさ。明け方に雪が降った日のことだったそうだよ。あざはもうついてたらしいけど、俺はなんにも憶えちゃいない」
「ダフとは施設で一緒だったの」
 パピは頭を振った。
「ハコブネだよ。奴は俺より前にいたんだ」
「またハコブネね。それについては話してはくれないんでしょう」
「難民キャンプのようなものだと思ってくれればいい。ただし、定住しない、移動式のな」
「どうしてそんなことをするようになったの」
 パピは黙った。
 わたしはたっぷり一分ほど待ってから、相手にわかるようハッキリと溜め息を吐き、煙草を吸った。煙を天井に向かって吹きつけると、パピがポツリと呟いた。
「云わなけりゃ、あんたは帰っちまうんだろ」
 わたしは答えなかった。
「信用しないわけじゃない。あんたがどんな人なのかは、あんたと店の連中との仲を見てわかった。それに見た目より痛みに強いみたいだし、慌てふためいたりもしない。気分の切り替えも早い。悪かぁない」
「だったら充分じゃない」
「今さらだけど、迷ってるのは俺のほうなんだ。あんたを本当に引っ張り込んで良いのかどうか……」
「ボンベロが呼んでるんでしょ。わたしにとってはそれだけで充分よ」
「俺はあの人が信用できない。なんだか普通じゃない。今まで会った人間のどれにも似ていない。どこか調子っぱずれで狂ってるんだ。今から考えると、俺はあの人に良いように操られていたのかもしれない。だとするとあんたを引きずり込むのは間違いだ」
 わたしはパピの顔が見える場所に座り直した。
「ねえ」
「なに?」
「この口をよく見ていなさい」わたしは自分の唇に指を当てた。「いい? 見てる?」
「ああ。何の真似だよ」
 わたしはハッキリと云った。
「それは・わ・た・し・が・き・め・る・こと。あんたじゃない。わたしは自分の意志で来たの。来ない選択より、行く選択のほうが、これから生きるのに必要だったからよ。あんたは見た目よりずいぶんとお節介焼きみたいだけど、わたしの料理に横から塩を突っ込んでかき混ぜるようなことはしないで」
 わたしたちはしばらく、睨み合い、それはパピが息を吐いて目を逸らしたことで終わった。
「あんたはこれから先、何が起きるのかなにもわかっちゃいないのさ」
「そんなことがわかるのは死んだ人間だけでしょうよ」
 ドンッと背中に柔らかいものがおぶさった。
 ダフが満面の笑みで首っ玉にしがみついていた。
「ままさぁん、おなかぺっこりんっ」

                   *

 かつてはすべて開放していたであろう食堂のホールは、今は入口手前の半分だけになっていて、真ん中を簡素な間仕切りが立て回してあった。
 入り口に掛かっている板看板に〈水筒〉とあったので、思わず足が停まった。
「なに?」
「ううん。なんでもない」
 パピに促され中に入ると、優しそうな顔の老婆が出迎えてくれた。他に客の姿はなかった。
「ウチに泊まっても食事をされる方は滅多にいないんですよ。大きなモールができてからは、そちらで済ませる人が多くてねえ」
 驚いたことに、食堂は彼女とフロントにいた老人のふたりで切り盛りしているのだと云った。
「常連客ばかりだし、みんな年寄りでコーヒーとトーストしか出ないの。今日は若い人がいるから嬉しいわ」
 パピはフライの盛り合わせとカレー、ダフはハンバーグにプリンを注文した。
「待ってる間に連絡を取ってみる」
 座ったばかりだというのにパピが立ち上がった。
「後にすればいいのに」
「正直なところ、あんたに話を聞かれたくない」
「はいはい。わかりましたよ」
 パピが部屋に戻り、老婆が先に持ってきてくれたオレンジジュースをダフが飲み干した頃、申し訳なさそうに彼女が厨房からやってきた。
「ごめんなさいね。材料が切れてしまっていてご注文の品がご用意できないみたいなの」
 見ればカウンター越しに白衣をまとった老人も、こちらに向けて頭を下げていた。
「なにができるのかしら」
「トーストとか、ナポリタンになっちゃうわ」
「ちょっと厨房(なか)を見せていただいてもいいかしら。お手伝いできるかもしれないから」
「そりゃかまいませんけど、申し訳ないわ。お客様に」
「おばちゃん、ままさぁんはおりおりじょうずよ」
 ダフに、おとなしくしててねと云い置いてから、わたしは立ち上がり、厨房に入った。冷蔵・冷凍庫をチェックすると、幸いなことに食堂としては沈滞していても喫茶店としては可動しているようだった。
「ちょっとお借りします」
 わたしは、まずキャベツとコンビーフ、ベーコンを使って炒めものを作った。パピにとって大事なのは味よりも量だ。フライパンでベーコンをカリッとさせてから、コンビーフとキャベツを投入し、濃いめの味付けで火を通した。小さな肉の塊があったのでザク切りにして下味を付け、それをフライパンに並べて焼き目をつけると、引っくり返して玉葱とジャガイモを被せ、チーズを隙間なく載せた。トロトロになったチーズが肉の隙間を流れ出し、香ばしい匂いがしてくるのを待って火を止める。
 ダフにはオムライスを仕上げ、老夫婦が目を丸くしている隙にアサリの缶詰を見つけたので冷凍の小海老を戻して、クリームと牛乳でクラムチャウダーを作った。
「いやあ。大したもんだ」
「どうせなら一緒にいかかですか?」
 わたしの言葉に老婆は相好を崩した。
「嬉しいわぁ。いつも相手してくれるのはおじいちゃんばっかりだから」

 予想通り、パピは不平をこぼさずウマイウマイと食べまくった。
「あなた、口のなかのものを呑み込んでから次を入れなさいな」
「駄目だ。それだと胃に腹一杯だとバレてしまう。胃を騙すんだ。まだ何も入っていないと思わせておけば、まだまだ入る……」
 パピの食べっぷりに唖然としていた老夫婦だったが、やがて慣れたのか、少しずつモーテルを始めた経緯やモールができて苦労したときの話などを始めた。息子がふたり居るのだが、ふたりとも都会で家族とともに暮らしているのだという。
「入る時、お店の名前を見たんですけど、ちょっと変わってますよね」
「ああ、あれはふたりで決めたんだ。昔は山登りが趣味でよく一緒に登っていたんだ。山道で本当に頼りになるのが水筒だった。山では疲れ果てたり、怪我をしたり、単に挨拶をしたりするのにも水筒を分け合ったりした。わたしたちも街道を行く人の水筒になれればと思ってつけたんだよ」
「そうですか」
「実はね。今年で此処は止めるのよ」老婆は告げた。「ふたりとも歳だし。しかもこの人、心臓が良くないの。それにあんなことがあったでしょう。この先はどんどん人がいなくなるばかりだしね。隣の立ち入り禁止区域もどんなことになっているんだか……」
「野生動物が我が物顔でいるらしい。知り合いのハンターに聞いたんだが山奥で迷った時、三メートルはあるツキノワグマが追いかけて来たそうだ。三メートルだよ。そんなものは今まで見たことがないと云っていた」
「もうわたしたちが生きている間に、あの故郷が戻ることはないからね」
 と、その時、突然ドアが開いた。
 振り返るとパピの姿が消えており、入り口に警官が立っていた。
「こんばんわ」パトカーの回転灯の灯りを背にその警官は云った。「あんたの云っていたのは、このご婦人かね」警官は警棒を抜いた。
「あなた……」老婆が夫を振り返った。
「……わしはただ……」
「どういうことですか?」わたしは尋ねた。
「いや、違うんだ。最初に入ってきた時、あんたらは荷物も持っていなかったし、子どもの格好はボロボロだったから、何かおかしいと思ったんだ。あんたがこんなにいい人だとは思わなかった。……だが、問題ないと取り消しの電話を入れたはずだ。そうだろ、シジマ!」
 老人の言葉に警官は頷いた。
「確かにな。だが、通報者が取り消したからと云って、俺が出かけない決定的な理由にはならんのだよ、ウルマ」
「この人は大丈夫。私を信じて」
「エリ、その方がいい人かどうかの判断は私に任せてもらいたい。すまんが、あんた。立ってこっちに来てくれんか」
 警官がわたしを指さした。年格好は定年間際といった感じだ。湖に浮かべたボートで釣りでもすれば絵になるタイプの顔をしていた。
 オムライスを掬ったままダフのスプーンが止まっていたので、わたしは頭をそっと撫でた。
「大丈夫。心配はいらないわ。食べてしまいなさい」
「電話をもらったのがちょうど、駐在所に戻る途中で良かった。いったん家に帰って落ち着いちまうと出てくるのが厄介でかなわん」
 わたしは警官の前に立った。
「これは取り調べ?」
「いや、単なる職務質問ですよ。今のところはね。ふたりはあんたの子らしいが、どこへ行くつもりなんだね」
「転勤している夫のところへ行くのよ」
「ほお、この先に何があるというんだね」
「街があるわ。トウホクもホッカイドウもあるでしょ」
 わたしの答えに警官の目が苛々しく燃えた──しくじったかもしれないと後悔の火花が額の奥で弾けた。
 警官は手帳を取り出した。
「その子の名前は?」
「ダフよ」
「え?」
「ダフ。鳩」
 警官がわたしをハッキリと睨んだ。彼は手帳をポケットにしまった。
「ねえ、シジマ。その人は別に怪しい人じゃないわ。ウチの人が気を回しすぎただけなのよ」
「そうなんだ。わしがしくじっちまったんだ」
入り口から警官の背後へ、ふらりと近づく影があった──パピだった。
 後ろ手に何かを隠していた。
 警官は夫婦に注目していてまったく気がついていない。
 わたしはパピに向かって首を振ったが、彼は警官に近づくのをやめなかった。
「パピ」
 そう云った途端、彼は突進した。


* * * * * * * * * * * * * * * * * * * 


Profile

平山夢明

1961年、神奈川県川崎市生まれ。1994年にノンフィクション『異常快楽殺人』を発表、注目を集め、1996年に『SINKER──沈むもの』で小説家としてもデビュー。2006年には短篇「独白するユニバーサル横メルカトル」で日本推理作家協会賞を受賞。2007年、同タイトルを冠した短編集が「このミステリーがすごい!」第1位に選ばれた。2010年『ダイナー』で第28回日本冒険小説協会大賞と第13回大藪春彦賞をダブル受賞。2017年より「週刊ヤングジャンプ」にてコミック化され、大人気連載中。

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