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第1回

1  メリーゴーランド

 

 
 開園前の遊園地が、こんなにキラキラして見えるなんて初めて知った。

 まだ客のいないそこは、想像していたよりずっと広大に感じる。朝日を浴びたアトラクションが、むずむずと喜びをこらえながら始まりの時を待っているみたいだ。

 ゲートの前に立ち、柵の隙間から中をのぞいていると、僕の隣で結乃(ゆの)ちゃんが腕時計をちらりと見ながら言った。

「あと5分。もうすぐだね」

 揺らした髪から漂ってくる、ほのかな甘い匂い。

「そうだね、早く開かないかな」

 そう答えた僕に、結乃ちゃんはやわらかく笑った。

 それを見た瞬間、どくんと大きく胸が鳴る。勢いの良すぎる鼓動のせいで、僕の心臓は破れてしまいそうだ。

 勇気を出して初めて誘ったデート。

 快くOKしてくれたけど、いつでも誰にでも笑顔の君は、本当のところ僕のことをどう思っているんだろう?



 待ち合わせの駅に早く着きすぎた。だって、ものすごく楽しみだったから。昨晩は気持ちが高ぶってまったく眠れなかった。トイレに行って、缶コーヒーでも飲んで気持ちを落ち着けよう。

 そう思ったのに、約束した時間の20分前に改札を抜けたとき、すでに結乃ちゃんの姿があってびっくりした。

 スマホをいじるでもなく、ちょっと遠いところを眺めるようにして、姿勢よく立っている結乃ちゃん。いつもはきちんと後ろで結わえている髪の毛を、今日は下ろしている。肩まで流れるふわふわのウェーブ、さっぱりしたブルーデニムのワンピース、揃いの白い花をかたどったネックレスとピアス。

 それはもう、妖精かと思うくらいにかわいらしくて、僕はその場で膝から崩れ落ちそうになるのを留めるのに必死だった。この可憐な女の子が、僕を、この僕を、待ってくれている。なんという幸福。夢か。

 ぼーっとしている僕を見つけて、結乃ちゃんがぱっと明るい表情になった。僕は急いで駆けていく。

「ごめんね、待った?」

 結乃ちゃんは首を横に振った。

「楽しみで、早く来すぎちゃって」

 そうほほえみかけられて、思わず顔がにやける。

 楽しみで? 

 たしかに今、そう言った?

 頭を掻いている僕に、結乃ちゃんは小首をかしげながら続けた。

「遊園地なんて、すごく久しぶりだから」

「……あ、そうなんだ」

 つまり僕とのデートがじゃなくて、遊園地そのものが楽しみってことね。

 まあ、そうだよね。僕はうんうんと小さくうなずき、遊園地に向かって並んで歩き出した。

 僕が結乃ちゃんを誘ったのは「やまなかあおた遊園地」という古くからあるアミューズメントパークで、「山中青田」というのはこのあたりの地名だ。場所の名前をそのまま付けただけの、単純明快なネーミング。

 でもどうしてなのか、地元民はみんなこの遊園地のことを「ぐるぐるめ」と呼んでいる。

「夏休み、ぐるぐるめ行ったんだ」

 とか、

「このへんのレジャーランドっていったら、やっぱり、ぐるぐるめだよね」

 とかいうぐあいに。

 つまり通称というか愛称のようなものだけど、それは僕が子どものころからそうなので、中学に上がるぐらいまで本当にこの遊園地の名前は「ぐるぐるめ」だと思っていた。その真実がわかってからも、「やまなかあおた」っていうのは長いしちょっと言いにくいし、正式名称で呼ぶことはほとんどない。

「嬉しいなあ、ぐるぐるめ!」

 歌うみたいに、結乃ちゃんが言った。

 それを聞いた僕のほうが、きっと百倍嬉しいに決まってる。たとえ彼女が僕と一緒だからではなく、ただ遊園地に行くことのみを喜んでいるのだとしてもだ。

 すぐそばに、結乃ちゃんの白い手がある。

 つなぎたい。そんな衝動をひたすら抑えて、僕は拳をぎゅっと握る。



 僕と結乃ちゃんは、アルバイト先のハンバーガーショップで知り合った。

 大学3年生の僕、短大2年生の結乃ちゃん。半年前、彼女が新しく入ってきたとき、チーフが僕に「健人(けんと)君、いろいろ教えてやって」と言った。それで僕も、結乃ちゃんに「なんでも聞いてください」と言った。先輩らしく、きりりと。

 ……いや、それは嘘だ。きりりとなんて、できなかった。その時点でもう僕はすっかり結乃ちゃんに心を奪われて、デレデレしていたと思う。

 チーフが僕に「教えてやって」と言ったのは、たまたま同じ日にシフトが入っていたからというだけの話なのだが、結乃ちゃんは僕をリーダーだと勘違いしたらしい。ことあるごとに僕に質問してきて、自然に話す機会が増えた。

 僕たちが同じ立場の普通のアルバイトだとわかってからも、結乃ちゃんは最初の流れで僕によく話しかけてくれる。少しずつ敬語が緩まって、最近では冗談を言い合ったりもできるようになった。

 もっとも仕事に関しては、結乃ちゃんは物覚えがよくて、僕が教えるようなことはあっというまになくなったというのが正直なところだ。

 お客様が注文した商品以外のものを勧める「サジェスト」に至っては、結乃ちゃんは最初から僕よりもうんと上手にこなした。たとえばハンバーガーだけ頼んだお客様に「ポテトはいかがですか」「ご一緒にお飲み物はいかがですか」って言う、あれである。僕はサジェストが今でも苦手だ。

「なんかさ、欲しくもないものを無理に押し付けてるみたいで、気が重いんだよな」

 僕がそうこぼすと、結乃ちゃんは言った。きりりと。

「無理に押し付けてるなんて思わなくていいんじゃない? 私は、とっても美味しいから、一緒に食べたら素敵だから、ぜひどうぞ!って、自分の気持ちを伝えたいだけ」

 結乃ちゃんのその「気持ち」は、ちゃんとお客様に届いている。彼女に勧められたポテトやドリンクを、お客様は「そうね、じゃあつけてもらおうかしら」ってスムーズに追加する。結乃ちゃんの笑顔には人を安心させ惹き付ける魔力さえ感じる。あのスマイルが0円。とんでもない話だ。

 僕たちは、バイトの中では仲のいいほうだと思う。飲み会なんかでもなんとなく隣に座るし、夜にラインで何往復かたわいもない会話をすることもある。友達かって訊かれたら、そうですって答えてもたぶん許されるだろう。

 だけど。

 だけどね、結乃ちゃん。君のその笑顔が、僕にとって友達以上のものになってくれないかって、そんなふうに望む気持ちが走り出して止まらない。

 だから決めた。

 バイト先のハンバーガーショップから抜けて、ふたりで過ごすぐるぐるめ。

 今日ここで僕は、結乃ちゃんに告白するんだ。



 9時になった。

 遊園地の開園時刻だ。スタッフがふたりがかりで重そうな鉄のゲートを開いていく。園の中にはアップテンポな音楽が流れていた。

 一番乗りの僕たちの後ろにも、何組か並んでいた。ぞろぞろと、明るい異世界へとみんなで入っていく。

 ドーン、ドーン、ドーン!!

 太鼓の音がする。

 そちらに目をやると、見たこともないおかしな恰好のピエロが、大きな洋太鼓を叩いていた。こんなやつ、いたっけ? 

 赤白ストライプ柄の、コック帽みたいな長い帽子とだぶだぶのエプロン。よく見れば太鼓を叩いているバチは木製のお玉だ。近づいていくと、ピエロは白塗りの顔をこちらに向けた。丸い赤鼻を光らせ、右目から流れる涙のドロップが頬に青くペイントされている。

 そばを通り過ぎようとしたとき、ピエロが僕のほぼ耳元で声を張り上げた。

「イラッシャイマセ!!」

「いらっしゃ……」

 思わずつられてそう言ってしまい、僕はあわてて手で口を押さえる。

 サービス業あるあるだ。僕の勤めているハンバーガーショップでは、店内のスタッフがお客様に「いらっしゃいませ」とか「ありがとうございました」と言うときに、自分も合わせて声を上げる決まりになっている。その癖がプライベートでもつい出てしまうことがあるのだ。結乃ちゃんが僕の隣でくすくすと笑っている。

 ピエロはべったりと赤く塗られた口元をにいっと広げ、ふくよかな体をゆすりながら僕に軽く手を振った。

 メイクが濃くてよくわからないけど、50歳ぐらいのおじさんだろう。「イラッシャイマセ」の発音は、日本人ではなさそうだった。ピエロってしゃべらないイメージだったから、びっくりした。

「ねえ、見て。時計になってるのね」

 結乃ちゃんが指さした先にあるのは、ピエロの前の太鼓だった。白い面には円の縁をなぞるように丸いドットが均等に並び、中央に備わった黒い2本の針が9時を示していた。このピエロは、太鼓を叩いて時間を知らせるのかもしれない。

 太鼓は庇のついたワゴンに載っている。幌のすぐ下に、フライパンやフライ返しなどが吊り下がっていた。脇には小さなガスコンロまで付いている。まるで小さなキッチンだ。移動しながら料理までするのだろうか。

 ピエロは太鼓を叩くのをやめると、持っていたお玉をひょいっとフライ返しの隣に吊るした。そしてワゴンをがらがらとゆっくり引きながら去っていく。

 不思議なピエロだ。

 ワゴンには長い糸のついた風船がいくつも括りつけられている。カラフルな玉たちは、空に向かってのどかにぽわぽわと揺れていた。



 ハンバーガーを注文するとき、必ず「トマトを抜いて」とリクエストしてくるサラリーマンの常連さんがいる。彼は「ベジタブル・バーガー」がお好みのようなのだが、レタス、オニオン、アボカド、ピクルスと共にトマトがあるのがどうしても許せないらしかった。

「トマトなんて、どうしてあんな甘いものを肉と挟むんだ」

 僕が接客したときも、何度か眉間に皺を寄せながらそう言われたことがあった。

「トマトを抜く代わり、ピクルスいっぱい入れてね。ピクルス!!」

 彼はいつもそんなふうに「ピクルス!!」と復唱しながら人差し指を立てる。僕は「かしこまりました」とお辞儀をしながら、なんだか感動するのだった。

 激しく愛されている、ピクルス。どちらかというと、嫌がられることのほうが多いのに。よかったなあ、君たち。そんな気持ちになった。

 バイトの仲間4人ぐらいで休憩時間が一緒になったとき、事務室で昼食を取りながらそのサラリーマンの話になった。

 バイトのひとりが「ああ、あのトマト嫌いなおじさん」と言うと、結乃ちゃんが少し間を置いたあとにゆっくりこう言った。

「私、あのお客さんはトマトが嫌いなんじゃなくて、むしろ好きなのかもしれないって思う」

「ええ、なんで?」

 そこにいた面々が不思議そうな顔をする。結乃ちゃんはちょっと首をすくめて続けた。

「だって、トマトのことをあんな甘いものって言うでしょう。きっとデザートみたいな感覚なんだろうなって。もしくは、そんなにも甘くておいしいトマトを食べたことがあって、その記憶が残っているのかもしれないよね。オレンジジュースとかぶどうジュースとか注文することもあるから、甘いのが苦手なわけでもないんだろうなと思うし……。お肉と一緒に食べて味が混ざるのがイヤなんじゃないかな」

 結乃ちゃんは自分の両手の指と指を絡めながら言った。

「つまり、食材と場の組み合わせの問題なのよ。人と同じよ。いるところや立場が変われば、キャラクターも対する想いも違うっていうか」

 バイトのひとりが「ええ? 深すぎて何言ってんのかよくわからない」と一笑したけど、僕はもっと、もっともっと、彼女の話を聞いていたかった。結乃ちゃんの豊かな感受性、繊細なアンテナが、僕はやっぱりすごく好きだと思った。

 でも仲間に笑われた結乃ちゃんは自分も「あはは!」と軽く声をたて、すぐに話題を切り替えた。

「だけどあのお客さん、トマトは抜いてって言ったあとすぐに必ず、ピクルスいっぱい入れてねって言うじゃない? 私、あれけっこう感動しちゃうんだ。いつものけものにされてるピクルスがあんなに愛されてて。よかったねえ、って思うの」

 仲間たちが「なにそれー!」と言ってまたげらげら笑った。

 僕はひとりだけ息を呑み、新たな感動に胸を震わせて結乃ちゃんを見つめた。

 同じだ。

 僕と結乃ちゃんは、心の奥の奥のほうのどこかで通じている。

 結乃ちゃんは仲間たちの笑い声にくるまれながら、ふと僕と視線を合わせ、そしてほわっと目を細めた。わかっている、というように。

 なんてね、それは僕の勝手な思い上がりかな。

 だけどそのときのことが、僕の決意を固めてくれたのは間違いない。

 ―――人と同じよ。いるところや立場が変われば、キャラクターも対する想いも違うっていうか。

 そうだね、うん、そうだ。

 だったら僕は、この場所から君を外に連れ出して、バイトの先輩後輩って立場を変えて、ちゃんとふたりで向かい合って話したいって、そう思ったんだ。



 最初にメリーゴーランドに乗りたいって言ったのは、結乃ちゃんだ。

 たくさんあるアトラクションの中で、真っ先にこれを選んだ。

「いいね、行こう」

 僕がそう答えてメリーゴーランドのほうに体を向けると、結乃ちゃんは言った。

「健人くんって」

「ん?」

「一緒にいると、安心する」

 え。

 えーと?

 それはいったい、どういう意味だろう。

 むむむむ、と僕が首をねじまげていると、結乃ちゃんは軽い足取りで歩いていく。僕はその半歩後ろをついていきながら、複雑な気持ちだった。

「安心する」って。

 ほめられたのだ。たぶん。

 でもそれはつまり、男として見られていないってこと?

 僕はこんなにドキドキしているのに、彼女のほうは何の意識もしていないってこと?

 それとも、あえて予防線を張っているのかもしれない。僕が調子に乗ってうぬぼれたりしないように。

 これまでの手痛い失恋や勘違いが思い出される。

 交際を申し込んだ女の子から、「お友達としては好きなんだけど」ってあっさり断られたこと。

 合コンで近くにいた女の子がやたら話しかけてくるから僕に気があるのかなあなんて思っていたら、離れた席に座っているイケメンメンバーとの仲を取り持ってほしいとこっそりお願いされたこと。

 せっかくつきあえるようになった彼女から、3ヵ月もしないうちに「うちのお兄ちゃんと遊んでるみたいな気持ちにしかなれない」と振られたこと。

 結乃ちゃんの言う安心って、そういうことかな。そうかな。

 メリーゴーランドの前に着くと、結乃ちゃんは乗る馬を選び始めた。

「私、この子にしよう」

 明るいベージュの馬。金色のたてがみ、深紅の鞍。

 鞍の上にまたがろうと、結乃ちゃんはたてがみに手をかけた。鞍の位置がちょっと高いところにあって、のぼりづらそうだ。

 手を。ここでさりげなく手を貸すんだ。

 でも、それっていかにもわざとらしいかな。気安く触ろうとして、いやらしいって思われちゃうかな。

 躊躇しているうち、結乃ちゃんは鞍の上に乗ってしまった。僕は出しかけていた手を引っ込める。

 ああ、自分がいやになる。これまでだって何度もこういうチャンスを逃しては、立ち止まって前に進めず来たんじゃないか。 

 いつもそうだ。もう一押し、あと一歩が足りない。きっとこういうところが、「安心する」なんて言われちゃう原因なんだ。

 結乃ちゃんの隣の馬は派手なピンク色だった。それでもまあいいか、と思ったとき、小学生ぐらいの女の子が「かわいい!」と叫びながら走ってきた。

 僕は女の子にピンクの馬をゆずり、結乃ちゃんの後ろの白い馬にまたがる。銀色のたてがみ。クールな顔立ちが見目麗しい。だけど、カッコいいのは馬ばかりで、白馬に乗った王子には、僕はなれそうにない。

 ブザーが鳴った。

 ゆっくりと、ゆっくりとメリーゴーランドが回り始める。



 僕は結乃ちゃんの後ろ姿をじっと見た。

 結乃ちゃんが突然、ぱっとこちらを振り返り、僕にただ笑いかける。

 もっと見たい。今だけ、僕だけに向けられたその笑顔を。そう思った次の瞬間に、結乃ちゃんはくるりと前を向いてしまった。

 ひゅるるっと胸に冷たい風が吹く。




 

 結乃ちゃんの背中に向かって、こっそり手を伸ばす。

 だけど結乃ちゃんには、この手は決して届かない。

 君はいつも、いつもいつも、僕の少し前にいて、僕が近づこうとしても同じ速度で先に進んでいってしまう。

 ぐるぐると回り続けるメリーゴーランド。

 本当に、僕と結乃ちゃんの関係そのものみたいだ。

 


 結乃ちゃんの後ろ姿を見ていたら、この関係だって悪くないんじゃないかって、そんな気がしてきた。

 


 少し後ろから、ずっと君のことを見ている僕。

 結乃ちゃんはたまに、さっきみたいに振り返って笑ってくれて。

 それぐらいがちょうどいいんじゃないか。

 僕が結乃ちゃんを好きだって気持ちは、彼女には迷惑かもしれない。

 告白するんだって意気込んできたけど、もしNGだったら?

 これから先、今までと同じようにバイトで仲良くできるだろうか。



 不意に、こわくなる。

 やっぱり。

 やっぱり、このまま……友達のまま……。

 そうすれば結乃ちゃんを困らせることもなくて、自分が傷つくこともなくて。

 そのとき、視界に赤白のシマシマが飛び込んできた。

 あのピエロだ。ワゴンをゆっくり引きながら、客の中をゆさゆさと歩いている。

 そして老夫婦とすれ違いざまに、糸のついた風船をひとつ取って差し出した。

「ドウゾ!」


 

 成り行き上という感じで、おじいさんが糸の先を手に取る。

 すると、風船になんか興味なさそうだったその表情が、とたんに楽しげになった。おばあさんもその隣で、華やいだ笑みを浮かべている。



 風船はいかがですかという、見事な「サジェスト」だった。

 僕がピエロだったら、あんなふうに老夫婦に風船を差し出せるだろうか。

 お年寄りは風船を喜んだりしないかもしれない。

 風船を持っていたら、アトラクションに乗るときに困るかもしれない。

 僕はきっと、そんなネガティブな想像を先回りして手を引っ込めてしまうだろう。

 それはきっと僕が風船に価値を見出していないって、そういうことなんだ。



 結乃ちゃんは言ってたっけ。

 とっても美味しいから、一緒に食べたら素敵だから、ぜひどうぞ!

 そんな気持ちを伝えたいだけ。

 結乃ちゃんは、うちのハンバーガーショップの商品を本当に美味しいって、心から思っている。だから自然にそういう言葉が出てくるんだとやっと気づいた。



 ピエロもきっと同じだ。

 風船を持っていたらもっと楽しいから、ぜひどうぞ!

 そんな気持ちを伝えたいだけ。

 そして本当に、あの老夫婦はすごく愉快そうに、子どもみたいに笑っていた。

 遊園地を歩くのに、きれいな色の風船はとってもよく似合う。街中では恥ずかしいかもしれないけれど、この明るくてファンタジックな場所でなら。



 結乃ちゃん。

 ずっと、ただ自信がなかった僕にも、胸張って言えることがひとつだけあるよ。

 結乃ちゃんを想う気持ちは誰にも負けない。

 君のこと、今以上にもっと笑わせたい。

 だから……。



 メリーゴーランドが、緩やかに速度を落としていく。

 馬がまだゆっくりと動いているうちに、僕は鞍から飛び降りた。



 回転が止まる。

 今だ。



 僕は結乃ちゃんの馬まで歩み寄り、鞍から下りようとしている彼女に手を差し出す。



 僕は、いかがですか。

 ご一緒にラブストーリーは、いかがですか。



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