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第2回

2 回転マシン




「見た?」

 前を向いたまま訊ねた私の隣で、葵はこっくりとうなずいた。

「……見た!」


 すっきりと晴れた日曜日、友達の(あおい)に誘われてやってきた遊園地。

 私たちは優雅に回っているメリーゴーランドの柵の前で列に並び、次の番を待ちながら、昨日見たお笑い番組の話なんかしていた。馬たちがゆるやかに動きを止めようとしたとき、それは起きた。

 白い馬に乗った男の子が鞍からさっと降り、ひとつ前のベージュの馬に近づいていった。そして、その馬に乗っていた女の子に優しく手を差し伸べたのだ。

 ばっちり、目撃してしまった。

 紳士的な、それでいて決して慣れていなそうな、男の子の照れたしぐさ。ふわふわの髪の毛を揺らしながら笑った、女の子の嬉しそうな表情。

 女の子は素直に手を伸ばし、男の子に体を預けるみたいにして鞍から降りた。そしてふたりはそのまま、手をつないで歩いていった。

「いやー! なんて可愛いふたり! 心洗われた! いいもの見たね、紗里(さり)!」

 葵がはしゃぎながら、私の肩にもたれかかる。

 私は彼女をちょっとまぶしく見た。私と同じ25歳の葵。ふたりそろって仲良く、彼氏いない歴更新中。

 たしかに、私も彼らのことを可愛いカップルだなと思った。あの初々しさは、付き合い始めたばかりなのかもしれない。

 でも私は葵とは違って、それだけじゃ終われなかった。いいなあ、うらやましい、と妬ましさが芽生える。さらに、いちゃいちゃすんなよと悪態をつきたくもなる。私はまったく、薄汚れている。思わずため息が出た。

「まさに白馬の王子様だね」

 他に言葉が見つからなくて平淡にそう言った私に、葵はうんうんとうなずいたあと、ちょっとだけ空を仰いだ。

「王子もいいけど。でもそれより、私は馬が欲しいなあ」

 そのとき、係員の案内で柵の扉が開かれた。私と一緒にメリーゴーランドの中に入っていきながら、葵は続けた。

「だって知らない景色を見せてくれそうじゃない?」

 そして彼女は足早に進み、「これがいちばん、カッコいい!」と白馬の顔をなでた。さっき、カップルの男の子が乗っていた馬だ。

 私はその隣の、ショッキングピンクの小柄な馬にまたがる。手を貸してくれる王子様はいないし、いいのか悪いのか、これくらいなら私は問題なくひとりで乗り降りできる。

 メリーゴーランドが動き出すと、葵は「やっほー!」と誰かに向かって手を振った。その視線の先で、紅白のしましまエプロンをかけたピエロが笑顔で片手を挙げていた。


 葵とは、去年、料理教室で知り合った。

 区が開催している「小料理屋の女将に学ぶ家庭料理」という単発のイベントだった。私と葵は同じ班になって、豚バラと大根の煮物に取り組んでいた。

「えーと、塩、小さじ1」

 ホワイトボードに書かれたレシピを見ながら、葵は小さじの計量スプーンで塩をすくった。

「これでいいんだよね?」

 そう訊かれて、私はよくわからないまま「いいんじゃない?」と軽く答えた。

 でも、ちっとも良くなかったらしい。その様子をたまたま見かけた先生があわてて飛んできた。

 葵の手にある計量スプーンには、塩がこんもり山になっていたからだ。

「レシピの数字はね、すりきりでってことよ」

 先生は笑っていたけど、「そんなことも知らないの?」とでも言わんばかりのあきれた口調だった。

 先生は葵の手から小さじスプーンを取ると、そばにあった大さじスプーンの()を山にすべらせ、塩を平らにした。

 鍋いっぱいの白い大根とは対照的に、私たちは顔を真っ赤にしながら首をすくめた。

 レシピの数字はすりきりで。

 小料理屋の女将に学ぶまでもない、料理の初歩の初歩。

 先生がよその班に行ってしまうと、葵はこそっと笑った。

「お料理できないから、知らないことがいっぱいあるから、だから教えてもらいに来たんだよねぇ」

 私もうなずいて笑い返して、それからずっと、友達だ。


 メリーゴーランドを降りると、ふたりで遊園地の中を歩き回る。

 この遊園地はアトラクションの他に緑も多くてところどころにベンチもあり、園内をぐるぐる散歩するだけでも気持ちがいい。

 前方から、ゴロゴロと音がした。さっき葵が手を振ったピエロが、大きな時計の載ったカートを押している。

 紅白のしましまエプロン、同じ模様のコック帽。大きな体をゆすりながら、彼は楽し気に歩いてくる。カートの庇にはフックが取り付けられており、フライパンやフライ返し、お玉がぶらさがっていた。脇には小さなガスコンロが設置されている。

 すれ違いざまに、葵がまた手を振りながらピエロに問いかけた。

「お料理するの?」

 ピエロは親指をぐっと立てて突き出すと、

「ウマイヨ!」

 とだけ言った。イントネーションからして、外国人らしい。そしてそのまま彼は、多くを語らずゆっくり去っていく。

「あれは、ピエロだね」

 葵が言う。

「うん? そうだね」

 わざわざ何だろうと思いながら私が答えると、葵はピエロの背を見ながら言った。

「涙が、あったでしょ」

「涙?」

 言われてみれば、そうだった。白塗りの肌、赤い鼻。にんまり笑っているような大きな口。そして右目の下に、水色の涙がくっきりと描かれていた。

葵は続ける。

「道化師は一般的にみんな『クラウン』で、その中でも涙があるのが『ピエロ』って、聞いたことがあるの。つまりピエロはクラウンの一種なんだって」

「へえ、そうなんだ」

「ピエロの涙には諸説あってね。ひとつは、みんなに笑われながら自分も笑って、心で泣いてるっていうのと」

 そこで葵はほんの少し間を置き、優しい表情で言った。

「もうひとつは、泣いている人の心を引き受けて、笑わせようとしてるっていうの。なんか、いいよね」

 私は少しだけ、立ち止まる。

 彼女にそんな意図はなかったと思うけど、それって……ちょっと、葵みたいだ。


「ぐるぐるめ、行こうよ!」

 先週、葵と飲んでいたら突然そう言われた。

 山中青田遊園地。地元でこの遊園地を正式名称で呼ぶ人はあまりいない。昔からみんな、暗黙の了解で「ぐるぐるめ」と呼んでいる。

「私、たまに行きたくなるんだよね。絶叫系、好きでさ。つきあってよ」

 そう笑う葵を見て、私を励まそうとしているんだなとすぐにわかった。愚痴をこぼしながら肩を落としている私に、さんざんつきあってくれたのは葵のほうだ。

 正直なことを言うと、私は遊園地にはあまり乗り気ではなかった。食わず嫌いかもしれないけど、葵が好きだという「絶叫系」のアトラクションに食指が動かないからだ。でも、私を気遣ってくれる葵の思いやりを考えたらそうは言えなかった。

 私はデザイン会社に勤めている。規模としては小さめだけれど、取引先には大手も多くて、紙媒体やWEBの他にスペースデザインなど、いろいろと手広くやっている会社だ。私はそこで主にDMやチラシ作成の仕事をしている。

 今は流れてくる作業を規定通りにこなすのでせいいっぱいだけど、早く自分でデザインを手掛けてみたい。そう思いながら3年目だ。

 先日、うちの会社にお菓子メーカーからロゴデザイン作成の依頼がきた。こんなときはまず、社内コンペが行われる。希望者全員、部署を問わず誰でも提出していいのだ。それは自分の実績を作る大きなチャンスでもある。

 入社してから何度もトライしているけれど、私はコンペに通ったことがない。他のことで高い評価を得たこともない。同期はみんな、いくつも好結果を残しているのに。だから今度こそと思って、力を入れて挑んだのだ。

 ところが今回の社内コンペで選ばれたのは新入社員で、さらに私の直属の後輩だった。私はいつも先輩面してあれこれと教えていたけど、実力は彼女のほうがずっと上だったと思い知らされた。

「おめでとう!」

 私はひきつった笑顔で後輩に言った。やったじゃん、とか、すごいよ、とか、思いつくまま乾いた称賛の言葉をくっつけながら。

 そんな私を、周囲はどう見ていただろう。一番身近な新人にあっけなく追い抜かされた私が、必死で笑っている姿。葵の言うピエロ説でいえば、完全に前者だ。

 それを思うと、胸が鈍く痛む。葵の優しさに乗っかって、ふたりで遊園地に来てみたものの、私はまだぐじぐじした気持ちを引きずっている。

 特に乗り物も決めずにふらふらと歩いていたら、回転マシンの前にたどりついた。塔の中心からアームが何本も出ていて、その先にカップ型のライドがついている。アームは扇風機みたいにぐるぐる回り、さらにライド自体も縦横無尽に動いたり傾いたりしていた。私からすれば、なかなかハードなアトラクションだった。あわてふためいているかのように激しく動き回るライドから、乗客の悲鳴と共に笑っている顔が見える。

 人はどうしてわざわざ怖い思いをしたがって、そしてそんなときにどうして笑ってしまうのだろう?

 回転マシンは、ワンクール回り終えるとライドをすべて着地させた。人々がよろよろと降りてくるのが見える。

 カップの中であんなに翻弄されて、ぐるぐる振り回されて、事が終われば同じ場所に降ろされる。なんだか私みたいだな、と思った。

 結局、同じことの繰り返しなのかな。

 デザインの仕事をしたくて今までがんばってきたつもりけど、じたばたしてもぜんぜん力はつかず、誰かに認められることもなく、このまま同じポジションでただ同じ毎日を過ごしていくのかな。

 あと何回チャレンジすれば、私は前へ進めるのだろう? 

 次の客がライドに乗り込んでいくのをぼんやり眺めていると、葵が言った。

「この遊園地、なんでぐるぐるめって言うのか解明されてないけど、私が思うに」

「なに?」

「ぐるぐる回る系のアトラクションが多いからじゃない? 目が回っちゃうから、ぐるぐる目」

 葵は顔の前に人差し指を立て、ぐるぐると回した。

「そうかもね」

 私も一緒に、指を回す。すっかりへこたれてる私は、アトラクションに乗らずともすでにもう、ぐるぐる目だ。


 そのとき、ドーン! と音がした。

 あのピエロだ。カートに載った大きな時計は太鼓でもあるらしく、彼は木のお玉で勢いよく丸い面を叩いている。

 ドーン、ドーン! 

 鳴り続ける太鼓の音。葵がピエロに近づいていきながら、「……3、4…」とカウントした。

 10回。

 そこまで叩くと、ピエロは太鼓の縁をカーン!と打ち付けた。

 時計の針は、10時半を指している。最後のあれは、「半」ってことか。


 目の前に立っている私たちに、ピエロはにやりと笑い、うやうやしくお辞儀をした。

 ふふふんふん、ふんふーん。

 鼻歌まじりに、庇にかけてあったフライパンを取り出す。そしてそれをガスコンロの上に置き、人差し指を立てて私たちにウィンクをした。

「なんか始まったみたい」

 葵が楽しそうに身を乗り出した。私たちの後ろで、客がまばらに立ち止まる。

 ピエロは胸のあたりで、両手をぱっと広げた。何も持っていない。

 一度くるりと背中を向け、再びこちらを向くと、その手には黄色い液体の入った小瓶と、ビニールパックの袋があった。

「わ、すごい。手品だ」

 カートの周りで小さなどよめきが起こる。ピエロはガスコンロに火をつけ、小瓶の蓋を開けてフライパンの上に液体をたらした。どうやら、油らしい。

 次に、彼はビニールパックの封を破った。フライパンに向かってぱらぱらと褐色の粒が飛び出してくる。乾燥とうもろこし? 葵が手を叩く。

「ポップコーン!」

 熱したフライパンの中で乾燥とうもろこしがひとつ、パチッと()ぜた瞬間に、ピエロは素早く庇の裏に手を伸ばした。フライパンの蓋が出てくる。そんなところにそんなものが仕込んであったんだ。

 ピエロがさっとフライパンに蓋をかぶせたのと同時に、とうもろこしがポンポンと弾ける小気味よい音が鳴り響いた。ピエロはフライパンの柄をにぎり、火から少し離しながら軽快にゆすり始める。

 香ばしい匂いが漂う。少しずつ人が集まってきて、お父さんらしき男性と一緒に、小さな男の子が興味深そうに私たちの隣に来た。

 とうもろこしが弾け終わるとピエロはフライパンを置き、バレリーナみたいにその場でぐるりと一回転した。そして蓋をそっと開け、満足そうにうなずく。あふれんばかりのポップコーンがフライパンの上でほかほか湯気を立てていた。

 ピエロは人差し指を立てたあと、胸元からエプロンの内側に手を入れた。緑色のキャップの小さな瓶が出てくる。中には白い粉が入っていた。

 葵が私のほうに顔を傾ける。

「なんだ、あのエプロン、内ポケットがあるんだね」

「手品じゃなかったね!」

 私たちは声を立てて笑った。油も乾燥とうもろこしも、あそこに隠してあったのだろう。

 ピエロは小瓶のキャップを外すとポップコーンの山にざあっと白い粉をふりまき、混ぜるようにしてフライパンをゆすった。きっとあれは、塩だ。

「ウマイヨ!」

 ピエロはさっき葵にしたのと同じように、親指をぐっと突き立てる。

 そしてまたエプロンの内ポケットから小さな紙袋の束を取り出し、ポップコーンをお玉で取り分け始めた。

「ドウゾ」

 一番近くにいた小さな男の子に向けて、ピエロはポップコーンの入った袋を差し出した。男の子は「わあっ」と顔を輝かせてそれを受け取る。無料サービスらしい。私と葵もピエロから袋を手渡され、遠慮なくいただくことにした。

 ピエロはポップコーンを観客へと上手に分配し、フライパンを空にしてしまうと、またカートをゴロゴロと押しながら去っていく。

 私と葵は、近くのベンチに腰を下ろして出来立てのポップコーンを食べた。思わず顔を見合わせる。

「……おいしい」

「ね、おいしい!」

 なんといっても、塩加減が絶妙なバランスだった。

 しばらく食べ続けたあと、葵が言う。

「塩はすりきり一杯、なんて、やらなかったよね。あのピエロは」

「うん。なんか、適当だった」

「そんなもんだよ、適当が適量ってこともあるんだよ。でも」

 葵はポップコーンの最後のひとかけを口に放り込むと、もぐもぐと咀嚼してからこう続けた。

「きっとピエロも、最初からその匙加減をわかってたわけじゃないよね。適当が適量にたどりつくまで、何回ポップコーンを作ったのかなあ」

 それを聞いて、胸の奥で何かがことんと音を立てた。なんだかはっとして、その気持ちを言葉に置き換えようとしたとき、葵がベンチから立ち上がった。

「あれ、乗ろうよ」

 そう言って回転マシンを指さしている。

 断る理由が見つからなくて、私も腰を上げた。

 列の最後尾に並んだら、ちょうど次の番になったようで私たちはそのまま待つこともなく中に入れた。カップ型ライドの二人乗り席に、葵と一緒に乗り込む。

 太い安全バーが上から降りてきて、私たちをしっかりと留めた。指の先がひんやりと緊張で染まり、私はバーをぐっと握る。

 鈍いブザー音。じわじわとアームが動き始め、ライドが揺れる。

 葵は早いうちから声を上げていたけれど、私は怖くて歯を食いしばっていた。アームは加速しながら回り出し、私たちはどんどん高く引き上げられながら、放り出されそうな感覚に襲われる。

 私はぎゅっと目をつぶり、とにかくこの時間が過ぎ去るのを待った。


「ああっ、きれい!」

 え? 

 


 葵の声に、思わず目を開けた。

 ライドはもう一番高いところまで来ていて、遠くが見渡せるようになっていた。

 ほんとうだ、きれいだった。

 緑に包まれた山々、いつもより近い青空。遥か先で、きらきらと光を受けている湖。ライドが揺れるたび、普段だったら見ることのない斜めの景色が現れる。

 恐怖心がなくなったわけじゃない。でもそれとは別に、新鮮な驚きがあった。予測できない激しい動きに大声を上げながら、私と葵はふたりでその美しい風景を見た。


 回転が止まり、ゆるやかに着地したライドから降りる。

 私は、ふうっと大きく息を吐いた。

「………気持ちいい」

 なんだか、さっぱりしていた。体も心も。思っていたより、ずっと楽しかった。

 同じところに戻ってきたはずだった。だけど、同じじゃないって、そんな気がした。

 ライドの中で揺れながら、風を浴びて、叫んで笑って、いろんな景色を見て、体感したことのない動きに身を任せて、そんなふうにぐるぐると時を経て。

 回転マシンに乗る前の私と、今の私は、同じじゃない。

 そう思った。


 何度挑戦してもなかなか採用されない社内コンペ。

 だからって、私は、何も変わっていない?

 違う、そんなことはない。

 社内コンペに挑戦するとき私はいつも、できるだけの資料を集めて、クライアントのニーズをたくさん想像した。

 新しいソフトの使い方を覚えたり、先輩に聞いて勉強したり、その時間や労力が無駄だったはずはない。どうしたってやっぱり私はデザインの仕事が好きなのだ。コンペに出すかどうか以前に、単純に楽しかった。その気持ちは、確実に前より強くなっている。それだけでもじゅうぶん前に進んでいるんじゃないかって、やっとそんなふうに思えた。

 

 何かを達成するまでの時間も、努力も、こうやれば予定通りにうまくいくなんて、レシピ通りの計量スプーンみたいにぴったり計ることなんてできない。

 いくつもの経験を重ねながら、気が付いたら手にしているものもあるのかもしれない。ピエロがあのポップコーンの味にたどりついたみたいに。

 だから、今は。

 いろんな景色を、気持ちを、もっと見たい、もっと知りたいと私は思った。

 怖くても不安でも、自分がまだ遭遇していないたくさんのことをわくわくと味わっていったら、涙のしょっぱささえも「ウマイヨ!」って笑えるんじゃないだろうか。


 回転マシンを見上げながら、葵が私の考えていたのと同じことを口にした。

「もう一回行くか!」

 私は迷わずうなずく。

 次は目を閉じたりしない。また何か新しい発見をするかもしれないから。

 私たちは笑い転げながら、風車(ふうしゃ)みたいに力強く回り続けるマシンに向かって走っていった。




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