なつかしいわねぇ、遊園地なんて何年ぶりかしら。
私たちみたいな70半ばの老夫婦がふたりで来たって浮いちゃうかしらと思ったけど、どうやらそんなこともないみたいで安心したわ。
私たちの目の前を、5歳ぐらいの男の子がぱたぱたと駆けていった。
手には、自分の顔ぐらい大きなソフトクリームを持って。
「こら待て、大吾! 走るな!」
後ろからお父さんらしき男性が追いかけていく。
元気のいい親子をほほえましく見ていたら、私の隣で進一郎さんが言った。
「凛々ちゃんと同じぐらいの年かなあ」
きっとそうねと、私はうなずく。
甥の子ども、といったら、何て呼ぶか知ってる?
男の子でも女の子でも「姪孫」っていうんですって。
凛々ちゃんは、進一郎さんの甥っ子、修平君の娘で、つまり私たちの姪孫にあたる。
てっそん。なんだか仰々しくて堅苦しいネーミング。
実際の凛々ちゃんはふにゃふにゃやわらかくて、それはもう、食べちゃいたいぐらい可愛らしいのにね。
お正月に修平君一家がうちにご挨拶に来てくれた。
修平君は遠くに住んでいるからめったに会うことはなくて、前に顔を合わせたときはまだ赤ちゃんだった凛々ちゃんが、歩いたりおしゃべりしたりする姿がほんとうに感動的だった。私たちの娘、尋子の幼少時代を思い出して、胸がきゅーんって音を立てるぐらいだったわ。
はじめのうち人見知りをしていた凛々ちゃんも、私の作ったプリンをおいしそうに食べたあと、にこにことお話ししたり、幼稚園で覚えたという「やさいのダンス」を踊って見せてくれて、私ってば、わけのわからない涙が出てきてしまった。
すてきなものを見ただけで泣けてしまうのって、どうしてかしら。
しばらくして、トイレに行った凛々ちゃんが居間に戻ってくるとき、洋間の前で彼女は足を止めたの。進一郎さんが使っている部屋なんだけれど、扉が半分、開いていたのね。
そこには、定年退職してから進一郎さんが趣味で始めた木工細工がたくさん飾ってあって、それが凛々ちゃんの目に留まったみたい。ふああ、と口を開けている凛々ちゃんに、進一郎さんが言った。
「見るかい?」
「うん!」
凛々ちゃんは満面の笑みを浮かべて洋間に入っていったけど、進一郎さんもいつになくデレデレした顔になっていること、私は見逃さなかったわよ。
進一郎さんの木工細工は、すべて、割り箸だけを使っているというのが特徴。
最初は格子に組んだペン立てや、寄木にしたフォトフレームなんかを作っていたんだけれど、螺旋状に重ね合わせた見事なランプシェードを仕上げたあたりから、まるで天啓を受けたように創作の世界に惹き込まれたみたいね。
だってすごいのよ、割り箸だけで、機関車や飛行機や、東京タワーに神社、お城だって作っちゃうのよ。
もともと手先の器用な進一郎さんは、洋間にこもっては、割り箸をカットしたり削ったり組み合わせたり、ひとりでもくもくとこつこつと、「小さくて広大な」イメージの中で顔を輝かせるようになった。目を見張るような精巧さはもちろんのこと、木のぬくもりを活かしながら、どこかエレガントで気高くて、そしてちょっとした遊び心があって……なんていうかね、ドラマチックなの。
尋子の勧めで地域ギャラリーが募集していた作品展への出品が決まり、進一郎さんの作った金閣寺が新聞で取り上げられて取材まで受けてね。そこからぽつぽつと、お披露目の機会が増えていったわ。
進一郎さんの割り箸アートがひとつずつ完成するたび、私がそれを一番初めに見られることが嬉しくてたまらない。作品を見た人が、まるでおとぎ話の中に入り込んだような驚きと喜びに満ちた表情をしていることが、誇らしくてたまらない。
遊覧船に手を伸ばしかけた凛々ちゃんに、修平君が「さわっちゃだめだよ」と言った。凛々ちゃんはおとなしく手をひっこめて、じいっと目をこらしながら、作品をひとつひとつ丹念に見て回ったわ。彼女の頬は光るように赤くなって、すっかり魅了されているのがわかった。
そんな修平君一家から、来月の連休、またこちらに遊びに来るって連絡があったの。
凛々ちゃんが進一郎さんの木工細工をまた見たがっていると聞いて、すっかり気をよくした進一郎さんが「泊まっていくか?」なんて半分冗談で言った。そうしたら修平君が「いいんですか!」って。もちろん、大歓迎よ。
それなら、泊まった次の日はみんなで遊園地にでも行きましょうって、そんな流れになったのよね。
このあたりで遊園地といえば、山中青田遊園地。
通称、ぐるぐるめ。どうしてだか、みんなにそう呼ばれている。
尋子が子どもの頃は家族で何度か足を運んだけど、今はどうなっているのかわからなかった。遊具が変わっていたり、劣化していたりするかもしれない。凛々ちゃんが安全に楽しめるかしらと、私たちは今日、下見に訪れたの。
心配は何ひとつ、いらなかった。
遊具はきちんとメンテナンスされていたし、園内は明るくてきれい。
大柄なピエロさんに風船をもらって、童心にかえってとっても楽しい。
ソフトクリームを持った男の子が飛び出してきたのは、フードコート。
緑豊かな園の中を散歩みたいにのんびり歩いていて、気が付けばそこに着いていた。
そのとき、
ドーン! ドーン! ドーン!
響いてきた音に振り向けば、あら、さっき私たちに風船をくれたピエロさん。
大きな太鼓は時計になっているのね。
まあ、よく見たらバチは木製のお玉じゃないの。面白いこと。
時計はきっかり12時を指しているから、打ち鳴らしている音は時報なのかもしれない。数えていなかったけどきっと12回の、ドーン! ドーン!
「お昼ごはんにしようか、美佐子さん」
進一郎さんが言った。
そうね、私も同じことを考えていたわ。
私たちはフードコートの中に入り、にぎわう店舗をぐるりと見て回った。
ハンバーガー、ホットドッグ、パンケーキ、ドーナツ、焼きトウモロコシ、ピザ……。
他にもまだまだ、たくさん。
一斉に並んだその楽しいメニューは、どれもこれも、とってもおいしそう。
なんだかこの場所自体がアミューズメントパークみたいだわ。
お料理すること、食べることって、なんて愉快で芸術的なことでしょう。
この遊園地、おいしそうなものがたくさんあって、見てるだけでおなかがすいてぐるぐる鳴っちゃうから、「ぐるぐるめ」っていうのかしら。
私たちはまず、飲み物を注文した。
私はソーダ、進一郎さんはコーラ。
しゅわしゅわの冷たい炭酸、明るい縞柄の紙コップ。
ささいなことだけれど私たちにとっては、普段の生活にはあまり取り入れられない、ちょっとだけ刺激的な非日常。
「何を食べようかなあ」
進一郎さんはゆっくりと考えたあと、焼きそばを選んだ。
あらやだ、私もそうしようと思っていたの。真似するみたいで恥ずかしいけど、ふたりで仲良く焼きそばを食べることにしましょう。
トレイに載せた飲み物と焼きそばをテーブルに運び、私と進一郎さんは向かい合って座りました。
すると進一郎さんは、突然、ぼんやりとこう言ったの。
「プレゼントって、難しいものだね」
進一郎さんが何を言いたいのか、私はすぐにわかったわ。
だって彼は、焼きそばを食べるための割り箸をじっと見つめていたから。
凛々ちゃんに木工細工をプレゼントしたいのよね。修平君一家が遊びに来てくれることになってから、何を作ろうか、ずっとうんうん考えていたのよね。
修平君に「さわっちゃだめだよ」と言われた凛々ちゃんが手をひっこめたときのしぐさを、進一郎さんは気にしていた。凛々ちゃんが思わず作品に触れたくなった気持ちを否定したくないと思ったんでしょう。あの小さな手に取れるようなもの、そんなに慎重に扱わなくても大丈夫なものを贈りたいと。
「5歳の女の子って、何を喜ぶのかなあ。車やバイクでもなかろうし……いや、車でもピンクに塗ればいいのかな?」
進一郎さんは、うううううん、と首をひねりました。
「それともウサギとか。何本も束にしてまとめてくっつけて、彫刻刀で切り出してみるかな……そんなのやったことはないけど」
その悩みっぷりといったらあまりにも深くて、まるで進一郎さん自身がピンクのウサギになってしまいそうだった。
「焼きそばが冷めてしまうわよ、進一郎さん」
私に促されてはふはふと焼きそばを食べはじめた進一郎さんは、なんだかがっくりしたようにこう続けたの。
「尋子が5歳ぐらいのときのことを想像したんだけれどね。なさけないことに、それでも、何がいいのかさっぱり思いつかないんだ。その頃といったら私は仕事が忙しくてほとんど家にいなかったから、尋子のことをちゃんと見ていなかったのかもしれない。美佐子さんにまかせきりで」
まあ、びっくりした。
進一郎さんってば、今になってそんなことで落ち込んでいるの。
そんなことありませんよと急いで否定しようとして、進一郎さんのほうに体を向けたら、私は持っていた割り箸をうっかり落としてしまった。
地面に転がっていく二本の細い木。
いやだわ、お行儀の悪い。新しいものを取りに行かなくちゃ。
私が箸を拾おうとかがみこんだとき、目の前にむくむくと太い指が現れた。
顔を上げるとそこには、あら、ピエロさん。
彼は片手で落ちた割り箸を拾い上げ、もう片方の手をエプロンの胸元から内側に入れた。
「ドウゾ」
そう言って未使用の割り箸を内ポケットから取り出し、私に差し出してくる。
「ありがとう。便利なポケットなのね」
私が受け取ると、ピエロさんはパチリとウインクをした。
「イッショニ!」
え? 一緒に?
ぽかんとしているうちに彼は立ち上がり、すぐそばに置かれた太鼓の載った荷台に手をかけ、大きなおなかをゆすりながら行ってしまったわ。
「一緒に……なにかしら。ポケットにはなんでも一緒に入ってるってこと?」
「外国の方だね。よくわからないけど、日本語を勉強中なのかな。たいしたもんだな、日本語は難しいだろうに」
進一郎さんが感心したようにピエロさんの背を見送って。
私はピエロさんがくれた割り箸を手に、こんなことを思い出しました。
ねえ、進一郎さん。
尋子が私たちにくれた「プレゼント」、あれは嬉しかったわね。
金婚式のお祝いにって贈ってくれた海外旅行。
ツアーで知り合った、結婚3日目の若い奥さんから言われたことを、進一郎さんは覚えているかしら。
「50年もそんなに仲良くいられるなんて、おふたりは運命の赤い糸で結ばれてたんですね」って。
なんてロマンティックなことを言うお嬢さんかしらってちょっと感動しちゃったけど、今思うのよ。
夫婦って、割り箸みたいなものかもしれないわ。
運命の赤い糸かはわからないけど、結ばれてぴったり合わさって「セット」となった私たち。
だけど割り箸が本領発揮するのは、箸袋に収まっているときじゃない。めいめいが独立してはたらくとき。
一対でありながら左右それぞれの役割を得て、離れてはくっついて、だからこそ、お互い助け合うことができるのよね。
進一郎さんがあの頃、私にまかせきりで尋子のことを見ていなかったなんて、それは違うわ。
あなたはどんなに疲れて帰ってきても尋子の寝顔を必ずのぞいていたし、普段忙しいぶん、会えるときの時間をすごく大切にしていた。幼い尋子ときちんと目を合わせて、たくさんの話を聞かせていたわ。
私の体調が少しでも悪いとすぐに気がついてくれたことだって、それだけで私は嬉しかった。
そして私たちの生活を、愛情をもって一生懸命支えてくれた。
私たちはそんなふうに、一緒にあの子を育ててきたのよ。どんなときも。
あなたと、一緒になること。
尋子が私たちのもとに生まれてきてくれたこと。
それが私の人生で神様がくれたプレゼントだった。
プレゼントって、渡したら贈り手の元からなくなるものでしょう?
だからそれでおしまいって思うかもしれないけど、受け取った側にとって、そのプレゼントがまた別のプレゼントを連れてくることもあるのよ。
贈り手が特にそれをあげようなんて意識していなかったような。
たとえば、こんなこと。
あなたと結婚してから50数年、気がつけば周囲がにぎやかになっていったわ。
親が増え、兄弟ができ、娘が生まれ、甥っ子に姪っ子、果ては「てっそん」まで。
不思議よね、結婚って。血のつながらない人と一緒になったのに、家族がたくさん増えていくなんて。
もちろん、いいことばっかりじゃない。
そりゃあ、今までいろいろあったわよ。
ほんとうに、いろいろね。
だけどあなたが私にどんなふうに幸せをくれているのかは、私が決める。
それは、進一郎さんはもちろん神様だって知らないことよ。
「割り箸は、割らなければ、使うことができないわ」
私は、くっついていた割り箸をぱきんと離した。
「なんだか哲学っぽいね」
進一郎さんが笑う。
私はちょっと呼吸をおき、彼に顔を向けた。
「あなたのアートのファンとして言うけれど」
進一郎さんがちょっと真顔になる。
私は思ったままのことを口にした。
「5歳の女の子に合わせなくたっていいんじゃないかしら。だって、凛々ちゃんは、普段あなたが作っているアートが大好きなんだから。その世界がすてきって思ってるんだから。いつもの通りあなたの思うまま、そのままでいいのよ。あなたの作品のどこがどんなふうに素晴らしくて好きなのかは、見ている人がそれぞれ自由に決めるんだと思うわ」
進一郎さんは私の話をじっと聞いていたけれども、やわらかくほほえんだまま、何も言わなかった。
そして焼きそばをゆっくりおいしそうに食べ終わると、コーラを飲んで、あたりをぐるっと見回して、ふう、と満足気に息をついたの。
「……テーブルセット、なんてどうかな」
それは提案や相談なんかじゃなかったわ。
もう、進一郎さんの中では完成しているも同然だった。
私も想像した。
今、私たちが向かい合って座っているテーブルと椅子が、進一郎さんの手によってたちまち素朴な木のミニチュアになって、そこにちっちゃな私とちっちゃな進一郎さんが座っているのを。
「いい。すごく、いいと思うわ」
あなたが作るそのテーブルセットに、凛々ちゃんは誰を座らせるのかしら。
今からもう、うっとりと頬がゆるんでしまう。
進一郎さんが木の箸を重ねるたび、見た人の数だけ世界が増える。
ひとつ、またひとつ。
あなたがこの世に差し出すプレゼントを、たくさんの人が受け取っていく。
そしてあなたのあずかり知らぬところで、また別の何かが生まれていくのでしょう。
私はそんな魔法がかった景色に立ち会いたい。
願わくばあなたと一緒に、これからもずっと。