まったく、ばかみたいに晴れていやがる。
こんな天気のいい日曜日に、なんでオレはひとりで遊園地なんか来なくちゃいけないんだ。
あたりを見渡せば、何やら初々しい若いカップル、仲の良さそうな友達連れ、寄り添い合っている老夫婦……。幸せそうな客ばかり。
日常を離れて、ちょっとした異世界に遊びに来ている人々の笑顔は、今の俺にはまぶしい。
みんな楽しそうでいいよな。
ちきしょう、オレは仕事だよ。スーツにネクタイ締めて、革靴を履いて、ひとりで浮いてる。
キッチン用品メーカーで働く営業マンのオレ。
江上淳、35歳、働き盛りの中間管理職。
この「山中青田遊園地」のフードコートは、以前からうちの会社の大口の取引先になっている。でも担当はオレじゃない。早瀬部長だ。
なのに先週、早瀬部長はこう言ったんだ。
「悪いけど、来週のぐるぐるめの営業、江上くん行ってくれる?」
ぐるぐるめとは、山中青田遊園地の通称だ。理由はよくわからないけど、みんながそう呼んでいる。
遊園地の窓口になっている支配人、岡野さんにアポをとったところ、この日曜日しか対応できないらしい。早瀬部長は顔をにやつかせながら言った。
「その日、娘の誕生日なんだよねえ。ディズニーランド連れて行く約束しちゃってさ」
遊園地に行くなら、ぐるぐるめにすればいいだろ。そのついでに営業してくりゃいいじゃないか。
そう思いつつ、イヤですとは言えなかった。
それどころか、へらへら笑ってこう答えていた。
「いいですよ、オレ、独り身なんでどうせヒマですし。娘さん、お誕生日おめでとうございます。楽しんできてください」
なんでゴマするようなこと言っちゃうのかな。点数稼ぎしたいのかな、オレ。
「よかった。じゃ、田内くんとふたりでお願いね。これから田内くんに担当を引き継がせることにしたから、何度か一緒に行ってるんだ。サポートしてやって」
…………田内。
こめかみが、ぴくんと震えた。
今年入った新人の中で、あいつだけは苦手だ。
遅刻の常習犯、ケアレスミスの担当。まあ、最初のうちはそれも仕方ない、大目に見よう。
オレがヤツを「無理」と思うのは、どんな失敗をしてもへっちゃらすぎるところだ。
社内の人間に叱られても、取引先を怒らせても、いつも「すいませーん」と軽い調子で聞き流し、いっこうに反省している様子はない。
あのスルースキル、どうやったら身に付くんだろう。うらやましいくらいだ。
田内とふたりで営業。気は進まないが仕方ない、仕事だ。
早瀬部長の代わりにオレが同行することを田内に伝え、遊園地前に12時半待ち合わせを決めた。アポは13時だ。
しかし、5分待っても10分待っても、田内は来ない。
おかしいなと思って電話すると寝ぼけた声で「あれ? 今日でしたっけ」と言われた。
「すいませーん、今起きたんで。ハハッ」
…………どうして笑ってるんだい、田内くん。
「もういいよ、オレひとりで行くから」
怒る気にもなれず脱力しながらそう言うと、田内は「すいませーん、助かります!」と明るく答え、あっちから電話を切った。思わずため息が出る。
気を取り直そう。今日、営業をかけるメインになるのは「焼き網」だ。
うちの会社は、調理器具や食器、弁当箱など、食まわりの商品全般を取り扱っている。ぐるぐるめのフードコートから続く緑地にバーベキューコーナーを作る予定だという情報を、我が社がいち早くキャッチしたのだ。
オレは焼き網のサンプルがどっさり入った紙袋を提げ、支配人の岡野さんを訪ねた。
遊園地の奥の事務所にいた岡野さんは、60代ぐらいの小柄な男性だった。
初顔のオレと名刺交換をすると「江上さん。課長さんね」と、どうでもいいふうに言い、ちょっと戸惑ったような顔を見せた。
「田内くんは?」
「あ……。申し訳ございません、急な体調不良で。田内もおうかがいしたかったと大変恐縮しておりました」
オレは田内の代わりに頭を下げる。岡野さんは「大丈夫かな、田内くん。仕事、忙しくて疲れちゃったかな」と心配そうな表情を浮かべ、こう続けた。
「あの子、おもしろいよね。明るくていいよ」
気に入られてんのか、田内。ふーん。
なんだか釈然としない気分のまま、オレは「ありがとうございます」と曖昧に笑ってうなずく。
ともかく、営業だ。
ローテーブルを挟んで向かい合って座り、オレは紙袋から商品を取り出した。
「本日は、こちらの焼き網をお持ちしました」
「焼き網?」
「はい。山中青田遊園地さんで、新しくバーベキューコーナーを設置されるとおうかがいしまして」
岡野さんは「ああ」と言って、少し身を乗り出した。
「こちらですと、軽量で扱いやすいかと思います。もしくは、このタイプでしたら特殊加工で肉などが焦げ付きにくくなっており……」
セールストークを始めたオレに、岡野さんはちょっと手を挙げる。
「ごめん、ここでのバーベキューは火を起こして網を載せるスタイルじゃないんだ。それだと煙がすごいし、炭の用意も大変だし。テーブルの中央にホットプレートを置く穴を作って、電気を通そうと思ってるよ」
「………そ、そうなんですね」
だったら、ホットプレートの営業に切り替えだ。でも、あいにく資料がない。あらためてアポを取り直そうとしたとき、岡野さんが腕組みをした。
「ホットプレートはもう、他社さんがいいのを持ってきてくれてね、それを使おうと思ってるんだけど」
うちよりも早くに情報を得た会社があったのか。
愕然として言葉を失っていると、岡野さんは顎に手をあてた。
「お客さんが楽しい気持ちになってくれるアイディアがないかなあって、ずっと考えてるんだよね。バーベキューしたくなるような、ワクワクするやつ。何か思いついたら教えてよ」
「あ……はい」
奥のデスクにいた女性が「岡野さん、お電話です」と受話器を掲げている。
岡野さんは「じゃ、せっかくだから遊んで行ってよ」とオレに愛想笑いを残し、あっさりと立ち上がった。
「遊んで行ってよ」と言われたところで、とてもじゃないがそんな気にはなれなかった。
まっすぐ帰ろう。
賑やかな園でひとりだけ場違いな自分を恥ずかしく思いながらオレはとぼとぼと歩く。
そのとき、
ドォオオオオオオオオオン!!!!
と、大きな音がした。
突然のことに、オレは飛び上がって驚いた。そちらを見ると、赤白シマシマのエプロンをかけた派手なピエロが太鼓を叩いている。
すれ違いざまだったので、ことさら音が大きく響いたのだろう。
ピエロがバチとして手に持っているのは、木製のお玉だ。
察するに、あれはきっとブナの木から作られている。軽くて丈夫、ナチュラルな木目が美しい。どこのメーカーの商品だろう。
ピエロは今度は、太鼓の縁にお玉をあてた。
カーン!!
ピエロが叩いている丸い太鼓は大きなアナログ時計で、針は1時半を指していた。
時報か。
よくよく見ると、その太鼓が載っているカートはクッキング仕様だ。
庇のフックにぶらさがるフライパン、フライ返し。脇にはガスコンロまで備え付けられている。ここまできたら、このピエロにも営業かけるか。
遠慮なくじろじろ見ていたら、ピエロがオレに向かって両腕を広げた。
「イッパイ!」
「は?」
オレがぽかんとしているのをよそに、ピエロは大きな体を揺らして笑い、カートを押しながらゆっくりと去っていく。
いっぱい?
調理器具がいっぱいあるってことか? もう間に合ってますって?
首をかしげなら歩き出そうとしたとき、ゴーーーッという騒音と共に叫び声が聞こえた。すぐそばに、ジェットコースターがある。
長蛇の列だ。人気のアトラクションらしい。折れながらぐるりとうねっているその列を見て、オレは納得した。
そうか、「ぐるぐるめ」って、こんなふうにぐるぐる巻きになって並ぶほどみんなを夢中にさせる遊園地って意味なのかな。
自分の番を待ちわびている人々を横目に通り過ぎようとして、ハッと足が止まった。
最後尾に並んでいる親子連れの、母親のほう。
彼女の腰に提げられている、あの四角いプラスティックの小箱は、もしかして……。
オレはふらふらと、吸い寄せられるようにその母親に近づいていった。そばにいる娘は小学校中学年といったところだろう。並びながら、テイクアウトのホットドッグをむしゃむしゃと食べている。
列に並ぶふりで彼女たちの後ろに立ち、じっとその箱を見つめた。
間違いない。
昔、オレが担当した、乳幼児用のドリンクホルダーだ。
幼い子どもが紙パックのドリンクを飲むとき、パックの中央を押してしまってストローからジュースがこぼれることがよくある。それを防止するための、パックにちょうどいいサイズのホルダーだ。両脇に取っ手がついているので、そこを持てば飲みやすいように設計されている。
前にいた人々がざあっと前に進んだ。次の番の客が乗ったのだろう。
オレも前を歩く親子の後を追いながら凝視する。
もちろんジェットコースターに興味はない。少ししたら、気が変わったような顔で列から離れればいい。
その母親はオレと同じ年ぐらいに思えた。
ホルダーは緑色で、猫のイラストがついている。
母親は腰に提がっていたホルダーの取っ手をさっと持ち、中に納まっている紙パックのジュースをストローでちゅっと飲んだ。そしてまた、腰に戻す。
オレは息をひそめ、じっとその様子を見た。
この母親は自分で取っ手に紐をつけて、ポシェットのように斜め掛けしているのだ。なるほど、それなら両手が空く。娘が幼いころに使っていたものを、再利用しているのだろう。子どもにそれをやらせたら危ないしこぼすかもしれないけど、大人なら普通に便利グッズになる。なんて頭のいい人なんだ。
よし、開発部にこの話をして、今後は紐がつけられるデザインの工夫を提案しよう。
「お母さん、ゴミ袋ある?」
「うん、ちょっと待って」
母親は布製の大きなトートバッグからビニール袋を出し、娘に渡した。
娘はホットドッグを食べ終わったあとの包み紙をその中に入れる。母親はその間にジュースを飲み干し、ホルダーの中から紙パックを取り出して一緒に袋にまとめた。
そのあと母親は、ホルダーを手際よく折り畳んだ。
そう、そうなんだよ、これのもうひとつすごい点は、折り畳めるってところなんだ。
ぺたんと板状になったホルダーに紐をくるっと巻き付け、彼女はトートバッグにぽんとしまった。
オレはすっかり興奮してしまい、話しかけたい気持ちをぐっとこらえる。
数多く売られているドリンクホルダーの中から弊社の商品を選んでいただいた上、長きにわたりそんなにも素敵にご活用くださり、誠にありがとうございます。
ふと気が付くと、オレの後ろにはもう大勢の客が並んでいる。
親子に心で礼を述べ、その場を離れようとしたとたん、娘が言った。
「そのドリンクホルダーってさ」
ん?
なんだ? そのドリンクホルダーってさ。その続きが聞きたい。
「私はよく使ってたみたいだけど、大吾はあんまり好きじゃなかったよね」
えええ、そうなのか。
大吾って、誰だ。弟か。
母親は首を横に振る。
「好きじゃなかったわけじゃないよ。使おうとしても意味なかったから、私が出さなくなっちゃっただけ」
意味がない? どういうことだろう。
オレはそのまま動けなくなった。母親はなんだかちょっと嬉しそうに言う。
「大吾はねえ、中身が見えないと、これなんだろうって気になってすぐホルダーから出しちゃう子だったのよね。ちゃんとオレンジジュースだよって見せてから入れてもダメ。手品みたいに変わっちゃうと思うのかな。隠れてるとワクワクしちゃうんだろうね」
………そうか。そうなのか。
それなら今度は、中身が見えるようにクリアなバージョンも……。
ためになるなあ、ユーザーの生の声。
「そういえば、さっきお母さんがトイレ行ってるときも、フードコートで私のホットドッグの中身を見たがってパンを開こうとするから、怒って止めたの」
娘がぶうっと頬をふくらませる。
「だって大吾ね、ホットドッグって、パンの中に犬が入ってるんじゃないかっていうんだよ。お父さんが英語で猫はキャットで犬はドッグだなんて話をしたから」
「あはは、ばかだねえ」
「お父さん、ちょっと自分が知ってる英単語があると得意げになっちゃって。お母さんが英語の先生だから普段は太刀打ちできないけど、お父さんだって英語わかるぞって大吾にアピールしようとしたのかも」
母親が笑って語り出した。
「でも、あながち遠くないかも。ホットドッグの中に入ってるソーセージはもともと、ダックスフントソーセージって呼ばれてたらしいよ」
「ええ? そうなの」
「細長くて茶色くて、ダックスフントみたいに見えたんだろうね。調理したばっかりでアツアツだと手づかみできないから、パンに挟んで売られるようになって、どっかの漫画家がそれをまた逆に犬に見立てて作品を描いたんだって。そのタイトルに使われたネーミングが『ホットドッグ』。それでこの名が世に広まりましたとさ。まあ、諸説ありだけど」
ホットドッグ、か……。あの形状を思い出す。
上と下のパンに挟まれた、アツアツのソーセージ。
まるでオレみたいだよな。
ふわふわした上司とノリの軽い部下に挟まれて、ひとりでカッカとアツくなってるオレ。
少し感傷的な気持ちになってうつむいていると、母親が言った。
「そうだ、Hot dogって、スラングにもあるのよ」
「スラング?」
「うーんと、スラングっていうのは、仲間内で言うような砕けた表現」
どうせいい意味じゃないんだろうなと思っていると、並んでいた客がまた一斉に動いた。もう次の番か。そろそろ離脱しないと、オレもジェットコースターに乗らなくてはいけなくなってしまう。Hot dogのスラングの意味は気になるけど。
列からそっと外れようとしたら、若い女性係員が人差し指をちょいちょいと立てながらやってきて、さっとオレに手を掲げて言った。
「はい、次の回のお客さんはお父さんまで。どんどん乗ってくださいね!」
「え? いや、オレは」
この人たちのお父さんじゃありません。
っていうか乗るつもりじゃありませんでした。
オレが言う隙も与えず、係員は急ぎ足で戻っていってしまった。
娘がオレを見て、きょとんとしている。
「………なんか、すみません」
オレは仕方なく、頭をかきながら謝った。いや、オレが謝ることではないんだが。
聡明な母親がオレに笑いかけた。
「よろしければ、ご一緒しましょう」
そのほほえみに、ほっと救われた。それならまあ、乗ってみるか。
「あの、Hot dogのスラングって、どんな意味なんですか」
前に進みながらオレは訊ねる。
母親はニヤッと笑い、親指を突き立てた。
「“やったぜ!”です」
やったぜ?
そうなんだ。案外、いい意味じゃないか。
オレはちょっと嬉しくなった。
止まっているジェットコースターのシートに乗りこみ、安全バーを倒す。
ほどなくして、ジェットコースターが動き出した。
最初はゆっくりと、次第にスピードを上げて。
レーンは爆音を立てながらものすごい勢いで山に変わり谷に変わり、オレたちはその上をなすがままに滑らされていく。
必死で安全バーにつかまりながらも、ふと、おかしさがこみあげてきた。
なんだろう、これは。何やってるんだ、オレ。
まさか今日、ジェットコースターに乗ることになるなんて。
オレの担当した商品を使ってくれている親子のお父さんになっちゃうなんて。
ほんとに人生ってわかんないもんだな。
「イッパイ!」
あの派手なピエロの声が頭に響いてくる。
そうだな、不思議なこと、おもしろいことはいっぱいある。
こんなふうに偶然めぐり合わせたお客さんから、いい意見が手品みたいにぽんぽん出てきたよ。
手品。そういえば……。
「――――手品みたいに変わっちゃうと思うのかな。隠れてるとワクワクしちゃうんだろうね」
隠れてるとワクワクする。そうだ、それは子どもに限らず人間の心理かもしれない。
ぐるぐる回っているオレの脳裏に、ひらめくものがあった。
プラスティックのボウルに、同じくプラスティックの取り皿を何枚も重ねてセットして、カトラリーや調味料も入れ込んで、同じサイズのボウルで蓋をする。
バーベキューセットを玉に見立てた「バーべ球」って、どうだ。
おまけの駄菓子なんかも入れたら、なお楽しいだろう。
使い勝手のいいプラスティック製品は、うちの会社の得意とするところだ。
みんながバーべ球の見えない中身にワクワクするんだ。
蓋を開けて、わあっと喜ぶ笑顔がもう見えるみたいじゃないか。
球の中に入っているものもボウル本体も、あますところなく使えるんだぜ。
いっぱい、いっぱい。
そんなことを考えていたら、オレ自身がワクワク楽しくなってきた。
オレは今日、朝からずっとくすぶっていた。
割が合わない、損してるって、思っていた。
だけど思いがけずこうして使ってくれる人の笑顔が見られて、貴重な話が聞けた今、オレはものすごく得をしたのかもしれない。
今思い立ったこのアイディアを、週明けすぐに会議にかけよう。
アツアツのうちに。
母親と娘が笑いながら大声で叫んでいる。
「キャー!」とか、「すごーい!」とか。
今ならなんでも、叫びたい放題だ。
オレは両手を上げ、力の限りの声を空に放つ。満面の笑みで。
「やったぜ! Hot dog!」