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第5回

5 イベントステージ





ドーン、ドーン、ドーンと、3回、太鼓を叩く音がした。

ヒーローショーを見たいというのは、息子の(だい)()のリクエストだった。

家族4人でイベントステージに来てみたのだが、客席はまばらであまり人がいない。

派手なシマシマ紅白のエプロンをつけたピエロが、客席周りを闊歩している。

さっきの太鼓はこのピエロが叩いたのだ。

調理器具を下げたカートに、時計の針がついた大きな丸い太鼓が載っている。

時刻を見るに、3時の時報だったらしい。

ヒーローショーが始まるのは15時15分とパンフレットに書いてあった。
そのうち客が集まってくるだろうと思いながら、俺たちは客席に向かっていく。

うちの家族構成は、俺と、妻の芳子(よしこ)、11歳の()()、5歳の大吾だ。

遊園地に来て、家族4人が2人ずつに分かれて行動するにはちょうどいい。

さっきも、俺と大吾がフードコートでのんびりしているうち、理穂は芳子と一緒にジェットコースターに行っていた。

「ヒーローショーって、何やるんだろ」

理穂は興味なさそうについてくる。

小学5年生のお年頃は、もう、こんなものはガキっぽく感じるのかもしれない。仕方なくつきあってやるという様子がありありだった。

「一番前の席がいいなあ!」

大吾がはしゃいで観客席に走っていった。自由席なのでどこでもいいようだ。

ピエロの前を通り過ぎるとき、すれ違いざま、

「ワラッテ!」

と言われた。

はあ。

笑って?

「あははははは!」

俺はピエロに笑って見せる。

ピエロも大きなおなかをゆすって笑った。

外国人であろう彼は、朝、回転マシンの前でポップコーンを配っていたピエロだ。大吾もポップコーンをもらって、おいしいおいしいと言って夢中で食べていた。

「ピエロさーん、さっきはありがとう!」

大吾が、ピエロに手を振る。

ピエロはにいっと、ぺったり赤くペイントされた口角を上げ、カートにつけられていた風船をひとつ、大吾に渡した。

糸がつけられた風船はふわりと浮かんでいる。大吾は手に持ちたがったが、こんな小さい子どもではうっかりすぐに離してしまうだろう。

風船が飛んでいかないように、俺は大吾の腕に風船の紐を一周させて結わえた。

大吾はそれがすごく気に入ったようで、何度も腕を上下させて喜んだ。

そして自ら客席の最前列まで行って座ると、足をぶらぶらさせながら言った。

「ねえ、おやつ食べたい。3時だよ」



俺はちょっとあきれて笑った。

「本当に食いしん坊なヤツだな。ポップコーン食べて、ソフトクリーム食べて、姉ちゃんのマネしてホットドッグ食べたじゃないか」

大吾は聞く耳を持たず、芳子に顔を向ける。

「お母さん、さっきドーナツ買ってたでしょ。あれ食べたい」



芳子が苦笑しながら、トートバッグの中から紙袋を取り出した。

フードコートでテイクアウトしていたのを、大吾はしっかり見ていたのだ。



芳子はペーパーナプキンにドーナツを挟み、大吾に渡す。

苺のチョコレートがかかったドーナツにかぶりつきながら、大吾は穴をのぞいた。

「どうしてドーナツには穴があいてるの?」

芳子はすっと答える。

「説はいろいろあるけど、揚げやすいからっていうのが一番でしょうね。あとは、わっかの形、楽しいでしょ。それも大事なことよ」

そこで彼女は、ふふふと笑い、こう続けた。

「でも、穴のあいていないドーナツもあるでしょう。ねじってるのとか、ボールとか。ドーナツは穴があいているものって、決めなくてもいいのよ」

さすが教師だ。

芳子は本当に、なんでもすらすら答えられるんだな。すごいな。

彼女に質問すれば必ず答えが返ってくる。しかも補足説明つきで。
賢くてユーモアがあって、しっかり者で。まったく俺には太刀打ちできない。

芳子みたいな母親がいる子どもたちにとって、俺は父親としてへなへなで頼りない男なんだろうな。

たとえば、大吾のしめった手ににぎりしめられているペーパーナプキン程度の。

ドーナツの甘い匂いを嗅いでいたら、遠い昔のことを思い出した。

新婚旅行で芳子とアメリカに行ったときのことだ。

中古レコード屋で見つけたシングル・レコード。

「ドーナツ盤」ともいうんだよなって話しながら、あれこれ手にして楽しんだ。

俺はそのとき、一枚のドーナツ盤を芳子にプレゼントしたんだ。

ハネムーンの想い出にって、エルビス・プレスリーの「ラブ・ミー・テンダー」を。

家にはレコードプレイヤーなんかないのに、つくづくばかな話だ。

だけど芳子は「いいの、私にはちゃんと聴こえるわ」なんて、まあ、新婚さんの甘い会話ってことで、俺の中ではスイートな記憶になっている。

ラブ・ミー・テンダー。

情けないことにテンダーの意味がうろ覚えだった俺は、そのとき芳子に教えてもらった。

「優しい」とか「思いやりがある」ってことだ。

結局、俺はあのレコードを聴いたことはない。たぶん芳子も。



ほどなくして、明るい音楽が聴こえてきた。

ステージの上に着ぐるみのキャラクターが2人、登場する。

この遊園地のオリジナルキャラだ。犬とウサギ……であろう。たぶん。おそろしくダサい。

「みなさーん、こんにちは!」

ふたりは客席に両手をぴろぴろと振り、声を揃えた。

「山中青田遊園地へようこそ!」

彼らの胸元には、カタカナで名前らしきものがフェルト地で貼られていた。

半ズボンを穿いた犬が「ヤー」、耳にリボンをつけたウサギが「アー」だ。

山中のヤー、青田のアー。ネーミングもはなはだ芸がない。

いい天気だねとか、遊園地は楽しいねとか雑談をしながら、ヤーが言った。

「最近、僕たちのことをおどかしたり、いたずらばっかりしてくるキーキー族っていう集団がいるんだ」

「こわいわねえ」

アーも身震いしている。

そこに、合図のように「ババーン!」という効果音が鳴り、ステージの端から今度は猫の着ぐるみが登場した。

青いボディースーツと赤いブーツ。あきらかに、正義のヒーローだった。

「困っている人の力になりたい、ぐるにゃん戦士だよ!」

山中青田遊園地が正式名称のこの遊園地は、みんなに「ぐるぐるめ」と呼ばれている。

その理由がいまいちわからなかったのだが、そうか、「ぐるにゃん戦士」から来てるのか。

……いや、待てよ。このヒーローっていつからいるんだ? まだ新しいよな。

ひょっとして、みんなが「ぐるぐるめ」って呼びだしたから後付けで生まれたのか。

だとしたらすごい話だな。大衆の声がヒーローを生むなんて。

しかしそのあとのステージは、なんとも退屈な展開だった。

3人がぐだぐだとゆるい話をしているうち、最初はまばらにいた客が、ひとり、ふたりと席を離れて行く。

「私、もうプール行きたい」

理穂がごねだした。

このイベントステージが終わったら、園内のプールに行こうと話していたのだ。

トートバッグに入れた水着を早く着たいらしい。

ちらっと、芳子が俺を見た。俺はその目に合図を読んだ。彼女たちだけ先に行くという提案なのだろう。

あたりを見回すと、客席にはもう、ごく少数しかいなかった。

最後列でイチャイチャしてるカップル、端っこで座ったまま眠りこけているおっさん。

あとは、最前列の俺たち4人。

もはや、このステージは俺たち家族のために上演されているといっても過言ではない。

こんな目の前でまたふたり離脱していったら、彼らはどれだけ心が折れるだろう……。

きっとがんばって練習してきただろうに。

「……ちょっと、待ってな。もう少し見てからにしろ」

俺が阻止すると、理穂は唇を尖らせながらもステージに顔を向けた。

舞台の上では、猫とウサギと犬がわちゃわちゃと話している。

「ぐるにゃんは戦士なの?」

「そうだよ!」

「あのね、僕たちのことをおどかしたり、いたずらばっかりしてくるキーキー族っていうやつらがいて、困ってるんだ」

「ようし、まかせろ!」

そこに突然、「キー!」という雄たけびが聴こえた。

ステージの両脇から、揃いの黒マスクと全身黒タイツの奴らがふたりずつ現れ、ぐるにゃん戦士たちを威嚇する。

弱そうだが気味悪くはある。なかなかのインパクトだった。

「出たな! キーキー族のキーキーマンたちめ! 僕が許さないぞ!」

ぐるにゃん戦士は勇ましく戦いのポーズを取る。

するとキーキー族は二手に分かれ、客席に降りてきた。

右側と左側で、本来ならいると思われた客に向かってキーキー驚かせるつもりだったのだろう。

しかしステージ付近の客は俺たち家族4人しかいない。

最後列のカップルのところまで行ってわざわざ邪魔するのも、寝ているおっさんを起こすのも得策ではないと踏んだようで、遠くまではいかず近くで騒いでいる。

「キー!」

ひとりのキーキーマンが、両手を大吾のほうに広げた。

その瞬間、大吾が「あっ」と叫んだ。

腕に結わえてあった風船の紐が外れてしまったのだ。

とっさに、キーキーマンは軽くジャンプし、風船をキャッチした。

お見事だった。思わず家族4人、おおー!と歓声を上げてしまったくらいだ。

大吾は「うわあ、ありがとう」と風船を受け取る。

俺はなんだかほほえましい気持ちになった。

キーキーマンの「中の人」の素が、思わず出ちゃったんだな。

見えないけどわかる。あの黒マスクの下は、きっと笑顔だっただろう。

しかし今、彼はキーキーマンである。

ステージに戻ると、ぐるにゃん戦士に向かって「キー!」と怪しい動きを見せながら近寄っていった。

「とぉーっ!」

ぐるにゃん戦士が彼に向かって飛び蹴りをしかけた、そのとき。

「やめて! けらないで!」

大吾が大声で叫んだ。

思わず、俺たち家族も、

ぐるにゃん戦士も、キーキーマンも、ヤーもアーも、

ぴたっとフリーズした。

世界が止まった。

物語が止まった。

理穂があわてて大吾をたしなめる。

「やだ、ちょっと大吾。あれは悪いヤツだからやっつけないと……」

大吾は涙ながらに訴えた。

「悪くないよ。あのキーキーマンは、ぼくの風船を取ってくれたよ、いい人だよ!」

それはそうだけど、と理穂は口ごもる。

ぐるにゃん戦士たちはシンとして動かなくなってしまった。

「ぐるにゃん戦士はどうしてあの人をけってもいいの? それは悪いことじゃないの?」

俺はハッとして、息をのんだ。

芳子も黙って、真剣な表情で大吾を見ている。

理穂が真っ赤な顔をして言った。

「やだ、もう。私、やっぱりもうプール行ってるね。恥ずかしい」

俺はぼそりと低い声でつぶやいていた。

「恥ずかしくないぞ」

理穂がこちらを見る。俺はしっかり理穂に向かって言った。

「恥ずかしくなんか、ない」

すると理穂は何か突かれたように真顔になり、浮かしかけていた腰を椅子に降ろした。

少しの間、棒立ちになっていたぐるにゃん戦士が、突然バッと両腕を顔の前でバッテンにした。

「よーしっ、ここからは、ぐるぐるで勝負だ!」

ぐるにゃん戦士は、ぐるっと一回、バク転した。

「すごい!」

大吾が目を丸くしている。

ぐるにゃん戦士は得意気に笑った。

「僕は猫だから、お手の物さ!」

なるほど、たしかに。

初めからそういう台本だったのか、この不測の事態にぐるにゃん戦士がアドリブを利かせたのか、そこからの「戦い」は互いのパフォーマンスの披露会だった。

ぐるにゃん戦士がバク転し、キーキー族が側転し、ステージはぐるぐるとアクターたちが回り続ける目を見張るような楽しいショーになっていた。

どちらもすごい。俺は大きく大きく拍手した。

いいぞ、ぐるぐるめ!!

素晴らしいステージだ。それぞれの技を競い合う、こんな切磋琢磨な「戦い」を見せてくれるなんて。

アップテンポな音楽に合わせてヤーとアーが踊り出し、いつのまにか、観客が増えていた。

おっさんは目を覚ましてステージを観ているし、カップルも手を叩いている。

気が付けば、ステージのすぐ下でピエロもくるくると腕を回している。

笑って。笑って。笑って。

音楽がだんだんスローになり、キーキーマンたちは疲れた仕草で座り込んでいった。

ぐるにゃん戦士がひときわ大きなバク転を決め、ジャン!と大きな効果音が響く。

ヤーが嬉しそうに叫んだ。

「勝負あり! キーキー族はもう、いたずらはしないって言ってるね!」

ぐるにゃん戦士はうなずき、明るく言った。

「でも、キーキー族のぐるぐるもすごかったよ。そのパワーを、みんなで楽しいことに使えたらいいね!」

大きな拍手の中で、ステージは幕を閉じた。

風船を取ってくれたキーキーマンが、去り際に、大吾に向かってことさら大きく手を振っていた。



ぼうっと拍手をしたまま、理穂がぽつんとつぶやいた。

「……正義のヒーローは、悪者に暴力をふるってもいいのか……。どうなんだろう?」

それを聞いて、芳子が理穂に穏やかに言う。

「それはまず、正義とは何かというところから考えなくちゃいけないわ。理穂は、どう思ったの」

「私は、よくわからない。だって、今までそういうもんだと思ってたし」

うつむきがちにそこまで言って、理穂はぱっと顔を上げた。

「でも、ちゃんと考えてみたいなって思った」

芳子は片腕で理穂をぎゅっと抱き寄せる。

「それが今の理穂にとって、一番素晴らしい『答え』よ」

客席を立ち、大吾は風船を揺らしながら小走りに会場を出る。

理穂もプールに行きたくて少し早足だ。

子どもたちふたりの背中を見ながら、俺は芳子に言った。

「ああいう答え方もあるんだな。芳子はなんでも正解をぱっと出すんだと思ってたよ」

芳子は首を振りながら笑った。

「何言ってるの。この世の大半は、正解のない問いばかりよ」

そうして満足そうに、愛おしそうに子どもたちを見た。

肩を並べて歩いていると、不意に芳子が言った。

「ねえ、大吾って、あなたに似てるわよね」

「え、そうかな」

イヤかな、俺に似たら。内心そう思っていると、芳子は俺を見上げてほほえむ。

「うん、似てる」

「どんなところが?」

「だって、持ってるじゃない。中心の軸がブレない、優しさいっぱいの愛」

そう言って芳子は、子どもたちを追うようにして俺の前を歩いていく。

風に乗ってふわりと、芳子から「ラブ・ミー・テンダー」の鼻歌が聴こえてきた。


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