幼稚園の卒園アルバムを開いてみたら、将来の夢の欄に「じてんしゃやさん」と書いてあった。他の幼稚園をよく知っているわけではないが、私が通っていた幼稚園はやたらイベントが多かったように記憶している。お遊戯会、流しそうめん、おいも掘り、運動会やクリスマス会も盛大で、ハロウィンには先生たちが作ったお化け屋敷を探検するなんてこともあった。それぞれの行事は写真で記録されるのはもちろん、映像としてVHSに残されている。
最初に書いたとおり、私は卒園するにあたって将来の夢を聞かれ「じてんしゃやさん」と答えた。卒園記念のVHSでも、黄色い園服を着たすきっ歯で三つ編みの私は、子どもらしく「ケーキやさん」「ポケモン」と答える他の園児たちに混じって、アルバムに書いてあるのと同様に「おおきくなったら、じてんしゃやさんになりたいです」と答えている。
ところで私は自転車が嫌いだった。ならばなぜ、自転車屋さんになりたかったのか。
年長さんになるころ、私たちには少しずつ「能力の差」というものが生まれ始めた。かけっこが得意な子とそうではない子とか、ひらがなが書けるとか書けないとか、みんな同時に“よーいどん”で始めたはずのことに、私たちは少しずつ個人の素質のようなものを感じ始めていた。幼い私は、早くも自らにピアニカの才を見出していた。秋の運動会(正確には“秋のたいいく大会”)に向け、先生の采配で「鼓笛隊ピアニカ班」に配属された私は、与えられた自分の担当曲をものの数回の練習で暗譜した。
そしてそれだけでは飽き足らず、他の園児の楽譜を盗み見ながら自分の担当外の曲も弾きこなすという天才ぶりを発揮する。先生たちは私を「神童」ともてはやし、気分はさながら本牧のモーツアルト。えっちらおっちらと練習している他の園児たちを横目に、私は自分が特別であるという優越感に浸っていた。足の速さはそこそこで、ひらがなも読め、おいも掘りでは特大のサツマイモを掘り当てたうえに、お化け屋敷でもビビらなかった。私にできないことはない。当時の私はそう思っていたはずだ。
しかし、そんな私にもある日、大きな壁が立ちはだかる。万能感に酔う私が目の当たりにしたのは、補助輪の取り外された自転車で、縦横無尽に走り回る男児たちの姿だった。
大川タツキ。私は彼のことを鮮明に記憶している。私たち年長で、最初に補助輪が外れたのは彼だった。彼は抜群に運動神経が良く、かけっこはいつも一等の活発な男児だった。
ある日の幼稚園がおわり、私は迎えに来た母と帰路に着いていた。門を出て一本道をトコトコと歩いていた私は、突然背後からやってきた「なにか」に凄まじいスピードで追い越されるのを感じた。走り去るそれが起こした風によって自分の三つ編みが大きく揺れ、ハッとして前を見ると、一足早くに帰ったタツキ君が、補助輪のない自転車にまたがって凄まじいスピードで小さくなっていくではないか。なんだあれは。一体なにが起きたのだ。
大人になってからしみじみ思うが、大人がママチャリを本気で漕いでもあれほど早く走ることはできない。あのなんの恐れも知らない自転車の速度は、競輪選手かなにかにならないかぎり子どもにしか与えられないものである。ふたつしかないタイヤで、あんなに速く走れるなんて。私は身も心も彼に追い抜かされたように感じてひどく悔しくなった。そして、私もあんなふうに走れるようになりたいと強く思った。
私は家の近くの大きな公園で特訓を始めた。おじいちゃん曰く、大事なのは前をまっすぐ見ることと、怖がらずに思いきり漕ぐこと。ためらっておそるおそる漕いだほうがかえって倒れやすく、タツキ君のように勢いよくスピードに乗ったほうが安全だというわけだ。そんなことを言われても最初から上手くいくはずもなく、私はおじいちゃんの手が自転車から離れるたび何度もよろよろと転倒した。「絶対に離さないでね」と念を押して数メートル進んでみる。この調子ならいけるかもしれないと振り向いてみると、おじいちゃんはとっくに手を離して後ろのほうで満足げに仁王立ちしていて、それに気がつくと怖くなって、また逃げるように横に倒れた。離すなら離すと言ってくれ。
結局、私は卒園までに補助輪を外すことができなかった。みんな次々と自転車を乗りこなしていく。私だけができない。悔しい。でも怖くてもう練習もしたくもない。にっくき自転車。どうにかして自転車に勝つ方法はないかと、膝のかさぶたをいじりながら考えた。
ひらめいた。じてんしゃやさんになればいいんだ。
自転車に乗ることができないなら、自転車を支配してやれば良いのだ。たくさん自転車を集めて、自転車が私に逆らえないようにしてやろう。私は、おおきくなったらじてんしゃやさんになろうと心に決めた。映像の中の私の目は光を失っている。我ながら、なんてかわいげのない思想に至ったのだろう。
その数か月後、私はあっさり自転車に乗れるようになった。しばらくして、調子に乗って坂道を駆け下りる途中、タイヤが滑って激しく転んだ。顔面をすりむき足を骨折し、またしばらく自転車が怖くなった。28歳の今となっては、最後に自転車に乗ったのがいつだったか、思い出すことすらできない。にっくき自転車。もうあの速さで漕ぐことはないだろう。
私はまだ、じてんしゃやさんになっていない。右眉の上には、いまだ傷が残っている。