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第2回

【変な奴やめたい。2】本番に弱いのやめたい

 かけっこの途中、靴が脱げて転んだ。幼稚園の運動会でのことだった。いつも履いている運動靴だったなら、きっとこんなことにはならなかっただろう。私の幼稚園ではなぜか、運動会では上履きを履いて参加することが決められていた。室内で履いている上履きをそのまま外で履くわけにはいかなかっただろうから、履いていたのはその日のために用意された新品の上履きだったと思う。カーブを走る途中で、自分の足より少し大きい上履きのかかとがカポッと外れた感覚がして、そのまま勢いよく砂利の上に膝をついた。恥ずかしい。こうなってしまうともう立ち直って走る気力も湧かない。それでも、応援してくれる先生や保護者たちの前でふてぶてしくレールを外れる度胸もなく、私はけなげに立ち上がって、はにかみながら脱げた上履きを手に持ち、小走りでゴールを目指した。

 私には、ここぞというときに失敗する癖がある。さっきの運動会の失敗には「靴が違った」というそれなりの理由があったものの、それ以降の人生でも、私は懲りずに失敗をし続けた。おそらく、私はわりと早い段階で「自分は失敗する側なんだな」と察していた。

 中学校で入部した吹奏楽部では、目立つ曲がほとんどないチューバという楽器を選んだ。「どうせ失敗するのだから、あまり目立たない楽器にしよう」と考えたうえでの選択だったのかは分からないが、年に一度の運動会中に大勢の前で転んで、しかもそれが多くのビデオに記録として残されたという事実は、私が思っているよりもずっとその後の人生に影響していたのではないかと思う。大半の人にとってはチューバという名前には馴染みがないとしても「ゾウさんの足音を出す楽器」と言い換えれば、おそらく多くの人には想像がつくだろう。華やかに飛び回るフルートや、輝かしいトランペットのメロディーのうしろで、私は3年間、ひたすらボンボンとドスの利いた4分音符を刻み続けた。

 そんな具合で普段は目立たず人気のないチューバ隊にも、メロディーを演奏するチャンスがときどき巡ってくる。ディズニーソングのメドレーや伝統的なマーチには、短いながらも低音楽器の見せ場といえる箇所が設けられていることがある。

 チューバをはじめ、普段は「縁の下の力持ち」と呼ばれているバスパートの楽器たちは、メロディーを与えられると妙に張りきりだしてしまうところがある。張りきるのだが、張りきっているというのをフルートやトランペットの連中に気づかれたくないので、表向きには「音たけぇー(笑)」「連符だりー(笑)」みたいなリアクションをする。そして「うわこれむず!(笑)」とか言いながらわざわざ廊下に出てドヤ顔でその箇所を練習する。

 同じバスパートでも、バスクラリネットやバリトンサックスは曲の編成によって普通のクラリネットやアルトサックスに持ち替えることもあるゆえに、バスパートにメロディーがあってもそれほど浮足立ったりせず、粛々とこなすことができる者も多い。しかしチューバやコントラバスのような“真の縁の下”にいる者たちは、与えられたメロディーに対して、まるで男子校に女子がやってきたように香ばしく浮かれてしまうのだ。中学生チュービス私も例にもれずその病にかかっており、ほんの少し目立てるフレーズがあるだけで「やれやれ」とこれ見よがしに頭を搔いていた。

 中学三年生、卒業を間近に控えた私は、最後のスプリングコンサートでついにソロを任された。任されたと言っても、それは卒業する我々三年生の記念として「卒業生ひとりひとりに見せ場を作ってやろう」という、顧問の配慮ある選曲から生じた機会である。私のソロがあるのは「坂本九メドレー」のなかの「ステキなタイミング」という曲の部分。全く知らない曲。それでもたったひととき、観客全員の視線が自分に集まる場面を想像するとワクワクが止まらない。譜面のsoloと書いてある部分を意味もなく鉛筆で囲んで原曲を聞き、何度も練習を繰り返した。それほど難しいフレーズではない。絶対に成功させる。そんな気持ちで本番の日を待った。

 当日の体育館は部員の家族や同級生で満員だった。他の卒業生たちが次々とソロを演奏し、いよいよ私の番がくる。ソリストは、ソロの箇所になると席を立って指揮者の横に立たなければならない。マーチング用でもないチューバを立って演奏するのはなかなか難しい。坂本九メドレーが始まり、私のソロパートが近づいてくる。遮光カーテンで真っ暗になった昼間の体育館でドラムが鳴って、それを合図に私は席を立った。

 スポットライトの当たっている場所に向かうにつれ、鼓動が速くなって耳鳴りがする。最初の音はなんだっけ、頭が真っ白になった。あんなに練習したのになにも思い出せない。軽いパニックになりながら指揮者の横に立って、息を大きく吸い込んだ。一番初めの音を吹こうとしたが、唇が上手く震えず、すかしっ屁のような音が出た。練習場の狭い教室で十分に響いていた音色は、大きな体育館に変わった途端、目の前の床に次々と落ちていき、私の十数秒の晴れ舞台は、訳が分からないまま終了した。放心状態のまま席に戻り、その後もしばらく呆然としていた。

 いつもこうだ。去年の文化祭のステージでフランクフルトの着ぐるみを着たときもそうだった。体育の先生に「ホットドックとフランクフルトどっちが好きですか」と質問して「ホットドック」と返されたとき、私は数秒、間を空けて「親の代まで呪いますよ」とツッコんでしまった。私は「孫の代まで呪いますよ」と言いたかったのに。なんども頭の中でシュミレーションしたのに。どうして大事なところで言い間違えたんだ。プレッシャーに弱い。準備したことほど、ここぞというところで外す。普段のテンションが低すぎて、多少興奮しただけでも頭が沸騰してしまうのだ。どうせ間違うんなら、準備したって意味がない。それならばと、私は準備を辞めることにした。準備したことほど失敗が恐ろしくなるのなら、最初から準備しなければいい。

 私が生み出した「準備しない作戦」は行き当たりばったりで発想する自分の性格によく合っていたようで、とくに人前でマイクを使って話すプレゼンなどの場でよく役に立った。もともと緊張が顔に出にくく口調がゆっくりとしているのもあって、思いつくままに話していると周囲は私を「自信がある人」のように錯覚してくれる。なんでも「それっぽく聞こえる」話し方のおかげで、私の発表はだいたい評価してもらえるようになった。ただ、やはり準備せずになんとなく喋っているせいで、本当に言いたかったことはたいてい言えないまま終わってしまう。だからといって、本当に言いたいことを決めて準備しておくと、今度はそのことばかりが気になって他がダメになる。結局今日までずっと、そういう“なんとなく”をやってのけているような感じがする。

 唯一、文章を書くという行為だけが私をそこから救い出してくれる。文章は何度も書き換えられるし、いくら時間がかかっても良い。文章は本番に弱い私にとって、たったひとつ味方をしてくれる表現なのかもしれない。せめて文章だけでは、本当に言いたいことを書いていこうと思う。なんども書いたり消したりを繰り返していたら、今日もこんな時間になってしまった。

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