
ロンドンでは、お友達の上白石萌音ちゃんのホテルに泊めてもらっていた。
彼女が舞台「千と千尋の神隠し」の上演のためロンドンに行くことが決まった時、「え〜便乗しちゃおうかな」「おいでおいで」とゆる〜い会話は交わしていたが、とはいえイギリスだ。まさか本当に来るとは思わなかっただろう。
どこを切り取っても素敵なロンドンの街並みを二人で歩きながら「信じられない…うちら本当にロンドンにいるんだね…」と、いつまで経ってもフワフワ夢見心地な日々であった。
Liverpoolを旅をした後はbathという温泉地帯にも一人で訪れていたのだが、毎日観光地を歩き回ったおかげで旅は始まったばかりというのにわたしの足はパンパン。
「足がしんどすぎて夜眠れないんだよね」と話すと、常軌を逸するレベルで毎日舞台中を走り回っている彼女が筋膜をリリースするフォームローラーや足裏をマッサージするボールなど様々なギアを貸してくれて事なきを得た。何から何までありがたい…
疲れが出たらその日のうちに処理しておくことの重要性と、萌音ちゃんの水筒を洗ってあげると等価交換として日本食を振る舞っていただけるということをこの旅で学んだ。またいつでも洗わせて欲しい。

そしてなんと言っても舞台、千と千尋の神隠し。
帝国劇場での公演を見た時も大大大感動したのだが、ロンドンコロシアムで見る千と千尋はちょっと別物と言ってもよかった。お客さんは終始大爆笑、幕間前にはスタンディングオベーションで、もう超〜〜〜大盛り上がり!
ステージ上には草木の装飾が施してあり、始まる前から物語の世界に誘ってもらっているようだ。
舞台やライブは全員で作るもので、やはり生き物なのだなと感じる。
友人として、日本人として、なんとも誇らしく贅沢な瞬間を味わわせてもらった。
そしてロンドンの舞台はお酒や軽食をつまみながら観る人が多く、わたしもビールやおにぎりを食べながら観劇。
値段設定も舞台や席や日によって大きく異なるのが面白い。もちろん円安も相まって高いものはとーっても高いのだが、グローブ座という野外劇場で見た3時間超えのシェイクスピアは3000円だった。
イギリスの美術館も予約さえすれば基本的には無料の場所がほとんどだ。美術館に座り込んで、先生の話を聞いている小さな子供たちの姿を見ていると「私たちが課外授業で古墳見に行ってた時、この人たちダヴィンチ見てんだもんな…」とかどうしても思ってしまう。(古墳も好きですが)
幼い頃から日常的に良質な芸術に触れられる、間口の広い環境が素敵なアーティストを今も数多く輩出しているのだろうと身に染みて感じる日々だった。

そして滞在中のある日、事件は起きた。
なんと萌音ちゃんのお知り合いである原田マハさんが千と千尋を観劇するタイミングで、
ナショナルギャラリーを案内していただけることになったのだ。
わたしがマハさんの作品に出会ったのは高校生のころ。司書の先生と仲良くなり図書委員になった私は、あの時期小説の世界に一気にのめり込んでいた。そんな時ルソーの表紙絵に惹かれてふと手に取ったのが『楽園のカンヴァス』。
元々ニューヨーク近代美術館(MoMA)にも勤務しておりキュレーターもしていたという小説家としてかなり珍しい経歴をお持ちのマハさんだからこそ、美術を主軸にした作品を次々と生み出されている。そんなマハさんに美術館を案内してもらえるなんて。
……夢?
朝モネちんを起こして(よく寝る)二人で待ち合わせ場所へ向かうと、
夏のヨーロッパのカラッとした気候そのもののような気持ちの良い方が待っていた。
マハさんと一緒にフランスで「ECOLE DE CURIOSITES」というブランドをされているハンスさんも一緒だ。
二人とも壁を全く感じさせない素敵な方で、話すたびにときめいてしまう。
ナショナルギャラリーに到着すると「全部見ていると何時間あっても足りないから今回は点数を絞って鑑賞しましょう」とマハさんに提案してもらった。そして、「ただ純粋に絵を見て綺麗だな〜と感動するのも良いけど、美術館や作品ができた背景を知ると、より絵画を見るのが面白くなるよ。」とのこと。
ナショナルギャラリーは昨年200周年の節目を迎えたが、他の美術館と比べて貯蔵している絵画の数はそこまで多くないらしい。一方青田買いをすることも多く、まだ評価されてない作家たちの作品を先見の明を持った審美眼のある人が安値のうちから買っておくのだとか。
“ナショナルギャラリーにある“ということで箔がついていくのだろう。
誰かの想いや働きによって、今この絵が自分の目の前に飾られているということを考えると、平面の絵がどんどん立体的になっていくような気分だった。
まず一つ目の作品は、レオナルドダヴィンチの「岩窟の聖母」という宗教画。ダヴィンチの描く絵には中心が決まっており、背景をぼやーっと青みがかったように描いたのはダヴィンチの功績なのだとか。話を聞きながら彼が後の作家に与えた影響力の凄まじさを改めて感じる。(他の展覧会には持っていくこともできない、暗闇に置かれたダヴィンチのフラジャイルな下書きの絵も必見だ。)
余談だがパリのルーブルへ行った際も、「岩窟の聖母」と同じ絵が飾られていてびっくりした。調べてみると注文者とのトラブルによってダヴィンチが同じ構図で描いた作品とのこと。短期間で数々の美術館を回るとそんな発見も楽しい。
そして目玉であるゴッホの「ひまわり」を見ながら萌音ちゃんに、「あれ、わたし見たことあるんだよな〜。こういうのって日本にくる時はナショナルギャラリーから持ってきてるってことなんかな」とか話していたら、なんとひまわり、世界に7枚も存在していた。そんなにあるんだ。
お次はルソーの「熱帯嵐の中のトラ」。ルソーはマハさんに出会ったきっかけにもなったアーティストなので感慨深い。MoMAで「夢」を見て一人大興奮したことを思い出す。
そして萌音と見るモネ「睡蓮」も格別であった。絶対にモネの庭で生睡蓮を見ようねと熱く誓いを立てる。
また、オランダ絵画ゾーンでの話も非常に興味深かった。
オランダは貿易で栄え市民も裕福になったことから余裕が生まれ、街の絵だったり市民の絵だったり何でもない日常を切り取ったものが多くなったのだとか。
そしてうなぎの寝床のような窓のない暗くて細長い家が多かった為家を明るくしたいという理由で華やかな絵を飾ることが多かったそう。
宗教絵はどうしても厳かな感じがして背筋が伸びるのだがこういう絵のゾーンに来るとホッと安らいだような気持ちになれる。
自分が生まれるよりずっとずっと昔に描かれた絵画が今、自分の前にあるという奇跡。
絵画を目の前にすると「“あー、大丈夫だ“と思う」とマハさんはおっしゃっていた。
誰かの想いや、誰かの見た風景が絵になり、時を超え、また別の誰かにふと出会って心を振るわせ、記憶の中に大切にしまわれたり、また新しい作品へと繋がれていく。
音楽もきっと同じだ。
好きな曲を聴いている時、遠い遠い国の、顔も知らない誰かと”あ、繋がっている。”と無性に、でも確かに思えることがある。
だから、芸術というものは人の心をこうも打つのだろう。
また何度でもこの絵たちに会いに来よう、と心から思える宝物のような美術体験だった。


(イラスト/藤原さくら)

藤原さくら(ふじわら さくら):1995年生まれ。福岡県出身。シンガーソングライター。天性のスモーキーな歌声は数ある女性シンガーの中でも類を見ず、聴く人の耳を引き寄せる。ミュージシャンのみならず、役者、ラジオDJ、ファッションと活動は多岐に亘る。interfmレギュラー番組「HERE COMES THE MOON」(毎週日曜24時~25時)にてDJを担当。