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第1回

【さくらのひとやすみ #1】お暇

2024年、夏。お暇をいただきヨーロッパに行くことにした。

この連載は、とにかく軽やかに、時に雑に、休息の素晴らしさについて語らう連載にしていきたいとは思っているのだが、序章は、少々重い話になりそうである。しかし、それが「休め、いいから早く」というメッセージに繋がって行くと考えるとちゃんと書いておかねばなるまい。

私が今回お暇をいただくに至った理由は、以前から続いていた耳と発声の不調である。

耳の症状に関しては、コロナ禍が明けてライブ活動が戻ってきたあの辺りからの付き合いで、“耳管“というあくびをしたらパカリと開いてくれるあの穴が、開きっぱなしになる耳管開放症という厄介な病気になってしまった。体重の増減などが主な原因らしいが、治療法もまだ少ない。わたしの場合は、日常生活で症状が出ることはほぼ無いが、長時間歌っていると解放するタイプ。

これが本当に厄介で、音程がとにかく取りづらいのと、穴は解放しているのに、閉ざされた場所にこもっているような、海の中にひとりぼっちにされたような、何とも形容し難い気持ちになる。今まで耳に何の問題も抱えていなかったわたしは「マジか、耳ってめっちゃ大事だったんだな。」とか「耳、今までありがとう。」とか、「は?」みたいな複雑な気持ちを抱えた。

耳の問題だけを抱えていた時は、なんとか音響さんや周りのスタッフにも協力してもらってモニターの音響を色々と試してみたり、漢方を飲んでみたり、試行錯誤をしながらライブをこなす日々だったがその後現れたのが、一定の音を歌おうとすると急に喉に力が入って締まってしまうという、機能性発声障害の症状。音楽を生業にしている身からすると、ダブルパンチを喰らった気分だった。正直、さすがに病んだ。病まない人はいるのか?

でも休もうという発想に、すぐには至らなかった。なぜなら、“治すぜ!?“と意気込みまくっていたからだ。

私はその後、数多の病院に通いまくり、ボイトレに行きまくり、家でも練習しまくり、カラオケに一人で行きまくり、漢方や薬も試し、カイロプラクティックに通い、歯医者に行き、カウンセリングへ行き、できるんじゃないか?関連してるんじゃないか?ということはもう、ほぼやった。(ただ後に、発声障害においては闇雲に練習し続けることで症状を悪化させる可能性があることも知る)

きっと、何か病気を抱えている人は分かってもらえるのではないかと思う。もう藁にも縋る想いなのだ。良いらしいよと聞けば、全部やった。でも、やっぱり難しいのかな。という日々は続く。

仕事を重ねていくたびに、どんどん自分に自信がなくなっていった。「昔はできたのに」「ホントはもっと上手くできるはずなのに」向上心が必要な仕事であるのは確かだけれど、何をするにも、その向上心がから回りしていくような日々。活動を始めてもうすぐ10年。大事な区切りがすぐそこまで近づいている。

最初。わたしは自分の身体から出てくる症状、全てに対してなんで思うようにならないんだと憤りを感じていた。自分の身体がとてつもない気分屋で、自分を困らせたい様にさえ思えた。楽しくやってきたつもり。ストレスを溜めずにやりたいことをやってきたつもり。嫌なことが起きても切り替えて「もう大丈夫」って言ってきたつもり。

なのに、なんで?

そして、いよいよ来年のスケジュールの打ち合わせの時、マネージャーが「仮に来年アルバムを出すとしたら、夏に制作ができるから…」なんて、予定をホワイトボードに書いているのを眺めていると、急にダムが決壊したかのように涙が止まらなくなった。

今まで、「頑張ります!治します!」って言ってたけど、わたしは全然、大丈夫じゃないかもしれない。私の症状は、骨折みたいに、決してみんなにわかりやすく伝わるものではないけど、「わたし、痛いです。苦しいです」って、仕事が終わって毎回家で落ち込む、わたしのために言ってあげないと。

急に泣き出したわたしにマネージャー達は今は全部スケジュールをまっさらにして、決まってるものも思い切って休んだ方がいいんじゃないと言った。ただ、泣いて泣いて、想いを話して、20分くらい経つとスッキリしてきて「わたしは、自分に自信があるんです。きっと十分に休んで、脱皮して新しい自分になったら、すごいことになります。ゲッターズ飯田も32歳からあなたは打ち上げ花火みたいな人生だって言ってました」と情緒不安定な感じで言い残し、笑いながら会議室を去った。そんなわたしの様子を目の当たりにしたマネージャー達は、「波がすごすぎる…大丈夫かな…」と話していたらしい。(たしかに怖すぎ)

考えて考えて、言葉にしていくうちに、思考がいい方向に、ぐるんと切り替わっていく時がある。

いろんな人のもとで話を聞いたり、身体と向き合っていくうちにもう一人の心の中の自分は、sosとして、わたしのことを守るためにこの症状たちを出しているんじゃないかと思えてきた。もっと自分に優しくしてあげたい。やりたいことは、全部やって、自分にできるだけ嘘をつかないで生きてあげたい。

丁度、母がわたしと同じ28歳の頃、友達と世界を周遊していたらしい。アルバムに載ったたくさんの写真たちを見ながら、楽しかった思い出話を聞き、大人って最高じゃんと羨ましく思ったものだ。気づけば、わたしも一丁前に大人になった。

ヨーロッパは、昔からずっと行きたかった夢の場所で、私の大好きな音楽やアーティストがたくさんいる。彼女たち、彼らは、さまざまな人の行き交うヨーロッパのあの地で、何を見て、何を聴いて生きているんだろう。思い立ったら、今すぐにでも飛び出したくなってきた。

ただ、この旅行を思いついた瞬間「なーんかいい曲かけそう!」と思った私はやっぱり音楽は私の一番のやりたいことで、大好きなことなんだなぁと思ったのだ。

母のアルバムと、はじめてのロンドンでテンションが振り切れたわたし (イラスト/藤原さくら)


藤原さくら(ふじわら さくら):1995年生まれ。福岡県出身。シンガーソングライター。天性のスモーキーな歌声は数ある女性シンガーの中でも類を見ず、聴く人の耳を引き寄せる。ミュージシャンのみならず、役者、ラジオDJ、ファッションと活動は多岐に亘る。interfmレギュラー番組「HERE COMES THE MOON」(毎週日曜24時~25時)にてDJを担当。

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