
「プリリリリーーズ、ステイ・アット・ホーム!!」。
ロサンゼルス市長が、テレビ会見で毎日、英語とスペイン語で呼びかける日々が3月末から始まった。
自宅待機するためには「ホーム」があることが前提だが、そもそも住む家がない人はどうすればいいのか?
4月上旬、近所の公園に散歩に行くと、野球場の脇のベンチに座って、ノートパソコンに向かう人がいた。
黒人女性で年齢は30代前半ぐらい。真剣な顔でキーボードを叩いている。仕事中のようだ。
彼女のノートパソコンから電源コードが照明灯の柱につながっている。よく見ると、柱の根元には金属製の小さな扉があり、その中に電源の差し込み口があるようだった。
え?あんな場所に電源の箱があったのか。この公園で何年もサッカーやテニスをしてきた私なのに、全く知らなかった。
ベンチには赤やピンクの書類ファイルが綺麗に並べられ、ちょっとしたワークステーションのような空間になっている。
「いいですね!こんな気持のいい日には、外で仕事したくなりますね」と彼女に声をかけると「そうなの。なかなか快適よ」と笑顔で返ってきた。
狭いアパートに1日中籠もるのにうんざりしていた私は、電源が公園にあるなら、気分転換に外で仕事をするのも悪くないな、と思った。
数日後、同じ公園に散歩に行くと、彼女がまた同じ場所で真剣にパソコンに向かっていた。
仕事の邪魔をしないようにそっと後ろ側を通りすぎると、彼女は、直射日光に照らされたパソコン画面を覗き込もうと、前屈みになっていた。
日蔭がないこんな炎天下じゃ、液晶画面の文字はさぞ見にくいだろうな。そう思った瞬間、はっとした。
そもそもなぜ彼女は今日もここで仕事をしているんだ?
振り返ると、ポカポカした春の陽気なのに、彼女は黒いダウンジャケットを着ていた。ベンチの足元を見ると、旅行用の黒いキャリーケースが置かれている。
その瞬間、わかった。彼女はホームレスだ。
彼女の服装も鞄も小綺麗で、路上生活者には全然見えない。オフィス街のカフェにいそうな感じの服装だ。4月1日の家賃の支払日に支払えずに追い出されたとして、ホームレス歴2週間足らずといったところか。
「自宅待機命令中は、たとえ住民が家賃を滞納しても、アパートのオーナーは住人を追い出すことはできません」。
LA市長はそう命令を出したが、実際はその命令が守られず、追い出され住む場所を失う人もいることは、市民の多くがすでに知っていた。
ロックダウンで近所のスターバックスや飲食店、図書館はすべて閉鎖されている。通常なら無料かコーヒー1杯で電源とWiFiに数時間アクセスできた場所が、すべてシャットダウンされてしまっている。
しかし、この公園内では、市が提供する無料の公共のWiFiの電波がかなりクリアに拾える。だから彼女はここにいるのだ。
この電源を見つけるのに、彼女はきっとこの広い公園中をくまなく探し回ったに違いない。そしてこの照明灯の根元にある小さな箱の扉だけに奇跡的に鍵がかっておらず、扉を開けると中にソケットがあることを発見したのだろう。
数日後、同じ公園に行くと、彼女ともうひとりの黒人女性が、芝生の上に座っていた。2人分のキャリーケースや鞄がある。姉妹なのか?
ジョギング中のTシャツ姿の人たちと対照的に、春の日射しの中、ふたりとも長袖の上着を着こんでいる。
彼女が荷物を見張る間、もうひとりの女性が公園内のトイレの方向に歩いて行くのが見えた。
この公園の照明は夜9時で消える。彼女たち、夜はどうしているのだろう。もし自家用車を持っていれば、荷物を公園の芝生の上に置く必要はないはずだ。だとすると、クルマは持っていないのか?
いろんな思いが頭の中をぐるぐる回る。しかし、ただの通りすがりに過ぎない私には結局、何もできなかった。その日以降、彼女たちを公園で見かけることはなくなった。
コロナ以前からこの公園の内外には一定数の古参のホームレスがいた。だが、自宅待機令発令以降、その数はすさまじい勢いで増え「ご新規さん」のホームレスが参入していた。
公園脇にずらっと駐車されたキャンピングカーやミニバンやセダン。その車内には、洋服、パソコン、靴、毛布、枕など家財道具が山と積み込まれている。
銀色の日よけシートで窓から車内が見えないようにうまく目隠ししているクルマもあれば、家財道具の全てが窓から丸見えの車両もある。

いつも同じ場所に駐車してある大型バンの運転席の足元には、除菌スプレーや除菌ジェルが各種ずらっと並べられている。
車内で人が暮らしていることはどう見たって明かだ。
だが、彼らはテント暮らしのホームレスより格段に安全だ。
鍵がかかり、場所を移動できるクルマがあれば最低限の安全と寝場所は確保できる。
クルマがあるかないか、そこが人間の尊厳を保てるかどうかのギリギリの境目だ。
「アメリカ人はなぜ失業したらすぐにホームレスになってしまうのか?日頃から貯金はしていないのか?」
コロナ禍によるアメリカの失業に関する記事を日本のニュース媒体に書いたら、読者からこんなコメントが複数寄せられた。
確かにその疑問はもっともだ。この問題にはLA特有の事情が深く絡んでいる。
高騰するLAのワン・ベッドルームのアパートの家賃の平均値は、月額1755ドル。これは日本円にして約18万7000円だ。
しかも家賃は毎年、月額80ドルから100ドル近く値上げされ続ける。
いきおいLA住民は収入の3割以上を毎月の家賃に費やしている。この状況で貯金をするのはまず無理だ。蓄えがなく、失業したら即ホームレスになってしまう下地が、コロナ前からすでに存在していたわけだ。
さらにLAのアパートの空室率は2%以下。つまり、家賃滞納で一度住む場所を失ったら、ほぼ半永久的に住む場所を再び得ることはできない残酷な椅子取りゲームなのだ。
誰もが一触即発でホームレス予備軍、それがLAの住宅事情だ。だから、公園の彼女のような新規ホームレスを見ると、心臓がぎゅーっとなる。いつ自分だって彼女の立場になるか、わからないからだ。
カリフォルニア州全体でみると15万人以上のホームレスがいる。これは全米の総ホームレス人口の2割以上の数だ。それだけ多数の人々にとってコロナ以前から「ステイ・アット・ホーム」するための自宅など、そもそもないのだ。

数年前にサンフランシスコの有名な観光地のユニオンスクエアのオープンカフェで、ある起業家を取材していたとき、こんな出来事が起きた。
わずか30分の間に5人のホームレスの男性が次々に私たちのテーブルに次々に金をせびりにやってきた。
私はその度にドキドキし、ポケットに小銭がないかごそごそしたり、「悪いけど、いま現金は持ってないから」と返事をしたりしていた。
だが、取材相手の新進スタートアップ企業のCEO氏は、目の前で金をせびる彼らの存在が全く目にはいらないかのように、ベンチャーキャピタルからいかに資金を調達したかを力説していた。
まるで蠅を追い払うように、手慣れたジェスチャーで瞬時に彼らを拒絶し、「ミュート」ボタンを押すように、彼らの存在を完全にブロックしていた。
その高度に熟練された技を見て、私はたじろいだ。カプチーノを前に饒舌にアプリ開発秘話を語るその人の話の内容が、とたんに全く頭に入ってこなくなった。
サンフランシスコのダウンタウンのあらゆるブロックにおびただしい数のホームレスが溢れている。ケーブルカーが観光客を運ぶその横で、路上でテント生活をしている人々が数千人単位でいる。
人間としての尊厳を保てないような状態でサバイバルしている彼らの存在は、どうしたって視覚的に無視するのは不可能だ。
だが、CEO氏は、彼らが近づいてきても顔色ひとつ変えずに彼らをメンタルブロックする術をすでに完璧にマスターしていた。
「ユーザーが抱える問題を解決するためのソリューションを我が社は提供しています」。
コンサルタントから転身してCEOになったというその人は、笑顔でそう語った。
何かが、狂っている。
そう感じた。
この目の前の危機的状況は、解決すべき「問題」ではないのか?
もちろん、CEO氏は住宅問題の専門家ではないし、ホームレス救済は彼の仕事でも何でもない。CEO氏が便利なツールを開発して、雇用を作り出していることは私にもわかる。
だが「ユーザー」という存在と、目の前のホームレスが同じ「ひと」なのだ、という感覚が完全に抜け落ちた語り口がショックだった。

いや、そういう自分だって、この問題の解決にはなにひとつ寄与していないのだ。偉そうに批判したり、ショックを受けたとなどとナイーブなことを言えた立場ではない。
家に帰ると、ホームレス問題の解決のために具体的な策を打ち出している事業を片っ端から調べてみた。
カリフォルニア、テキサス、ミシガンなど、リーマンショックの住宅危機で大打撃を受けた土地に、ホームレスに住宅を提供する斬新な試みをする非営利や民間の組織がかなり存在していることがわかった。
LA市内のホームレス対策は、それまですこしずつ自分なりに取材していたが、全米を回って各地の試みを本格的に取材したい。だが現地まで行く取材費がない。
そこで、取材費補助のスカラシップを探した。すると「安倍フェローシップ」の募集概要のサイトがヒットした。
5年以上の経験を積んだ日米のプロのジャーナリストを対象としたこのフェローシップの研究テーマのトップの項目には「個人・社会・国際的な安全保障に対する脅威」と書かれていた。
さらにサイトをスクロールしていくと「公共政策やその結果の研究、効果のより高い政策を案出する研究」とあり、それについて取材した特集記事を書くことが義務づけられる、とある。
ホームレス問題はまさに、公共ど真ん中ストライクのトピックであり、個人や社会の安全への脅威ではないか。LAではホームレスが殺される事件が日常的に起きていた。
これだ、と思い、英語で12ページの研究計画案を書き上げた。現状を把握するために、図書館に行き、自治体が発行しているホームレス関連の資料もコピーした。
資料を探しに入ったサンタモニカ図書館の2階には、見渡す限り、ざっと200人以上のホームレスの人たちが休んでいた。屋根があり、トイレがあり、電源があり、WiFiもある図書館は、ホームレスの人々にとって昼間のシェルターだ。席には一般の利用者はほとんどいない。彼らの臭いに耐えられず、利用者は短時間で出て行ってしまうのだ。
「No Place To Call Home」と題したプロポーザルを送って数カ月した頃、フェローシップの米国担当者から英語でメールが来た。「応募ありがとう。あなたのプロポーザルは次点でした。選ばれた人のうちの誰かが辞退すればあなたが繰り上げ合格です。辞退者が出なければ、あなたに取材費は出ません」とのことだった。その後、連絡はなく、結局取材費はもらえなかった。
後日、フェローに選ばれた人たちの研究テーマを見ると、ニューヨーク・タイムズ紙に寄稿しているフリーランス・ジャーナリストが出した「ジャパンはどれだけクールなのか?」というテーマが一番上にリストアップされていた。その他「ヒューマンゲノムの臨床利用に関する法律」「日本に爆発的に蔓延する孤独」などのテーマを出した人たち計4人が選ばれていた。
米国ホームレス問題は「クール・ジャパン」研究には勝てなかった。トピックとしていまいちキャッチーではなかったということだろう。
そしてコロナのパンデミックに突入すると、LAや全米各地の自治体のホームレス・シェルターは、たちまち一大感染クラスターとなった。
LA市は古いホテルを借り上げたり買い上げたりして、ホームレスの臨時居住場所にしているが、コロナの感染爆発のスピードには全く追いついていない。
いつも行くスーパーの近くの高速道路の橋の下には10人ほどのホームレスの人たちがいる。7月頭、彼らのそのテントの脇に、2つのマットレスが追加されていた。
ホームレス住人にとってマットレスは安眠につながるかなりの贅沢品だ。アメリカの家庭で使われているマットレスは重く、どこからかこの橋の下に運ぶにしてもかなりの重労働のはずだ。
近所の誰かがいらなくなって捨てたのか、または、立ち退きになった住人の部屋にあったマットレスを、家主が道端に捨てたのか。
マリーナ・デル・レイ近くの海の見える高台の高級住宅地を車で通ると、路上に駐車されている空箱のような牽引車の中にも布団と枕が置かれているのが見えた。
誰かがここで眠っているという証拠だ。
かつて高級住宅地はホームレスとは無縁だったはずだが、今では数億円の価格の豪邸のすぐ横の路上にもホームレスが眠っている。
ステイ・アット・ホーム。
ホームって一体、何なんだ。
コロナにゆさぶりをかけられて、その定義自体が、もうわからなくなってきた。
長野美穂
ジャーナリスト。東京の出版社で雑誌編集記者として働いた後、渡米。ミシガン州の地元米新聞社ペトスキー・ニューズ・レビューでインターン記者として働き、中絶問題の記事でミシガン・プレス・アソシエーションのフィーチャー記事賞を受賞した。その後独立し、ネイティブ・アメリカンの取材などに没頭。ボストン大学大学院を経て、イリノイ州のノースウェスタン大大学院でジャーナリズム修士号を取得。カリフォルニア州ロサンゼルスの新聞社インベスターズ・ビジネス・デイリーに入社し、約5年間、自動車業界・バイオテクノロジー・製薬・銀行などを担当する経済記者を経て、フリーランスジャーナリストとして活動している。テニス、カヤック、サッカーなどアウトドアスポーツが趣味。