尊敬するティーブレンダーの方が、ブレンドを生み出すときには舌や鼻だけでなく、茶葉が育った景色や風の音、その土地の香りを思いながら思考と試行を重ねていく、と仰っていた。
わたし自身、台湾のお茶を飲むときに味や香りとともに思い出す風景がある。数年前、阿里山の茶農家に泊まらせて貰った。霧が静かに茶畑を覆う朝、そこに日が差し込むと露をまとった柔らかな新芽がきらきらと輝く。空気には青い茶の匂いが漂い、鳥の声と、早起きの茶農家さんたちの働く音が聞こえる。その景色を思いながら飲むお茶は、より豊かで広がりのあるものになる。
「すきだらけのビストロ」を読んで、やはり料理というものは、味覚と嗅覚だけでなく、五感全て、そして記憶までを使った経験なんだなぁ、と思った。
正直、料理×ほっこり人情話にはちょっと食傷気味だったのだ。人生に疲れた女性がひょんなことからカフェ(お弁当屋さんor小料理屋さんor洋食屋さんetc.)を継いで、一癖も二癖もあるお客さんとふれ合ううちにその人の人生を垣間見たり、人と人を繋ぐお手伝いをしたり。
わかる、鉄板、安心して読めるし、確実に裏切らない。初めて聞いても何となく歌える演歌や、コンソメパンチの間違いのない味みたいな。
でも。だけど。
いやまぁたくさんあること。例としてあげたのはあくまでも例であって、特定の作品ではないけれど、でもやっぱりこんな感じの作品に出会う度に「ああ、またこのパターン!」と思ってしまう自分もいる(世に溢れるほっこりを摂取しすぎて、アレルギーになっちゃったのかも……)。
お料理小説が受け入れられやすいのはわかるのだ。
恋愛をしない人はいるかもしれない。
裏切られた経験がない人も。
ブラック企業に勤めている、人間関係に問題を抱えている、自分の人生に悩んでいる、そういった条件に当てはまらない人もいる。だけど、ご飯を食べない人はいない。食に興味の薄い人はいるかもしれないけれど、でもそういう人だってやっぱり心の底から何かを美味しいと思った瞬間はある。だから、お料理小説は共感を得やすい。
だけど。
だからこそ。
難しいと思う。誰もが持っている感覚だからこそ、その先、美味しいだけではない、もう一歩奥の共感に行けるかどうか。
移動式ビストロつくし。日本中を旅して、ここぞというところで開店する。まるでサーカスのような小さなテントの中はアンティークの家具と、温かなおもてなしに満ちている。
「おいしい食材を、おいしい時期に、おいしく料理してお出しする」
その土地の名産品を活かした前菜やデザート、四季折々の果物を使ったフルーツシャンパン。そしてシェフのスペシャリテ。その場所、その瞬間、そしてその人にしか食べられない料理の数々。
シェフの有悟、ギャルソンの颯真は兄弟。二人が移動式ビストロを始めたのには訳がある。かつて、料理人の道を歩み始めた有悟を支え、店を出す夢を叶えてくれた翁と呼ばれるパトロンがいた。
有悟と翁を繋げていたマダムの死の知らせを受け、有悟はマダムとの約束を守るために、顔も名前も知らない翁を捜し出そうと決意する。
翁を見つける手がかりは、全国にいるかつて翁が支援した人々。翁の代理人から託された漆塗りの箱。そして翁はナス料理が好きだった、というあまりにも曖昧な情報のみ。
実はこの二人のエピソードはオンラインでの連載時には書かれていなかった。連載はビストロつくしを訪れたお客様の目線で綴られ、それを繋ぐ有悟と颯真の物語は書籍化にあたっての書き下ろしだ。連載時には、魔法のように現れ、魔法のように美味しい料理を出し、魔法のように消えていく、名前もわからない謎めいたシェフとギャルソン。書き下ろしを通じて二人の過去や思いを知ることで、見事にコース料理として完成した。
二〇二〇年『縁結びカツサンド』でデビューした冬森さんは、生粋の料理小説家。『うしろむき夕食店』に続く三作目となる今作では、連作短編という王道の形をとりつつも、そこにもう一つ、料理×芸術という隠し味を入れてきた。
さまざまな料理が重なりながら、その人に寄り添ったメニューが構成されていく。胃袋だけでなく心も満たすお料理、芸術も、どちらも心のご馳走だ。
美味しいだけではない。
ほっこりだけではない。
冬森灯さんならではの、もう一歩奥に踏み込むお料理小説、お腹と心の空いた人におすすめです。
プロフィール
池澤春菜(いけざわ・はるな)
声優、エッセイスト、小説家。著作に『おかわり台湾ごはん』『SFのSは、ステキのS+』など多数。