帯やポップに「感動の物語」と記されていると、あぁそうですか、と逆に気持ちが引くことはないだろうか。
スポーツでも、音楽でも、ドラマや映画でも、そして小説でも、結果として自分の心が感じて動くことには興奮もするし、感激もするけれど、個人的には「感動しますよ」と他人に言われると「いや別にしたくないし」と思ってしまうひねくれたところがある。
第十一回ポプラ社小説新人賞の受賞作である本書『つぎはぐ、さんかく』は、おそらく「感動作」と称される物語だ。
主人公のヒロは、ひとつ年上の晴太と中学三年生の蒼の兄弟三人暮らし。朝七時にオープンし、夕方四時にはクローズする惣菜と珈琲の店「△」を営んでいる。
<店の名前は「△」。三人だから「さんかく」>。
カウンターの端に一席、コンクリートの土間に二人掛けと四人掛けの小さなテーブルがひとつずつ。ヒロは毎日、さまざまな惣菜を手作りし、店まわりの雑務を担いながら晴太が珈琲を淹れる。大きな儲けはないけれど、開店して十カ月ほどになる「△」は年中無休で丁寧な仕事ぶりが認められ、地域の人々に広がりつつあった。
<甘くてからい。煮詰まる音はくつくつとかわいい。四国の醸造元から取り寄せた醤油にてんさい糖で甘みをつけて、弱火で焦がさないようゆっくりと煮詰めた>。書き出しの、ヒロの調理場面からぐっと読者を引き込んでいく。<まろやかな、そしてどきどきするような酸味>を含む自家製マヨネーズで作られるポテトサラダ。<照りが眩しいほど焼き上げたハニーマスタード味のチキン>。根菜のサラダ、かぼちゃの煮つけ、鰆の味噌漬け、つくねのあんかけ。こんな店が近所にあったら、どんなにいいだろうと頬が弛む。
店が開く。常連の「日村のじーさん」が、のっそりと入ってきて定位置のカウンターに座る。惣菜を求める通勤客がやって来る。そこへバタバタと朝練に遅刻する! と蒼が二階から駆け下りてくる。ヒロが作った特大のおにぎりに齧り付き「うまい」と言い残して店を走り出て行く。温かで優しく、賑やかだけど穏やかな、あぁこれは確かに「感動作」っぽいな、と思わされる世界だ。
最初から、大きな疑問はある。
晴太とヒロと蒼は、なぜ三人だけで暮らしているのか。蒼は中学三年生だと明かされているが、晴太とヒロは何歳なのか。店の開店資金はどうしたのか。
なにかあるのだ、と誰もが思うだろう。そして実際、三人には、特別な事情があった。
物語が動き出す大きなきっかけとなるのは、蒼が中学の三者面談(実際には晴太とヒロも出席したので四者面談になったのだが)で高校に進学しないと言い出したことだった。中学を卒業したら寮のある専門学校へ進みたい。だからこの家も出て行く。突然の宣言に、ヒロは激しく動揺する。三人で肩を寄せ合い生きてきたのに。残された私たちはどうするの――。
せめて高校ぐらいは、という動揺とは明らかに違うその理由。ヒロが意識し待ち望むようになる「あの人」の素性。若そうだな、とは感じていたヒロと晴太の年齢。三人だけで暮らしているのは、ずっと以前かららしいということが分かってくれば、両親を失い三兄弟で暮らしているのかとも想像するが、徐々に、そうでもないらしい事情が明かされていく。蒼が幼児でヒロと晴太が小学生の頃から毎月届いていたという生活費はどこの誰から出ていたのか。そんな年齢の子どもたちを三人だけで生活させるなんてどういうことだ? 読みながら、次々と浮かぶ疑問は、やがて思いがけない三人の過去へと繋がっていく。
ヒロが一度に二つ以上のことができず、かつては火加減を間違えて自分の前髪を焦がすほど「絶望的に不器用」で、たったひとりの友達もできなかったと知れば、読者はそれぞれに想像を巡らし「察する」だろう。けれど、それは、勝手な思い込みでしかないことも後に分かる。
巧いな、と思うのは人と人との距離感、関係性の描き方だ。晴太とヒロ、ヒロと蒼、晴太と蒼。「△」の三人にはそれぞれ特有の捻れて曲がった「絆」がある。自分勝手で、だけど必死で縋った「絆」だ。物語の後半に描かれる晴太の、蒼の、そしてヒロの親への思いは唸るばかりだが、店の常連客が<見ていることを悟られないようにさりげなく、結局は自分たちにできることが限られているのだと知っている大人の場所から、できるだけ優しく接しようとしてくれている>その感覚が地味に良い。
感動するかは分からない。
けれど、多くの読者がこの物語を好きだ、と思い、またこの三人に会いたいと願うだろう。
プロフィール
藤田香織(ふじた・かをり)
書評家。1968年生まれ。音楽出版社勤務の傍らブックレビューを書き始め、98年にフリーライターに。著書に「だらしな日記」シリーズ、『ホンのお楽しみ』、杉江松恋さんとの共著に『東海道でしょう!』など。