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第5回

【うちがふつうで、よそがへんなの!5】ポテチ

 

 腹が減ったので、カップラーメンのひとつでもないかな、と棚を探すと、奥のほうにうすしおのポテトチップスがひっそりあった。

 あれ、こんなところに、ぽてち。おかしいな、と思いながら、ひっぱりだして黙々と食べる。それから、夕ごはんを腹いっぱい食べて、風呂に入り、髪を乾かし、麦茶などを飲みながら、ぼんやりテレビを見ていると、キッチンのほうから、「あっ」と声がする。

 母の声である。
「あんた、食べたね」
「食べたねって、ぽてち?」
 そう聞くと、母はすぐに、
「そうだよっ。お母さんがたのしみにとっておいたのにっ。わざわざ隠しておいたのにねっ」
 怒っている。

 たしかに、こんなところにおかしいな、とは思ったけれど、
「あったら、食べちゃうよ」
 お菓子は子どものものだと思い込んでいたのだ。母がポテトチップスを食べているところなんて一度も見たことがなかったから。

「あんたはねっ、なんでもかんでもっ、食べすぎっ」
 謝りもしない娘に、母はさらに怒る。
「そう言われてもねえ」

 早く謝ればいいのに。
 この娘は、謝ることを知らない。

「あんたはいっつもそうやってっ! ああいえばっ! こういって! あんたみたいのをねっ! 屁理屈おんなっていうんだよっ!」
 激怒である。
「お母さんの唯一のたのしみだったのにね」
 母はそう言って、あきらめたようにリビングを出て、どこかへ行った。

 お母さんの唯一のたのしみ。母は何度か、そう言ったことがある。
 
 例えば、毎週の月曜日のドラマを見る前。リモコンを、きゅっと握って。
「お母さんの唯一のたのしみなんだからね」
 その一言が、わたしには重かった。さびしいような気がした。
 それは娘が健康に生きているだけで、母親という存在は満たされるものなのじゃないかという、甘えた考えのせいだったかもしれない。

 お母さんのお母さん以外の部分のために買ったポテチは、お母さんのポテチではなく、ひとりの大人の女の夜の楽しみのためのポテチなのだから、わたしが食べていいはずがないのである。

 最近、わたしもときどき「これが唯一の楽しみなんです」と言いそうになる。
 唯一の楽しみ、というのはやはり悲しい言葉だと思う。けれど、悲しみを抱いて生きているのは、べつに悲しいことではなく、たくましく、うつくしいことだと今はもうわかる。

 

小原晩(おばらばん)
作家。1996年、東京生まれ。2022年にエッセイ集『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』を自費出版する。2024年11月に実業之日本社より増補版を刊行。他の著書に『これが生活なのかしらん』(大和書房)がある。

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