私は名字が6回変わっています。
最初の名字は「白鳥」。7歳で両親が離婚して母の姓の「鈴木」に。母が再婚してふたりめの父親の姓の「宇井」に。また離婚してふたたび「鈴木」に。私が結婚して婿入りしたので妻の姓に。そして2023年に私が離婚して5年ぶり3度目の「鈴木」になったというわけです。
5年ぶり3度目、甲子園だったら強豪校ですよ。「鈴木」は私にいちばんなじんでいる名字ですが、私が望んで「鈴木」になったことは一度もないというのは不思議ですねえ。
私の最初の父親、「白鳥の親父」は、子育てをまったくしない人でした。子育てをぜんぶ母親に押し付けて、外で遊びまわっていた。女性関係とか、ギャンブルとか、酒飲みまくったりとか。借金も作って。
そんな父親が先日、亡くなりました。
父親との思い出は、スロットに連れていかれて「目押し」を教えられたり、フィリピンパブで従業員の女性たちをテーブルに集めるために「おどるポンポコリン」を歌わされたりと、ひどいものばかりですが、そういえば、よく私を近くの海鮮居酒屋によく連れていってくれました。4歳ごろのことだと思います。
連れていってくれた、と書きましたが、実際は連れていかれた、という感じです。
その海鮮居酒屋は父親の職場のすぐ近くにあるんですが、父親は仕事が終わったら職場から直接店へ行かずに、いちど家に帰ってくる。そのときに父親に見つかったら「ほら行くぞ!」と連れていかれます。私が友達と一緒に遊んでいても問答無用。遊びが盛り上がっていてもまったく空気を読みません。
でも、私が海鮮居酒屋に連れていかれることにまんざらでもなかったのは、そこで食べる「ナガラミ」がめちゃくちゃうまかったからです。
「ナガラミ」というのは貝ですね。巻貝です。カタツムリの甲羅によく似ていて大きさは500円玉ぐらい、厚さはベーゴマくらいのちっちゃい貝です。それが塩茹でされて小鉢に山盛り出てきます。これでもかと。30個は入ってましたかね。
地元でほいほい採れるんで、当時はすごく安かったと思います。居酒屋のメニューのいちばん安いゾーンにいる激安貝。海鮮の中では最下層。松竹梅で言ったら、梅にも入れない、たんぽぽみたいなレベルです。
サザエには貝殻の入り口にフタみたいなのがありますよね。サザエほどゴツくはないですが、ナガラミにも薄いプラスチックのようなフタがあります。で、そのフタと身の間に楊枝をさして、エイっと引き抜くと、スルっと身が抜ける。これがめっちゃ気持ちいい。一個一個引き抜いていくのがクセになる。とにかく快感なんです。
それを一口でパクって食うんですが、これが思わず「うめーっ」と言っちゃううまさなんです。食べだしたら手が止まんない。安いし、楽しいし、うまい。
小鉢1杯でもなかなかの量ですが、それだけじゃあ満足できません。当然おかわりして2杯、3杯を私ひとりで一心不乱にひたすら。ほかに何も頼まずにナガラミオンリーで。ナガラミで腹いっぱいになっちゃって、そのあと家で食うはずの夕飯が食えないこともありました。
その日は、突然訪れました。
ある日突然ですよ。ある日突然、うまいうまいっつって食ってたナガラミが、次の1個を食った瞬間、「うえー、まっず!」ってなったんです。
たぶん、一生のうちに摂取していい貝の量の限界を超えてしまったんです。人間にはリミッターみたいな、なにかしらそういうものがあると思うんですね。何万年前からの教えというか、同じもんばっか食ってたらダメだぞっていう先人たちのDNAがきっと私たちの体には受け継がれていて、その禁忌に触れてしまったんでしょう。
父親は私に起きた事態を理解していません。そりゃ理解できませんよ。ついさっきまで嬉しそうに食ってたのに急にまずいって言いだすんだから。
「はあ⁉ 食わねえのか⁉」
「うん、もう食べれない」
「腹いっぱいなのかお前?」
「そうじゃなくて、もうまずい」
「はあ……?」
その日を境に一切、貝を食えなくなりました。ナガラミだけじゃなくて、シジミもアサリもホタテもカキも、ほかの貝も全部。
でも、「ナガラミはものすごくうまい」っていう記憶をそう簡単に消去できない。ナガラミを好きな気持ちを捨てきれない。またうまく思える日が来るんじゃないか、ってこりずに食ってみるんですけど、やっぱり食えない。ほかの貝も「うまそうだな」と思うんです。でも食えない。何度チャレンジしてもだめでした。
チャレンジしてわかったのは、味の問題じゃないということ。しじみの味噌汁とかの出汁は飲める。でも身が食えない。
海から採ってすぐのハマグリを網の上に載せて焼いてぐつぐつ言わしてパカッて開いてきたところに醤油たらしてジュワーってさせるやつよくテレビでやってますよね。それを食べながら日本酒飲んで「くーっ!」とかやってますよね。めっちゃうまそうじゃないですか。だから私も食ってみるんです。でも口に入れてハマグリの身が歯があたった瞬間、うわああああって皿にもどしちゃう。もうだめですね。
私がナガラミを突然食えなくなってから、父に海鮮居酒屋へ連れていかれることはめっきり減りました。
たぶん父親は4歳の私がナガラミを食ってる姿がかわいかったのかもしれません。4歳って自分ひとりでなんとか飯食えるぐらいの年齢ですよね。そんな子どもが貝のフタと身の間に一生懸命楊枝さして引き抜いて食ってる姿を見てるのがおもしろかったのかもしんないなと。
そこに一緒にいることで、じぶんが子育てしてるような気持ちにもなっていたんだと思います。
冒頭で書いたように子育てをまったくしない人でしたから、うしろめたさみたいなものがちょっとはあったんじゃないか。だから自分が連れて行った店のナガラミを、うめーっつってめちゃくちゃ喜んで食ってる私の姿を見て、俺、親父やってる、みたいな気持ちに浸ってたんじゃないかと思うんです。
居酒屋には父親の仕事仲間がいつもだいたい3人ぐらいいますから、そこに私を連れて行けば、俺は父親やってんだぞってのを見せつけられる。どうだ、俺は子どもをこんなに喜ばせてエラいだろう、と。しかも子どもがナガラミを一生懸命引っ張って食ってんのも見て楽しめるし。
父親からしたらこの「ナガラミ育児」はコスパがものすごく良かったんでしょうね。
私も2人の息子の親になって、やっと当時の親父の気持ちをなんとなく想像できるようになりました。

写真:辻敦(ポプラ社)
鈴木もぐら(すずき・もぐら):1987年5月13日生まれ。千葉県出身。NSC東京校17期で、同期の水川かたまりと2012年にコンビ「空気階段」結成。2019年に『キングオブコント』ではじめて決勝に進出し、2021年に優勝。2017年から放送中のラジオ『空気階段の踊り場』(TBSラジオ)では、それぞれの結婚や離婚などをリアルタイムで伝え、反響を呼んでいる。特技は将棋(アマチュア二段)、麻雀(アマチュア四段)、卓球(中学時代千葉県ベスト16)。