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第3回

#3 実録! 万筆舎活動【前編】

 店の外に出るなり、ふうと大きく息を吐き出し、ペットボトルのお茶をのどに流しこむ。
「暑いぜ」
 首元に滲む汗をタオルで拭うその顔つきは、まさしく営業マンのそれ。
 アポなし飛びこみ書店営業を終えた緊張から解き放たれ、ホッとしたのも束の間、私はスマホの地図を開き、次の目的地を確認する。
 まあまあ、遠い。
 タクシーを捕まえて、ぴゅうと移動してしまいたい距離だ。されど、大きな通りに出ても、流しのタクシーがやってくる気配はついぞ感じられず、出張の荷物を詰めたリュックを背負い直し、大阪生まれであってもはじめて歩く道に足を踏み出す。
 そう、次の書店を目指して――。

 なんて、格好よい書き出しで披露してしまったが、これはフィクションではない。れっきとした先日、大阪で励んだわが営業活動における一コマである。
 2023年5月、私は「万筆舎」なる、ひとり出版社を立ち上げた。立ち上げると言っても、特別に準備したことは何もなく、
「これから本を一冊作ってみよう」
 と単に思い立った、それだけの無音の出来事である。
 何ゆえ、そんな急な行動に出たのか。
 理由を挙げるとすると、大きく二つに絞られるだろう。
 まず、本が生まれる過程を川上から川下まで、まるっと一度経験したかった。
 恥ずかしい話だが、私は本が作られる工程をよく理解していなかった。なぜなら、作家の仕事の根幹は文章を書くことであり、原稿をいったん編集者に渡したのちは、バケツリレーの如く編集、校正、デザイン、印刷、流通――、各分野のプロの手を渡り、一冊の書籍に仕上げられ、書店に並ぶのを待つだけだからだ。
 いわば、原稿を書き上げたのちの工程は、著者にとって永遠の「信頼できるブラックボックス」であり、さらに言うならば、高度な分業体制が確立しているため、製造工程をその目ですべて確認できる人間はひとりも存在しないのが「本」の正体なのである。
 されど、そんな言い訳をこしらえているうちに、そろそろデビュー20年が近づいている。相も変わらず「わかるような、わからんような」などと構えていてよいのか。それって、大物芸能人が「電車の切符の買い方がわからない」と平然とのたまうような、結構恥ずかしいことではないのか――。
 つまり、本ができる工程をこの目で確かめ、理解したかった。これがひとつ目の理由である。
 ふたつ目の理由としては、ちょうどよいボリュームの原稿が手元にあった、というタイミングのよさが挙げられる。
 万筆舎立ちあげからさらに遡ること一年前の2022年、大阪メトロから販促イベントとして、
「大阪メトロの路線内から5つの駅をピックアップし、その駅の周辺を実際に歩いてみたくなるようなショート・ストーリー5編を書いてほしい」
 という依頼を受けた。
 そこで私はメトロの各路線を擬人化することを思いついた。たとえば、大阪の大動脈「御堂筋線」ならば、路線カラーである赤を引き継ぎ「御堂筋レッド」に。同様のパターンで「谷町パープル」「中央フォレストグリーン」「長堀鶴見緑地イエローグリーン」「今里オレンジ」を用意し、計5人でもって、
「みをつくし戦隊メトレンジャー」
 なる戦隊ヒーロー&ヒロインの物語を書いてみようと考えた。
 このコンセプトから生まれたショート・ストーリーは各編かわいらしい小冊子にかたちを変え、2022年3月、無料配布が開始された。各編5000部が用意され、一週間ごとに大阪メトロ内で配布駅を変えるという変則スタイルながら、トータル2万5000部が早々に配布終了になるという大好評の結果と相成った。
 これら5編は大阪メトロでのイベント後、一年が過ぎたら、私がエッセイ集や短編集に、自由に収録してよいという約束だった。
 とはいえ、メトレンジャーの物語はエッセイではないし、私自身、短編集の刊行予定はまったくない。このままだと、何年も塩漬け状態に突入するのは必至である。
 はて、どうしようと考え、そこでピンときた。
 この原稿を使って、本を作ってみるのはどうか。最近、その名をよく聞く文学フリマというイベントに出店し、完成させた一冊を手売りする。するとお望みどおり、川上から川下までまるっとひととおり経験することになりやしないか――。
 思い立ったが吉日とばかりに、私は動き始めた。
 2022年11月、「文学フリマ東京」に潜入。その会場の大きさと活況に驚きつつ、いったいどのような判型のものが、いくらで売られているのか。表紙イラストや紙質はどのような塩梅なのか。完全に産業スパイの眼差しで各ブースをチェック。おおよその雰囲気をつかんだところで、その足で同日開催の「デザフェス」に向かった。
「川上から川下まで」と言っても、それはあくまで全体を私が指揮監督する、という心意気を示したものである。決して自分で表紙イラストを描き、タイトルの文字をデザインし、本文の文字フォントをチョイスし、紙質を判断し、紙の単価を決める――、何から何まで自分でやる、という意味ではない。プロに任せられるところは任せ、いわゆる小規模な自費出版物であっても、書店に並ぶ書籍と同じ質は維持したい。ただし、そのプロを選定し、ともに仕事をするのは私ひとり――、かようなスタンスである。
 予想をはるかに超える規模だった文学フリマの偵察を終え、ぐったりとしながらも「デザフェス」(「デザインフェスタ」の略、アートなら何でも出展してよい、というアジア最大級のアートイベント)に向かったのは、表紙を任せるイラストレーターを出店ブースをのぞきながら見つけられないか、と期待したからだ。
 そこで、私はひとりのイラストレーターに心奪われた。
「一見どうかしてそうな、地下鉄を主題にしたイラストを描く人」
 産業スパイからスカウトマンへとその眼差しを変えた私の前に、まさかの注文どおりの作品を描く人が現れたのだ。



 東京メトロの路線図を使った想像もしないイラストを目の当たりにした瞬間――、この人しかいないと即断した。作品に感激したその場に作者がいるのが、文学フリマ然り、デザフェス然り、出店参加型イベントのよいところである。ブースに立つ作者のエリカ・ワード氏に、すぐさま表紙イラストを依頼した(もっとも、このときは先方が私を知らず、一週間ほどのやり取りの末、承諾をいただいた)。
 さらにブックデザインは佐藤亜沙美氏にお任せした。これまで仕事をしたことはなかったが、評判を聞き、直接メールを送った。超多忙であるにもかかわらず、「何だかおもしろそうです」という理由で、引き受けてくださった。
 パズルがひとつ、またひとつとはまっていくように、物事が少しずつ進み始める。
 これまで本を作るに際し、私の前には常に現場の司令塔として、出版社の担当編集者氏が立っていた。その向こうにいるイラストレーターやブックデザイナーと、直接やり取りする機会はなかった。
 しかし、今回は自分が依頼主として、すべての連絡および意見調整を担当しなければならない。
 これが存外、難しかった。
 たとえば、編集者から提示されたデザインラフに対し、気ままに「ちょっと、ちゃうんですよねー」などと返していた私。その意見をデザイナーのもとに持ち帰るのは編集者ゆえに、気楽に言葉を並べられたわけであるが、そんなことはもう許されない。直接、デザイナーやイラストレーターに、感想を伝えるのが私の役目になるからだ。
 一対一でプロと向き合い、「これがよい」と自信をもって提示してきたものに対し、「ちょっと違うかも」と返すことは、心理的に難しいものだ。意見をすり合わせるためのメールを一本書くにしても、相手が気を悪くしないようにと、めちゃくちゃ時間をかけて文章を用意しなければならぬ。たいへん、気疲れする。もちろん、佐藤氏も、エリカ氏も懐深く、こちらの要望を聞いてくれ、結果として最高の仕事を完遂してくれたわけだが、モノづくりを司る人に依頼することが、こんなに気を遣うものだとは思わなかった。これからは編集者がデザイナーやイラストレーターと時間をかけて練り上げた提案に、異を唱えることは極力やめよう、と今までの我が身を振り返り、いたく反省したものである(実際に、このプロジェクトと同時進行していた『八月の御所グラウンド』の表紙デザインに関しては、ほとんど編集者の提案に乗った)。
 いっさいの伝手がなく、どう進めるべきかノープランだった印刷所の選定についても、私の造本イメージを踏まえ、佐藤亜沙美氏が推薦してくれた印刷会社にお願いした。まったくもって佐藤氏にはおんぶにだっこで、全体のページ数が16の倍数だともっとも製造コストが安い、という基本中の基本から改めてレクチャーをいただいた。
 エリカ・ワード氏による、5人の戦隊ヒーロー&ヒロインが躍動する、色彩鮮やかな素晴らしいイラストが完成。そこに佐藤氏がタイトルロゴと、「大阪っぽい派手さがあるけど、下品じゃない」という私のオーダーを完璧にくみ取った、蛍光ピンクとイエローが放射線となってイラスト背景で躍るデザインを添えてくれた。
 中身に関しては、発表済みの5編に続くかたちで、未登場だった「千日前ピンク&堺筋ブラウン」の活躍を描くなど、新たに2編を加筆。枚数のボリュームもほぼ倍に膨らみ、ここに充実の、
『みをつくし戦隊メトレンジャー 完全版』
 がついに完成したのである。

 
 さて、無事出来上がったはいいが、問題はどれほど刷るべきか、である。
 我欲と自制、様々な思惑が交差する。
 たくさん刷れば刷るほど、完売したときの利益は上がる。しかし、売れなかったときは悲惨だ。次の販売機会を持たない在庫が仕事場の隅に無言で積み上がっている。想像しただけで憂鬱な気分になってくる。
 はじめて訪れた文学フリマ東京にて、私は何件かのリサーチを完了していた。ブースの前を通り過ぎた際の、ほんの数秒の観察タイムでも「おもしろそうな本だなあ」と心惹かれる作品は、かなりの頻度で売り切れていた。本当は部数のことを訊ねるのはマナー違反なのだが、こちらは本気の調査中であり、そんなこと言ってられない。
「これ、何部くらい用意されたのですか」
 サンプルを手に取りながら質問すると、
「15部くらいですね」
 と答えが返ってくる。
 それが実際の相場なのだろう。
 この日の文学フリマ東京の来場者は約7500人、出店数は約1300。ひとりが3冊買ったとして、1店の平均販売冊数は17冊。まさにピタリの用意である。
 電卓を前に、私は腕を組んだ。
 今回の川上から川下へのラフティング体験に際し、実はこっそりと抱く夢があった。
「本を一冊作り上げ、それを文学フリマ(大阪&東京)で手売りし、その利益でもって沖縄家族旅行を楽しむ」
 利益は人のやる気を生む。一年越しのプロジェクトなのだから、ここは楽しげなゴールを設定したいではないか。
 されど、本を一冊も刷らない時点で、すでに費用は30万円を軽々突破していた。造本仕様は自費出版物にありがちな、表紙カバーのない、いわゆるペーパーバックのかたちを採択したが、イラストやブックデザインに関しては商業出版と同レベルのギャラを支払い、一般書籍と変わらぬクオリティを維持しているのだから当然である。もしも、これを15冊しか刷らないとなると、一冊2万円以上の単価になってしまう。
 さらに、プーチンが戦争をおっ始めたせいで原油価格が急騰。重い紙を運ぶために必要な運輸費にガソリン価格が転嫁され、紙の価格が大幅に上昇するという外部要因も発生していた。実際に、2023年5月の二度目の文学フリマ東京偵察時、半年前は500円で売られていた豆本サイズが1000円に、1000円で売られていたA5サイズが1500円にと、一気に相場も引き上げられている実感を得た。
 つまり、単価を相場の1500円と設定した場合、ある程度の利益を確保するには、結構な冊数を刷る必要があるということだった。
 現実から、夢を修正するか。
 夢から、あるべき現実を逆算するか。
 経営者の判断を求められる瞬間が訪れた。
 現実的な文学フリマでの販売数を想定し、これだけの経験ができたのだから利益は追求せずプラマイゼロでも十分なくらい、と考えるべきなのか。それとも、当初の夢を実現するため、「そりゃ、無理だって」と思いつつ、粛々と必要な冊数を刷るべきか――。
 
 2023年、9月10日。
 文学フリマ大阪が開催された。
 その十日前、印刷工場から刷り上がったばかりの『みをつくし戦隊メトレンジャー 完全版』がわが仕事場に届いた。
 注文数は1000部。
 かくして、万筆舎初戦の火ぶたが切られた。
 
(次回、「実録! 万筆舎活動【後編】」 衝撃の文学フリマ大阪、震撼の文学フリマ東京を経て、万筆舎活動は想像もしなかった方向へ!? お楽しみに!)

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