
スイスでの旅を終え、次なる目的地に選んだのはおパリ。
パリ北駅から高速鉄道を降りて街を見渡すと、至る所に五輪のマークと、謎の赤い生物の姿があった。
そう、当時はパリオリンピック直前で、パリの街は五輪ムード一色だったのだ。
おかげで行く場所行く場所、全ての道が工事中で封鎖されており、冗談みたいに歩かされたり“エッフェル塔の下でピクニックする“という友達の夢も無事絶たれたのだが
まぁそれは置いておこう。

フランスに着いて一番びっくりしたのは、なんと言ってもさまざまな人種の行き交う姿だ。
人間だけが集められた部屋で
「さて!ここはどこの国でしょう」
と言うクイズを出されたらフランスと答えられる自信はまるでなかった。
スイスの、のほほんとした柔らかな空気とは対照的なかっこいい建造物と、オシャレな人間たち。
何なら“パリ“という言葉の響きだけで妙に緊張してしまう。
そして、今回7カ国ヨーロッパを回った中でオシャレな人間がダントツで多かったのが、ロンドンとパリだ。
高校生の頃から、FUDGEやCLUELのモデルを模写し続けてきた私にとって、ここはHEAVEN。
かっこよく歩く人々の姿に「全員を模写したくてたまらない」というワクワクした気持ちと、「今私が着てる服、変かも…」とか、「田舎っぽいカモ…」と自信を喪失した気持ちがない混ぜになっていく。
(これは私が上京してはじめて代官山に行った時と同じ感情である。)

ホテルに荷物を置き、疲れたのでそこら辺のカフェに入ると、おじさんとキュートでボーイッシュな女の子がレジに立っていた。
全員可愛いやんけ…と不貞腐れた気持ちでコーヒーとカヌレを頼み席に座っていると、先ほどのレジの女の子がコーヒーと共にやってきてフランス語で何かを話しかけてくれる。
が、何を言ってるのか全くわからない。
フランス語は喋れないんだと伝えると、彼女は「You are cute」と言い残し、ウインクをして去っていった。
…トゥンク……メ…メルシー……
このように彼らは、本当にサラッと人を褒める。
何かを買うと、「これ選ぶのはお目が高いね」とか「その着てる服いいね〜」などなど。
こうして心優しいパリっ子によって私の自尊心は超回復したのだった。(嬉しかった)
そして大きな都市あるあるだが、必然的にスリや窃盗のリスクは跳ね上がってくる。
私がリュックを背負いスーツケースを転がしながら歩いているのはかなり危なっかしく見えたようで、
パリを歩いている際善良な市民が「彼女は大丈夫だろうか…」と、隣を歩く友達に声をかけてくれたのだが
旅行者丸出し人間は、そのくらい良い獲物に成り得るのだ。
スリは本当にマジシャンである。
モネちゃんの知り合いもあまりの鮮やかさに「感心した」らしい。
手を替え品を替え、時には集団で私たちの注意をひきボーッと気を取られている隙に全てを奪っていく。
ルーブル美術館の広場で、自分の入場時間を待っている際には目の前の中国人女性が、
「私のバッグがない!!!私のバッグはどこ!?!?!?」
と阿鼻叫喚しているのを目撃した。
どうやら写真を撮る際に荷物を床に置いてしまったようだった。
今でも彼女の悲痛な叫びと、それに対処する警備員の「そりゃ盗られるわ」みたいな顔が頭に焼き付いて離れない。
「地面に物を置いたらそのまま何処かに吸収されてしまう」くらいに思っておいたほうがいいだろう。
さて、最初の2日間は一人で自由気ままにパリ観光。
カフェで昼間からワインを飲んだり
モンマルトルの丘でパリを一望し
サクレクール寺院の美しさに涙したり
Shakespeare and companyという洋書のお店に行ったり
ルーヴルが楽しすぎて「年パス買いたい…」と思ったり
日本と完全に同じ味のカツ丼を食べたりした結果、
1日で26000歩という驚異的な歩数を叩き出すことに成功した。
(ちなみに旅行中の平均歩数は16000歩/1日でした)

そしてその後は中学時代の友達と合流。
彼女はイギリスと日本とのハーフで、卒業後もイギリスで勉強をしていたのでロンドンにいるものだと思って今回連絡をしたら、まさかのアビダビでCAをしていた。
「ヨーロッパどこ回るの?」
と聞かれて、ざっくりとした予定を送ると
「パリってご飯美味しいよね!じゃ、フランスで会おう!」
ということに。
CAの感覚は常軌を逸しているところがあり、
完全にヨーロッパのことを庭だと思っているので、
この後のスペインでも再度合流したが、今回会うのは本当に久しぶりだった。
学生時代、彼女とは陸上部やクラスも一緒で、本当によく遊びよく走った。
ただ、お互い死ぬほどやる気がなかったので、
「部室可愛くしたいよね⭐️」
と言ってピンクのペンキを買ってきて部室の木の部分をピンクに塗ったり、授業中に私の手に赤いペンで、リアルすぎる傷や目ん玉を描いてもらったりしていた。
大切なズッ友である。
初日は二人でオルセー美術館へ行き印象派の名作に酔いしれ、
牡蠣を食し、
セーヌ川クルーズしたり、
エッフェル塔の前で写真を撮ったり、
theパリという感じで大満喫だった。
夜は美味しいステーキとワインをいただき、ほろ酔いのまま外に出たのは21:30。
ヨーロッパはようやく夕暮れの時間だ。
今だったら凱旋門いい感じに写真撮れるじゃん!!ということに気づいた私たちはオレンジ色になった空の下、腕を組みシャンゼリゼ通りを
「オ〜〜〜シャンゼリ〜〜ゼ〜〜〜」
と歌いながら駆けていく。
辿り着いた凱旋門はあまりにも大きく美しく、大感動だったが私が写真を撮ろうとすると頑なに割り込んでくるインド人男性に二人で大爆笑。
本当に自然と、中学生の頃の自分に何故かパリで出会うことになった。
という感じの日々だった。
「旅の中でいろんな人と過ごしてると、自分っていろんな側面があるんだなぁと思う」と話すと「自分探しって感じだねぇ」と言われ、確かにと頷く。
私って適当だな〜と思っていたが、意外と真面目なところもあるし寛容なところもあれば、信じられないほど器が小さいところもある。
“友達と会った後に、少し一人で過ごして、また違う誰かと会う。”
というサイクルを繰り返していたので、自然と自分のことを俯瞰する時間になったようだ。
お互いの今までのことなど話しは尽きず二人で遅くまで飲みながら「でも大人になったね〜」と話すのがただただ楽しかった。
パリには彼女のおばさんの家があり、今は留守にしてるというので二人で泊めてもらうことに。
次の日の朝は、”フランスパンを買ったものの我慢ができず、家に帰るまでの間に少し齧ってしまうやつをやる”という夢も叶えた。
オランジュリー美術館へ行って大きなモネの睡蓮を見れた。
旅が始まって二週間か…
本当に楽しいな。
海鮮も美味しいし、ワインも美味しいし…
本当に幸せだなぁ〜
雑貨も服も可愛いな〜…
………
ただ、
わたしはその日の朝からずっと違和感を感じていた。
………
めちゃくちゃ喉が痛いかもしれない……
地獄のモン・サン・ミシェル編に続く

(イラスト/藤原さくら)

藤原さくら(ふじわら さくら):1995年生まれ。福岡県出身。シンガーソングライター。天性のスモーキーな歌声は数ある女性シンガーの中でも類を見ず、聴く人の耳を引き寄せる。ミュージシャンのみならず、役者、ラジオDJ、ファッションと活動は多岐に亘る。interfmレギュラー番組「HERE COMES THE MOON」(毎週日曜24時~25時)にてDJを担当。